A とある少女の着衣透過(レイニーデイ)


『とある少女の寝療報酬(ソフトキス) !?』


 コンビニから帰った白髪の少年は、ドアを開けた直後、廊下に転がる少女の形をした空色の物体を発見するや、耐えかねる痛みをこらえようとするかのように眉間の辺りを軽く指先で押さえた。
だが、それだけだ。
前を見据えた後は、すわ事件かと駆け寄るわけでも、大丈夫かと抱き起こすでもなく、肩まで届く髪のせいで表情が見えない彼女に一瞥をくれることなく横を通り過ぎる。
 この事実だけを切り取ってみれば、一方通行(アクセラレータ)は血も涙もない酷薄な者であると誰もが思うことだろう。
なにしろ一〇歳前後の女の子が倒れているのを目にしておきながら、歯牙にもかけず放置しているのだから。

 しかしながら、彼が情を持ち合わせない機械のような人間かといえば、そうではない。
なるほど、彼は指先から髪の毛まですべて善意によって構成されているわけではないが、これには理由があって、先日のこと、打ち止め(ラストオーダー)は今と同じように玄関で寝そべり、白目を剥いたまま動かずにじっとしていため、大騒ぎになりかけた。

 いや、なったといっても過言ではない。
それが彼女のイタズラとは知らず、少年は大いにあわてて、カエル顔の医者の元へと急行しかけたのだから。
実際には、抱えあげられた少女がぱちりと目を開いて「大成功!」とはしゃいだために事なきを得たが、大抵のことならば目くじらを立てることのない一方通行も、このときばかりは打ち止めを怒鳴りつけた。
打ち止めはすっかり反省した様子で、もうこんなことはしない、と言ったのである。

 だが、これはどうしたことだろう。
少年はテーブルの上にビニール袋を無造作に置いて、ちらりと背後を確認した。
空色キャミソールの少女はさっきと同じ格好で転がったまま、起き上がろうとしない。
まさか、またもドッキリに成功すると考えているのだろうか。
それとも、何のリアクションもなかったために起き上がるタイミングがつかめずにいるのか。

 そのままじっとしていると、静けさばかりが強く意識された。
隣の部屋でかける掃除機の音が聞こえてくる程度の防音しか施されていない上に、(かしま)しさを一身に集めたような同居人が口を開くことが多いために、こうした時間は珍しい。

 しかし、今はカチ、カチと時計の秒針が刻む音が癪でならなかった。原因は、言うまでもない。

「チ」

 一方通行は舌打ちしてから入口へと向き直ると、いらだたしげに髪をかきあげた。
保護者ぶるつもりはないが、一度、きつく灸を据える必要がある。

「オマエはなんどもこ……」

 言いかけて、少年の言葉は唐突に途切れた。
驚きから開かれた目に映るのは、寝返りを打ったことで表情が露わになった少女の姿だ。
ただし、いつも陰ることのない活発さはなりを潜めて、眉が苦しそうに寄せられている。

「どうしちまったンだよクソガキ」

 一方通行はつい今しがたまで覚えていた憤りのことなど忘れ、打ち止めを抱き起こした。
天井亜雄(あまいあお)が企て、失敗に終わった誘拐事件を思い出して戦慄を覚えながらも、だからこそ彼は冷静に状況を把握するべく思考を巡らせる。

(今さら頓挫した計画を続行しよォなんざ、学園都市が考えるとは思えねェ。外部の人間の仕業なら、回りくどい手を使わずさらうはずだ)

 異常行動を起こすウイルスを打ち込むにせよ、彼女を意のままに操るにせよ、離れた場所からではイレギュラーな事態に対応できず、かつ、対策を講じられる可能性が高い。
よほど即効性があるものでなければ、失敗に終わるのは目に見えている。

(だとすれば、なンだってンだ)

 軽く揺さぶってみると、打ち止めはくぐもったうめき声を上げるのみだった。
心拍数はやや高く、呼吸はやや乱れている。額にはびっしょりと汗をかいており、頬は薄らと赤い。

(意識はねェが、あのときとは違う。いや、これは)

 学園都市第一位の少年は汗で張りついた髪を押しのけるように少女の額へと手を置いて、瞼を下ろした。
平熱ではない。だからと言って、燃えるような熱さではなかった。
物心がついた頃から反射によって毒性の強いウイルスを一度も体内に入れたことのない彼は、経験からではなく知識によって、見て取れる症状から答えを導き出す。十中八九、間違いない。

「チ」

 一方通行は顔をしかめながらも立ち上がる。腕に抱く小柄な検体番号20001号を布団まで運ぶためだ。

 と、そのときだった。

「あれ、どうしてここにあなたがいるのかな、ってミサカはミサカはたずねてみる」

 打ち止めは少年の白い肌を見上げて不思議そうに小首を傾げる。
熱があるためか声にいつもの元気はないが、辛くて仕方がない、といった様子ではない。

「帰ってきたからに決まってンだろォが」

 未知なる敵による攻撃の線が消えて、一方通行は密かに安堵を覚えつつも仏頂面で応えた。
対する打ち止めは、赤子のように腕の中に収まりながら、口を動かし続ける。

「ところであなたは何をしているの、ってミサカはミサカは質問を重ねてみたり」
「見ればわかるだろォが。オマエを布団まで運ンでる」

 愛想ない返事をふんふんと聞いていた少女は、不意に頬に手を当てて掠れ気味の声で叫んだ。

「きゃー!? まさか、日の高いうちからそんなことを!? ミサカはミサカの貞操が危機にあると……わっぷ」
「黙れクソガキ」

 一方通行は言うが早いか能力を使って片腕で打ち止めの体を保持したまま、鼻をつまんで黙らせる。
次いで、攻撃的な口調とは裏腹に丁寧な動作で少女を布団の上に下ろした。

「風邪、なのかな」
「雨ン中はしゃぎ回るからだろォが」

 掛け布団をかけてやりながら突っ込む少年に、風邪の少女はうーん、と宙を見つめながら顎先に人差し指で触れる。

「その後、お風呂で温まったのに湯冷めしちゃったのが悪かったのかもしれない、ってミサカはミサカは自身の行動を振り返ってみたり」
「わかっているなら次から気ィつけろ」

 一方通行はあぐらをかいて、腕を組んだ。
熱は38度ほどだろうか。さすがに胃腸の調子まではわからないが、この分ならば水分さえきちんと摂っていれば直に快復するだろう。

「ねえねえ」
「なンだ」

 これだけ汗をかけば喉が渇いたとしてもおかしくはない。
てっきり水を望むものとばかり思っていた少年は、次の台詞に表情を険しくした。

「元気になったら背中を流して欲しいんだけど、ってミサカはミサカは要求してみる」
「一人で入れ」
「そんなのいやいや」
「いやいや、じゃねェ」

 冷たく言い放った直後、そっと袖をつまんできた打ち止めは、じっとこちらを見つめている。
一方通行はしばらくの間、熱によって幾らか潤んだ瞳を正視していたが、やがて深く息を吐き出した。

「わかったから寝ろ」
「やったやった」

 さすがに勢いはないものの、諸手を頭上にやって少女が喜ぶ。
彼女のように、喜怒哀楽を素直に表現できるのは、きっと幸せなことなのだろう。
それを、少年はどう受け止めているのか。口元を一文字に結んだ顔から、察することはできない。

「もう一つ、お願いがあるの」
「あン?」

 打ち止めは、一方通行にほほえみかけた。

「ミサカはミサカは優しくちゅ、ってしてもらえたら明日には元気になってるよ、って言ってみたり」

 冗談めかした口ぶりにごく微量の照れが混じったことに、当の本人は気づいているのかどうか。
しんと静まり返った室内で、少年はにわかに返事をすることができなかった。
沈黙は続き、少女はすっと目を線にした。

「えへへ。今のは聞かなかったことにしてくれると嬉しい。ミサカはミサカの熱を確認して、眠りについてみる」

 おどけた仕草で手のひらを額に当てて、打ち止めは頬をほころばせる。
彼女は、決して一方通行を困らせたかったわけではない。
どんな反応があったとしても、それはそれで、受け入れられたと思っている。
しかし、少しだけ、ほんの少し、胸の奥で何かがちりちりとした。
はっきりとした痛みがあるわけではないものの、どこか切ない気持ちになるのは、風邪のせいで情緒が乱れているためなのか。いくら考えてみても、よくわからなかった。

「どうしたの?」

 ふと我に返った少女は視線を感じて少年を仰ぎ見る。
一方通行は、不機嫌そうにそっぽを向いた。

「いいから寝てろ」

 言われるままに目を閉じた打ち止めは、眠りに落ちようとした矢先、驚きから目を開いた。
見えたのは、少年の背中だ。窓の外を向いていて、表情はわからない。

 ほんの一瞬だけ、唇に柔らかな何かが触れたのは気のせいだったのか。

「……おやすみなさい」

 少女はぽつりと言って、ゆっくりと瞼を下ろした。
次に目が覚めたときには、きっと元気になっているに違いない。打ち止めは、そう確信していた。

ver.1.00 10/10/24
ver.1.90 13/3/16

〜とある少女の寝療報酬・舞台裏〜

「風邪のときって、どうしても心細くなりますよね」

 たまたま会話が途切れたことで生まれた沈黙の中、不意にそんなつぶやきが飛び出した。
発言者はセミロングの髪に白梅模したヘアピンタイプの髪飾りをつけた少女で、居合わせる彼女を含めた四人のうち、テーブルの斜向かいに座る、
遠目には花瓶を乗せているようにも見える色とりどりの花で飾った黒髪ショートの女の子が、傾けたマグカップを口からわずかに離して相槌を打つ。

「そうですね。特に、一人暮らしをしているとそう思います」

 半ば以上独り言のつもりだったのか、振り向いた佐天は意外そうに目を少しだけ見開いてから、思い出したようにからりとした笑顔をみせた。

「だよね。あのとき、初春が来てくれなかったら私、すっかり干からびちゃってこの場にいなかったかもしれないよ」
「なんですか、それ」

 瞼を下ろし、しみじみと語る親友に、初春がくすぐったそうに頬を緩める。
彼女もまた風邪で倒れたときに佐天の世話になったことがあり、どちらの場合も、助けを求めるより先に、各々が進んで看病を行ったのだった。
中にはこれを過干渉とみる向きがあるかもしれないが、彼女たちは互いに依存しあってはいない。
しかし、必要とあらばすぐさま駆けつけようとする。
二人の関係は、理想的な形に昇華しようとしているといっても過言ではないだろう。

 そして、佐天と初春の間に漂う温かな雰囲気は、自然と同席者たちにも伝わっていた。

「佐天さんと初春さんって、本当に仲がいいよね」
「ええ。まったく」

 花飾りの少女の向かいに座る常盤台のエースはほほえましそうに目を弓にし、残る一方に位置するツインテールの少女がしみじみとうなずく。

 ちなみにここは初春の部屋で、各自があれこれと持ち寄っての茶話会を満喫しているところだった。
本来ならば一緒にいるはずのルームメイト、枝先絆理は用があって外出している。

「やっぱり、わかります?」

 臆面なくたずねてくる年下の友に美琴はあっさりと首を縦に振った。

「そりゃわかるわよ。互いを思いやる気持ちが目に見えるかのようだもの」

 ストレートな物言いを受けて、佐天は少し照れくさかったのか小さく歯を覗かせてにひひ、と笑う。
それを見た花飾りの少女は、目元を桜色に染めてわずかに唇を尖らせた。

「もう、からかわないでくださいよ御坂さん」

 甘ったるい声で構成された横合いからのささやかな抗議に、学園第三位の少女はそっと肩をすくめる。

「あながち冗談でもないんだけどね」

 むしろ九割方、本気と言ってもよかった。
阿吽の呼吸と表現するにふさわしい彼女たちの有りようは、端から見ていて実に好ましく思える。

「うー」

 結果として墓穴を掘った形になってしまった初春は下唇を突き出し気味にうなっていたが、目が合った佐天に頭を撫でられて、照れくさそうにほほえんだ。

「私にも、そういう人がいたらいいんだけどね」
「まあ、なにを仰いますのお姉様。お姉様にはいついかなる時にも黒子がついていますのに」
「あー、はいはい」

 抱っこちゃん人形よろしく二の腕にしがみついてくるツインテールの後輩に、美琴は苦笑する。
体調を崩し、世話をしてもらったことがあるため、邪険に扱うのは気が引けたのだ。

 と、ぼんやりと二人を眺めていた佐天の瞳がキラリと輝いた。

「それって、特定の誰かを想って言ってます?」
「へ?」
 ぎょっとして瞬きを繰り返す電撃使い(エレクトロマスター)の少女の表情は、事実を言い当てられたせいかひどく強張っている。
もちろん、白梅の少女がそれに気づかないはずはなかった。

「勘、ですけどね。なんだかそういう風に聞こえたので。で、誰なんですかそのうらやましい人は」
「あははははは、なに言ってるのよ佐天さん。そんなやついるわけないじゃない。あははははは」

 思いきり頬を引きつらせながらまったくごまかしになっていない笑い声を上げ続ける美琴だったが、お構いなしにじりじりと詰め寄ってくる佐天からついに目をそらした。
すでに態度からばればれではあったが、隠し事があると正直に告白したも同然の行為を前に、一度火がついた野次馬根性が収まるはずもない。
 かくして、常盤台のエースが無能力(レベル0)の少女に追いつめられるという、世にも珍しい光景が誕生した。

   そうした二人を尻目に、初春はひそひそとツインテールの少女にささやきかける。

「ところで白井さん。なんだか面白くなさそうな顔をしていますが、どうかしたんですか?」
「気のせいですわ。まさか、あのクソいまいましいサルにわたくしが嫉妬などと」

 キリキリと眦を釣り上げながら言って、白井ははっと同僚を見やった。
花飾りの風紀委員(ジャッジメント)はきょとんとした顔で首をかしげている。

「猿?」
「なんでもありませんの。それより初春。早く飲まないと紅茶が冷めてしまいますわ」
「あ、そういえばそうですね」

 唐突に話題が変わったことに、素直な初春は特に違和感を覚えることはなかった。
後日、とあるツンツン頭の少年が少々不幸な目に合うことになるのだが、それはまた別の話である。


 一方通行と打ち止めのSS、第三弾です。
次回はデートネタで行こうと思っています。ハプニングなしで終わるとは、考えにくいですよね。
当然。粛々と、いちゃいちゃする二人を描きたいと思います。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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