暁美ほむらの一日は、鹿目まどかに始まるといっても過言ではない。
 想像する。物陰からつぶさに観察する。直接ないしは間接的に触れる。
想い人を肴に、大っぴらには口外できないようなあれこれをする。Etc,Etc.

 たとえではなく、文字どおりまどかにまつわるあらゆる事象が起点となって、
今日もまた時間遡行者の閉じられた世界が綴られていく。

 病弱で引っ込み思案な少女に過ぎなかったほむらが、
かくも狂おしい日々を過ごすようになるまでの変遷は、とてもひと言で語れるようなものではない。
 だが、たった一つ変わらないものがある。
淡紅色の髪を持つ魔法少女、すわなち鹿目まどかがすべての始まりである点だけは、動かない。

 それは、心のよすがとも言うべき最後に残った道しるべだった。

 2 ほむらA

 扉が開いた瞬間、二年四組の生徒たちはこれから起こるであろう事態を即座に察した。
表情を殺し、カツカツカツと踏み抜こうとするかのように床にパンプスのヒールを振り下ろす姿は、
町中で見かけたら思わず目をそらすか回れ右をして係わり合いになるのを避けたくなること必定である。

 だが、ホームルームの時間にやって来た担任を前に、逃げ出すことなどできるはずがない。

「今日は皆さんに大事なお話があります。心して聞くように」

 畏怖にも似た感情に彩られたざわめきを一顧だにせず、女教師は強い調子でそう切り出した。
生徒たちにできることといえば、機嫌を損ねないよう、はい、とぼそぼそ答えるくらいである。

「目玉焼きの黄身は半熟にするべきですか? それとも固焼きにすべきでしょうか」

 女教師はやや口調のペースを落とし、含みを持たせるように言うと、
伸ばした伸縮式の指示棒で、びしりと最前列の男子を指してそう質問した。

「はい、久我山君! 」

 突如指された男子生徒は、戸惑ってオーバーリアクションに腕をばたつかせて言葉を詰まらせる。

「えっと、いや、その……」

 しかし、ここで答えないという選択肢は存在しない。
早乙女和子という名の嵐はその程度の浅知恵で切り抜けられるものではないのだ。
たとえうやむやのままこのホームルームをやり過ごしたとしても、
万一、呼び出しを受けた上に八つ当たりの対象となった日には、目も当てられない。

 とにかく、何か答えなければならない。
さりとて、適当な回答をするなどもってのほかである。

「どっちでも、いいんじゃないでしょうか」

 中途半端に右手を持ち上げたままの久我山は背筋を流れる冷ややかな雫を感じながら、
一旦語を切ってからおずおずと持論を展開し始めた。

「半熟には半熟の、固焼きには固焼きのよさがありますし、
選べと言われたら僕は半熟が好きですけど、お弁当に半熟を入れたら崩れますからね。
そういう意味では、どちらもありじゃないかと思います」

 生徒の主張を聞き終えた和子は、いきなり教壇に手のひらを叩きつけるや声を張り上げる。

「そのとおり! 黄身の固さなんてどっちでもいいんです!」

 そこには、十代の者たちには到底理解することなどできない悲痛な響きが込められていた。

「半熟にするかどうかで女の魅力が決まるなんてことは断じてありません!」

 まったくもってそのとおりの主張であるが、
聞く者に耳を塞ぎたくなるような切なさを覚えさせるのはなぜか。

「女子の皆さんは『目玉焼きは半熟じゃないと食べられない』とか言う男性と交際しないように!
それから男子の皆さんはそう言う大人にならないように!」

 神妙な顔つきで痛ましい女教師の有り様を見つめる生徒たちだったが、
そのうちの一人、青い髪の少女が小声で淡紅色の髪の親友へと呼びかける。

「また、ダメだったみたいだね」
「……うん、そうみたい」

 先月、目玉焼きにかけるのは醤油か塩か、と突然言い始めたことがあり、
放課後になってお見合いが上手く行かなかったという噂が校内に広がっていた。
事の真偽は定かでない。ただ、誰もが事実であると認識していた。


「ねえねえ。暁美さんはどこからいらしたの?」
「好きな食べ物は? 甘いものとか、お好き?」
「好みのタイプとか、聞いてもいいかな」

 季節外れの転校生に色めき立つ教室は、
蟻の子一匹逃さない包囲網の中にある当事者を除けば、ほほえましいものだった。

「お昼、一緒に食べようよ。お弁当? それとも食堂かしら」
「放課後、お茶でもどう? おいしいケーキを出すお店、知ってるの」
「ね、家族構成は? 身長とか、スリーサイズとか!」

 口々に質問を浴びせられて口ごもる黒髪の少女に、助け舟を出そうとする者はいない。
直接たずねる代わりに、ひと言も聞き漏らすまいと耳を澄ましているからだ。
 それをいいことに、転校生への集中砲火はますます激化する。

「暁美さんって綺麗な黒髪だよね。どんなシャンプーを使っているの?」
「最初に洗うのって、どこ? 髪かな。手? 顔とか!」
「ね、どんな色のパンツを履いているの?」

 聞き捨てならない台詞が誰のものだったのか、
暁美ほむらが知覚するよりも先に救いの手が差し伸べられた。
「みんな、ちょっと落ち着いて」

 取り囲んでいたうちの一人が振り返り、ほほえむ淡紅色の髪の少女に目を瞬かせる。

「暁美さんは保健室に行かなくちゃいけないから、みんな、解放してあげて」

 三人は顔を見合わせてから、再度ほむらを見やった。

「でも、一人で大丈夫?」
「それなら、私たちも一緒に」
「そうそう、それがいいわ。ねえ暁美さん」

 再び盛り上がり始めた級友たちに、まどかは小さく苦笑する。
これでは釘を刺す前の状態に逆戻りである。

「大勢で行ったら先生がびっくりしちゃうよ」
「それもそうね」

 あっさりと引き下がってもらえたことに内心安堵しつつ、
淡紅色の髪の少女は黒髪の転校生へと笑いかけた。

「じゃあ、行こっか暁美さん。わたし、保険委員だから」

 ほむらは三つ指で眼鏡のブリッジを押し上げてから、こくりと首を縦に振る。

 沈黙は、すれ違う生徒がいなくなった時点で解かれた。

「ごめんね、勝手なこと言って」

 さっきまでの、一点の曇りもない笑顔から一転して、まどかは申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「……いえ」

 黒髪の少女はそっとかぶりを振った。
先程の嘘が厚意による方便であることを、彼女は理解しているのだ。

「あのまま放っていたら、みんな、どこまでヒートアップしていたからわからなかったから」

 この言は決して大げさなものではない。
実際、介入がなければ収拾がつかなくなっていたことだろう。

「わたし、鹿目まどか。まどかって呼んで」

 淡紅色の髪の少女は軽やかなステップと共に振り返ると、やや不器用にウインクを飛ばした。

「だから、ほむらちゃん、って呼んでもいいかな」

 微量の照れを含んだ呼びかけに、ほむらは視線を伏せ気味にほんのりと頬を桜色に染める。

「あの、私……」
「どうしたの?」
「そんな風に呼ばれたことがない、から」

 続く、あなた以外には、という口中のつぶやきはまどかの耳には届かなかった。

「それに、名前負けしているでしょう」
「そうかなあ」

 淡紅色の髪の少女は軽く唇を尖らせると、ぱっと表情を明るくする。

「なんかさ、燃え上がれ〜、って感じでわたしは格好いいと思うな」
「萌え上がる……」

 この瞬間、暁美ほむらの脳内をありとあらゆる妄想が覆い尽くした。

「ほむらちゃんもそうなっちゃえばいいんだよ!」

 内気で引っ込み思案だったはずの少女が炎のようにまどかを攻め立てる。

(まどか。まどか、まどか、まどか……)

 黒髪の少女は思わず我を忘れて熱くなった頬に手を当て身悶えた。

 その時である。

「ほむらちゃん!」

 想い人のあわてた声を聞いて、ほむらは目を見張った。無論、これは魔女による攻撃ではない。

「鼻血、鼻血!」

 迫り来るポケットティッシュを見つめながら、黒髪の少女は多少、反省した。

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〜ほむプレイ・舞台裏〜

「そういえばさ」

 ガリガリくんの梨味を食べ終わった杏子は、
行儀悪く咥えたままの棒を小さく上下に揺らしながら青い髪をした親友を見やった。

「鼻血は心の垢、なんて表現をしたやつがいたよな。あれ、なんて作品だっけ。ドラドラ?」
「それを言うならとらドラ。しかも、鼻血じゃなくて涙」
「あれ、そうだっけ」

 さやかに手の甲で胸の辺りを緩やかに叩かれて、赤毛の少女は小首を傾げる。
その台詞が飛び出したのは感動的なシーンだったため、非常に印象深かったはずなのだが、
存外人の記憶というものは当てにならないものらしい。

「まったく、ドラドラって麻雀じゃないんだから」

 青髪の少女が苦笑交じりに肩をすくめたそのときだった。

「……ほむっ」

 しゃっくりなのか、なんなのか。
突然妙な声を上げた黒髪の親友に、まどかは目を瞬かせた。

「どうしたのほむらちゃん」
「いえ、なんでもないわ」

 よどみなく応える声と表情に乱れはない。
そこには、普段と変わらないクールビューティの姿があった。

「私は積み込みなんてできないし、裏ドラがなにを意味するのかさっぱりよ、まどか」
「ええと、ごめん。なんの話かわからないんだけど」

 眉尻を下げて困った笑顔を浮かべるまどかの後ろから、杏子がひょっこり顔を出す。

「墓穴を掘ってどうするんだ、転校生」
「余計なことを言わなくていいわ、佐倉杏子。それと、私が転校してきてから随分と経つのよ。
あなたはいつまでその呼び名を続けるつもりなのかしら」

 にやにやと笑う赤毛の少女を、ほむらはじろりと軽くにらんだ。

「いいじゃねえか。それとも、名前で呼んでやろうか?
暁美ちゃんでもほむらちゃんでもほむほむでも、リクエストだけは聞いてやるよ」
「黙りなさい」

 これ以上の会話は無用とばかりの突き放した語調に、杏子がおどけた仕草でさやかに抱きつく。

「さやか〜。ツンデレクイーンが怒った〜」
「それくらいにしておきなって。まったく」

 黒髪の少女はさっと身を翻すや戸惑う淡紅色の髪の少女の腕を引いて速度を早め、
青髪の少女はくっついたままの赤毛の友を、照れから引き剥がしにかかる。

 それは、とある学校からの帰り道のひとコマであった。



 ほむらのほむらによるほむらのためのほむプレイ、第2弾です。
お気づきの方は多いかもしれませんが、このほむらは初めてまどかに出会ったわけではありません。
何順目かの、ちょっぴり壊れてしまったほむらです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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