『とある少女の着衣透過(レイニーデイ)


 にわかに沸いた厚い雲は瞬く間に密度を高めて空を覆い尽くし、飽和した天からこぼれ落ちた最初の一滴が地を叩くまでに要した時間はわずか一分に満たなかった。

「きゃああああー、といきなりの雨にミサカはミサカは驚いてみたり」

 降りしきる雨の中、響き渡ったのは絹を裂くような悲鳴ではなく、間延びし、どこか楽しそうに聞こえるその声は、水玉模様のワンピースを着た少女が満面の笑顔で発したものだ。

「ミサカはミサカの頭部を保護」
 小さな手のひらで頭頂部をかばいながら、駆け足で近くにあった軒下に避難してから、打ち止め(ラストオーダー)は勢いよく振り向いて雨を気にすることなく歩いて行く白髪の少年に呼びかけた。

「ほら、見て見てー、ってミサカはミサカの服がずぶ濡れになったことをアピールしてみる」
 少女が裾を軽く持ち上げ、微妙に体をくねらせながらウインクを飛ばしたのは、当人にとっては(しな)を作ったつもりなのだろう。
だが、一方通行(アクセラレータ)は見せる側からすると自信満々で放った嬌態に一瞥をくれることなく足を前に進めていく。

「いえーい、絶賛完全無視タイム」

 ぎゅっと目をつぶり、親指を立てて打ち止めは快活に言った。
それでも少年はこちらを振り向かず、二人の距離は刻々と遠ざかる一方で、彼女は再び雨中に身を投じて全力ダッシュを開始する。

「まってー、まってー」

 心地よい晴れの日には風をはらんでふわりと翻りそうな白地の服はしとどに濡れて、少女の髪と同様、べったりと肌に張りついていた。
雨の粒は大きく、時折目をすがめつつも一生懸命に一方通行の背を追う姿はけなげそのもので、もし見物する第三者がいれば十中八九、少年の酷薄さに反感を覚えるに違いない。

 ただし、それは彼が意図的に無視をしているという前提で成り立つものだ。
一切の悪意なく気づいていないとすれば、一方的に責め立てるのは酷ではないだろうか。

 実は、先ほどから打ち止めが発している言葉は一つとして学園都市第一位が持つ反射の力によって耳に届いていなかった。
だが、そうした事情に係りなく、天真爛漫という四字熟語から手足を生やしたような少女はこの程度でへこたれることはない。
いつでも、彼女は咲き誇るヒマワリのように輝く笑顔で前へ前へと進んでいく。

 だが、この時ばかりは用心深くあるべきだった。

「追いついた……って、きゃあああ!?」

 打ち止めは全力疾走の勢いを殺すべく足に力を入れようとした途端、悲鳴と共に宙を舞う。
笑いを誘おうとしたわけではない。単に、ぬかるみで足をすべらせただけのことだ。

「あン?」

 一方通行は思わず眉を寄せつつも、半回転して頭が下を向いていた検体番号20001号を受け止めた。
一切の音をシャットアウトしていた状態であっても、小柄とはいえ、今まさに目と鼻の先を横切ろうとする人間に気づかないほど、彼は鈍くはない。
その際、強引に動きを止めた反動が伝わることのないように運動エネルギーの向きを操作したため、少女はほんの少し目を見開く驚きの表情をみせただけで、まったくの無傷だった。

「何やってンだ、オマエ」

 学園第一位の肩書きは、伊達ではない。
白皙の肌に降りかかる水滴はすべて、触れる前に飛散する。いずこかへと吹き散らされてしまう。
重く垂れ込めた雨雲の下にあっても、陽光の下に立っているかのごとしであった。
それもそのはず、彼は万物のベクトルを自在に操ることができ、五千度の熱線や放射能でさえ防ぎきってしまう。

「ミサカはミサカは取り敢えず足を地面につけたい旨を主張してみたり」

 両手をいっぱいに広げて言う打ち止めを数秒間、無表情に見つめていた一方通行だったが、手にした足を離すことなく指示そのままにきちんと少女を地面に立たせた。

「感謝感謝ー」

 打ち止めは感触を確かめるように二、三度足踏みをしてから、額にべったりと張りついた髪を目に入らないよう軽く撫でつけて謝辞を述べる。
下手をすれば大怪我をしかねない転び振りだったのだが、その顔には後悔や恐怖のような負の感情は見当たらず、むしろ楽しくて仕方がない、といった顔つきだった。

 とはいえ、無事だったのはあくまで結果論である。

「まったく、一人ではしゃいでンじゃねェぞクソガキ」
「雨の日は要注意、って今さらながらにミサカはミサカに反省を促してみる」

 一緒ならいいの、という質問は胸中でつぶやくに止め、少女は神妙にうなずいた。
彼女は、一方通行の発言を額面どおりに受け取ることはない。
吐き捨てるような台詞の中に込められた感情を、苦もなく読み取ってしまう。
打ち止めは、喜怒哀楽を知っている。人情の機微を、理解している。
その上で、彼女は一日の大半を笑顔で過ごしているのだ。

 だが、今ばかりは申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
大粒の雨が降りしきる中で、幼き少女はわずかに苦味が溶け込んだ声で語を継ぐ。

「また心配をかけちゃったね、ってミサカはミサカは平身低頭してみたり」
「あァ?」

 頭を下げる少女を見た白髪の少年は片方の眉をぐっと持ち上げた。
学園一位を倒して名を上げようとする無謀な者たちであっても、大半は思わず目をそらしてしまうであろう、凶悪な顔つきである。

 しかし、顔を上げた打ち止めが彼を恐れることはなかった。
たとえその手がどれだけ血塗られたものであるかを知りつつも、みせる笑顔を曇らせる理由にはなり得ない。

「あなたに、いつも助けられてばかりだね」
「……チッ」

 対する一方通行は虚を突かれた表情の後で、不快そうに頬を歪めて舌打ちをした。
気分が悪かったわけではない。ただ、一切の媚を挟まず、恐れを抱かず、自然に接してくる相手に、どんな態度で応えるべきなのかがわからなかったのだ。

「そんな風にしかめ面で舌を鍛える練習をするのはきっと好ましくないはず、ってミサカはミサカは老婆心から訴えてみる」

 明朗の二文字を標準装備とする少女は、自身の眉間を愛らしい指で示しながら言う。
少年は、再び舌を鳴らそうとして、唇を真一文字に引き結んだ。
そして、二十三秒の沈黙を経て不意に腕を伸ばす。

 少女は顔色を変えた。

「まさかとは思うけど、人通りがないからって路上でいかがわしい行為に及ぶのは、色々と間違っているんじゃないかって、ミサカはミサカの透け透け振りに危機感を募らせてみる」
「黙れクソガキ」

 ぶっきらぼうなひと言と共に、打ち止めの頭上に手のひらがかざされた。
すると、それまでしたたかに少女の体を打っていた雨粒が、柔らかな肌へと届かなくなる。
ベクトル操作の能力によって、降りかかる水は弾かれて周囲の水気を払い、傘のような効果を生む。

「コンビニで傘でも買え。びしょ濡れだろォが」

 一方通行は目を丸くする少女に目を向けることなく、頑なに前を見続けていた。

「うん」

 打ち止めは口元が緩むのを止められず、そうだね、とはにかんだ。

ver.1.00 10/9/7
ver.1.95 13/2/25

〜とある少女の着衣透過・舞台裏〜

「やっと帰ってきたじゃん」

 扉を開く音に反応して、ジャージ姿の女教師は明るい声でおかえり、と言った。
しかし、である。しばらく前から新たな同居人となった少女は、普段、間髪を容れず室内へと駆け込んでくるのだが、この日は違っていた。
どうしたことか、そうした動きをみせる様子はない。
黄泉川はぼんやりと眺めていたブラウン管テレビから玄関へと顔を向けて、
不機嫌そうな少年の隣でずぶ濡れのまま目を弓にする少女を見て、急いで立ち上がった。

「あー、思った以上に強い雨だったみたいじゃん。取り敢えず、これを」

 ジャージの女教師は後頭部でひとくくりにした長い髪を快活に揺らしつつ、優に一週間はカーテンレールに掛けられたままのタコ足からぶら下がるタオルをつかみ取ると、打ち止めの頭にそれをかぶせた。
一方通行は、能力のおかげかまったく濡れていない。

「ふかふかタオルー、ってミサカはミサカは大喜び」

 無邪気にガシガシと頭を拭き始める少女を見やる黄泉川の表情はわずかに苦い。
なるほど、件のタオルは雨が降り出す前はしっかりと陽に晒されていたものであるが、それは単に洗濯物をきちんと引き出しに収めていなかった結果であることを今更ながらに思い出したからだ。
それでも、頬を軽く指先でかきながら彼女が口にしたのはまったく別の事柄についてだった。

「ざっと拭き終えたら、湯船に浸かって温まるじゃん」

 これに、片眉を持ち上げたのは学園第一位の少年だ。

「あン? 時間がかかるンじゃねェのか」

 もっともな疑問だった。
確かに冷えた体を温めるには湯に浸かるのが手っ取り早い。
しかし悠長に一から沸かしていては、芯まで冷えきった少女が風邪を引いてしまう恐れがある。

 だが、そんなことは百も承知と言わんばかりに黄泉川はニヤリと笑った。

「心配には及ばないじゃん。こうなることを予想していたわけじゃないものの、さっき貯め始めたからもうすぐ入れる。ほら」

 台詞の途中で風呂の用意が終わったことを知らせる電子音が鳴り出して、一方通行は無言で肩をすくめる。

「じゃあ、ミサカはミサカは遠慮なく入らせてもらうと宣言してみる」

 打ち止めは濡れた足を玄関マットでぬぐってから数歩進み、首だけで振り返った。

「あなたも一緒だよね、ってミサカはミサカは確認してみたり」

 そして、少女は返事を待たず浴室へと向かう。
彼女が脱いだ服を洗濯籠に放り込み扉を閉めるの見届けてから、ジャージ姿の女教師は独りごちるようにつぶやいた。

「透け透けの衣装について、何か感想は?」
「うるせェよ」

 雨音だけが響く中、二人はしばらくの間、無言で立っていた。
ややあって、外からのものにシャワーが加わって二重奏となった時、黄泉川はふと、思い出したように口元を緩める。

「行ってやりなよ少年。あの子は、あんたが来るのを待ってるじゃん」
「……チ」

 一方通行はこの日幾度目になるか知れない舌打ちをひとつ残して、上着に手をかけた。

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 初の一方通行と打ち止めのSSです。
黄泉川のところで仮住まいをしている頃、とお考えください。
これからも100のお題みたいなイメージで、二人の話を書いていこうとぼんやり思っています。
次は風呂場ではしゃぐ打ち止めかしら。普通のデートがいいでしょうか。色々と考えてしまいます。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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