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3『覚醒、そして』


 幻想殺しの少年はつい先ほどロッカーへ問題の品が収められた紙袋を
誰にも見られずに置いてくることができたため、すっかり上機嫌だった。
故に、見知った少女が視界に映った途端に自分から呼びかけたのである。

 それはいいのだが、わからないことが一つあった。

(なんだってあんな格好をしているんだ……?)

 彼は特別に暑がりというわけではないが、
半袖の下に薄手の肌着でまったく肌寒さを覚えていない。
九月は半ばを過ぎ、十月が近づきつつあるものの、
日が暮れて二時間ほど経過した今もまだ涼しいとはお世辞にも言えない状態であるから、
そんな中、コートを羽織った御坂美琴を見て不思議がるのはある意味当然とも言えよう。

 上条はあと二、三歩で彼女に手が届く距離まで近づいたところで足を止めた。
だが、彼女は立ち尽くしたままこちらを振り向きもしない。

(なんだ、御坂のヤツ。調子でも悪いのか?)

 黒髪の少年はさすがに違和感を覚えて首を傾げた。
最近は問答無用に電撃を撃ってこなくなったが、
明るく手を振り上げて応えてくるのが常で返事がないのは珍しい。

 しかしながら、無視をしているわけでもなさそうだった。
呼びかけに、彼女は一度肩を震わせてから立ち止まったのである。
声をかけられたくなかったならば、そのまま気づかない振りをして行くこともできたはずだ。

 どう声をかけたものかと上条は迷っていると、
不意にバチバチと美琴の前髪が火花を散らし、夜気に鮮やかな青白い閃光が走った。
少年の反応は劇的なもので、額に汗を浮かべてずさっと勢いよく後ずさりする。
こういう時は下手に出る、それが彼の女の子に対する処世術なのだ。

 中でも超電磁砲の少女の場合、逆鱗に触れたが最後、命すら危うい。

「あの、何ゆえ御坂さんは怒っているのでせうか」

 おずおずとした問いかけに、少女はゆっくりとこちらに向き直った。

「怒ってなんか、いないわよ」
「そ、そうか? ならいいんだが」

 上条はあからさまに安堵の表情をみせてから、微かに眉を寄せる。
美琴の頬は赤く視線はやや伏せ気味で、小さく唇をとがらせていた。
手は胸の辺りにぐっと押しつけられていて、どこか不安そうにも見える。

 いや、違う。
どうしたことか、艶かしく映るのだ。

 少年がその意味を考えかけると同時、質問が飛んできた。

「あ、アンタは何をしてるのよ」
「いや、ちょっとな。そうだ、散歩がしたくなったので上条さんは夜の町をぶらついていたのだ」

 上条の目が泳いでいることに気づくだけの余裕は今の少女にない。
不審がる素振りはみせていないが、彼に勘付かれるわけにはいかなかった。
何しろダッフルコートの下には露出度過多なボンデージが隠されているのだ。

「お前こそ、何をしてたんだ?」
「え」

 美琴はわかりやすく動揺してしまった。
前髪の辺りで盛んに青白い火花が散り、顔全体が熟れたリンゴのような色に染まってしまう。

「べ、別にいいでしょ。私が何をしてたって」
「いや、それはそうなんだけど」

 少年はポリポリ後頭部をかく仕草をみせて、あー、と間を持たせる音を発した。
だが、電撃使いの少女は何も言葉を続けることができず、気まずい沈黙が二人の間に落ちる。

 上条はそっと苦笑して、美琴は一人でいたいのだと判断した。
否定していたが虫の居所が悪いのかもしれず、別のわけがあるのかもしれない。
いずれにしても、彼にもすぐに帰るというインデックスとの約束がある。
せめて挨拶だけでも元気よくしておけば、次に会う時まで引きずることはないだろう。

「じゃあ、俺は帰るわ。またな、御坂」

 少年はさっと踵を返そうとした。

「あ」

 彼が帰ってしまう、そう考えた途端に少女は反射的に呼び止めてしまったのだ。

「ん、どうかしたのか?」

 上条にとってもそれは意外だったとみえて、ぱちぱちと瞬きをしている。
美琴はとってつけたような笑顔を口元に張りつけてベンチに座ると、
ぽんぽんと自身の隣を手のひらで叩いてみせた。

「ええっと、その。ちょろっと話でもしていかない?」
「ああ。お前がそのつもりなら構わないぞ」

 上条はあっさりと応じて木製の椅子に腰掛ける。
まさか、何時間も話をする気ではあるまい。

(けど、何なんだ?)

 わからないのは女心と秋の空と言うが、実際、彼女が何を考えているのかさっぱり不明だった。



(追い返さなきゃいけないのに、私は何を言ってんのよ)

 美琴は手のひらの汗をコートの生地でぬぐいつつ、かろうじて笑顔を維持していた。
ただし、座ったのはこれ以上立っているのが辛かったせいでもある。
動き回ったせいか、股間と胸元がいっそうきつく締めつけられているように感じられた。
そして考えまいとすればするほど、意識がそこへと向かってしまう。

 すぐ隣には上条当麻がいるというのに、だ。

(バカ。バカ、バカ……! 何考えてんのよ、私は)

 少女は我知らず内ももを擦り合わせて内心うめいた。
ゾクゾクと背筋を駆け抜ける未知の感覚に意識を支配されそうになる。

(何なのよ、これ……っ)

 美琴は崩れそうになる体を膝に両腕を突くことで支えて、ぎゅっと目を閉じた。
よりにもよってこの状況を楽しんでいる自分がいるなどと、あり得ない。
そんな風に悦びを覚え、だから彼を帰したくなかったのだと、認められるはずがない。

「大丈夫か、御坂。お前、汗びっしょりだぞ」
「え?」

 少女が呼びかけに応じて首を右に向けると、上条が気遣わしげに顔をのぞき込んできていた。
心配するのも無理はない。
事情を知らない人間にとっては、調子が悪くなったようにしか見えないのだから。

「へへへ、平気だってば……あ、ン」

 美琴はあわてて弁解しようとしたのだが、
頬に柔らかな何かが押し当てられて思わず甘い声を上げてしまった。
見かねた少年がハンカチで拭いてくれたのだ。

「な、な、な」

 唇をわななかせる少女に、上条は馴れ馴れしい態度に対する拒否反応と捕らえ、
手にした布を控え目に差し出した。

「そんな顔するなって。まだ未使用だし、ちゃんと洗濯してある」
「……そ、そう」

 美琴はどぎまぎしながらもそれを受け取り、ありがとう、とささやくように言う。

「しかし、アレだな。暑そうだぞ」
「へ、平気だってば。私、ほら、ダイエット中だから」

 御坂妹はこの言いわけを聞いて納得した。
とにかく、さながら冬の日本海みたいに荒れ狂う心を静めなくてはならない。

 だが、すんなりとことは運ばなかった。

「へえ、御坂でもそういうことするんだな」
「どういう意味よ」

 カチンと来た美琴はじろりと少年を見やったが、
彼はあっけらかんとした表情でこんな台詞を口にする。

「いや、お前ってわざわざそんなことするまでもなく十分スタイルいいじゃねえか」
「……っ」

 少女は目元を桜色に染めて、ばっと正面を向いた。
この男はいきなり何を言うのだろうか。

(バカバカバカバカバカの上条当麻! わかってるはずよ、わかってるじゃない。
コイツは考えなしにこういうことを言うヤツだって、わかってるのに)

 美琴は小さくかぶりを振って、奥歯を噛み締めた。
しかし、思いとは裏腹に鼓動は際限なく高まっていく。
前髪はまるでネズミ花火でもぶら下げているかのような有り様だ。

「おーい、御坂さん? どうしたのでせう?」

 恐怖を声ににじませつつ上条がたずねてきた直後、
二十時になったことを知らせる放送が風に乗って聞こえて来た。
そして、まだ白井からの連絡はない。

(どうしよう、今ならまだ間に合う。コイツに頼めば、何とかしてくれる)

 そう考えた瞬間、少女は体の奥底で何かがうねるのを感じた。
無意識のうちに上唇をぺろりと舐めて、生唾を飲む。

(……そう、それだけよ。だって、コイツはお人よしなんだから。
死にそうな目にあっても助けに来てくれるような、ヤツだもの)

 美琴はそっと愉悦の笑みで口元を歪めて、ゆっくりと体を起こした。
恥ずかしさがないわけではない。自棄になったのでもない。心が、それを求めたのだ。

「ねえ」
「ん?」

 視線が絡み、黒髪の少年から怯えが消えた。
うまく説明できないが、少女の様子は今しがたまでのそれと違っていたからだ。

「頼みがあるの」
「は?」

 唐突な注文を受けた上条は聞き返して、
美琴がコートの胸元を開くのを見て大きく目を見開いた。

「へ……って、お前」

 隠されていた白い肌が電灯にさらされたのはごく短い時間であったが、
そこにあったものは少年の脳裏にはっきりと刻み込まれていた。
何しろ胸元もあらわなその服は、彼が土御門から預かったものと瓜二つだったのである。

「……アンタしか頼る人がいないのよ」

 からかっているわけではないと知れるすがりつく目で見つめられて、
上条は体の一部分が反応してしまうのを止められなかった。



「あー、わかったよ。何とかしてやる」

 事情を聞き終えた少年はあえて美琴から目線を外したまますっと立ち上がった。
この際やむを得ない。ロッカーを開けて、鍵を取り出すしかない。

(こいつが、御坂が恥を忍んで頼んできたんだ。これくらい……)

 不幸だ、とこっそり息をついて上条は前に進めないことに気づいた。
見れば、少女がシャツの裾をつかんでいる。

「あの、伸びるんですけど」
「だって」

 上目遣いで見上げてくる美琴に、黒髪の少年は頬をかく仕草をしてそっと嘆息した。

「鍵を取ってくればいいんだろ? だったら」
「ここに、置いていく気?」

 不安そうな表情で聞く少女に、上条は衝動的に首を縦に振りかけて息を飲む。
一度頼ると決めた以上、突き放された時のショックはさぞかし大きいだろう。
困り顔をみせるか、あるいは泣き出すかもしれない。

 その様を想像すると、ゾクゾクと背中を駆け抜けるものがあった。

(何を考えてやがる、上条当麻。落ち着け、落ち着いて深呼吸)

 少年はきつく目を閉じると大きく息を吸い込んでゆっくりそれを吐き出した。
同じ動作を三度繰り返して、再び瞼を開く。

 美琴は怪訝そうにこちらを見ていた。

「何やってるのよ」
「何でもねえ」

 まさか本当のことが言えるはずもなく、
上条はガリガリと頭をかいて少女に腕を突き出す。

「手、握っててやるよ」
「え?」

 パチパチと瞬きをする美琴に、黒髪の少年はわずかに目元を桜色に染めつつ言葉を付け加えた。

「一緒に行くんだろ」
「あ、うん」

 少女はふわりと頬をほころばせてうなずく。
そして、ほんの少しだけためらってから気恥ずかしそうにぎゅっと上条の手を握りしめた。



 学園都市でもここ第七学区は住民の大多数が学生なだけあって、
今の時間帯に出歩く者はほとんどいない。
それでも堂々と表通りを歩くわけにも行かず、二人は人目を避けつつロッカーまで向かう。

「ねえ」

 最初はおとなしく腕を引かれていた美琴だったが、
途中で行き先が自分たちの寮ではないとわかって問いかけた。

「どこに向かってるわけ?」
「ロッカー。そこに鍵が入ってる」

 上条は前を向いたままぼそりとつぶやく。
詳しく説明すると色々気まずいため、実に簡潔な回答である。

「鍵って、どうしてそんなものが」
「いいじゃねえか、別に」

 少年はぶっきらぼうに答えて、歩みを緩めた。

「ここだ」

 少女に手を離すつもりがないことを見て取った上条は、
空いた一方の手でポケットから鍵を取り出して扉を開く。
余分な出費ではあるが、人助けだと思えば安いものである。

 問題はここからだ。
ここに入っている物を見て、何も質問されないわけがない。

「ちょっと」

 案の定、紙袋の中身を目にした美琴は半眼になって黒髪の少年を見やった。

「どうしてアンタがこんなもの持ってるのよ」
「仕方ないだろ。預かってくれと頼まれたんだ」

 嘘ではないが、苦しい言い訳にしか聞こえない気がして上条は仏頂面をする。
実際、美琴は胡乱げなまなざしを向けているではないか。

(この借りはきっちり返してもらうからな、土御門)

 胸中サングラスの友に悪態をついて、少年は紙袋を取り出した。
解決しないことでくよくよと悩まないのは彼の美点である。

「で、どうするよ。一度家に戻るか?」

 上条が軽く持ち上げてたずねると、
少女は数秒間ためらってから周囲を見回し、ある一点で視線を止める。

「あそこ。あのトイレで着替える」
「わかった」

 相槌を打った直後、上条は我が耳を疑った。

「アンタも着いて来て」

 まっすぐ目を覗き込んで、美琴はそう言ったのだ。



「紙袋を持って、そう。で、アンタはこっちを見ないで」

 公衆トイレの個室は言うまでもなく一人用だ。
車椅子に乗ったまま入ることが可能な作りであればまだしも、
一般的な洋式の便座が置かれたところで二人が向かい合う機会は極めて稀で、
用を足すという本来の目的からすれば問題ない広さのはずだった。

 だが、今この女性用トイレの一室はまったく別の用途に使われようとしている。

「むちゃを言うなって。いや、待ってください御坂さん!
私めは別にそのあなたのまぶしい肌を見たいとか、
そんな大それたことを考えたりしたわけでは……ぶっ」
「ちょっと、静かにしてよ。誰かに聞こえたらどうすんの」

 掲げていた紙袋を顔面に押しつけられて沈黙する上条に、美琴は声を落として早口に言う。
ここで通報でもされた日にはすべてが水の泡で、
それならまだ白井に頭を下げた方がマシと言うものだ。

「しかし、俺もここに入る必要はあったのかよ」
「だって、しょうがないじゃない」

 実は、そうした自分に彼女は驚いていた。
見るなと言っておきながら、彼をわざわざこの中に付き合わせたのは美琴である。

(もう、わけがわかんない。どうしちゃったんだろう、私)

 戸惑いを覚えているのは確かだ。
だが、えも言われぬ高ぶりを感じているのも、また隠しようのない事実だった。

(これじゃあただのヘンタイじゃない。ああ、もう!)

 急激に燃え上がった羞恥心に少女が頭を抱えて悶えていると、
上条が気遣わしげに問いかけてくる。

「大丈夫か? 何なら外で待ってるけど」
「いいからアンタはそこに居て」

 美琴は頬を赤らめたまま鋭い口調で言った。

「ちょろっとでも見たら殺すわ。でも、見るだけだからね。触ったら、許さないんだから」
「へ……?」

 矛盾した発言をしたことに、彼女は気づいているのかどうか。
ぽかんとした顔の上条に、少女は小声で怒鳴りつけた。

「わかったら、返事は?!」
「は、はい!」

 これはいつの間にか立場は逆転しているように見えて、そうではない。
本人にその意識はないだろうが、彼女は懇願しているのだ。
すぐそばに居てください、私を見てください、と。



 弱々しい電球の光は思いの他開錠作業を難航させていた。

「暗くて鍵穴がよく見えないわ。肩を借りるわよ、この上に立つから」
「それはいいけど大丈夫かよ」

 約束どおり少女の体をなるべく見ないようにしていた上条は、
ちらりと視界の隅に映った乙女の起伏にどぎまぎしていた。
その時、彼はふとあることに思い至って声を上げる。

「ちょっと待て御坂、よく考えたらこんなところで鍵を外して着替えはどうするん……」
「え、バカ、急に動いたら……きゃっ」

 あわてて股間の辺りを手で覆おうとしたことでバランスを崩した美琴は、
あわや倒れそうになったところをかろうじて少年に肩口を支えられて息をついた。

 だが、彼女は自分の手元を見た途端に絶句する。

「どうしたんだ、御坂」

 呼びかけられても美琴からの返事はない。正確には、にわかに答えられなかった。

 何故なら、今の騒ぎで鍵の根元から先が取れてしまったのだ。

「鍵、折れちゃった」

 黒髪の少年はあまりのことにかける言葉が見つからず、
マジかよ、とつぶやくことしかできない。

 その時、ふるふると少女の唇が震えて涙の雫が幾つも頬を転がり落ちる。

「……ひっく、うう……」

 張り詰めていた糸が切れてしまったかのように、
呆気に取られる上条の前で美琴はわんわんと泣き出してしまった。



「御坂」
「……なによ」

 すんすんと鼻をすすりながらむくれた顔で応えてくる少女に、
黒髪の少年は無言でハンカチを手渡し、静かに瞼を閉ざした。
恥も外聞もなく思いきり泣き喚いたせいで、美琴の顔はぐしゃぐしゃだった。
目は腫れているし、垂れているのは涙ばかりでない。
じろじろと見つめるのは気の毒に思えたのだ。

 この時上条は一緒に嘆くこともできたのだが、それとは別の選択肢を手に入れていた。

(不幸ばかりの毎日だが、ちっとはいいこともあるもんだ)

 どういうわけか後ろのポケットに入っていたニッパーを取り出して、黒髪の少年は笑う。
幸い、ここには同じ物が二つある。それを交換しようというのだ。

「俺が壊した、ってことにする。だからお前はこれを着て帰れ。もう鍵をかけるんじゃねえぞ」
「……でも、それは借り物だって」

 上条は優しい表情でかぶりを振ると、美琴の肩をぽんぽんと叩いた。
物は弁償すれば済む。しかし傷ついた心は、金銭では癒せない。

「いいからじっとしてろ。早くしねえと白井が帰ってくるだろ?」
「わかった」

 要所をつなぎとめる着衣の一部を真顔でせっせと切り始めた少年を見て、
常盤台の少女はぎゅっと眉を寄せつつもようやく笑顔を取り戻す。

「ありがとう」

 この後タクシーで美琴を女子寮の近くまで送ってから自室に帰り着いた上条は、
純白シスターの健康的な歯による手厚い洗礼を受けたのだった。


 こうして、上条当麻と御坂美琴にとって長かった一日は幕を下ろしたのである。




To be continued...

ver.1.00 09/07/27
ver.1.53 09/07/30

〜とある乙女の恥的好奇心・舞台裏〜

 すべてを元通りに片付けた美琴は、
さっとシャワーを浴びると明かりを落としてまっすぐベッドに向かった。
立っているのも億劫なくらい、心身ともに疲れ果てていたのである。
だがそれは決して不快なものではない。筆舌に尽くし難い程の充足感と、解放感があった。

(夢、じゃないのよね)

 美琴は仰向けに寝そべったままわずかに瞼を持ち上げて、視線を宙にさまよわせる。
こんな経験は初めてだった。とても現実とは思えない出来事の連続だったのだ。

(……アイツ、びっくりしたわよね)

 いつからか自分で自分がわからなくなっていた。
そもそも、何を思ってあの服を着ようと思ったのか。

 その時、扉が開いてぱっと室内が明るくなった。
美琴はまぶしさから反射的に目を閉じながら、後輩が帰ってきたのだとぼんやり思う。
そういえば今は何時だろうか。帰ってから一度も時計を見ていないことに気づく。

 そうするうち、部屋に入ってきた白井が息を飲む気配が伝わってきた。

「お姉様、おやすみですの?」

 美琴は一瞬返事をしようと思ったが結局何も答えず、
程なくツインテールのルームメイトは洗面所へと移動する。
普段から暴走することの多い白井ではあるが、
こういう時は無遠慮に顔を覗き込もうとはしないだけの分別と気遣いはあるようだ。

「仕方ありませんわね。すっかり遅くなってしまいましたし」

 部屋の向こうで後輩がつぶやく語を聞き流しながら、常盤台のエースはそっと息を吐いた。

(今日は本当に疲れちゃった)

 どれだけハードな授業や特訓の後でも、こうはなるまい。
今は指一本動かすことすら遠慮したい気分だった。

(何だかんだ言って、またアイツに助けられたし)

 微かに上気した頬を小さく緩めて、得体の知れない感覚がすっと少女の胸を過ぎる。

(……なんかもう、色々とスゴかったし)

 美琴は我知らずペロリと口の端を舐めて、先ほどよりも幾らか熱を帯びた吐息を漏らす。
だが、心は高ぶることよりも休息を欲しているようで、
すぐに思考はもやがかかったようにぼやけていく。

(……なんか、考えるのもだるくなって……き……)

 そのまま気だるさに身を任せるうちいつしか彼女は深い眠りについていた。



次回予告
 能力測定で好成績を叩き出した美琴は、その理由をはっきりと理解していた。
以前検査士の女性からもらったアドバイスどおり、やはり『息抜き』は大事なのだ。
(またアイツにお願いして……って、何を考えているのよ私は!
もう、バカバカバカ! 私のバカ!)
 少女の思いとは裏腹に、否、美琴の望みどおり育性ゲームは再び幕を開く。

第4話「“拘束"違反?!(仮)」

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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