放課後、例によってSOS団の面々はその長を除く全員が自主的に部室へと集合していた。
一年以上に渡って同じ行動を繰り返していれば日常の一部に組み込まれ、
試したわけではないものの逆にそうしないと気持ちが悪いと感じるのではないか。

 少なくとも俺は学校に来てさえいれば文芸部室に顔を出す方が自然であり、
わざわざ確認したことはないが、ここにいる団員たちは程度の差はあれ似たようなものだろう。
今にして思えば「来ないと死刑だから」というあいつの台詞を聞いて、
期待込みの予感めいた何かを感じ取ってその方便に乗ったのかもしれん。

 さて長机の定位置に座り俺とチェスを指しているのはおなじみにやけハンサム面の超能力者で、
余りあるスペックを書物に記された文字を読み取り頁をめくることにつぎ込む
本の虫と呼ぶべき宇宙人は窓際に置かれたパイプ椅子の上に、
今や学園のアイドルとなった未来人の先輩は湯沸かし器を使って茶葉を開くことに専念している。

 そして西洋将棋とも呼ばれるゲームの局面は終盤を迎えようとしていた。

「次はあなたの手番ですが」
「ああ、知ってるさ」

 どこかの不思議を求めて止まない女にしょっちゅうアホだのバカだの言われている俺だが、
そんなことも分からないほど耄碌(もうろく)してはいない。
ただ、このまま行くとあと数手で俺の敗北が決定しかねん状況で、長考を余儀なくされていたのだ
さすがにルーク(将棋の飛車と同じく縦横への移動が可能)と
ナイト(桂馬と似た動きをするがこちらの方が移動範囲は広い)落としはハンデが大きすぎたらしい。

 古泉の腕も知らぬ間に上がっているんだな、と妙に感慨深く思ったその時、
控え目な態度と声音でお茶が差し出された。

「どうぞ」

 コンクリートで覆い尽くされた現代という砂漠に咲く可憐にして清楚な一輪の花、
乾ききった心を瞬く間に癒してしまうメイドルックの朝比奈さんに会釈を返して湯飲みを受け取り、
取りあえずは一口すすって事態の打開を図るべく頭をひねる。
とはいえプロの打ち手でなければ普段から真剣に取り組んでいるわけでもない俺に、
起死回生の一手がぱっと思い浮かぶはずはない。
ヘタの考え休むに似たりとは誰が最初に言ったのかは知らんが、上手い言いようだな。

 ま、たかがゲームだ。負けて命を取られるもんでもない。

「次の手は」

 だが、俺がプラスチックで出来た駒を摘み上げるのと、
バン、と扉が盛大な音を立てて開いたのは同時だった。

「ごっきげんよー!」

 実に晴れやかなピーカンそのものの笑顔を引っさげて現れたのは他でもない団長殿で、
甲子園の開会式で宣誓する高校球児に勝るとも劣らないはつらつとした右手は、
CDアルバムサイズのケースをつかんでいた。

 それにしても、連日これだけハードな扱いを受けていたら、
蝶番(ちょうつがい)がいつ弾け飛んだとしても驚かないぞ。
もしかすると長門辺りが壊れることのないよう、細工をしているのかもしれんがね。
ちらりと視線を送ると、案の定ごく微かなうなずきが返ってきた。

「いつになく上機嫌ですね」

 ほとんど唇を動かすことなくテーブルの向こうからささやきかけてくる古泉の言を聞き流しつつ、
まだ入ってきた時の姿勢を維持したままでいるハルヒの発言を待つ。
視線が自身に集中し、思わず声をかけたくなる絶妙な間を置いて、

「みんな喜びなさい。支部からの献上品よ」

 コンマ数秒の差で朗らかな宣言がなされた。支部、ってのはコンピ研のことだったな。

「で、なんなんだ献上品ってのは」

 対戦を申し込まれた宇宙を舞台とするシュミレーションゲームの続編でも作ったのか。

「まったく別のシリーズらしいわよ。ま、殊勝な心がけよね」

 すっかりご満悦のハルヒには思いも寄らないんだろうが、
俺たちにプレイさせて最後の調整を図るつもりなのかもな。
一方で、気のいいコンピ研部長のことだ、善意で完成品をくれたのかもしれん。

 いずれにしてもタダで新作がプレイできて文句を言っていたら罰が当たるってもんだぜ。

「拝見させていただいてもよろしいですか」
「もちろんよ。はい」

 にこにことケースを渡してくるハルヒから恭しく受け取ったにやけハンサムは、
しげしげと表裏を見てからおもむろにそれを長机の上に置いた。

「ええと、なんだ。『信長の覇道 戦国群雄伝』?」
「どうやら戦国時代を舞台としたシュミレーションゲームのようですね」

 まあ、脳内の回路がショートしない限りこのタイトルから恋愛ゲームを連想せんだろう。
色々なタイプの姫君をいかにして口説き落とすか、
あるいはお館さまの心を奪うことで国政をほしいままにする、とかな。
自分で言っててなんだが、そんなのは嫌すぎる。

「ある程度慣れたら対戦もしてみたいと言っていたわ。
もちろん、あたしたちの辞書に敗北の二文字がない以上、勝つ以外の選択肢はないんだけど」

 まったくたいした自信だぜ。
古泉の言葉を借りるならば、それは俺たちへの信頼も込みらしいがね。やれやれだ。

「敵を知り、己を知れば百戦も危うからずよ。まずは仕組みを理解するところから始めないとね」

 ハルヒにしてはえらく常識的な意見だが異論はない。

 そんな中、かたわらで愛らしいお顔をわずかに曇らせた朝比奈さんがぽつりとつぶやいた。

「私にもできるのかなあ」
「大丈夫ですよ朝比奈さん。この手のゲームはゆっくりとプレイできるようになっているはずですから」

 嘘ではない。少なくとも俺が知る戦国シュミレーションゲームは、
自分の行動が終わるまで他の者は順番を待つシステムだった。

「そうなんだ。それなら安心ですね」

 ふふ、と天使のように無垢なほほえみをみせる未来人の先輩に、思わず口元が緩む。
俺はあなたの笑顔を見るだけでほっとしますよ、朝比奈さん。

 その間にハルヒはテーブルの上に鞄を置いて窓際へと歩を進めていた。

「有希、起動してくれる?」
「わかった」

 いつの間にか本を閉じていた宇宙人は音もなく立ち上がると、ケースを手に取り団長席に着く。
電源を入れ、慣れた手つきで作業を進める姿は堂に入ったもので、
熟練したプログラマーといったところか。一年前にはマウスを宙で回していたのが懐かしい。

 やがてタン、とキーボードを叩く乾いた音が部室に響いて、
終わった、という長門の淡々としたつぶやきが続く。
 
「ご苦労さま、有希。さ、みんな集まって」

 団長の呼びかけに各々がわらわらと窓際中央へと移動する。
五人が揃ってモニターを覗き込む光景は、端から見るとさぞかし奇妙に映ることだろう。

 そして俺たちが見守る中、ぱっとゲーム画面が立ち上がった。
最初に現れたのはコンピ研のロゴマークで、続いて合戦の動画がスタートする。

「へえ、すごいわね」

 ハルヒが漏らした言葉は、つい、といった感じのものだった。
それはコンピューターグラフィックスがフルに活用されていて、
十数作販売されているロールプレイングゲームと肩を並べられるくらい、人間の動きを再現している。
まるで映画のひとコマを見ているかのような完成度と言っても過言ではなく、

「驚きました。これは、素人が作成できるレベルではないですね」

 古泉が口にした感心しきりの独語に俺も目を見張らざるを得ない。

 しかし、少し考えればこのできばえにも納得がいく。
何しろ、コンピューター研究会には超絶スキルを持った助っ人がいるからだ。
それが誰なのか、あえて名前を口にするまでもないだろう。

「お前が手伝ったのか」

 再びパイプ椅子の上で本に目を落としていた宇宙人にこっそりたずねてみると、
少しだけ、と返事があった。これは無用のツッコミであるが、
作業時間の長さは作品への貢献度とイコールではないと思うぞ、長門。

 まあ、お前のそういう正直なところは嫌いじゃないけどな。



「ともかく、これで久々に戦利品のノートパソコンたちに活躍の場を与えられるわね」

 長らくホコリをかぶるばかりだった備品たちは特に問題なく稼動した。
LANケーブルでつながれた五台のそれにはすでにゲームがインストールされていて、
今は各自がどの大名を決定するところで止まっている。

 ちなみに順番は半ばお約束となりつつあるあみだくじによって、
ハルヒ、俺、長門、古泉、朝比奈さんとなっていた。
チョイスされたシナリオは戦国の世も真っ盛りの1560年、
桶狭間の戦いで尾張(現在の愛知県)の織田勢数千が今川軍三万を破り、
松平元康、後の徳川家康が三河(現在の静岡県)で独立を果たした頃である。
なお、上杉と武田は川中島で闘争を繰り返していて、
彼の有名な伊達政宗や真田幸村はまだ生まれていない。

「まずはあたしからね」

 言いながら、団長の目線はこちらに向けられたままだ。
まさか俺の顔色を見て一番嫌がる者を選ぼうとしているわけではあるまい。
ここは空気を読んでたずねてやるべきだろうか。

「誰を選ぶか決めているのか?」
「もちろん信長よ」

 ためらいなく答えてきたところをみると本当に決めていたようだ。で、その心は。

「第六天魔王って二つ名が気に入ったのよ。当時としては革新的な発想の持ち主だったらしいし。
今の時代に彼がいたら、SOS団にスカウトしていたところね」

 歴史的英雄もこいつにかかれば形無しだな。

「キョン、そういうあんたは誰にするのよ」

 そうだな。薩摩の島津や中国地方の毛利も捨て難いが、ここは義の軍団を選ぶぜ。

「俺は上杉にするぞ」

 越後(新潟)の大名上杉謙信。臨んだ戦いのすべてに勝利したという、化け物みたいな人物だ。
と、視線を感じて向かいの席を見やると古泉が目を線にして笑っていた。

「愛、ですね」

 お前は黙っていろ。
ああ、一応補足しておくと兜に愛の一文字を掲げていた武将、直江兼続は上杉の家臣で、
1560年に生まれたばかりなのでおそらく登場機会はない。

「次は有希の番よ」
「私は長宗我部」

 長門が選んだのは土佐、今の高知県を支配する大名だ。
俺の記憶が確かならば、どちらかと言えば通好みの渋い選択なのではないか。

「はい、古泉くん」
「僕は徳川家を選択します」

 身内同士のプレイで他の人間が選んだ大名に隣接した者にするとは、
どうやらゲームの中でもハルヒのサポートに徹するつもりらしいな。

 そして指名される前に弱々しい声を上げたのはSOS団のエンジェルだった。

「あのう、あたしはどうすれば」

 この戸惑いようから察するに、朝比奈さんにとっては馴染みのない世界なのかもしれない。
ひょっとすると未来では歴史の授業がないのだろうか。

「残っているものから何でも好きなのを選んでいいわよ」

 しかし、あまりのんびりしているといつ団長殿の雷が落ちるとも知れず、

「ええと、じゃあ、あし……り? ここにしようかな」

 未来人の先輩はたまたま目に留まったと思われる京都を領地とする大名家、足利義輝を選択した。
「それは足利(あしかが)家、ですね。将軍、つまり時の権力者です」
「そうなんですか」

 古泉の説明は間違っていない。足利家の第十三代将軍、つまりこの国でもっとも位の高い武将だ。
ただし、それはあくまで肩書き上のこと、
この当時は相当力を失っていて単なる一大名でしかなかったのだが。



 この手のゲームは随分と昔にやったきりだが、わかっていることが一つある。
越後、すなわち現在の新潟は米どころということだ。
開墾や農地の整備で収穫量を増やすことができる上限値は高く設定されている。
まずは国を富まし、兵の練度を向上させるのが当面の目標だった。

 もちろん史実のようにひたすら泥沼の戦いを続けるような愚は犯さない。
早々に金山のある佐渡を支配下に収めて武田と同盟を結ぼうと考えている。
余りある兵糧の一部を贈ったところ、受け取ってもらえたので一歩前進である。

 自らが覇者となるつもりのない古泉は予想に違わず富国強兵に励み、
ハルヒは攻めるために軍事力の強化と有能な武将の登用に努め、
朝比奈さんは取りあえず周囲の国々と友好度を上げることにしたようだ。

 異色なのは長門で、開始と同時に戦闘力を持たない者たちに訓練を実行させるや、
大将自らがほぼ全軍を率いて出陣、さっそく隣国を切り取ることに成功した。
曰く攻撃は最大の防御らしいが、
監視に従事する日常生活では味わえない積極的な行動への憧れがあるのかもしれない。

 ゲーム内で三年の月日が流れる頃には宇宙人率いる長宗我部軍は四国を統一、
次なる矛先を九州へと向け順調に勢力を伸ばしていた。
未来人の先輩は相変わらず周辺諸国に貢物を届けることに余念がなく、
ハンサム面の超能力者は魔王・信長の出陣要請に応える一方で東の今川家を攻略、
団長殿は美濃(岐阜)、伊勢(三重)、大和(奈良)、紀伊(和歌山)、
さらには近江(滋賀)の東半分を領土とすることで全国屈指の大大名として名乗りを上げ、
武田と同盟を結ぶことに成功した俺は豊かな国力を背景に、
武神・謙信公の圧倒的戦闘力で日本海側を北端に至るまで席巻、
返す刀で太平洋側をうかがおうとしていたのである。



後編

ver.1.00 09/09/21
ver.1.61 09/09/22

〜涼宮ハルヒの野望・舞台裏〜

「そういえば近頃歴史が流行っているそうね」

 唐突に沈黙を破ったその発言に、居合わせた誰もが団長席へと目線をやった。

「歴史、ですか」

 長机の向こうでぽつりとこぼしたにやけハンサム面のつぶやきは、
相槌と言うより興味を引かれて思わず漏らしてしまった風で、
俺の視線に気づいてか古泉はにっと笑ってうなずき返してくる。
いや、別にこっちはそれほど歴史好きってわけじゃないんだ。
そもそも男に同士を発見、みたいなノリで嬉しそうにほほえみかけられて嬉しくないぞ。

 もちろん俺たちのそうしたやり取りに構うことなくハルヒの語りは続く。

「流行を追いかけたりするようなミーハーと呼ばれる行為は好きじゃないけれど、
大衆が何を求めているのかを知り、そういうニーズに応えることも必要だと思うの」

 ぱっと聞いただけだといっぱしの監督に思える前置きだった。
要するに『朝比奈ミクルの冒険』やら『長門ユキの逆襲』は、
マーケティングを捕らえた上での製作だったと言いたいんだな。

「何を今さら当たり前のことを言ってるわけ?
みくるちゃんをヒロインに据えることで萌え要素を追求、
バトルもロマンスもふんだんに盛り込んだあの映画は大成功だったじゃない」

 大入りだったことは認めるが、それは朝比奈さんの可憐さがあってのことで、
ストーリーに魅せられたわけではないと思うぞ。
ある意味では非常に斬新だった気もするがな。奇抜、と言い換えた方が適切かもしれんが。

「で、今度は何を思いついたんだ」
「あんたにしては察しがいいわね」

 この時俺は猛烈に嫌な予感を覚えていた。既視感と呼んでもいい。
何しろ俺の問いに応えたハルヒは満面を笑みにして明るくこう言ったからだ。

「今回のリプレイから脚本を起こして、芝居仕立てにしたものを発表するのよ」

 案の定、さらりととんでもないことをぬかしやがった。

「どうするつもりだ」
「CDにでも焼いて、バンバン売るの。HPを通販対応にしなくちゃいけないわね」

 俺が聞いているのはそういうことじゃない。
大体、簡単に言いやがって誰がそれをやると思っているんだ。

「は? キョンに決まってるじゃない」

 団長改め超監督あるいは超座長は寸分の迷いなく即答し、
ぱちくりと目を瞬かせている未来人の先輩に歩み寄って抱きしめた。

「みくるちゃんは女将軍ね。きりっとしたお姫さまのコスチュームに身を包んでもらうわよ」
「はあ」

 朝比奈さんもすっかり慣れているためか、これくらいのスキンシップで動じることはない。
衣装については言うまでもない。

 ともかくこうなったら最後、
行き着くところまで行かなければ止まることはないのが涼宮ハルヒである。
まったく、怒涛の文化祭が片付いたばかりだってのに、次から次へとネタを思いつくやつだぜ。

 そう思う一方で、わくわくしている自分がいることは否定せんがな。本当にやれやれ、だ。



 今回は珍しいタイプのお話なのでしょうか。涼宮ハルヒの野望、でございます。
タイトルはお気づきの方も多いかと思いますが、
光栄謹製の戦国SLG・信長の野望をモチーフにしています。
はたして天下を手中に収めるのは誰なのか。
魔王・ハルヒと尖兵古泉勢力が目と鼻の先まで近づく中、みくるの運命やいかに。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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