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V「愛の逃避行」


 もはや予行演習の段階を過ぎて一足早く夏本番と大差ない灼熱の光が降り注ぐ午後の時間、
俺たちは引き続き学園祭で発表するための自主映画を撮影するべく、
再びひと気のない公園へとやって来ている。

 ご存知のとおりSOS団の活動は文芸部室内に限定されておらず、
『各自、授業が終わったら昨日の公園に集合よ。言い訳は一切認めないわ。
道をさえぎる者がいたら親でもなぎ払って来ること。遅れたらペナルティだからね』
というかなり無体な団長の指令があったせいか、
道交法を気にすることなく二人乗りを敢行したにも関わらず、
俺とハルヒが連れ立って待ち合わせ場所に到着した時にはすでに全員がそろっていて、
こいつに言わせれば『団員の規範となる行為ね。偉いわ!』ということになるんだろうが、
誰だって罰ゲームはイヤだからな。従順にもなろうってもんさ。

 ちなみに、ハルヒと朝比奈さんを除く全員が昨日の帰り道にあった出来事を知っている。
今回、心優しい未来人の先輩に情報を伝えていないのはまだこれが確定事実ではないことに加えて
撮影どころでなくなってしまう恐れがあるためだ。
その代わり、彼女にも機関のメンバーがしっかりと護衛として張り付いてくれるそうだし、
帰り道は鶴屋さんがついてくれると言っているしそれほど心配しなくていいだろう。

 今日の昼休みにざっと事情を伝えたところ、彼女はいつもの明るい笑顔で
『なるほど、わかったよ。それじゃあみくるはあたしが守るから、
キョンくんは安心してハルにゃんのボディーガードをしておくれっ』と快く協力してくれた。
いつもながら頼りになる先輩だと思う。大船に乗ったような、とはまさにこのことだ。

 それより、問題はこちらの方である。
何しろ誰だかよくわからん連中の狙いはどうやらうちの団長殿らしいからな。
いくら俺が楽天的とはいえ、さすがに昨日のアレはたまたま起こったことなんて考えちゃいない。
つまりハルヒを連れて歩けば危険な目に合う確率はかなりのものではなかろうか。
自分でも柄じゃないことくらいわかっているんだが、
ナイト役を請け負った以上は全力を尽くさねばならんのは間違いない。

 それはそれとして、俺は自分の力を過大に評価することなく、
後輪に取り付けた六角の鉄棒に乗っかっているだけの超監督に
『もう少し早くこげないわけ? これじゃあ、あたしが重いみたいじゃない』だの
『行け、キョン。この上り坂を越えたら公園よ!』だの背後から好き放題言われつつも、
道中はしっかり警戒しながらやって来たのだが、ここに来るまでの間、さすがと言うべきか、
密かに見守ってくれているらしい森さんたちの顔を見つけることはできなかった。
何しろどこかに隠れていると知られていながら、それでも影すらつかませないんだからな。

 もっともこれは、単に俺の探査スキルがザルなだけかもしれんがね。
それでも前に朝比奈さんがさらわれかけた時のようなことはないと思うことができたのは、
昨夜の電話で長門から『可能な範囲で対応する』という
心強い言葉を聞かせてもらっているからか。

「うん、よろしい。団員の規範となる行動ね。みんな偉いわ!」

 ほぼ予想どおりの台詞と共に自転車からひらりと飛び降りたハルヒは、
湿気を根こそぎ吹き飛ばすような南国産の輝かしい笑顔で木陰に集まる団員の元に駆けて行く。
自転車を止めて鍵をポケットにしまっていると、入れ替わる形で鶴屋さんがこちらにやって来た。

「キミたちは相変わらず仲がいいねっ」

 小声を弾ませる、器用なしゃべり方で俺の肩を叩く先輩も、
いつもと同じく躍動感に満ちあふれていて、こぼれ落ちそうなくらい満面を笑みにしている。

 本当、この人がしかめ面しかできないような事態は起こって欲しくないもんだ。
心の底からそれを願うぜ。

「まあ、こんなもんですよ俺たちは」

 あいつに顎で使われて、それに従う。
この図式はどんな野球チームの勝利の方程式よりも確実な、そう、公式みたいなもんだ。

「それって、ある意味のろけにも聞こえるにょろよ?」

 鶴屋さんは自分の発言がおかしかったのか、くふっ、と軽く吹き出して身を寄せてきた。
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐったのは、洗髪剤か、彼女自身の匂いなのか。

「みくるのことなら心配ないよ。古泉くんの知り合い、機関の人だっけ?
その人たちが送り迎えをしてくれているからね。
おかげであたしもありがたーく恩恵に預からせてもらっているよっ」

 ノックをするように緩く握った拳を俺の胸に押し当てて、先輩はニヤリと笑った。
と、鶴屋さんの視線が少しそれて、一歩後ろに下がる。

「お、みくるタイムはそろそろ終了かな?」

 首だけで後ろを振り返ると、クソ暑い午後の空気をものともせず
ハルヒは戦うウエイトレスを抱きしめてほお擦りを敢行していた。
それにしてもみくるタイムとは言いえて妙、
名が示すように魅惑の時間であることは間違いないのだが、
残念ながらそれを楽しんでいいのは団長のみに限られた特権だ。

 ハルヒによる朝比奈さんへのスキンシップ、
もといセクハラ行為がそろそろ終わることを見越した鶴屋さんの発言どおり、
いつ果てるとも知れなかった朝比奈カーニバルは唐突に終わった。

「よく分かりましたね」
「ん? 簡単なことさ。ポイントはハルにゃんの表情だね」

 あいつの表情、ね。
俺には始める前も最中も終わった後も同じような面をしているようにしか感じられませんよ。

「ダメだよキョンくん、もっとよく観察しなくちゃ。がんばれ若人っ」

 鶴屋さんは星のきらめきを思わせるウインクを一つ飛ばして、ハルヒの方に向かって行った。
正直、がんばれと言われましても何をどうすればいいのやら俺にはさっぱりです。

「鶴ちゃん、今日はお家にお邪魔させてもらってもいい?」
「平気っさ。ま、ハルにゃんならよほどのことがない限り無理にでもOKにするけどね!」

 それにしても相変わらず、というのはあの二人の関係を示すためにあるんだろうな。
ここまで意気投合できる相手はそうそう見つからないと思うぞ。

 しばらくの間和気藹々とした超監督たちのやり取りを眺めていた俺は、

「キョンくん、お疲れさまです」

 声をかけられて初めて未来人の先輩がすぐ傍までやって来ていることに気づいた。
彼女にこうして天使のようなほほえみで労をねぎらってもらえるのは団員の特権であり、
言うなればそれは乾ききった砂漠でようやく巡りあえたオアシスそのものだ。
にやけハンサム面も同じ意味合いの台詞をしょっちゅう口にするが、
心の癒されようは雲泥の差なのは言うまでもない。

 そして、SOS団をやっててよかったと心から思う瞬間である。
このためなら、団長を後ろに乗せて公園までやって来た甲斐がなくもない、くらいには思えた。

「いえ、朝比奈さんこそ」

 にこにこと笑う朝比奈さんは常から何ものにも勝る保養である。
その上ハルヒに散々弄り回されたために乱れた髪と着衣がそこはかとない色気を醸し出す様は、
あどけない表情をみせるが故に、健全を自負する男子高生にとってはかなり刺激的だった。
そんな彼女につい見とれてしまったとしても誰が責められよう。

「どうかしたんですか?」
「いえ、何でもありません」

 あわてて笑顔で取り繕う俺に、可憐な未来人の先輩はおっとりと首を傾げる。
いかんいかん。これじゃあ谷口のことをとやかく言えん。

「少し考えごとをしていただけです」
「はあ」

 ろくでもないことを暑さと疲労で溶けてしまったとしか思えない脳で、
と具体的名内容に踏み込むことなどできるはずもなく、
ぱちくりと不思議そうに瞬きをする未来人の先輩と見詰め合ううち、
ふつふつとおかしみがこみ上げてきて小さく吹きだしてしまった。
それを見た朝比奈さんも釣られてクスクスと笑い出す。

「ふふ、変なキョンくん」
「はは、まったくですね」

 結果的に冷静さを取り戻した俺は改めて戦うウエイトレスを見やり、内心首をひねった。
というのも、彼女の格好がすでに撮影用のそれになっているからだ。
いくら俺とハルヒが自転車で移動したと言っても、
家に戻って着替えるほどの余裕はさすがにないと思うのだが。

「ところで朝比奈さん、あなたはその格好でここまで来たんですか」
「ううん、違うの。ほら、あそこのトイレで着替えたんです」

 なるほど、そうでしたか。

「長門さんは私がトイレから出てきたら魔法使いさんになっていました」

 ふわりとほほえみ瞳を和ませる朝比奈さんの目線を追いかけて、俺は小さく相槌を打った。
向こうの木陰で一人黙々と読書を続ける黒いマントの魔女っ子は、
いちいち服を脱がなくてもいいからな。
鶴屋さんにいたっては制服のままだから身一つで問題はない。

「今日はどんな撮影になるのかな」
「そればっかりはあいつの頭の中を覗いてみないとなんとも」

 ハルヒは鶴屋さんとのガールズトークを引き続きお楽しみ中だった。
そう、今回もシナリオのすべては超監督の脳内に収められている。
つまり、万一あいつが倒れてしまった時は映画の進行が止まってしまうわけだ。
未完の大作ってのはそんな風に生まれてしまうものなのかもしれん。

 たとえば昨日、迫り来るバイクに気づくのがあと少し遅かったとしたら。

 内心つぶやいて、俺は小さくかぶりを振った。
やれやれ。我ながら縁起でもないことを考えてしまったぜ。

「まあ、どんな内容でもできる範囲でお手伝いしますから」
「ありがとう、キョンくん」

 自然と笑顔を交わした直後、計ったかのようなタイミングでハルヒの声が辺りに響き渡った。

「さ、そろそろ撮影を始めるわよ! みくるちゃん、こっちに来て!」
「あ、はーい」

 脇を締め、肘を折り曲げて体にひきつけた腕を胸の高さで左右に振る乙女走りで
とたとたと駆けて行く朝比奈さんは実にほほえましく、目が潤うことこの上なしだ。

 だが、いつまでも見とれていれば超監督の叱責が飛んでくるのは目に見えている。
後ろ髪を引かれながらも仕事道具を取りに行くべく踵を返すと、
やたらとさわやかな笑顔を浮かべる超能力者が立っていた。

「どうぞ」
「ああ、すまん」

 礼を言って差し出された期間限定の相棒ことビデオカメラを受け取りつつ、
ついでとばかりに気になっていたことを確認する。

「ところで、機関の送り迎えってのはお前も一緒なのか?」
「ええ。移動手段はタクシーを使わせてもらいました。
少し贅沢ですが、その方が色々と面倒がなくていいですからね。
さすがに朝比奈だけを車に乗せるわけにもいきませんし」
「そうかい」

 と、いつの間にか傍までやって来ていた黒いとんがり帽子の魔女っ子は
杖を片手に俺を見上げていた。
物言わぬ彼女の目を見返して、すぐに意図を理解する。

「なるほど、長門も一緒だったわけか」
「そう」

 四人で、ということなら朝比奈さんが疑問を覚えることもないだろうしな。
ところで、気のせいだろうか。
長門が何か言い足そうとしているように感じられて、
つぶらな瞳をじっと見つめていると
はっきりとした強い意志の光を込めたまなざしでこう言った。

「帰りはあなたをフォローする」

 自然と口元が緩むのがわかる。

「ああ。よろしく頼む」

 自分で言っていて奇妙な表現だと思うが、
それは心なしかいつもよりも柔らかな無表情だった。



「さあ、みくるちゃん。ミクルアイで弱点を探るのよ」

 自身の大きな瞳を指差しながら言うハルヒに、
朝比奈さんは「目、ですかぁ」と真剣な表情でうなずいている。
そういえば以前、謎の奇病で犬がダウンする事件が解決し元気を取り戻した
四本足のペットを彼女がいたく気に入っていたことがあったが、
贔屓目を差し引いたって朝比奈さんの愛らしさが数倍勝る。

 それにしてもミクルアイは透視力、か。どこかで聞いたようなフレーズだ。

「いい? 有希は宇宙の果てまで飛ばされちゃったから、
地球に戻ってくる間に結構なダメージを負ってるわけ。
みくるちゃんはそこを突くのよ。言っとくけどこれは姑息な手じゃないからね。
どんなヒーローだって相手の弱点を狙うでしょ? それが正義の味方ってもんよ」

 当然のように超監督は絶好調、撮影の方もばっちり順調とくれば、
SOS団にとっては申し分ない状況であり、
俺にとってもこいつが上機嫌でいてくれるんだから文句などあろうはずもない。

 そういえばこの公園はまったくと言っていいほど子どもの姿を見かけないな。
原因はあまり考えたくないが、
おそらく、いや百パーセント中の百二十パーセントぐらい俺たちのせいだ。意味不明だが。

「あのう、涼宮さん。私、技名を叫ぶだけでいいんですか?
何か、前振りというか、そういうものが必要なんでしょうか」

 ハルヒは腕を組んでうーんとひとつうなった後、こちらに目線を向けてきた。

「決め台詞は、そうね。“まっぱ”でどうかしら。真っ裸のまっぱ」
「好きにしろ」

 あまり年頃の女子が口にしない方がいい単語だとは思うがね。

「よし、決まりね。みくるちゃん、まっぱで行って頂戴。それじゃあ、アクション!」

 わかりました、とうなずく朝比奈さんの頬はほんのりと桜色に染まっていた。



「あ、あなたのことはすべてお見通し、です!
わ、私の視線でまっぱになっちゃってください!」
「……」

 相対する長門は無言で杖の先、星型の部分をゆるやかに回す動作を続けている。
しかし、この二人はどういう流れで戦うことになったんだろうな。
あと、鶴屋さんはどうしたんだ。

「ミ、ミクルアイ!」

 朝比奈さんが恥ずかしそうに身をよじりながらも技名を唱えた。
これで魔女っ子の弱点が明らかになったわけだ。
しかし、ビームの類と違って周囲に危険が及ばないのはありがたいのだが、
視聴者からすれば何をやっているのかさっぱりわからんだろうな。
せめて、何かエフェクトを加えておかないと、
去年同様ただの朝比奈みくるプロモーションビデオになってしまう。
それはそれで需要はある、と開き直ってしまうのもありのような気はするんだがね。

「これであなたは完全にまっぱです! か、かか覚悟してください!
……って、あれ? どうして本当に……裸に?」

 未来人の先輩はおたおたと辺りを見回して、レンズ越しに目が合った。
すると、みるみるうちに朝比奈さんの顔が真っ赤になる。

「ふ、ふえ」

 何が起こったのか誰も理解できないまま、
戦うウエイトレスは大きくのけぞり、

「キョ、キョンくん……ダメえ」

 かわいらしい悲鳴を上げて顔を手のひらで覆ってしゃがみ込んでしまった。
いや、あの、駄目と仰られましても何がなにやら。

「僕は、朝比奈さんが赤面した理由がなんとなくわかりました」

 お約束だが、横から古泉がレフ版を手にしたままくっついて来た。
ただでさえ不快指数が高いってのにがっちりと肩を組んでくるんじゃない。

「なんだ、言ってみろ」

 嫌そうに眉をしかめたくらいでこいつがめげるはずもなく、
当然のように古泉スマイルを近づけてくる。

「彼女は本当に見えてしまったんですよ」

 いつもながらもったいつけたしゃべり方をするヤツだ。

「だから何がだ」
「あなたの服の下、です」
「は?」
「正確にはあなたの下着に隠された箇所ですね。 ああ、安心してください。僕の目には透けて見えてはいませんから」

 マジかよ。まさか、本当に透けて見えてしまうとは。

「有希?」

 急を要さなかったためか長門はゆっくり朝比奈さんに歩み寄ると、
手の甲に噛みついていた。
突然エスパーになってしまった力を抑えるため、だろうな。
しかし、この場面は製作者サイドの人間以外にはまったく意味がわからんぞ。

 俺の突っ込みをよそに、黒ずくめの魔女っ子は元の位置に戻り、

「その程度の力でわたしの弱点を読み取ることなどできはしない」

 効かなかった旨を伝えて杖をゆるゆると回す動きを再開する。

 これを見た超監督は数回うなずいた後、メガホンを元気よく振り上げた。

「うん、有希の言うとおりだわ。
簡単に弱点がわかっちゃうのもつまらないし、この流れを採用しましょう」

 この後は鶴屋さんの家に向かう道すがら、ミクルとイツキが再会するシーン、
何故か鶴屋さんと付き合い始めたイツキ、何の修行なのか妙なリズムに合わせて
一人路上で片足立ちのまま真横に向きをそろえて腕を左右に振り続けるミクルなど、
一向にストーリーの読めない話を撮影し、
朝比奈さんが持参したクッキーとお茶をいただきながら歓談するうち
陽が傾いてきたので本日はお開きと相成った。



「ところでハルヒ、帰りなんだが。後ろに乗って行くんだろ?」

 鶴屋さんに見送られてしばらく歩いたところで、
俺は打ち合わせどおりハルヒにそう呼びかけると満足そうなうなずきと笑みが返ってきた。

「自分から進言するなんて殊勝な心がけね。でも、みんなはどうするの?」

 ぐるりとSOS団の面々を見回す団長に、

「お二人はどうぞ自転車で帰ってください」

 古泉が無駄にすがすがしい微笑で答える。

「朝比奈さんは僕が責任を持ってお送りしますので、どうぞご心配なく」
「え? え?」

 ハルヒはきょとんとした顔の朝比奈さんから長門に目を移した。

「有希は?」
「いい。わたしはこちらに着いて行く」

 黒ずくめの宇宙人は俺にだけわかるように目配せしてきた。
我ながら、この微妙な変化をよく見分けるもんだと思う。
これも付き合いの長さなのかもしれない。

「古泉も長門もああ言ってるんだ。いいんじゃないのか、分かれて帰っても」
「そうね。いつもは現地で解散しているわけだし」

 ハルヒはそれで納得したのかひらりと六角の上に飛び乗った。
元々深く考えるタイプのヤツじゃないからな。

「じゃ、家まで送る栄誉をあんたに与えるわ」
「へいへい」

 初乗り一万円、なんて使い古されたネタは胸の中でつぶやくに留めておく。



「明日は水着を用意しておきなさい。川に行くから」

 俺とハルヒは二人乗りをしながら、たあいもない会話を続けていた。
毎日面を突き合わせてるってのに、しゃべるネタは尽きないもんだ。
まったく、制服越しに伝わる二つのふくらみを意識する間もないぜ。

 ……そういうことにしておいてくれ。

「川? どこの川に行く気だ」
「鶴ちゃん所有の山よ。泳ぐのにいい場所があるんですって」
「それは、川泳ぎを楽しむためか? それとも」
「もちろん撮影のためよ。ま、せっかくだから川遊びも楽しもうと思ってるけど」

 本当に次から次へといろいろ思いつくヤツだ。
おかげで飽きることのない毎日を過ごせているのは事実だけどな。

「ねえ、キョン。夕日が綺麗よ」
「ああ、本当だ」

 相槌を打とうとして、猛烈に嫌な予感がして急停止する。

「どうしたのよ、子猫でもいたの?」

 背中から聞こえてくるぶつぶつと不満そうな声を無視して、俺はまず後方に目を向けた。
次に左右、そして前を見る。どこにも長門の姿は見当たらず、森さんたちもいない。

 それだけじゃない。
一切の物音が消えている上、少なくとも見渡す限り人っ子一人居ないのだ。
シャレになってないな、これは。

「ハルヒ、しっかりつかまってろ」

 俺はハルヒの腕をつかんでしっかりと首に抱きつかせた。

「ちょ、ちょっとキョン?」

 引き寄せられる形になってあわてた声を上げる団長に、
こうしたことの理由を説明する。

「愛の逃避行ごっこがしたくなった」

 穴がなくても地面に潜りたくなるぜ。
無理やりもいいところだな。愛の逃避行って、何だそりゃ。

「は? 何言ってんのよあんた」

 珍しいこともあるもんだ。声と態度から動揺が伝わってくる。

「心配するな。ちょっとくらい持ちこたてみせるさ」
「何? わけがわかんないわよ」

 俺は少し迷って、首もとにある手のひらに自分のそれを重ねた。
耳朶をくすぐっていた吐息がふっと止まる。

「ちょっと黙っててくれ。舌、噛むぞ」

 つぶやくと同時、俺はハルヒの返事を待たず全力でこぎ出した。

 下手すりゃこれは哀の旅路だな。それも全部、俺次第なんだが。




W「あなたが無事なら…」へ

ver.1.00 09/06/29
ver.1.49 09/07/02

〜長門ユキの逆襲・舞台裏〜

「あれ、長門さんは一緒に帰らないんですか?」

 キョンくんたちが帰ってから数分後、
やって来たタクシーに近づこうとしない有希ちゃんを見てみくるは不思議そうに首を傾げた。
抜けたところもある子だけど、やっぱり基本スペックが高い。
こういう時、ピンと来ちゃう辺りはさすがのひと言。
ま、付き合い始めてすぐに気づいたけどねっ。

「用事がある」

 にべもない返事だけど、有希ちゃんの場合含むところは何もないんだよね。
ただ、言われた人間はもしかして怒っているのかな、と思われてしまい勝ちなんだろうな。
彼女のことをよく知っていればそういう誤解もないんだけれど。

 それでも、少しずつ愛想がよくなっているのは間違いない。
キョンくんに対するそれに比べると、淡白なんだけどさ。

「あ、そうなんですか」

 付き合いの長さはあたし以上でも、過剰なまでに遠慮と謙遜の塊なみくるは、
有希ちゃんのひと言で納得する以外の選択肢を失い、
ほんの少し困ったように眉根を寄せた笑顔をみせつつ、
それでは、とタクシーの後部座席に乗り込んだ。
この子の場合、もっと積極的に自己主張をしようとしてちょうどいいくらいだと思うんだけど、 今日のところはあえて何も言わずにおく。
何故なら、あた したち(・・)に はこの後しなくちゃいけないことがあるからさっ。

「それでは、また」
「はーい。みくるをよろしくねっ」
「了解です」

 いつもの一樹スマイルで応える彼とみくるに大きく手を振って、
タクシーが見えなくなったところでお仕事開始、だ。

「さて、有希ちゃん。
キョンくんたちはかなり先を行っていると思うんだけど、どうするにょろ?」
「平気。追いつける」

 なんとも明快な解答だね。
有希ちゃんがそう言うからには可能なんだろうけどさ。
でも、どうするつもりなのかな。さすがに空は飛べないだろうし。
いやいや、案外それすらできてしまうのかもしれない。って、さすがにそれはないか。

「まさか、走って行くんじゃないよね。自転車かいっ?」
「そう」

 ビンゴ。ということは、ただ普通に乗るだけじゃないってことさあね。
何しろ彼我の距離を詰めるだけでも一苦労な上に、一本道ばかりじゃないわけだし。
一体どんな手品を見せてくれるのやら、否が応でも興味が沸くね。

「尾行なんて生まれて初めてだよ。不謹慎だけど、めがっさわくわくするねっ」
「そう」

 あたしは倉庫から引っ張り出してきた自転車のサドルにまたがり、
後ろの荷物置きに横座りで収まった有希ちゃんは数秒間ぶつぶつと何かをつぶやいた。

「これ、普通にこぐだけでいいのかい?」
「いい」

 特に何かが変わったようには見えないものの、
どれ、と半信半疑でペダルを踏み込んだ瞬間、違いがはっきりとわかる。
感触はまるで羽のよう、これまでに経験したことのないものだった。

「いやあ、爽快だねっ」

 競輪の選手が体感するスピードはこれくらいなのかな。
どう考えてもあたしの全力以上のパワーでもって、
風を切って進む自転車は高級車を思わせる抜群に安定した走りをみせている。

 そして、しばらく経ってついに二人の背中を捕らえた時、
有希ちゃんが異変を感じ取ったのか息を飲んだのがわかった。
しかも、驚くべきことに彼女が漏らした声には微かな焦りが入り混じっている。

 それもそのはず、今の今まで見えていたハルにゃんたちの姿は影も形もなくなっていたのだ。



 ここに長門ユキの逆襲、続編をお届けします。
お話の方もようやくエンジンがかかってきた、といったところです。
水着シーンは次回に持ち越しとなりましたが、引き続きお付き合いいただければ幸いです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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