1.「ここには私しかいないのだから」


「ここね」

 巻き髪の少女は短くつぶやいて、手のひらに乗せたソウルジェムからゆっくりと視線を持ち上げた。
名は、巴マミ。見滝原中学校に通う三年生で、可憐な顔立ちながら年齢以上に大人びて見える。

 彼女が見上げるこの建物はバブル末期に建築が開始され、
八割方できあがったところで急激な景気悪化によって
資金ショートを起こした施工主がいずこかへと去り工事は中断、
以後、二十年以上放置され続けたことで幽霊ビルと呼称されるようになった、廃ビルである。

 おそらく、十人にたずねれば全員がこのような場所に、
マミのごとくお嬢様然とした少女は似合わないと答えることは想像に難くない。
例えるならそれは肥溜めに胡蝶蘭を生けるようなもので、
はて、見た目によらず筋金入りの酔狂であったかと、
各々が首を傾げながらも適当な解を当てはめることだろう。
何しろここは本物が出るという噂を聞きつけた特定の好事家が大いに興味を示した場所で、
不幸な事故(・・・・・)によって幾人も死亡者が出てからは肝試しに訪れる者はおろか、
不良の類さえ近づかない意図的に人々の意識から外された建物なのである。

 マミが何故そのようなところにやって来たのか。
無論、物好きだからではない。流されての行動ではなく、ましてや気が触れているわけでもなかった。
そう。魔女とその使い魔を発見し滅ぼすために、
引いては、この先生まれるであろう不幸の芽を摘み取るために、ここにいる。

 ガラス張りの正面入り口は見る影もない荒れ様で、見るからに魔女が好む陰鬱な雰囲気を漂わせていた。
それでも、少女は淀みない足取りで中へと入っていく。無論、周囲への警戒を忘れることはない。
すでに、ここはこの世ならざる空間に飲まれようとしているからだ。

 と、足元を歩く四足の白獣が紅玉を思わせる瞳をかたわらの魔法少女へと向けた。

「マミ。気づいているかい」
「抑えていたつもりだったけれど、私の魔力に反応してしまったようね」

 今回はたまたまキュゥべえが発見したグリーフシードを孵化する前に押さえようとしたのだが、
そうそう都合よくいくものではないらしい。

「まあ、過ぎたことは言っても始まらないわ」

 マミはわずかに眉尻を下げてほほえむと、唇を引き結んで秘めたる力を開放する。
膝下までを覆うブーツと同色のグローブが手の甲を包み、
美しき金糸に黒い帽子を乗せ、ソウルジェムを内包する髪飾りと白の羽飾りが現れた。
ツーピースのドレスにコルセット、太ももの半ばまで届くストライプ地のタイツ、
上腕はゆったりとした白の生地が揃い、彼女だけの戦装束が完成する。

「行きましょう」

 世界の歪みが加速する中、巻き髪の魔法少女は異界への扉をくぐり抜けた。


 それは、手のひら大のひしゃげたカタツムリと表現すればいいだろうか。
殻の部分は白地にショッキングピンクと緑をでたらめに筆で塗りつけたような色合いで、
髭とも羽ともつかない毛の塊が二本生えており、
時折ガラスに爪を立てたときのような甲高い音を発している。

 生理的に嫌悪感を催す形態に、マミは微かに眉を寄せた。
覚悟を決めて戦っているとはいえ、年頃であることに変わりはない。
使命を帯びた身でなければ、迷わず回れ右をしているところだ。

 しかし、彼女は前へと進む。顔を上げ、不気味な使い魔を正視する。
気味悪がって下を向くことなど、魔法少女には許されない。
同時に、いかに矮小な存在であっても油断はもっての他である。
敵は、こちらの常識に捕らわれない動きをみせる。
慢心があっては、足をすくわれることになりかねない。

 巴マミの覚悟は、事故により家族を失った直後に固まっている。

「マミ、気をつけて」
「ええ、わかってる」

 白色の友に答えるや、魔法少女の手に長身の銃が発現した。
マスケットと称されるそれは、欧州で生まれた先込め式の歩兵銃であり、
一発放てば次弾の装填が必要となる旧式のものだ。
かつて、戦国時代に織田信長は単発式の火縄銃を、
三段構えにすることで弾込めの間隔を縮めたとする説がある。
これは当代最強を謳われた騎馬隊を撃破するために用いられた戦術だった。
では、マミはいかなる手段をもって、十重二十重に押し包もうとする敵を退けようというのか。

 巻き髪の魔法少女はマスケットを眼前に突き立てると、優雅に一礼をした。
その、スカートをつまみ上げる仕草と共に、七丁の銃が次々と姿を現す。
前方に突き出した腕を右方へ振る間に八つ、続けて振り下ろす動きと共に八丁のマスケットが出現した。

 純粋に、数で勝負しようというのだ。

「Shall we dance ?」

 旋律にも似たなめらかな響きの語が放たれると共に、火蓋は切って落とされる。
それまでふわふわと漂っていた使い魔Jurijが、一斉に異物を排除しようとマミの元へ殺到した。

 その、先頭を進むカタツムリもどきが内容物を撒き散らして爆ぜる。
次いで、二匹三匹と、緑色の体液を飛ばして粉々になった。

 巻き髪の魔法少女は撃ち放った銃を捨て、次々と持ち替えてはあやまたず敵を撃破する。
正面、頭上、後方と、四方八方から迫る使い魔の過半を目で追うことなく銃撃によって打ち砕く。
接近し取り付こうとするものは銃床で薙ぎ払い、その動きをもって、新たなマスケットが生まれいずる。

 打ち、撃ち、討つ、華麗なる舞によって屠られたJurijの数が千を超えた頃、その動きに変化があった。

「マミ、後ろ!」

 警句を発するキュゥべえの声に振り向いたマミは、思わず目を見張った。
避ける暇もあらばこそ、無数の髭が彼女の手足を拘束する。

「……ッ!?」

 少女は戒めを解こうと身をよじるも、腕と足を限界まで引っ張られて動きが取れなくなった。
一本一本は細く見えるのだが、いくら力を込めても千切ることはできそうにない。

「くっ」

 カタツムリの一体が体に張りつき、這い上がってくる。
幸い、体液が強酸ではないらしく服は溶けないが、
文字どおり舐めるように腹部をよじ登られる不快さはかなりのものだった。

 やがて使い魔は豊満な双丘へとたどり着き、じわじわと上にやってくる。
誰にも触れられたことのない場所をまさぐられる形となって、巻き髪の少女は頬を紅潮させた。

 だが、彼女が次なるアクションを起こすよりも早く、友の声が聞こえてくる。

「マミ、魔女だ」

 髭に絡め取られたまま、マミは正面を見やった。
いつからそこにいたのか、巨大な敵の姿があった。

 樹高は軽く七、八メートルはあるだろうか。
手足を生やした大樹のうろから愛嬌のある顔が飛び出した。
世界を変じた元凶、呪いを撒き散らす存在、魔女である。
魔法少女が動けないと確認できたところで、ようやく姿を現したのだ。

 止めを刺すつもりとみえ、樹木から伸びた腕の先端が鋭い槍となった。
しかし、少女の口から聞こえたのは悲痛な叫びでも命乞いでもない。

「大ピンチ、と言いたいところだけれど、すでに手は打ってあるわ」

 不敵なほほえみを伴ったつぶやきを合図に、
そこかしこの銃で穿たれた穴から勢いよくリボンが飛び出した。
それは巨体に絡みつき、魔女の表情が凍りつく。

 胸元のリボンがはらりと舞って髭を一掃するや、それは巨大なマスケットと化した。
そして、拘束から解放されたマミは裂帛の気合いを込めた一声を放つ。

「フィロ・フィナーレ!」

 放たれた一撃は、光の奔流となって降り注ぎ魔女の大半を消失させた。

「Чернобог!」

 だが、聞き取ることができない奇声を上げつつも、
体の過半を失った敵はグリーフシードへと変化せず、遁走する。

 急ぎ追いすがろうとするマミの足に背後から伸びた髭が絡み、振り払ったときにはすでに魔女の姿はなかった。

「逃げ足の早い魔女だね。まさかわき目も振らず逃げるなんて」

 皮肉な話ではあるが、敵が力を失ったせいで一度見失えば探し出すのは容易ではない。
退治が遅れれば、その分誰かが不幸に巻き込まれる可能性が上がってしまう。

「すぐに追いかけないと」

 つぶやいて、巻き髪の魔法少女は軽く顔をしかめた。
捻挫というほどではないが、先ほど足止めを食らった際に痛めてしまったらしい。

「でも、大丈夫かい?」
「平気よ。私は大丈夫」

 気丈にほほえむマミに紅の瞳を向ける四足獣は、一体何を思うのか。

「ここには、私しかいないのだから」

 だが、魔女の行方は 痛みを押しての捜索は結局徒労に終わったのだった。


2.「おまえの好きにはさせない」へ

ver.1.00 11/2/27
ver.1.75 11/3/4

〜マミ☆マギカ・舞台裏〜

「よし、セーフ」

 発車を知らせるベルが鳴り響く中、背後で空気の圧縮音と共に閉まる扉を一瞥して、
呵々と笑うショートカットの親友に、鹿目まどかは目を線にして頬を緩めた。

「でも、よかったねさやかちゃん。それで売り切れって、店員さん言ってたもんね」
「いやー、危ないところだった。電車もぎりぎり乗ることができたし、今日はついてるんじゃない?
まあ、これも日頃の行いかな。まどかも日々、精進したまえよ」

 お目当ての品を手に入れた美樹さやかは“舌好調”で、愉快そうに友の肩をぽんぽんと叩く。
密集状態とまではいかないものの乗客の数はそれなりに多く、
周囲をはばかることなく繰り広げられるおどけた言動を表向きは見て見ぬ振りをしているが、
中にはおかしみをこらえきれない人もいるらしく、くすくすと笑う声が聞こえてくる。

「……あはは、そうだね」

 気がいいまどかに悪気がない相手を責めることなどできず、
ほんの少し困ったように眉尻を下げて曖昧にほほえんだ。
一方で、友のこうした部分を少なからずうらやましく感じてしまうのも、
むべなるかなといったところか。

 それからしばらく、昨日見たテレビの話をしていた彼女たちだったが、
次の駅に到着し、降車の客を通すためにいったん入り口の脇へと寄った。

 そのときである。

「まどか、あれ」
「あれ?」

 ぼんやりと通り過ぎていく人たちを眺めていたまどかは、急に袖を引かれて瞬きをした。
誰か、知り合いでも見つけたのだろうか。

「ほら、あそこ」
「……あ」

 さやかが言うあそこ、すなわち離れた乗り口近くの座席で、
年配者に席を譲る巻き髪の少女の姿があった。
顔は見えないが、所作は自分たちよりも少し大人びて見える。

「あの人、おばあちゃんを見た瞬間に席を立ってた。なんていうのかな、迷いがなかった」
「すごいね。わたし、ぜったいそんな風にできないよ」

 感心しきりだった二人は、発車前ぎりぎりになって駆け込んできた乗客のためにスペースを譲って、
車両の中ほどへと移動し、件の人物は見えなくなった。

 ややあって動き出した車両が規定速度に達した頃、不思議そうな声が上がった。

「あれ……?」
「どうしたのさやかちゃん」
 目をこする仕草をみせる親友に、まどかはきょとんとした顔で声をかけた。
さやかは微かに眉を寄せると、唇をわずかに突き出し、うーん、とうなる。

「今ね、窓の外に白い猫みたいな生き物が見えた気がして」
「猫?」
「そう、猫」

 一拍の間を置いて、二対の瞳が車窓へと向けられた。
しかしそこには見慣れた景色が流れるばかりで、猫はおろか雀さえも見当たらない。
まどかはたっぷり十数秒は外を見つめてから、ぱちぱちと目を瞬かせた。
次いで、隣の親友へと視線を移して言う。

「外、って、電車、走ってるよ?」
「……空でも飛んでたのかな」
「まさか」
「だよね」

 二人は顔を見合わせて喉の奥でくつくつと笑い、それきり、この話に触れることはなかった。

 それはまどかが暁美ほむらの夢を見る、数ヶ月前の出来事だった。



 まどか☆マギカSS、正真正銘の第一弾はマミのお話でした。
以前あずさ☆マギカのあとがきでお話しましたが、マミ本は夏コミ合わせとなりそうです。
大筋はできていますので、あとは漫画が完成し次第、皆さまにお届けできるかと思います。
完成した暁には、どうぞよろしくお願いいたします。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



その 他の二次創作SSメニュー inserted by FC2 system