1.「ここには私しかいないのだから」へ


2.「おまえの好きにはさせない」

 夜半、人知れず静寂を裂いて隘路を疾走する白き獣があった。
三又に分かれた耳の先端は手のようにも見え、
紅玉を思わせる瞳は暗闇にあってなお爛々と輝く。
右へ左へと小刻みに方向を転じながら、
時折背後を確認しつつ駆けるその姿を無言で追うのは、黒き髪の少女だ。
手には、華奢な細腕にそぐわない、
発射した弾丸により人畜を殺傷する無骨な金属製の武器を携えている。

 彼我の距離がやや縮まったかと思えたその時、
パンッ、と乾いた爆発音が鳴り響き、同時に光の花が咲く。
一瞬、露になった射手たる少女の闇と同色のカチューシャと漆黒の瞳が、
余韻を残して消えていく音と共に夜気へと紛れる。

 四つ足の獣は、決して直線の動きを取らない。
足取りの一つに至るまで乱数によるプログラムが施されているかのごとく、
不規則な方向転換を続けている。それでも、追っ手の暁美ほむらが放った銃弾を
完全に避けることはできず、体表には点々と朱色の染みが広がりつつあった。

 魔力によって強化された少女の身体能力は、屈強の兵士に勝るとも劣らない。
故に、火薬が爆ぜ閃光が上がる度に
決して小さくはない反動が腕や体にかかっているにも係らず、
構えにいささかの乱れも生じることはない。
銃弾は徐々に対象である白い獣の体を捕らえ始め、
ついには一方の耳を根元から抉った。

 それでも、白き獣は走り続けている。
追っ手が何者であるかを把握しきれないままに、駆けている。
おおよその正体に目星はついているが、動機まではわからない。
そのため、警告もなしに突然攻撃を加えてきた者との対話を試みようとはせず、
ひたすら逃げの一手を打っている。

 銃撃の音。地を蹴る音。呼吸音。
 死んだように眠る街の片隅に三重奏が響く中で、
無言の追跡劇はいつ果てるとも知れないように思えた。

 そのときである。
ほむらの瞳が路地の先を捕らえ、わずかな苛立ちを伴ってすがめられた。
いかに深夜とはいえ、表通りまで逃せば人目につく恐れがある。
 次の瞬間、黒髪の魔法少女を取り巻く時間はこの世の(ことわり)を外れて停止した。

 全てが静止する世界で、ほむらは地を蹴ったばかりの
伸びきった態勢で宙に浮かんだまま動かない白き獣の前方へ回り込むと、
その眉間に向かって三度引き金を引く。
更には安全ピンを抜いた手榴弾を鼻面へと投げつけた。
弾丸と爆発物は標的に触れる寸前で動きを止め、
黒髪の少女は身を翻して駆け足で距離を取る。

 直後、時を刻む歯車は再び稼動し、
白き獣は驚く暇すら与えられずに跡形もなく消失した。
 爆風によって吹き散らされる髪を軽く指で梳きながら、
首だけで振り向いたほむらは一瞥することで結果の確認のみを行い、踵を返す。

「おまえの好きにはさせない」

 暗い路地に淡々と響く微量の怒気をはらんだ声を聞く者はなかった。



「キュゥべえ。どこかに行っていたの?」

 巻き髪の少女は傾けていたティーカップをテーブルに置き、たおやかに首を傾げた。
四足の白い獣はすぐ側まで歩み寄ってから、まっすぐに向けられた視線を受け止める。

「うん。少し野暮用でね」
「野暮用? 誰か、候補になる女の子が見つかったのかしら」

 それは冗談のつもりだったのであろう。
おかしみをたたえた目を弓にするマミに、キュゥべえはいつもの調子でテレパシーを飛ばし、応えた。

「候補どころか魔法少女だったよ」
「え?」

 思わぬ返事に、驚きの声が上がる。魔法少女になって以来、
巴マミはたった一人でこの見滝原市を守り続けてきた。口にこそ出さなかったものの、
手を携え魔女と戦う仲間の存在は求めて止まないものであることは想像に難くない。

 だが、巻き髪の少女が喜びを表すより先に、白の獣は補足した。

「ただし、僕を狙う魔法少女だけどね」
「なに、それ」

 理解が追いつかず、マミは瞬きを繰り返す。
何故、魔法少女がキュゥべえを狙うのか。

「なんだろうね。突然攻撃されたんだ。どうしてなのか、僕が聞きたいくらいだよ」

 考え得る意図は、それほど多くない。
新たな契約者を生み出したくないのならば、彼を取り除こうとするだろう。
しかし、ここで幾つかの疑問が生じる。
契約した覚えのない者が魔法少女となり、攻撃を仕掛けてきたのは何故か。
絶望に呑まれていった過去の契約者たちの言動を鑑みるに、
明らかにしていない事実を知ったとすれば納得できるが、それをどこで、どのようにして知ったのか。

 白い獣は多くを語らない。
今回は、己がただの被害者であることのみを少女に告げたのだ。
そうすれば、心根の優しいこの魔法少女は頼まずともキュゥべえを守ろうとするだろう。
それは、黒髪の襲撃者への牽制となる。

「怪我は、なかったの?」
「見てのとおりだよ。君が思っているより僕は俊敏なのさ」

 白き獣は小さく眉を寄せながらも安堵するマミの膝に飛び乗って、赤い瞳を頭上へとやった。

「それより、いい知らせだ。逃げた魔女の潜伏先が判明した」

 巻き髪の少女は目を見張り、それから深くうなずいた。


「ここね」

 使われなくなって久しい倉庫棟が並ぶ一角は、
ソウルジェムを掲げて確認するまでもなく魔女の気配に満ちていた。
マミは魔法少女に変身し、ためらうことなく結界内へと突入する。

 幾何学的な文様が浮かぶ歪んだ空間を進んでいくと、
見覚えのある奇抜な色合いの髭を生やしたカタツムリが目につくようになった。

「間違いないね。この先に、魔女がいるはずだよ」

 巻き髪の魔法少女はわずかに顎を引いて、目の前の扉を開く。

「!」

 そこにはおぞましい光景が広がっていた。
床はもちろん十メートルはあろう壁や天井にも無数の使い魔たちがひしめいており、
隣り合う二体が番いとなって生殖器を刺し合い、孵化した卵から次々と新たな固体が生じていく。

「積極的に数を増やすことで魔女を守ろうとしているのかな。こんなタイプは初めて見るよ」
「それだけ、弱っているということかしら」
「おそらくそうだろうね」
「では、さっさと出てきてもらうとしましょう」

 歌うように宣言すると、マミは飛び上がった。
周囲に数多のマスケットが出現し、一斉に火を吹く。
群れ合っていたカタツムリの一角が消失し、
矢継ぎ早に生み出された銃が見る見るうちにその穴を広げていった。

 甲高い叫びは、敵が現れたことを知らしめるためのものか。
それとも、仲間を殺されたことに対する呪詛か。

 少女が地面に降り立つまでに、使い魔は半数以下になっていた。
しかし、その表情はやや曇っている。

「思ったよりも減らなかったわね」
「そうかい? かなり効率よく倒せたんじゃないかな」
「動かない的を狙うのは難しくないもの。そういう意味では無駄がなかったのかもしれないけれど」

 マミは微苦笑と共にじりじりと包囲を狭めてくるカタツムリを油断なく見回し、
更なる攻撃を加えようとしたそのとき、死角から伸びた髭が彼女の足を絡め取った。

「同じ手は通じないわ」

 間髪容れず、胸元のリボンが鋭利な刃物となって拘束を解く。
前回は、これによって足止めを食らっている間に魔女を取り逃がしたのである。

 奇襲にあわてる様子のない魔法少女に、
使い魔たちは再度髭による攻撃を仕掛けるが、ことごとくが体に届くより早く切り落とされた。

 そうするうちに双方の距離は五メートルまで狭まり、カタツムリの動きに変化が生じる。
髭による援護を受けながら正面の一群が飛び掛ってきたのだ。
それでも手だれの魔法少女は落ち着いて敵を撃破する。
マスケットの銃床とリボンでもって、それ以上の前進を許さない。

 続く第二陣を退けようとしたマミの一撃は宙を切った。
放物線を描く使い魔の軌道が、髭によって変えられたのである。

 それだけならば対処のしようもあったのだが、拘束されたカタツムリは唐突に四散した。
一体のみならず何匹もの使い魔が爆ぜ、体液が撒き散らされる。

「く……!」

 数の優位を利用した目くらましにマミは歯噛みした。
視界を奪われたのは時間にすればコンマ数秒であったが、その隙を使い魔たちが見過ごすはずはない。
彼女がどうにか目を開いた時には、手足に加えて胴、リボンさえも縛り上げられていた。

 身動きが取れない少女に、カタツムリが飛びついてくる。
勝利を確信しているとみえて、髭を使わず嬲り殺しにするつもりなのだ。

「いや……」

 太ももをねっとりと舐め回されるような感触に、マミは思わず嫌悪の声を上げた。
盛んに生殖活動を行っていたときと同じく、
殻は地の白にショッキングピンクが浮かんでは消えている。

 程なく角の部分が下着の内側へと侵入した。
そうしながら、使い魔は頭の部分を股の付け根に押し付けてくる。
カタツムリたちが乙女の割れ目を責める様を、白き獣は無言のまま一対の紅玉で凝視していた。

 使い魔の狙いは一体何なのか。
別の個体が腹部や豊満な双丘を執拗に這い回り、
その背を乗り越えて来た一体は伸ばした角で少女の食いしばっていた口唇をこじ開ける。

 生じた隙間に、幾つかの角が押し込まれた。
舌を使って押し出そうにも、それ以上の力で押さえつけられ、内部を蹂躙される。

「あ……ふ」

 艶を帯びたうめきが辺りに響いた直後、樹高八メートルはあろう巨大な木が出現した。
巻き髪の魔法少女は目元を桜色に染めながらもまっすぐに敵をねめつける。
絶体絶命の危機にあって、まなざしに込められた感情は恐怖ではなく、憤りでもない。
揺るぎない信念と、確固たる意思があった。

「……ッ」

 マミは渾身の力を込めて角を噛み切るや、
足元に転がっていた一丁を、爪先を使って起こし、左腕に巻きついた髭を撃ち抜く。
同時に初弾を撃ち込んでいた穴からおびただしい数のリボンが飛び出し、巨大な樹木に巻きついた。
その間に開放した魔力を利用し残る戒めを寸断する。

「このときを待っていたわ」

 少女の口元に自信を伴うほほえみが浮かび、胸元のリボンは巨大なマスケットへと変じた。
使い魔たちは遅れて髭を伸ばすも、彼女の動作は止まらない。

「フィロ・フィナーレ!」

 高らかな声を引き金に放たれた一撃は、魔女の体を打ち砕いた。

ver.1.00 11/3/13
ver.1.72 11/5/6

〜マミ☆マギカ・舞台裏〜

「今度は間違いないようだね」

 キュゥべえの言葉どおり、結界によって閉じられし歪んだ世界は急速に境界が不確かなものとなり、
残っていた使い魔たちと共に霧散した。
息を詰めて見守っていたマミがそっと胸を撫で下ろし、魔女がいた場所にグリーフシードが生じる。
体を張り、あえて危地に身を置くことでおびき出す作戦を実行した甲斐があったというものである。

 とはいえ、決して手放しに喜べるような勝ち方ではなかった。

「油断してくれて助かったわ」

 巻き髪の少女は苦笑しながらも変身を解いて、謙遜ではない本心からの声を漏らす。
いざとなれば事前にに備えて足元に仕込んでいた銃とリボンで拘束を解くつもりであったが、
タイミングを誤れば今頃冷たい躯をさらす羽目になっていたのである。

 しかし、キュゥべえは首を縦に振らなかった。

「それだけ、マミの誘いが巧みだったということじゃないかな」
「褒められる内容ではなかったと思うけど」
「そうかい? 実際、魔女は逃げずに姿を現したわけだから大したものだと思うよ」

 持ち上げたってなにも出ないわよ、と冗談めかして言おうとしたマミは、
ふと小さな友人が一点を見つめたまま動きを止めていることに気づく。
視線を追って、その眼差しは驚きの色に染まった。
いつの間に現れたのか、黒髪の少女が立っていたからだ。

「あなたは」

 暁美ほむらが四足の白い獣に向ける眼差しには、幾つかの激しい感情が渦巻いており、
側に立つマミを一瞥することさえしない。

 巻き髪の少女は自身のつぶやきと目線が完全に無視されていることにも構わず呼びかけていた。

「まさか、この町に私以外の魔法少女がいたなんて」

 巴マミの表情に喜色があふれたのは、数ヶ月ぶりであったかもしれない。
張り詰めていた気持ちが一気に緩むのを知覚する。
見滝原を守るのは己のみで、それは運命と割り切っていたつもりであったが、
心の底では仲間を欲していたということか。

 だが、沸き出でた安らかさは次のひと言によって打ち砕かれた。

「気をつけて、マミ。僕にいきなり攻撃してきたのは彼女だ」
「え?」

 巻き髪の少女が衝撃の事実に笑みを強張らせる。
遅れて、自室で聞かされた内容が脳裏に蘇った。
待ち望んでいた魔法少女が、仲間となるはずだった人が、どうしてキュゥべえを襲ったのか。

 ほむらは無表情に、淡々と言う。

「私は暁美ほむら」

 黒髪の少女が自ら名乗るのを見て、マミは無意識に表情を緩めていた。
これは友好の証で、襲撃の話は事故か何かだったのだ。

 しかし、芽生えた淡い希望は彼女が名を口にしようとした次の瞬間に摘み取られた。

「巴マミ。用があるのはそこの白い獣であってあなたではない」
「どうして私の名前を? それに、キュゥべえに用というのは」
「簡単な話よ。私はそれを生かしておくわけにはいかない。だから邪魔をしないで」
「あなた、何を言って……ちょっと!」

 ほむらが発した明確な殺意を感じ取って、巻き髪の魔法少女は顔色を変える。
戸惑いながらも反射的に四足の友をかばう形を取ったのは、
そうしなければすぐにでも攻撃する気であるのが見て取れたからだ。

「大人しく引き渡すつもりはないようね」
「当たり前でしょう。キュゥべえは私の友だちなのよ」

 黒髪の少女は立ち塞がるマミではなく、その足元の紅く輝く瞳の獣をにらみつけた。
キュゥべえは臆することなく無言で見つめ返している。

「甘いわね。だからあなたは……」

 ほむらは、小さすぎるつぶやきを聞き漏らして怪訝そうな顔をするマミを一瞥すると、
踵を返した。きゅっと引き結んだ唇が、わずかにわななく。

「……せいぜい、甘言には気をつけることね」

 去り際の台詞に含まれた微量の苦味に、巻き髪の少女が気づくことはなく、
浮かんだ疑問をそのまま小さな友人へと向けた。

「甘言って何のことかしら」
「さあ。僕にはさっぱりわからないよ」

 適当な返事で茶を濁しつつ、
白い獣は視界から姿を消した後も謎に満ちた黒髪の少女のことを考えていた。



 まどか☆マギカSS第二弾は引き続きマミのお話です。そして、初ほむら、でした。
次は杏子を書きたいです。書きたい、と言えばほむらもさやかもまどかもなんですけれど、ね。
もちろん、もっと格好よく戦う(バトルシーンに限らず)マミも書いてあげたいです。
個人的には、QBの不気味さを感じていただければ嬉しいです。
しかし、自分で考えておいてなんですが、大量のカタツムリってグロいですよね。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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