『とある下着の盗難事件』へ
「右手、か」
学園都市屈指のお嬢様学校である常盤台中学が保有する女子寮の一室で、最上位の能力者たるレベル5の第三位たる電撃使いはベッドに身を横たえたままそっとつぶやきを漏らし、見つめる視線の先、天井へと向けた右の手のひらをぎゅっと握りしめてから息を吐き出す。
何となく、体が重い。この全身を覆う言葉にし難い気だるさは、昼間に走り回ったためではなく徒労感に起因するものだ。
ここ数日、第七学区を騒がせている下着泥棒を寸でのところで逃してからまだ半日と経っておらず、今も消化しきれていない気持ちが胸の中でくすぶり続けている。
しかしながら、意識を占めるのは件の事件ばかりではなかった。
上条当麻がぽつりとこぼした言葉が気になって仕方がないのだ。
『この手で触れたのに、あいつの能力は解除されてないからな』
ツンツン頭の少年は、確かにそう言った。
直後に犯人を追って走り回ったため、微かな引っ掛かりを覚えながらも意識の外にあったのだが、改めて彼の発言を思い出してみると違和感を覚えずにはいられない。
上条の能力は、あらゆる力を無効化してしまう。
磁力によって硬化した砂鉄は彼に触れた瞬間にただの砂に戻り、雷撃の槍はあえなく霧散してしまった。
10億ボルトを直接その身へ叩き込むべく手をつかんだ時など、静電気すら起こす事ができなかったのである。
裏を取った訳ではないが、超能力と呼ばれるものは均しくなかった事にされるのではないか。
(手で触れたから、ってアイツは言った。それって、右腕に限るのかしら)
かつて、絶対能力進化実験を阻止する最中、あの少年は電撃によって瀕死のダメージを受けた。
これまでどのような攻撃も一切通じなかった彼を、下手をすれば息の根を止めてしまいかねない重態へと追い込んだのだ。
何もかもをなかった事にしてしまうその力が発揮されていれば、そうはならなかったはずである。
(任意に能力のオン・オフをできるのは能力者なら当然の話だけど、もしそれができないのだとしたら、そして、アイツが無能力者と認定されているのは、能力実験で計測しようがない右手で触れた能力を無効化するものなのだとしたら)
御坂美琴は思わず息を飲んだ。
過去の対戦を含めたあらゆる記憶をたどっていくと、すべてのケースにおいて辻褄が合う。
(でも、そんなの、あり得ないわよ)
学園第一位の一方通行に、たったそれだけの力で太刀打ちできるとは思えない。
右腕のみが能力を打ち消す、その程度の限定された力であの化け物にかなうはずがない。
(って、どうして私がアイツのことばかり考えなくちゃいけないのよ。まったく)
常盤台のエースは腕を頭上に放り出すと同時に目を閉じてから、やおら身を起こした。
それから、頬に手を当ててみる。熱は帯びていない。ただし、心持ち鼓動は早かった。
(あー、きっと、急に起き上がったからよね。うん、そうそう、そうに決まってる)
美琴は瞼を持ち上げつつ結論を下し、再度ベッドに寝転がろうとした途端、不意に後ろから何者かに抱きつかれた。
「お姉様」
軽く身をもたせかける形で預けられた重みは電撃使いの少女がよく知ったもので、耳朶をくすぐるささやきは明るく脳天気なものに聞こえる一方、気遣わしげな響きを含んでいる。
「黒子」
美琴は無意識のうちに自身の首を抱く白井の腕にそっと手を重ねながら、顔だけで振り返った。
「どうされましたの、お姉様。先ほどから、随分と深刻そうなお顔をなさっていますが」
「そんな顔、してた?」
「ええ。まるで二、三日、お通じが来なかった時のような有様でした」
冗談で場を和ませようとしているのか、ツインテールの少女は返答に詰まるもすぐに笑みをこぼした先輩を見て、ほっとした表情をみせる。
「もしかして、例のパンツ泥棒の事を考えてらっしゃいますの?」
「まあ、そんなところ」
美琴は内心どう答えたものかと独りごちながら、何でもない風を装って曖昧な返事をした。
お気に入りの下着をごっそりと持って行かれてしまったというのにまったく気にしていないと言えば、かえって心配させてしまうだろう。
今言った内容は正確な情報をすべて伝えた訳ではないが、決して嘘ではない。
それを白井はどう受け止めたのか。穏やかにうなずくその顔から、読み取ることはできなかった。
「そういえばお姉様。昼間、あわててお電話をお切りになったのは……」
「そうだ。言い忘れていたけど、その下着ドロを見つけたのよ」
「はあ、そうでしたか……って、犯人を見つけましたの!?」
ツインテールの少女は満面を驚愕の二文字で埋め尽くしつつ、叫ぶ。
相手は風紀委員と警備員が学園都市の機能をフル活用してもなお尻尾すらつかめずにいる。
驚くな、というのが無理な話だった。
「当然、後を追われたのですわね」
「そりゃあね。放っておく訳にはいかないでしょ」
義を見てせざるは勇なきなり、という。
自分が正義の味方だとは考えていないが、多くの人間に迷惑をかけた者を前にして、更には自らが被害者でもある状況で、見て見ぬ振りをする御坂美琴ではない。
たとえ、狙われたのが縁もゆかりもない誰かであったとしても、彼女は進んで助けようとする性状の持ち主だ。
「それで、どうなりましたの」
「もう少しで捕まえられそうだったんだけどね」
現場に居合わせた少年には触れず、常盤台のエースは小さく肩をすくめて結果だけを淡々と伝えた。
「あと少し、ってところで逃しちゃった」
だが、待っていたのは彼女がまったく予想もしない反応で、白井はやっぱり、と口中つぶやき様にすっと目を細めると敬愛する先輩をじろりと見やる。
「まったく。お姉様ったら、黒子が口酸っぱく何度も何度も風紀委員以外の人間が他人に力を行使してはいけないとあれほど……!」
「ごめんごめん。でもさ、たまたま近くに犯人がいるとわかっていて、逃す手はないじゃない」
「それはそうかもしれませんが」
苦笑する美琴に、ツインテールの少女は不承不承、肯定した。
居場所に関する情報を電話で知らせたのは白井であり、それがきっかけとなって犯人の発見につながったのだ。
仮に風紀委員や警備員へ連絡していれば、その間に相手は逃亡し、痕跡を追う事さえ困難であった事は容易に想像がつく。
「で、どのような外見をしていましたの」
「うん、それなんだけどね」
遠慮なくずいずいと詰め寄ってくる後輩をやんわりと押し止めつつ、学園都市第三位の少女は苦笑いで答えた。
「わからないのよ。正確には、見えなかったから」
「でも、お姉様は犯人を追われたのではありませんの?」
「うん。私は犯人を追った。でも、姿を拝むことはできなかった」
見えない者を追いかけるとは、これいかに。
吹き出しに幾つものクエスチョンマークを記した状態で、白井は首を傾ける。
予想どおりの反応に、美琴はからかっているのではないと言外に伝えようとするかのように、ことさらに表情を引き締めた。
「アンタの疑問もわかるわよ。でも、顔が見えなかったとかそういうんじゃないの。そもそも、相手の姿が見えていなかったのよ」
「へ?」
ツインテールの少女は間の抜けた声をもらした。
「おじゃまします」
「はい、どうぞ」
白梅を模した花飾りをつけたセミロングの少女が開いたまま保持する扉をくぐりぬけて、頭上に幾多の花々を乗せたショートカットの少女は目を弓にしてうなずいた。
ここは佐天涙子の部屋であり、一緒にいるのは親友の初春飾利、二人とも制服姿であるが見た目は大きく異なる。
身長や顔立ちの事を言っているのではない。
風紀委員の少女は泥まみれになっている上に、白い柔肌に幾つも擦り傷があった。
「取り敢えず、お風呂に入って綺麗に洗い流しなよ。その間に制服をどうにかするから」
「すみません、せっかくのお休みなのに、こんな事に付き合わせてしまって」
「なーに水臭いこと言ってるんだか」
申し訳なさそうに眉尻を下げる初春に、佐天は玄関の戸締りを確認して穏やかな表情で首を左右に振る。
「ええと、ここで脱がせてもらいますね」
「そうだね。そうしてもらえると助かるかな」
乾ききっていないとはいえ、部屋の中で脱げば多少なりとも泥が床に散らばってしまう。
掃除の手間を考えれば、玄関に服を置いてもらった方がいい。
「鞄、置いてくるね」
「はい」
佐天は部屋の奥に足を向けると空いた手を肩の高さでひらひらと振り、風紀委員の少女は友の思いやりに胸の中で礼を言う。
一度ならず一緒に風呂へ入った事のある仲とはいえ、何の抵抗もなく互いの裸を見せ合えるかと問われれば答えは否、である。
自分のスタイルに絶対の自信を持っているならともかく、やはり、まじまじと見つめられるのはさすがに気恥ずかしい。
そんな事を考えていると妙に照れくさく感じられて、そうした思いをごまかそうとするかのように、初春はそそくさと脱衣を開始する。
制服が彼女の手に納まるのと、佐天がタイミングを見計らい声を発したのは同時だった。
「それにしてもさ。本当、初春は根っからの風紀委員なんだね」
座って待っていたらしく言いながらひょっこり現れた友の顔は思ったより低い位置にあった事に、風紀委員の少女はぱちぱちと瞬きをして、ふにゃ、と表情を緩める。
「あはは、そこまでたいそうなものじゃないですよ。ただ、危ない、と思った時には体が動いていたんです」
初春が泥まみれになったのは、ボールを追って車道に出てしまった子どもをかばおうとしたためで、彼女が身を挺して救わなければ大惨事になるところだった。
「それくらいのケガで済んだからいいようなものの、本当に肝が冷えたんだから」
「確かにあれは、危なかったですね」
実際、タイミング的にギリギリだった。
子どもの腕を引き、歩道側へと引き寄せた彼女の鼻先を車のミラーがかすめ、足をもつれさせてしまった。
その後はまるで漫画か何かのように、転んだ先には水がたまっていて、自分の体を盾にしたおかげで子どもは無事だったが、初春はなんとも痛々しい姿になったのである。
「でもあの子、ちゃんとお礼を言ってたじゃないですか」
「そんなの当たり前だから。そんな事も言えないようなら、拳骨を食らわしていたよ、私は」
「佐天さん、さすがにそれはやりすぎです」
くつくつと喉の奥を震わせる友に、佐天は勢いよく立ち上がって唇を尖らせた。
「それでも足りないくらいだよ。だって、初春がこんな目にあってるのに、感謝もしないような子どもは……って、どうしたの、じっと見ちゃって。顔に何かついてる?」
「はい」
「え? ウソ、あの騒ぎの時かな?」
あわてて頬を手のひらで撫で回し始める親友に、初春はくすくすと笑いながら歩み寄ると、控えめに制服を差し出しつつ言った。
「そうじゃないですよ、佐天さん」
「それって……?」
驚きの表情をみせながらも佐天は衣服を受け取って、目を瞬かせる。
それでは、一体何がついているというのか。
彼女の胸に生じた疑問は続く台詞によって解決した。
「私のために、そんな風に怒ってくれる大好きなあなたの目と鼻と口はついていますが、泥ははねていません」
「……な、な、ななな」
同じ音を繰り返す佐天の顔はあっという間に赤く染まり、それを知覚することで恥じらいはいや増して、余計に言葉をつなぐことができなくなってしまう。
「ありがとうございます、佐天さん」
「わ、私は別にお礼を言われるようなことなんて、してないってば」
思わず目線を伏せてながら言って、白梅の少女は上目遣いにちらりと友を盗み見た。
すると、初春は照れくさそうにはにかんで、えへへ、と小鼻をかく仕草をみせる。
「それじゃ、お湯を使わせてもらいますね」
「うん。ごゆっくり」
全裸の親友が扉を開いたその時、佐天はつい浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまった。
「私も一緒に……」
「今、何か言いました?」
はっと気づけば初春が不思議そうにこちらを見つめていて、
「なんでもない」
佐天は火が出てもおかしくない熱さの頬を隠すように、さっと居間の方へと踵を返したのだった。
中編へ
ver.1.00 10/3/23
ver.1.91 13/8/25
〜とある下着の強奪事件・舞台裏〜
むさしの牛乳という文字と簡素なイラストがプリントされた、リッターサイズの紙パックを空けた眼鏡の風紀委員は、唇の端に残る白い液体をペロリと舌で舐め取って、ふとあることに気がついた。
洗濯してカーテンレールにかけてあったはずの下着が、一つも見当たらないのだ。
いきなりキョロキョロと室内を見回し始めた固法美偉に、ルームメイトであるセミロングの髪の少女は首を傾げた。
「どうしたの、美偉」
「……私の下着、知らない? なんだか数が減っているような気がするんだけど」
呼びかけに振り向いた眼鏡の風紀委員は、一瞬答えに迷ってから問いを放つ。
出かける前には確かにあったのだが、記憶違いだろうか。
あるいは、代わりに友が畳んでおいてくれたのか。
だが、後者の線は次の返事で消滅した。
「言われてみればあったわね。でも、美偉の下着は知らないわ」
セミロングの髪の少女は小さくかぶりを振ってから、何を思ったかポンと自身の下腹部を叩く。
「何なら直接確かめてみる?」
「何を言っているの、バカね」
口の端を持ち上げるルームメイトに固法は苦笑して、直後、一転してその表情が凍りつく。
(まさか)
確認してみると、彼女の下着はほとんど持ち去られていた。
ところ変わってあるマンションの一室で、純白の生地に金糸の刺繍がほどこされた、コーヒーカップを連想させる修道服に身を包んだ少女が、ベッドの上に寝転がって雑誌を読んでいる黒髪の少年へと困惑顔を向けていた。
「とうま、とうま。私の……がないんだよ」
インデックスの呼びかけに、上条は手元の紙面から目を離して同居人を見やる。
「あん? 何がないって?」
肝心の部分が聞き取れなかった彼はのん気にそうたずねるが、純白シスターは言葉に詰まり、うー、と一声うなってから視線を伏せた。
「だから、……ぎ」
ぼそぼそとしたつぶやきはまたも少年の耳に届かず、それは再びの問いを生む。
「なんだ? ひたぎ?」
「私はそんな、どこかのホッチキス女みたいな名前なんて言ってないんだよ!」
頬を紅潮させたインデックスは、まるで野犬のようにかわいらしい口を大きく開いた。
「うおおお、落ち着け、いや、落ち着いてくださいインデックスさん!」
「とうま! 落ち着けと言われて簡単に人が落ち着くのなら説法なんて必要ないんだよ。まったく、だからとうまはデリカシーがないというか女心がわからないというか」
「すまん、俺が悪かった! ですから噛むのはどうぞご勘弁!」
両手を合わせて平伏することで完全降伏の姿勢を示す同居人を見るうち、純白シスターは幾分落ち着きを取り戻したのか、怒気を収めて恥ずかしそうに語を継ぐ。
「……私の、下着がないって言ってるの」
「は?」
黒髪の少年は予想外の告白に、目が点になった。
下着がない。ということは、あの下は……。
「どこを見ているの、とうま!」
「ぎにゃー!」
結局、全力の一噛みを身に受ける上条だった。
「姫神ちゃん。私のパンツを知りませんか?」
「同じ事を。私も聞こうと思っていた」
見た目が幼すぎる女教師の全国大会に出場すれば表彰台に上るのは間違いない、淡紅色の髪の女教師は、巫女装束の長い黒髪を持つ少女と数秒間見詰め合った。
神ならぬ人の身で、まさか自分たちの他にも同じような会話を交わす者がいるなど知る由もなく、小萌はあどけない顔と声に目一杯の驚きを込めて質問する。
「姫神ちゃんのもないのですか?」
「ない。ちなみに私は着物を着る時。下着は欠かさない」
「へえ、そうなんですねー」
可憐な女教師はしみじみとつぶやいてから、人差し指で自分の顎先に触れた。
「でもおかしいですね。確か、今朝学校に行く前はあそこに掛かっていたと思うんですけど」
現在、パンティと靴下がぶら下がっていたはずのそこにあるのは靴下のみである。
と、その時、小萌がはっとした顔つきをみせた。
「はっ! まさか、特殊な趣味を持つ男の子にネットオークションで転売したとか!?」
「昨日は。そのお金で分厚いステーキを食べることができた」
「姫神ちゃんったらいじわるですね。どうして私の分も残しておいてくれなかったんですか。お給料日が来るまでカレー続きなんですよ? 先生は、そんな子に育てた覚えはありません」
緊迫感に欠けるやり取りだったが、二人の表情はいたって真面目なものだ。
ちなみに昨日の夕食はカレーであり、今朝は一晩寝かせたそれを食べてから二人は家を出ている。
「盗難事件として、届け出ておくべきでしょうか」
「もう済ませてある。部屋に残っている下着は。私たちが履いているものだけ」
「さすがですね、姫神ちゃん。っていうか、これ一枚しか残ってないんですか!?」
淡々とうなずく姫神に、小萌は両手を頬に強く押し当てる、ムンクの叫びないしはアッチョンブリケを思わせるポーズで受けた衝撃を表現するのだった。
自分の家に泥棒が入ったにも係らず、実に平和な二人である。
とある下着の盗難事件の続編です。再びお話の中心は四人の乙女たちへと戻っています。
しかし、町中では大量の下着が紛失し続ける中、いつまでもほのぼのとした時間を過ごしているわけにはいきません。
そろそろ美琴たちに動いてもらわなければ、第七学区から下着がなくなってしまいますものね。
というわけで、続きはなるべく早くお届けしたいと思っています。
その前に、次のお話は絶対領域の後編です。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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