暁美ほむらの一日は、鹿目まどかに始まるといっても過言ではない。
 想う。見る。触れる。撫でる。舐める。嗅ぐ。ほお擦りをし、抱きしめ、添い寝をし、
あるいは大っぴらには口外できないような行為にふける。Etc,Etc.

 もののたとえではなく、文字どおりまどかにまつわるあらゆる事象が起点となって、
今日もまた閉じられた世界が綴られていく。

 病弱で引っ込み思案な少女に過ぎなかったほむらが、
かくも狂おしい日々を過ごすようになるまでの変遷は、とてもひと言で語れるようなものではない。
 だが、たった一つ変わらないものがある。
淡紅色の髪を持つ魔法少女、すなわち鹿目まどかがすべての始まりである点だけは、動かない。

 それは、心のよすがとも言うべき最後に残った道しるべだった。

 1 ほむら@

 眼前に広がるのは異形の空間であった。
壁は歪み、天上は揺らぎ、地面は生理的に目を背けたくなるような、
気味悪い幾何学模様が描かれている。世界の境界は極めて曖昧で、禍々しい気に満ちていた。
 たとえ魔法少女でなくとも、その異常性は一目瞭然に気づかない者はいないだろう。
広大な空間を埋め尽くすのは、手のひら大の西洋人形だ。
切りそろえられた髪で顔の半ばまで覆われていて、
左右に深く裂けた口の辺りは小学生がでたらめに彫刻刀を振るい、
無理やりつけた傷のような有り様で、ひっきりなしに耳障りな声を発している。

 居合わせるのは三人の少女たちだ。
一人はマスケットを手にした巻き髪の少女は悠然と立っている。
傍らにはあふれんばかりの意気込みに満ちたショートカットの女の子がおり、
その後ろで左右にきっちりと編み込まれたお下げを左右に垂らした眼鏡の少女が
不安そうに緩く握った拳を胸に押しつけていた。

「なかなか本命が姿を現さないわね」

 彼女たちが結界内に踏み込んでから、二時間近くになる。
その間に倒した使い魔の数は、百は下るまい。
それでも、包囲の厚みは解けるどころか更に増しているのではないか。

「わたしたちが疲れるまで出てこないつもりなんでしょうか」

 先輩に応じたまどかはそう言ってわずかに眉尻を下げた。
その横顔がげんなりして見えるのも無理はない。
達成感がない作業の繰り返しは、程度の差はあれ徒労感を生むものだ。

「近くに潜んでいるのは間違いないのだけれど」

 マミはそっと息を吐き出すと、後輩たちの様子を見やった。
まだ疲弊しきってはいないものの、こう着状態が長く続くようならば、
いつそうなるかわからない。打開策が見いだせないのならばいったん仕切り直すという手もある。

「あ、あの」
「なにか気づいたのかしら、暁美さん」

 巻き髪の魔法少女の問いかけに、ほむらは自信なさそうに顎を引く。

「どんなことでもいいわ。遠慮しないで言ってみて」
「もしかして、ですけれど」

 そう前置きをしてから眼鏡の魔法少女は一定の距離を保ったまま動かない人形たちを一瞥した。

「私たちの戦い方を、引いては弱点を探ろうとしているんじゃないか、って」
 魔女は一見、欲望のままに動いているようで、何の知性も持たないわけではない。
単調な攻撃を繰り返す者もいれば、狡猾に、罠を仕掛けてくる者もいる。

「すみません。今のは、気にしないでください。私の意見なんて、なんの参考にもならないと思いますし」
「いえ、そんなことはないわよ。魔女を通り一遍の存在と考えないよう 心がけているつもりだけれど、これまでの経験から、どうしても先入観を持ってしまうの。
暁美さんが指摘してくれなかったら、さっきまでと同じ事をするところだったわ」

 淡紅色の髪の魔法少女は構えを幾分緩めると、先輩の言葉に深くうなずき目を輝かせた。

「すごいね、ほむらちゃん。わたし、とにかく目の前の敵を、ってそればかり考えていたよ」
「そんなこと、ないです。だって、鹿目さん、さっきも私を守ってくれたじゃないですか」

 まっすぐに褒められた経験がほとんどないほむらは、
一瞬今がどういう時であるかを忘れてはにかむ。
彼女にとって、鹿目まどかは太陽のようにまばゆい存在だ。
自分にはできない事を簡単にやってのけてしまう
天真爛漫な友に羨望の眼差しを向けるのは、ある意味、当然とも言える。

 人は、究極的には何らかの欲求に従い行動する。
己にないものを他者に求める心の動きもまた、その一つである。

「省エネモードを終了して、少し数を減らしにかかりましょうか。
それでも動きがなければ、次の手を考えましょう」

 マミは歌うようにつぶやくや、肩の高さに持ち上げた右手を正面から真横へと振るった。
手品のごとく現れた八丁の銃は、樫を白金であしらった物で、
儀礼用の装飾品としか思えない華麗さである。
だが、彼女と相対する者はそうした印象を即座に改めなければならない。

 単発式のマスケットは優雅な舞によって次々と補充され、火を吹く度に使い魔は確実に打ち砕かれる。
陣列が乱れたところに光の矢が追い討ちとなって降り注ぎ、綻びがますます拡大していく。
隊伍を整えようとする動きもみられるが、銃と弓による連携は容易にそうした意図をくじいてしまう。

「すごい」

 幾百幾千もの人形が近づくことすらできずに葬られていく様を前に、
ほむらはただ目を丸くすることしかできなかった。
しかし敵もさるもの、列を離れた一体が死角を突いて二人に迫る。

「……っ」

 黒髪の魔法少女はすくみそうになる気持ちを、唇を噛み締める事でかろうじて制した。

(わたしだって戦わなくちゃ。いつまでも、鹿目さんたちの足手まといでいたくない……!)

 能力の発現によってすべてが制止した世界において、活動できるのは暁美ほむらただ一人だ。
魔力を付与したフライパンを何度も叩きつける事で敵の軌道を強引に反らし、銃口の前方へと向ける。

 時間の流れが正常を取り戻した時には、使い魔は自滅する形で消滅した。

「ありがとう、ほむらちゃん」

 ウインクを飛ばして感謝するまどかに、ほむらは眼鏡の奥で目を線にして応える。

 敵の過半が姿を消した頃、変化があった。

「来たわ」

 何が、と問う声はなかった。それもそのはずである。
 無視し得ない嫌悪感の塊が出現していた。 小さな浴槽で無数に蠢く節足動物の群れや、声高に嘲弄する者たちの歪んだ顔、
肉の腐敗する臭いといった要素を煮詰めて生まれたかのような、想像を絶する不快さだった。

 ヘドロを塗りたくったような外観の球体に、長さの不揃いな腕が無数に生えている。
指は一本から八本、それ以上のものもあった。ところどころに覗く白色のぬめりは眼球で、
視線には吐き気を催す程の悪意が込められている。

「マミさあん」

 まどかは涙目になっていた。覚悟を決めて終わりなき魔女との闘争に身を投じたとはいえ、
多感な年頃の少女に正視させるのは酷というものである。
ほむらなど、口もとを覆い立ったままでいるのがやっとといった風だった。

「わかっているわ。私も、気持ち悪いわよ」

 マミは後輩の頭を撫でてやりながら、幾分血の気が引いた頬をほころばせつつ語を継ぐ。

「だから、さっさと片付けて美味しいお茶とケーキでも頂きましょう」
「はい」

 嫌な事は速やかに済ませてしまえばいい。鹿目詢子なら、あっけらかんとそう言うだろう。

「ほむらちゃんはここに居てて。あの魔女はわたしとマミさんで倒すから」
「ごめんなさい。私、私……」
「気にする事ないよ。あんなのが最初の相手だったら、わたしだって動けないって」
「でも」
「平気へいき。知ってるでしょ? マミさん、すごいんだから」

 にこりとほほえんで、弓を携えた魔法少女は時を止める友の手を励ますように握った。

 敵は思っていた以上に素早かったが、
歴戦の魔法少女とその弟子による緩急をつけた攻撃を前に、次第に動きを鈍らせていった。

 黒髪の魔法少女はどうにかして二人の役に立とうと、用心深く敵との距離を詰めていく。
 そうして、十メートルは進んだ頃だった。あ、と思う間もなく魔女の体から伸びた切っ先が迫ってきたのである。

「ほむらちゃん!」
「……ッ」

 地面に押し倒されたほむらは、触手が鋭く虚空を貫いたのを目にして息を詰まらせた。
まどかが身を挺して守ってくれなければ、敵の攻撃は確実に彼女を捕らえていたはずである。

「大丈夫? 立てる?」
「あ、ありがとう鹿目さん。私は大丈夫」
「うん。よかった」

 淡いピンクの魔法少女は気遣いを言動ににじませながらも、速やかに立ち上がった。
じっとしていては的になるばかりだ。
「本当、マミさんの言うとおりだね。相手は何をしてくるかわからない。
あらゆる事態を想定しなくちゃいけない。難しいけど、やらなくちゃ、ね」

 黒髪の魔法少女は、独りごちるように言葉を続ける命の恩人を盗み見た。
鼓動の高さは、死を免れたばかりである事と無関係ではない。
しかし、恐怖よりも強く彼女の心を縛りつけているのは、柔らかな感触だった。
頭を打たないようにとかばったまどかの頬が、ほむらのそれをかすめたのだ。

「大丈夫だよ、ほむらちゃん。ほら」
「あ」

 黒髪の魔法少女が前方へ意識を戻すと、先輩の周囲に数多の銃が浮かんでいる。

「ティロ・フィナーレ!」

 三百八十丁のマスケットによる一声掃射によって、醜悪な魔女は滅び去った。


 ふと、遥か昔の出来事に思える記憶が頭をよぎる。

(まどか……まどか、まどか、まどか)

 世界は時の流れを止めていた。授業中にも係らず、ほむらは思い余ってそうしてしまったのだ。

 そう。あの時の、柔らかな感触を彼女は忘れられずにいる。
繰り返される時間の中で、確かな幸せをもたらしてくれる、心のより所である。

 幾度となくワルプルギスの夜に敗れ、その度に愛しい友を失ってきた。
胸が張り裂けんばかりの悲しみによって、心が壊れてしまったとしても誰が彼女を責められるだろう。

 黒髪の少女はほんのりと目もとを桜色に染めつつ、
まどかの頬にそっと唇を触れさせた。何度もキスをする。

「まどか。ああ、まどか」

 ほむらの行動は次第に大胆なものになっていく。
瞼を舐め、耳たぶを食み、首筋に吸いつき、鼻を口に含む。
耳の裏を嗅ぎ回し、眼球に舌を這わせ、唇を咥える。
歯列を舌でなぞり、舌を絡め合い、唾液を吸う。

 今、時が動き出せばどうなるだろうか。
そんなことを考えて、黒髪の少女はぞくぞくとした。
寸でのところで衝動的に浮かんだ考えを実行しようとする己を自制する。

 まだその時ではない。

「まどか。あなたは私が守る」

 最後に優しく抱きしめてから、ほむらは席に着いた。
無論、まどかの膝ではなく自身の椅子に、である。

To be continued...

ver.1.00 11/5/15
ver.1.47 11/5/23

〜ほむら☆マギカ・舞台裏〜

 学校からの帰り道、まどかがふと視線を感じて右を向くと、塀の上に一匹の子猫が立っていた。

「かわいいね」
「ほむ」

 緑を一滴落としたような深い色の毛に黒の瞳、
尾と足首は色が違っていて、淡い紫のリングを巻いているように見える。

「どこの子かな」

 手を伸ばすと、子猫は目を線にして擦り寄ってきた。

「人懐っこいし、きっと誰かに飼われているんだよね」
「ほむほむ」

 まったく警戒しているように見えないのは、それだけ人に慣れているということか。
黒猫はしばらく鼻面を押しつけていたかと思うと、ざらりとした舌で手のひらを舐めてきた。

「ひゃっ、そんなにしたらくすぐったいってば。あはは」
「ほむほむ」

 ぺろぺろぺろ。
少女の反応をどう捕らえているのか、子猫は小刻みにリズミカルに舌を踊らせ続ける。

「ふふ」

 まどかは空いた手で小さな頭を撫でてから、石塀に手の甲を乗せた。

「おいで」
「ほむっ」

 意図はすぐに伝わったらしく、細身がするりと腕の中に収まる。

「それにしても、変わった鳴き声だね」
「ほむ?」

 鼻先に指を伸ばすと、黒猫はちろちろと舐めてきた。
出会ったばかりだというのに、よく懐いたものである。

「よし。今日から君の名前はほむ。ほむほむで決まり!」
「ほむほむほむっ」

 黒猫改めほむほむの鳴き声は、どこか嬉しそうに聞こえた。


 ほむらのほむらによるほむらのためのほむプレイ、いよいよ開幕です。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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