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『とある少女の浴室遊戯』
それは静と動の教本とも言うべき光景だった。
のんびりと湯船に浸かっていた少女が、何の前触れもなくカッと目を見開くと同時に、両手で湯をすくい上げるようにしながらすっくと立ち上がり、一粒で三百メートルは走れると謳う菓子メーカーのイラストを写し取ったかのような動きに伴って、間欠泉のように勢いよく飛び散る飛沫と共に、生気に満ちあふれる元気いっぱいの声を浴室に響き渡らせる。
「スプラーッシュ、ってミサカはミサカは全身全霊ではしゃいでみる!」
学園都市第三位の超電磁砲をそのまま何歳か幼くしたような外見の打ち止めは、見た目どおりまだ二次性徴を迎えていないため胸部はごくなだらかで、当然、腰のくびれはなく、髪と眉以外の体毛は一本たりとも見当たらない。
その若さに満ちあふれるきめ細かな肌は防水加工が施されているかのように、水滴が綺麗な球となって浮かんでおり、十中八九、タオルで軽く撫でただけでもきれいに水気を拭き取れるだろう。
ちなみに、彼女は退屈しのぎに浴室で一人遊びを始めたわけではない。
これは、手を伸ばせば届く距離にいる同居人に対する純然たるアピールだった。
「ねえねえいつまで体を洗っているの? 早く一緒に浸かろうよ、ってミサカはミサカは強く求めを訴えたり」
浴槽のへりに腕を突いて身を乗り出す打ち止めを、白髪の少年はシャンプーの泡をたっぷりと頭部に乗せたままじろりと見やった。
「あァ? 今洗い始めたばかりだろォが」
この言葉は何も大げさなものではない。
彼が椅子に腰を下ろしてから経過した時間は三分弱、体どころか髪すら洗い終えていないのだ。もっともな言い分である。
余談であるが本日は家主不在で、出掛けに『今夜は朝まで飲んでくるからあんたたちは先に寝てるじゃん』と言っていたが、湯を汚しても文句を言う者などいないからと言ってこのまま湯に浸かるのは抵抗があった。
存外、浴槽の汚れは落ちにくい。
「つれないお返事にめげず、ミサカはミサカは再度お誘いをかけてみる」
不器用にもウインクを飛ばそうとして両目を閉じてしまった少女は、構わず元気よく拳を突き上げた。
しかし、自由の女神のようなポーズに対する突っ込みはおろか、返事もない。
「むー」
十数秒待って、打ち止めは「ねえ、聞いてる?」と軽く唇を尖らせてから、不意に手を打ち合わせるや、さながら悪戯を思いついた幼子のごとくきらきらと瞳を輝かせつつ風呂桶をつかみ、
「おーいおーい、ってミサカはミサカは言葉以外の手段をもってアナタを振り向かせようとしてみたり」
一方通行に思いきり湯をかける。
最初は控えめに、二回、三回と次第に大胆な動きとなっていき、四度目で少女は「ひゃあぁぁぁぁ!?」と湯船にひっくり返った。
学園都市第一位の能力、ベクトル変換によって勢いよく叩きつけた水の塊が、速度と威力を保ったまま返ってきたのである。
「これは不覚、ってミサカはミサカはこの体験を今後に活かそうと反省してみる」
「それよりオマエ。前くらい隠せ」
嘆息しつつもシャワーで洗髪剤を洗い流した少年は、ぼそりと言った。
打ち止めの格好は、股を思いきり左右に開いた状態で局部を隠すものは何もなく、頭にはコントの締めみたいにプラスチックの桶が乗っかっているという、あられもない姿だ。
「意外。アナタがそんなことを言うなんて、もしかしてミサカにほの字?」
それは、照れ隠しだったのかどうか。
「黙れ。沈めるぞ、ガキが」
一方通行は吐き捨てるとしかめた顔を背けた。
「わーいわーい、ってミサカはミサカは素直に喜びを表現したり」
すったもんだの末、二人は一緒に湯船に浸かっていた。
白髪の少年は不機嫌そうに横を向き、少女は彼に背を預ける形で足の間にすっぽりと収まっている。
「もう少し離れろ、っつってンだろォがクソガキ」
「お断りだよ、ってミサカはミサカは抵抗してみる」
一方通行は肩を押して体を離そうとするが、打ち止めは全力で踏みとどまろうとする。
しばらくもみ合いは続き、やがて少年は「……チ」と舌打ちして諦めた。
ややあって、少女のぴんと跳ねた一房の髪が無意識に生じた微弱な電流に反応して触角のように上向く。
「勝負をしてみない? って、ミサカはミサカは提案してみる」
満面の笑顔で振り向く打ち止めに、一方通行は小さく眉を寄せた。
「あン? 何を勝負するんだ」
「どれだけお湯に顔をつけていられるかを競うの」
「……くだらねェ」
付き合いきれないという表情で天井を見上げた少年は、直後、ぎょっとする。
体ごと向き直った少女が、覆いかぶさるように顔を覗きこんできたからだ。
「負けるのが恐いの?」
「ふざけンな、クソガキ。オマエと俺が、まともにやって勝負になるはずがねェだろうが」
「そんなの、やってみないとわからないよってミサカはミサカは挑発してみたり」
妙に自信たっぷりな打ち止めを胡乱げに見ていた一方通行は、不意に口の端をぐっと持ち上げた。
「面白ェ。受けてやるよその勝負」
悪人は、売られた喧嘩を買うものだ。
「それじゃ、スタート!」
少女の掛け声を合図に、向かい合っていた二人は湯に顔をつけた。
最初、目を閉じていた学園第一位の少年はきっかり一分が過ぎた時点で、反射の力によって不都合なく視界を確保し対戦者の様子を確認する。
「!?」
一方通行は思わず目を剥いた。
打ち止めが、ゴボゴボと泡を吐きながら湯船に浮かんでいるではないか。
そればかりか、間もなく口からあふれていた気泡は途絶えてしまった。
「おい、オマエ!」
少年は水面から顔を上げると、あわてて少女を抱き上げた。
ぐったりとしたままの顔は、どこか青白い。
(落ち着け。まだそれほど時間は経っちゃいねェ)
どんな敵とやりあった時にも感じたことのない気持ちが、少年の胸を締め上げる。
焦り、悔恨、自身へのいら立ち、そして、恐怖。
まさか、こんな形で永久の別れが訪れるなど、一体誰が考えるだろう。
(今すぐあの医者ンとこへ連れていけば……!)
一方通行は服を着ることさえ忘れて、冥土返しと呼ばれる男の元へ飛ぶべく能力を全開しようとした。
その時である。
「オマエ」
「ミサカはミサカの勝利を宣言」
最強の名をほしいままにしてきた学園第一位が、驚愕する姿などそう見られるものではない。
絶句する少年の腕の中で、打ち止めがにんまりと笑っている。
「これで今年の主演女優賞はいただき、ってミサカはミサカの演技力を自画自賛してみる」
Vサインをみせる少女は、脇と膝裏の支えを唐突に失ってかわいらしい水しぶきと共に水中へと没した。
一方通行が、腕を放したのだ。
「勝負は勝負なんだから、ミサカはミサカはご褒美を要求してみたり」
手段はさておき勝者となった打ち止めは、向かい合う形で明後日の方向を向いたまま動こうとしない少年の腰にまたがっていた。
正直なところ、面白くはない。だが、すべてを反故にしようとは考えていなかった。
「……何でも言ってみろ」
舌打ちをこらえたのは、悪人としての矜持だったのかもしれない。
落ち着いて観察すれば騙されることはなかったはずであり、一方通行は少女の望みを甘んじて受け入れるつもりだった。
うーんうーん、と考えていた打ち止めは、
「じゃあ、ミサカはミサカは大胆にもあなたの唇を求めてみる!」
嬉々として右手をあげる。少年は即座に叫び返していた。
「なンだそりゃあァァァ!?」
「元気な突っ込みをありがとう、ってミサカはミサカはいい反応を得られたことを喜んだり」
対する少女は穏やかに言ってから、何を思ったか手のひらの上部を唇に押し当てるポーズを取る。
だが、それは長く続かなかった。
「このマセガキが」
「ひゃん」
いきなり顔に湯をかけられて、打ち止めは軽く悲鳴を上げる。
それから、わざとらしくむせる振りをして、むー、と拗ねた表情をみせるも、一方通行は無視するばかりだ。
騒々しさから一転、静けさに包まれた浴室に、二人分の呼気が溶けて混じる。
幾度かそれを繰り返したところで、ぽつりと少女はつぶやいた。
「パフェ」
脈絡のない単語は、一方通行の意識を前方へと向かわしめる。
「あン?」
意図を汲みかねているとみえる怪訝そうな眼差しを浴びながら、打ち止めは上目遣い気味に語を継ぐ。
「明日、パフェを食べたい、ってミサカはミサカの願望を吐露してみる」
再び沈黙が辺りを支配した。
そして、諦めたような声が少女の耳に届く。
「……勝負は勝負だ。連れて行ってやる」
不安そうに唇をきゅっとすぼめていた打ち止めは、ぱっと表情を輝かせた。
「わーいわーい」
おおはしゃぎで湯船を飛び出し浴室から出ようとする少女を、一方通行は腕を伸ばして押し止める。
「おい、部屋をうろつくのはちゃんと拭いてからにしろ」
だが、言葉だけでは適当に拭いただけに終わるのは目に見えている。
少年はため息をこぼして、打ち止めの体をタオルで拭くことにした。
今夜、濡れた床を掃除する人間は彼しかいない。
反射の力を使って一切の音を遮断したくなる、かしましい時間は唐突に終了した。
休みなく騒ぎ続けた疲れが出たのか、少女は小さなあくびを一つするや、瞼の重さに抗いきれず寝息を立て始めたのである。
一方通行はそっと息を吐き出してから、水玉模様のワンピースに包まれた眠り姫を横たわらせた。
薄手の掛け布団を用意した後は特にすることもなく、頬杖を突いて寝顔を見ていたのだが、いつしか眠りの世界に誘われてしまった。
ver.1.00 10/9/26
ver.1.80 13/3/6
〜とある少女の浴室遊戯・舞台裏〜
夜が明けて、カーテンのかかっていない窓から射し込む陽光が照らす面積は、次第に広がっていた。
やがてその一端は動かぬ少女の鼻先にかかり、程なく目に到達する。
「ん」
朝特有のきらめきに満ちた明るさに覚醒を促されて、打ち止めは横になったまま伸びをし、寝ぼけ眼で部屋を見回した。
すぐに視線は下向きのベクトルを得て、側で自分の二の腕を枕に眠る一方通行に行き着く。
直後、少女の髪が、一筋、天を衝いた。
「パフェパフェパフェ、ってミサカはミサカは思わず口にしてみたり」
打ち止めは嬉しそうに、見るからに幸せそうに、ねえねえ、と少年を起こそうとする。
「起きて起きてー、ってミサカはミサカは……」
不意に台詞は途切れ、部屋が静けさで満ちた。
少女はふと我に返って、自分が間近で寝顔を見つめている状態であることを意識してしまったのだ。
心持ち鼓動を早めた心の臓がある辺りを無意識に押さえながら、一切の険しさから解放された一方通行の顔を見つめる。
こうしていると、同じ年頃の少年たちとの違いはない。
しかし、打ち止めは絶対的な者がみせる無防備な瞬間に目を留めているわけではなかった。
よくわからない、得体の知れないもやもやとした感情が、彼女をそうさせていた。
彼我の距離は少しずつ縮まっていく。
唇をわずかに尖らせたまま、少女は覆いかぶさるように一方通行へと顔を寄せていく。
そこで、彼の目が開いた。
「……」
至近で見つめあう二人の間に、沈黙が落ちる。打ち止めは、小さく舌を出してはにかんだ。
「何やってンだ」
「なかなか起きない眠れる王子様を、お姫様のキスで目覚めさせる大作戦!」
イエーイ、ミサカはミサカは告白してみる、と少女はテンション高く拳を突き上げる。
対する少年はしかめ面で応じた。
「あァ? 誰が王子で誰か姫だ」
「ミカサがお姫様でアナタが王子様だよ、ってミサカはミサカは……って、聞いてる?」
覗き込んでくる少女から顔を背けた少年は、付き合ってられない、といった風に息を吐く。
「……くだらねェ」
体を起こし、あくびを噛み殺す姿に、打ち止めはなんとなく声がかけられず、起き上がり、扉に向かう少年を、目線で追った。
すると、彼は顔だけ軽く振り向いて、こう言ったのだ。
「何をしてやがる。行くぞ」
「……うん!」
少女は目を線にしてうなずいた。
ヒマワリを思わせる笑顔が、そこにはあった。
廊下に出て、打ち止めは一方通行に並びかけつつ袖を引いた。
「ミサカはミサカは昨日のご褒美に手をつないで欲しい、ってオプションの追加を要求してみる」
キラキラとした瞳で頼まれた少年は、不機嫌そうに「チ」と舌打ちする。
それから、無言で突き出された手に、少女は「わーい」と飛びついた。
開店したばかりのためか他に客がいないファミリーレストランで、少女は宣言どおりパフェを注文した。
「美味しい美味しいって、ミサカはミサカは生クリームに舌鼓を打ってみたり」
何故か少年が頼んだホットコーヒーよりも先にやって来たそれを大喜びでスプーンを口に運びながら、打ち止めはふと思い出したようにたずねる。
「アナタは食べないの?」
「……朝からパフェなンか食えるかよ」
気だるげに髪をかきまわして、一方通行は嘆息した。彼は基本的に、朝は固形物を口にしない。
少女は目を瞬かせて小首を傾げるも、すぐに鼻先のスイーツを平らげることに専念し始めた。
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一方通行×打ち止めSS、第2弾です。
黄泉川のところで仮住まいをし始めて、しばらく経過しています。
次はどんな話にしましょうか。雨、お風呂と来れば、デートですかね。……あれ、順番がおかしいかしら。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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