1.「誰かに、つけられているような……」へ


【登場人物紹介】
◇美樹さやか
「残念、さやかちゃんでした」のキャッチフレーズで今をときめくネットアイドル。
歌って踊れるニコ生マスターを目指している。こっそりと川原で発声練習中。
◇鹿目まどか
さやかの幼馴染にして大の仲良し。登場機会の減少にあえぐ。
◇暁美ほむら
引っ込み思案の転校生。まどかと仲良しの眼鏡っ娘。本領発揮はまだ先か。
◇縦ロールの少女
さやかたちの上級生。
◇ストーカーの男
脳内が魔女化した腐れ。ホビロン。



2.「それは、とっても厨二くさいなって」

「この、ヘンタイ!」

 さやかが放った渾身の一撃は鈍い音と共に男の肩口に直撃した。
驚きから立ち直り避けようとする動きに、少女の機敏さが勝ったのだ。

 それでも、事態は何ら好転しなかった。
格闘技を学んでいるならばともかく、いくら助走をつけたところで、
一般的な女子校生の力では成人男性を吹き飛ばすまでの威力は得られない。
加えて、いくらストーカーが相手とはいえ、
生来心優しい少女が全力で他人を攻撃できるはずはなく、
無意識の手加減もあって、行動力を奪う程のダメージを与えることができなかったばかりか、
中途半端な攻撃は男をよろめかせることすらできず、逆に気分を盛り上げてしまったのである。

「さやかちゃん、逃げて!」

 桃色ツインテールの少女が立ちすくむ親友の背に向かって叫ぶ。
ほむらはその後ろで祈るように両手を組み合わせ、カチカチと歯を鳴らすばかりだった。

 頭の中が真っ白になっていた青髪の少女は、友の声で我に返った。

「痛い、痛いよマイエンジェル」

 うわ言のようにつぶやいて腕をつかんでくる男の腕を振り払おうとして、
見るに耐えない有り様を目にしてさやかの顔からさっと血の気が引く。
ねっとりとした視線を送る目はひどく充血していて、
締まりの無い口は体温を下げようとする犬同然に浅い呼吸を繰り返し、
涎を垂らさんばかりに興奮している。

「くっ、放せ!」

 つい今しがたまであった義憤や親友たちを守らなければならないという強い気持ちは、
青髪の少女から失われていた。代わりに胸を占めるのは、生理的嫌悪感と未知なる存在への恐れだ。

 美樹さやかは男子の性的な欲求について、何も知らないわけではない。
二次性徴を迎えてからしばらく経った頃、男子の見る目が幾分変化したことに気づき、
最初は汚らわしく感じたものの、程なく男子とはそういうものだと気にならなくなった。
たあいのないエロ話でやたらと盛り上がるくせに、
女子に聞かれた途端、恥らう姿を見るとほほえましく思うくらいである。

 だが、この男は違う。
明らかにこれは世の男性が持っている欲求とイコールの存在ではない。
鳥肌が立つどころの騒ぎではなかった。
一生理解することのできない、むしろ理解などしたくもないおぞましさだ。

「いや、やめてよ!」

 一たび散華してしまった勇気の欠片はいっかな集まる気配はなく、
青髪の少女はとにかくこの場から逃げようとした。
より正確には、一刻も早く犯罪者の側から離れようとした。

 しかし、痩せぎすの男は青白い肌に似合わず強い力でつかんだ腕を放さない。
さやかはどうにかして拘束を解こうと空いた手で叩きつけるように甲を打つが、
相手はニヤニヤと笑うばかりで、その手さえも押さえられてしまった。

「放さないよ、さやかたん」

 口もとに浮かぶ歪んだ笑みは、己の優位を確信した上での嗜虐的な色合いを帯びている。
嫌がり、必死で逃げようとする様子を見て、楽しんでいるのだ。

 青髪の少女からは知りようもないが、頭の中ではひどい妄想が繰り広げられている。
欲望のままに監禁し、従順な生き物へと変えるための、
すなわち「ネットアイドル・美樹さやか」を飼うための計画が組み立てられている。

 最初に発表すべき曲は、【私の彼は転売厨】だ。
これより先、さやかは養われる身となったことを宣言する。
続いて【乞いに堕ちる5秒前】で、みんなのアイドルではなくなった旨を高らかに歌い上げ、
【Don't say crazy】や【さやさやにしてあげる】といった歌で、
主人に対する狂おしいまでに昇華された思いの丈を公開するのである。

 撮影会は毎日開催する。無論、撮影者はただ一人、
画像は一部のおこぼれをWeb上に載せることにする。

 ファンたちは騒ぎ立てることであろう。
最初は自作自演の、売名目的として捕らえられるかもしれない。
だが、程なく閲覧者たちは知ることになる。
知ったところでどうすることもできない現実を目の当たりにする。

 飾らず、媚びず、常にありのままの姿を発信し続けてきた駆け出しの、
しかし至高のアイドル美樹さやかが誰のモノとなったのかを思い知らされるのだ。
モニターの向こう側から届く嫉妬と怨嗟の声は、またとない悦びとなろう。

「さ、行こうさやかたん。ボクたちの楽園へ」

 ストーカーは恍惚の表情で、嘆息した。
そう。さやかがいれば、それでいい。愛で、慈しみ、寄り添って過ごす。
すべてはさやかのために、さやかを中心に世界は存在を許される。

「何ひとつ不自由はさせないよ。さやかたんはボクだけのために生きればいいんだ」

 その時、不意に少女の腕から力が抜けた。

「……あんた、バカ?」

 静かな怒りに彩られたつぶやきは、男の意識を眼前の女神へと引き戻す。

「誰が、あんたみたいなキモメンと一緒に行くもんですか」
「ちょ、ちょっと待ってよさやかたん。キミは何を言っているんだい?」
「気持ち悪い呼び方をしないで。まどかやほむほむには許しても、
あんたにだけはそんな風に言われるのは絶対イヤ」

 まっすぐに見据える青の瞳は怯える小動物のそれではなくなっていた。
断固として戦う意思を持つきらめきがそこにあった。

「だから、あんたの言いなりになんてならない、って言ってるの。
そんなことをするくらいなら死んだ方がマシ。大体、なんなの?
力ずくで女の子をどうにかできると思っているわけ?
そんなことしたって、あたしの心はあんたのものにはならないわよ!」
「!?」

 ストーカーは我知らず腕を放していた。一歩、二歩と後ずさりする。
一体、何をどう間違えたというのであろう。
家まで連れ帰れば、すべて上手く行くはずだったではないか。

「さやかちゃん……」

 まどかと黒髪の眼鏡少女が息を詰めて見守る中、凛とした声が辺りに響き渡った。

「そこまでよ、社会の底辺に生きる変質者」

 居合わせる誰もが、闖入者の言葉に唖然とする。

「一つ、人の生き血をすする悪党……」

 茂みを揺らし、登場したのは黄金色に輝く二房の巻き髪を持つ上級生だった。

「二つ、不埒な悪行三昧」

 クールな表情で台詞を続ける一方で、
頭に葉っぱを乗せたままでいることに本人は気づいているのかどうか。

「私の可愛い後輩をつけ狙うストーカー! 月に代わって悪・即・斬!」

 びし、と動揺する男を指差すや、縦ロールの少女は猛然と走り出した。

「蛆の詰まったその脳、脳漿ごとぶちまけなさい!」

 見滝原中学の三年生は裂帛の気合と共にストーカーの足の甲を全力で踏み抜き、
男が苦痛で思わず腰を折り反射的に下げた頭部へとスカートを翻らせつつハイキックを決める。

「ふごォ」
「これで、終わりよ! ティロ・フィナーレ!」

 巻き髪の少女は間を置かず重ねた手のひらの付け根を、無防備な犯罪者の鳩尾へと叩き込んだ。

「げぶッ」

 直後に男は成す術もなく膝から崩れ落ちる。
この時、さやかたちは何故か先輩の背後に浮かんだ無数の銃が一斉に火を吹く光景を幻視していた。


「ありがとうございました。助かりました!」

 ひとまずストーカーを後ろ手に縛り上げてから、さやかたちは改めて上級生に頭を下げた。

「ふふ。あなたたちが無事でよかったわ」

 巴マミと名乗った巻き髪の少女は柔らかくほほえみ、青髪の少女にうなずき返す。
次いで、寄り添うまどかとほむらに笑いかけた。

「あたし、さやかです。美樹さやかっていいます」
「そう、あなたが美樹さんだったの。どおりで似ているわけだわ」

 微かに目を見開くマミに、さやかは瞬きをしてから気恥ずかしそうに鼻の下をこする。

「あ、もしかしてあたしのこと、ご存知でした?」
「ええ。あなたの踊りを見させて頂いたことがあるわ」

 このやり取りを聞きながら、黒髪の少女は密かに思う。
歌について触れないのは、武士の情けなのかもしれない、と。

「ところで、さっきの、何でしたっけ。
ほら、ストーカーを倒した時、最後に言った……」
「ああ、ティロ・フィナーレのこと?」

 縦ロールの少女がふわりと笑って補足する。
いつの頃からか、彼女は終わりの一撃をそう呼んでいる。

「はい。何ていうか厨二病っぽかったですけど、すごく格好よかったです!」
「そ、そう」

 悪意など欠片も感じさせない心からの笑顔を向けられて、
マミはそれ以上何も言うことができなかった。


3.「もう何も怖くない」へ

ver.1.00 11/8/16
ver.1.44 11/9/17

〜さやかわ・舞台裏〜

「それでは、第一回ほむ邸女子会の開催を宣言します!」

 青髪の少女がオレンジジュース入りのグラスを掲げる動きに合わせて、 テーブルについた三人の少女たちが乾杯、と口々に呼応する。

「乾杯、ほむらちゃん」
「うん。乾杯、まどかちゃん」

 目を線にする桃色ショートの友人に笑いかけられて、
黒髪の眼鏡少女はにこりとえくぼを作って差し出された応えた。
さやかはほほえましいやり取りを交わす親友たちを尻目に、
反対側に座っていたため手が届かなかった先輩の元へと移動する。

「乾杯!」
「ティロ・フィナーレ」

 口もとを弓にしながら巻き髪の少女はあまり聞き慣れない語を発した。
彼女の中では、掛け声や挨拶として使う言葉になっているらしい。
青髪の少女は意外そうに目を丸くしたがそれは一瞬のことで、
再度グラスを合わせつつティロ・フィナーレとノリよくつぶやく。

「でも、よかったのかしら。あなたたち三人で集まる予定だったのでしょう?」
「何を言ってるんですかマミさん。あたしたち、仲良し四人組じゃないですか」

 友の台詞をまどかとほむらが首を縦に振って肯定する。
マミは向けられた三対の温かなまなざしに、よかった、ぼっちではないのねとつぶやく。
幸か不幸か、それは誰の耳にも届かなかった。

 持ち寄った菓子をつまみながらの談笑は次第に盛り上がり、
さやかの全身をフルに活用したコミカルな動きがツボだったとみえて、
桃色ショートの少女が体を九の字にして笑いこける。
その拍子に、まだ中身が残っていたジュースのパックを手前に引き倒してしまった。

「きゃっ」

 悲鳴を上げながらも紙パックを起こしたため、更なる被害の拡大は防げたものの、
まどかは一人、濡れ鼠になってしまったのである。

「っと、雑巾とか、ある?」

 誰もが動きを止める中、美樹さやかは部屋の主に目線をやる。

「ええと、洗面所のところに」
「ほいきた!」

 あわててほむらが立ち上がろうとした時には、
青髪の少女はタオルと雑巾を手に戻ってきていた。

「ベタベタする〜」
「お茶ならよかったんだけどね」

 さやかの行動は迅速で、マミに雑巾を手渡し、
親友の頭に綺麗なタオルをかぶせて手早く拭くや、服を脱がせにかかる。

「シミになっちゃうから、取り敢えず応急処置させてもらいなよ。いいよね、ほむほむ」
「あ、はい」

 黒髪の少女は同意したと言うより、勢いに飲まれて首を縦に振っていた。
先日、ストーカー騒ぎがあった時と同様、感嘆の思いが胸に満ちている。

 しかし、羨望の眼差しは間を置かず別の感情によって彩られた。
視線の先にあるのは、胸もとをはだけさせたまま、困ったように眉をハの字にするまどかの姿だ。

「下着も脱ぐの?」
「濡れてないなら別にいいけど、その辺り、モロじゃなかった? って、透けてるし」
「あはは、本当」

 傍目には和気藹々としたやり取りであったが、
楽しそうな笑い声が響いた直後、黒髪の少女に異変が起きた。

「ほむらちゃん、大丈夫!?」
「え……?」

 桃色ショートの少女が驚いたのも無理はない。

「鼻血……!」

 頬を真っ赤に染めたほむらの鼻腔から、紅の雫が流れていた。



 さやかわ、第2話です。お楽しみ頂けましたら、幸いです。
では、第3話「もう何も怖くない」にてお目にかかりたいと思います。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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