前編


「白井さん。白井さん、ってば」

 まるで桃源郷に身を置いるかのような至福のうっとり顔をしていたツインテールの少女は、
最初は控えめに、そのうち遠慮なしにぐいぐいと二の腕ごと体を揺さぶられてはっと我に返った。
次いで、自身に向けられた視線が物言いたげであることに気づいて、そっと首を傾げる。

「どうしましたの初春。何か、気味の悪い物を見たような顔をして」
「本当に、どうしましたの、じゃないですよ。
ご自分でもよくわかってるじゃないですか。正直、気持ち悪かったです」

 初春飾利はわずかに眉根を寄せつつ、小さくかぶりを振った。
その動きに合わせて、黒髪を飾る色とりどりの花々が微かに揺れる。

 だが、彼女の言わんとするところは白井に通じなかった。

「何のことですの?」

 二、三度瞬きをして頭部の傾斜を大きくするツインテールの少女に、初春は静かに嘆息する。

「白井さんの顔です」
「まあ、なんと失礼な! 言うに事欠いて、わたくしの顔が気持ち悪いなどと無礼千万!
そんな暴言を吐く口はここですの? ここですの? さあ、言ってみなさい初春!」
「ふも、ひはいえす、ひらいさん」

 眉と目尻をキリキリと吊り上げる白井に頬を思いきり左右に引っ張っられて、
花飾りの少女はまともに返答などできず、涙目になりながら苦痛を訴えた。
その甲斐があってか実力行使は程なく解除されたが、
初春はアヒルのように唇を尖らせて、半眼でツインテールの少女を恨めしそうに見やる。

「もう、何をするんですか」
「手加減はしましたわ」
「そういう問題じゃないです」

 突っ込みを受けて、白井は不思議そうに黒髪の少女へと視線をやった。
自身がどれだけ不気味な表情を浮かべていたのか、まったく自覚がないらしい。

 初春は改めてそのことについて言及する気にはなれず、
そっと息を吐き出すと目一杯引き伸ばされた自分の顔をゆるゆると撫でた。
つねる加減を調整したためか痛みはないのだが、幾ばくかの不満は残っている。
これでは、一方的に悪いのは花飾りの少女ということになるからだ。

 しかし、である。

「それほど痛くしたつもりはありませんでしたが、仕方がありませんわね。
今度、お気に入りの茶葉を差し上げますわ。それで機嫌を直しなさいな」
「え、本当ですか!?」

 泣いた赤子がもう笑う、とはこのことか。
現金な、と言われるかもしれないが、初春が持ついわゆる上流階級への憧れは相当なもので、
常盤台のお嬢様が所持するものを贈られると聞いて、喜ばないはずはない。

「ありがとうございます。すごく楽しみです」
「大げさな」

 ツインテールの少女は片眉を持ち上げて、小さく苦笑した。
それでも、悪い気はしていないのだろう。少し多めに渡すことを、胸の中で密かに決める。

「ところで初春、ちょっと失礼しますわ」
「へ? あ、はい」

 不意に両頬を手のひらで挟まれて、初春は目を丸くした。
さっきの今で警戒心を抱かない辺り、彼女の人となりが知れるというものだが、
だからこそ誰からも愛されるのかもしれない。

「どうかしましたか?」
「確認ですの」
「確認?」

 改めて触れてみなければいけないようなことが、あるのだろうか。
吹き出物の類は少なくとも今朝、顔を洗った時点では見当たらなかったし、
虫歯のせいで腫れ上がっているということもない。
また、ただ撫でたくなったということは考え難かった。

 花飾りの少女が内心、たくさんの疑問符を浮かべる中、
慎重な手つきで輪郭に手を沿わせていた白井は何に納得したのか、大きくうなずいて口を開く。

「やはりそうですの。肌の柔らかさが半端ではありませんわ。これは食べ物の違いでしょうか。
肌年齢は外見に見合うということでしょうか……はっ! 初春家に伝わる秘伝の技がここに!?」

 彼女にとってよほどの衝撃だったらしく、
ツインテールの少女は満面を驚愕の一色で染めつつのけ反った。
まったく予想もしなかった答えに初春はしばし呆気に取られていたが、
ある意味でこれも白井らしいと思い、口元をほころばせる。

「そんなものありませんよ。それに」

 花飾りの少女は言いながら腕を伸ばし、友の頬に手を添えた。
続いて、今しがたまでのものとは種類の異なる驚きを瞳に映す白井にほほえみかける。

「ほら、白井さんだってふわふわじゃないですか」
「……わたくしよりもあなたの方がふわふわ、いいえ、とろとろですのよ初春」

 意表をつかれたせいかツインテールの少女はほんのりと目元を桜色に染めて、軽く唇を突き出した。

 それから、穏やかで優しい時間が数秒過ぎたところで白井はふと思い出したように手を打ち合わせる。

「それにしてもいいことを聞きましたわ、初春。
是が非でもお姉様にその格好をしていただかなくてはなりませんわね。
絶対領域……ああ、なんと魅惑の響きであることか。想像しただけで涎が垂れそうですわ」

 ツインテールの少女がみせる手の甲で口をぬぐう仕草は実に様になっていた。
これで性別が違えば、変質者として警備員に即刻通報されるに違いない。

「もう垂れてますよ」

 桃色の妄想にふける姿に、取り敢えず花飾りの少女はひと言放った。
しかし、事実を指摘されたくらいで暴走する白井の思考は止まらない。 

「涎は心の垢! 時に体外へと吐き出すもの! こういう時に垂らさずしていつ垂らしますの!」
「もっともらしいことを言ってもダメです。
上手いこと言えているとは思いますが、場面を問わず垂らさないでください」

 一方の初春も慣れたもので、淡々と台詞をつむいでいく。
垂涎という単語はあるが、実際に涎を流して何かを求める者はそう見られない。
万一、そこかしこで目に映るようになれば、世も末であろう。

「それと、白井さんの場合は垢と言うより膿なんじゃないですか。欲望が形となって漏れ出したというか」
「確かに、そうかもしれませんわ」

 妙に説得力を持つ友の言葉に、ツインテールの少女は我知らず相槌を打っていた。

「なかなかやりますわね初春」
「私だって、たまには決めるんですよ」

 初春はふふ、と唇を小さく持ち上げて笑ってから、やや表情を改めて問う。

「でも、どうやってそういう服を着せるつもりなんです?
好みもありますし、買っておいてクローゼットに入れていてもダメでしょうし。
まあ、頼めば着てもらえるかもしれませんけど」
「そこが問題ですわね」

 白井は考える人のポーズを取りながら、小さくうなった。
いきなりプレゼントを渡すというのも、不自然な話だ。

「寮に入って一周年、はもう過ぎましたし。何を口実にすれば……」
「贈り物をするのに、理由なんて要らないんじゃないですか?」

 花飾りの少女はにこやかに言って、そっと喉の奥で忍び笑いをした。

「今回は御坂さんのためではなく白井さんの都合ですから、
もっともらしいイベントが必要かもしれませんけど」

 だからといって、適当なものにすれば受け取る側は違和感を覚えるに違いない。
しかし、ツインテールの少女が感じていたハードルの高さは、
次の提案で容易に飛び越えられるものとなる。

「私はミニとか履けませんが、御坂さんならきっとお似合いだと思います。それで十分では?」
「初春」

 積極的な協力を得られるとは考えていなかった白井は、幾度か瞬きをした。

「今日は元々セブンスミストに行くつもりだったんです。
見るものが一つ二つ増えたところで何も支障はありませんよ」

 花飾りの少女は緩く握った拳を胸元に近づけると、
ぴっと人差し指のみを天井へと向けてウインクをする。

「ただし、御坂さんの絶対領域は私にも堪能させてください。それが条件です」
「ええ、乗りましたわ」

 企みに縁遠い毎日を送る初春が乗り気なのは、至極簡単な理屈だった。
彼女もまた、かたわらのモニターに映っているような格好をした美琴を見てみたいと思ったのである。
(ぬし)も悪ですわね」
「いえいえ、お代官様こそ」

 悪人の台詞をほんの少しいたずらっぽい笑みで交し合うと、
互二人は目的の品を手に入れるべく第177支部を後にした。



 一方、美琴と佐天はセブンスミストに来ていた。

「御坂さん、これなんてどうです? って、聞いてます?」

 十歳前後の子どもが着る服に見とれていた美琴は顔を覗きこまれ、あわてて笑顔を取り繕う。

「え? ああ、それね。うん、いいんじゃない」

 鼻先で揺れる少し大人びたデザインの服は、有名なブランドのものだった。

「ですよね。あー、買ったばかりなのに、また欲しくなってきちゃった」

 ハンガーを目線の高さに持ち上げつつ、佐天はそっと嘆息する。
今回もまた、一目惚れしてしまったのかもしれない。
だが、気に入った服を見かけるたびに購入できるほど、庶民の家に生まれた彼女に余裕はないのだ。

「御坂さんも何か買われます?」
「んー、今のところは気に入ったものはないかな」

 ちらりと横目で見てくる黒髪の友人に、美琴は曖昧な笑みで応えた。

「私、ちょっと試着をしてきてもいいですか」
「うん。どうぞー」
「ありがとうございます!」

 佐天はぱっと表情を輝かせて礼を言い、
もう二、三点、ハンガーを手にとると、いそいそとカーテンの向こうへと消える。

(同じ買うなら、やっぱりこっちよね。この、ワンポイントのカエルマークがたまらないわよね。
どうしよう。佐天さんが試着している間にさっと買おうかな)

 知り合いの有無を警戒したのかきょろきょろと辺りを見回して、常盤台のエースはふと首を傾げた。

「……?」

 また、視線を感じたような気がしたのだ。
しかし、それを確認するよりも早く、聞こえてきた佐天の声が彼女の意識を奪う。

「おーい、御坂さーん。ちょっとこっちに来てもらえますかー?」
「へ? あ、うん、何?」

 そそくさとお目当てだった服の側を離れながら、
美琴はカーテンの隙間から顔を出して呼ぶ友の元へと向かった。






ver.1.00 10/4/4
ver.1.68 10/4/8


とある乙女の絶対領域・舞台裏〜

「見ましたか、初春」
「ええ、しかと見ました」

 無造作に山と積まれた現品限りの衣服が乗ったワゴンの陰から様子を伺っていた白井と初春は、
美琴の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、顔を見合わせてそろそろと立ち上がる。
彼女たちが女性用の衣類が並ぶこの場所にやって来たのはつい今しがたのこと、
よく見知った人物が一体のマネキンに張り付いているのを発見し、あわてて隠れたのだった。

「お姉様が、穴が開くほど見つめてらしたのはこの服、ですわよね」
「はい、間違いないです」

 展示されている服へと目を向けるツインテールの少女の眉はひそめられていて、
傍らの花飾りの少女は苦笑交じりに相槌を打つ。

「自分で言っておいてなんですが、何かの間違いではありませんのね」
「私もそう思いたいんですけど、確かにこちらでしたよ」

 美琴が気に入ったと思しき服は、薄手のワンピースだった。
一見地味な印象を受けるものの、ホットパンツと併用することで絶対領域を生み出すことが可能な品で、
本来ならば、労せずして目的の品を手に入れることができたと喝采を上げてもおかしくない場面といえよう。
だが、白井たちの表情は渋かった。
少なくとも、手放しに喜べる事態ではないと考えているのがありありとわかる顔つきだ。

 それは何故か。理由は単純明快、常盤台のエースにはあまりにもふさわしくない品なのである。

「何ですの、このカエル柄は。ありえませんわ」

 やり場のない憤懣はツインテールの少女の顔を歪めるだけにとどまらず、
吐き捨てるような語が息継ぎを挟むことなく飛び出した。

「よりにもよって、小学生が着るような代物とは……。
まったく、いつになったらお姉様はこのような少女趣味から抜け出してくださるのやら。
他はどこをとっても完璧と言っても差し支えのない方ですのに。
黒子は、黒子は嘆かわしい気持ちでいっぱいですわ」
「まあ、好みは人それぞれですからね」

 芯まで人の良さでできている初春も、ありきたりな言葉を口にするより他はないとみえて、
フォローもそこそこにただ困ったように眉尻を下げている。

「そうかもしれませんが、物事には限度というものがありますの。
学園第三位ともあろうお方が、七人しかいない超能力者(レベル5)が、このような服を!」
「白井さん、落ち着いてください。いくら離れているからって、気づかれちゃいますよ」

 花飾りの少女はあわてて友の口を塞ぎ、試着室に意識を向けてから安堵の息を吐いた。
幸い、他にも客がいる広いフロアでは大して目立ちはしなかったようだ。
とはいえ、このまま騒いでいればいつかは気づくに決まっている。
仮に今がリラックスしきった状態だったとしても、御坂美琴は非凡なる能力者なのだから。

 再びワゴンの脇、通路からは死角になるところへ移動したところで、
初春は込めていた力を緩めてひそひそと小声で問いかけた。

「さて、どうしましょう」
「どうするも何も」

 白井はわずらわしそうに髪を背の方へと払う仕草を挟み、じろりと同僚の黒い瞳を見やった。

「いくら初春の協力を得られても、わたくし、このような服を贈るのに、
『お似合いですわ』などと、嘘八百の台詞は口が裂けても添えられませんわ」
「ですよね」

 いくらツインテールの少女が愛しいお姉様の絶対領域を見るべく行動を起こしたと言っても、
無条件にすべてを受け入れられるものではない。
むしろ、好意を寄せる相手であるからこそ、譲れない部分が存在するのかもしれなかった。

 四六時中、見境なく振る舞っているように見えても、
白井黒子の中では他者にはわからない明確なルールがあるのだろう。

「仕方がありませんね。好みのものでなければ着てもらえないでしょうし。
ここは大人しく引き下がるしか……あ、自分で再現してみるのはどうでしょう」
「何が悲しくて自分の太ももを見て喜ばなければなりませんの。
わたくしが好きなのはお姉様であって、わたくし自身ではありませんわ」

 ツインテールの少女は泣く泣く帰路に着くことを選び、初春はその間、慰め続けたのだった。



「ただいまー」

 夕刻、門限が近づいた頃、電撃使いの少女は寮へと戻ってきた。

「お帰りなさいませ、お姉様」

 ぎこちない動きで首を動かし、ツインテールの少女が大きく目を見開く。
そこには、絶対領域が存在した。それも、子ども用の衣服ではない。
誰が選んだのかは不明だったが、上下の色、形状、何より覗く太もものバランスが素晴らしく、
並のモデルなど到底及ばないセンスに満ちていた。

「お姉様、ああ、お姉様……!」
「ちょっと、何なのよアンタは」

 満面を感動一色に染めつつ身をすり寄せてくる後輩に、美琴は困惑するばかりだ。
しかし白井はそんな先輩の様子に構うことなく、まとわりつく。
お姉様の絶対領域を拝むことを完全に諦めていた彼女にとって、
この喜びは言葉に尽くし難いものだった。



1ヵ月半ほどあいてしまいましたが、続きです。
たまには電撃で吹き飛ばされない黒子もいいかな、とこんな風に締めてみました。
もっとも、エスカレートしてベタベタ触っていればその限りではありませんが。
そして寮長が飛んでくるわけですね。二人揃って折檻を受ける、と。

 固法先輩のお話も描いてみたい今日この頃な鈴原でした。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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