「ただいまー」

 常盤台中学校・女子寮の自室へと帰った茶髪の少女は、肩に手の甲を押しつける格好で担いでいた鞄を椅子の上に置くと、これ以上目を開け続けているのが億劫だとでも言うかのように、気だるげに瞼を下ろして深く息を吐いた。

 白い半袖のブラウスにベージュ色のサマーセーター、更には灰色のプリーツスカートで構成される制服に身を包んだショートカットの彼女の名前は御坂美琴、学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の第三位だ。
校内はもちろん、女学生ばかりが住まう学び舎の園においても一目置かれ、かつ、朗らかで分け隔てのない性格から多くの者に慕われている。
しかし、今日ばかりは著しく精彩を欠いていた。

 どれくらい、目を閉じていただろうか。
そんな事を考えて、同時にあまりにも静かすぎる事に気がつく。
いつもなら、何かしらの反応があってしかるべきだと言うのに、物音一つしないのだ。

「黒子?」

 ぽつりとつぶやいてから美琴は思い出したように部屋を見回し、浮かんだのは今朝、出がけにルームメイトの白井黒子が口にした言葉だった。

『本日は風紀委員(ジャッジメント)活動は非番ですの。ですからわたくし、お姉様の帰りをお待ちしていますわ』

 適当に受け流していたが、まだ外にいるという事は、もしかすると急な呼び出しがあったのかもしれない。

 茶髪の少女は苦笑した。

(らしくないわよ、御坂美琴)

 だが、内心つぶやきとは裏腹に浮かぶのは自嘲的な笑みばかりだ。
意識するまでもなく人の気配がない事くらい容易に知覚できたはずなのに、それができなかったのは何故か。

「……本当、らしくないわよね」

 気落ちしているという自覚はあった。原因もはっきりしている。
今日の、能力測定の結果が思わしくなかったのだ。

(横ばい、か)

 これまで、能力が伸びないという事はなかったと言っても過言ではない。
無論、波はあった。しかしながら、飛躍的に計測値が上昇する事もあればほとんど変わらない事はあっても、常に彼女の能力は右肩上がりだったのである。

 しかし、今回は前回とまったく同じ数値が弾き出された。
立て続けに伸びなかった訳ではないのだから、あまり気にする事はない、とは考えられなかった。
数字が伸び悩む傾向はあったが、ここ数回は特にその傾向が顕著となり、ついに横ばいとなったのだ。

(こういうのって、よく聞く壁ってヤツなのかしら)

 第三位の少女はすぐに着替えるのがひどく面倒に感じられて、そのままふらふらとベッドに身を投げ出した。
自分でもらしくはないと思いながらも、ついため息が漏れてしまう。
その時、唐突にツンツン頭の少年が頭に浮かぶ。
(それとも、私が沈んでいるのは上条当麻(あいつ)……って、 そんなわけないじゃない。あー、アホらしい。どうして私があんなヤツのためにうじうじ悩まなくちゃいけないのよ)

 美琴はシーツに伏せていた顔を軽く浮かせると、頭の中から幻想殺しの少年を追い出そうとするかのように激しくかぶりを振った。
胸の奥がちくりと痛むのを無視して、つい三十分ほど前の出来事を思い出す。

 あれは、打ち出された用紙に記された数字を確認していた時のことだ。

『はっきり言ってあなたは天才よ。努力の人。まったく同じ能力と才能を持っていたとしても、あなたのように超能力者(レベル5)へと到達できる人はまずいないでしょうね。それが、今は裏目に出ているのかもしれないわね。思うに御坂さん、あなたは生真面目なタイプだから息抜きも必要よ。たまには思いきりハメを外しなさい。無駄なようでそれが次のステップへの近道じゃないかしら』

 判定の後、検査士の女性が明るく言ってくれた台詞だった。

(自分では適度にリラックスできてるつもりなんだけど……。ハメを外せって言われても、何をすればいいのやら)

 後輩に絶大な人気があるのは、彼女が学園都市の頂点付近にいるからではない。
御坂美琴は面倒見がよく、成績の優秀さを鼻に掛けるところもなく、気さくで情に厚く、どこまでもまっすぐで竹を割ったような性格で愛想がよくて度胸もある。
加えてまだ年齢的にかわいらしさが勝つため美人と呼ばれることはないが、将来性は大いに期待ができる整った顔立ちの持ち主だ。

 自身のために、何より手の届く範囲で周りの人たちが笑顔でいられるための努力を惜しまない。
本人に自覚があるかどうかはさておいて、申し分のない優等生が広く愛されない理由を見出す方が難しいのではないだろうか。

(私って、そんなに生真面目なのかな)

 美琴は内心独りごちて、何度目かの吐息を漏らす。
張り詰めた糸は切れやすい、と女性検査士は警告しておきたかったのだろうか。

(確かに、一心不乱に能力を上げる事ばかり考えていたような気はするけど)

 と、電撃使いの少女の目がある一点で停止した。
クローゼットがわずかに開いているのを発見したからだ。

「……黒子ったら」

 美琴はぽつりとつぶやいて、わずかに頬を緩めた。
あのツインテールの後輩はきっちりしているようで意外に抜けている部分もある。
急いで出て行く用事があったのかもしれない。
ともかく、ここは何事もなかったかのように閉めておくのが優しさというものだろう。

 しかし、第三位の少女はクローゼットに手をかけようとして小さく目を瞬かせた。
隙間から、わずかに紙袋の端が覗いているのだ。

 無理やり押し込むわけにもいかず、いったん外に取り出そうとして美琴は絶句した。
ばさりと床に落ちてしまった袋からとんでもないものが飛び出してきたのである。

「なななな……」

 壊れてしまったCDプレイヤーのように同じ音をひたすら繰り返しつつ、少女は我が目を疑った。今、自分が目にしているものが信じられなかった。

 端的に言えば、それは服だった。素材は革で、露出度が高い。
それだけならただ白井を「変態」扱いするだけでよかったのだが、これはどう考えても尋常な代物ではない。

(何を考えてるのよアイツ……!)

 実際に見るのは初めてだったものの、往々にして年頃の女の子は耳年増であることが多いその例に漏れず、今目にしているものが何かわかってしまった。
これは、SM用のグッズなのだ。

 一人で着て楽しむためのものではないという決定的な証拠は、股間を覆う部分にあった。
鍵が付いているのだ。おそらく一度閉めたら最後、取り外しが効かなくなるのだろう。
つまり、装着者は鍵を握る相手に運命を委ねる事になるのだ。

(ここが寮だってこと、本当にわかってんのかしら)

 美琴は顔全体を桜色に染めながら、けしからぬ代物にしげしげと見入っていた。
人目を気にする必要がない特殊な状況が、彼女に好奇心を押さえることから目を背けさせたのである。

(……要は、拘束具よね)

 映像は見たことはないものの、そういうプレイの存在は知っていた。
ろくに身動きが取れないようにして、ねちねちと言葉で攻めたり放置してみたり、やっている方もされる方も何が楽しいのかまったくわからないという認識しかなかったが、

(これ、着てみたらどうなるんだろう)

 胸中つぶやいた直後、ぞくりと美琴の背筋を何かが駆け抜けた。
それは自身が操る電流のそれとはまた違う、得もいわれぬ感覚だった。

 と、電撃使いの少女はベッドの上に転がった携帯電話がメールを受信している事に気づいた。
フリップを開くと「親愛なるお姉様へ」というタイトルが目に入る。

『今日の帰りは少し遅くなってしまいますが、必ず戻ります。お姉様のお声を聞かないまま一日を過ごすなんて、耐えられませんので。それでは、また連絡しますね。 黒子』

 美琴は息を飲んで、固まってしまったかのように動きを止めた。
しばらくルームメイトの後輩は帰って来ない。完全に一人きりなのだ。

 そう考えた途端、悪魔の囁きが聞こえてきた。
今ならこの服を試すことができるではないか、と。

 後から思えば魔が差したとしか言いようがない。
この後どんな運命が自身に降りかかる事になるのか、常盤台のエースはろくに考えもせず生唾を飲む。

(着るだけ。着てみるだけだから)

 こんなところに置いておく方が悪いのよ、美琴は顔を赤くしたまま胸の中で責任を転嫁する。
元の状態に戻しておけば、白井に勘付かれる事はない。
つまり、まったくリスクを負わずに済む。

(一応、カーテンは閉めておくか)

 常盤台のほぼ全生徒から憧れられている茶色い髪の少女は、そそくさと動いて下準備を整えると手早く制服を脱ぎ始めた。
畳む間を惜しむかのようにベッドの上にそれらを放り出し、下腹部を覆う下着一枚になったところで改めて皮製の際どい衣服を取り上げる。

「……ええと、こうかしら」

 美琴はベッドの端に腰を下ろしてまず足を通した。
その後は服を持ち上げて腕を通し、ベルトのような紐を肩にかければ完了だ。

(うわ……スゴ)

 自身の体を見下ろして、少女は反射的に手のひらで口元を覆った。
なだらかな曲線を描く双丘はきっちり収まっている。
ただ、あまりに露出する肌の面積が広かった。
背中はほとんど裸に近い。いつか見た、白井のハレンチそのものだった水着を思い出させる格好だ。

(でも、どうして私にぴったりなわけ?)

 当然ながら白井に採寸された事はなく、もし頼まれたとしてもさせる事はないだろう。
それなのに、まるで最初から彼女のために誂えられたかのようなフィット感だった。

(それって……)

 実際に計ったわけでないならば、答えは一つしかない。
外からの見た目でサイズを把握していたということになる。

(アイツ、私をどんな目で見てるのよ)

 頭に浮かんだ後輩を変態、と三度口の中で罵ってから、美琴は思わずこめかみを押さえた。
とはいえ、今の自分はとても人の事を言えはしないのだが、それにはあえて目をつぶる。
そうしなければ、きっと羞恥のあまり窓から飛び降りたくなってしまう。

 では、全体像はどうなっているのか。
振り返って、少女はゆっくりと目を開いた。

(……これが、私)

 姿鏡に映る己の姿を目にした彼女は変な声を漏らしかけて、あわてて唇をかみ締める。

 あまりにも淫らな衣装だった。
ぎりぎりまで布地を減らしたものよりも、よほど淫靡に映る。
まだ少女を抜けきらない体であるのに、この服は女性である事を強要させるのだ。

 そして何より、この鍵だ。これを閉めれば、一人で脱ぐ事ができなくなる。

(……っ)

 あまりにも刺激的な妄想だった。
指を数センチ動かすだけでそれは実現してしまう。

 その時だった。
扉をドンドンドンと早いテンポでノックする音が静かな部屋に鳴り響く。

「ッ!?」

 驚いた美琴はびくりと体を震わせた。
その拍子に、鍵はしっかりとかかってしまった。


「御坂、白井、両者ともいないのか?」

 寮監の冷ややかなまなざしに、美琴はにっこりと愛想よく笑顔を振りまいた。

「いえ、居ます。ちゃんと帰ってます」
「遅かったな」
「すみません、ちょっとお花摘みに行ってまして……」

 今日は常にも増して恭順姿勢で応じなければならない。
取りあえず羽織ったダッフルコートの下はとんでもない事になっている。
万に一つも知られるわけにはいかなかった。

「白井はどうした」

 じろり、と寮監の目が薄く開いた扉から室内へと向けられた。
「はい。風紀委員(ジャッジメント)の仕事で出ています」
「報告は出ていないが」
「緊急の招集なのではないでしょうか。その後、一切連絡が取れなくなってしまいましたし」

 心臓をばくばく言わせながらも常盤台のエースは努めて冷静に返事をする。
しくじれば色んな意味で終わりだと、わかっているからだ。

「わかった。お前の言い分には一理ある。後で本人から事情を聞くとしよう」
「ありがとうございます」

 しかし、美琴がほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、寮監は鋭いまなざしで見下ろしてきた。

「ところで御坂」
「はい」

 驚異的な精神力でかろうじてほほえみを維持する少女は、次の瞬間表情筋が崩壊するのではないかと思った。

「お前はコートを着たままトイレに入る習慣があるのか?」
「それは」

 しかも、真冬でもないのにコートを羽織っているのだ。不審に思われても仕方がない。
美琴は真っ白になりかけた頭に総動員を掛けた。

 何か道はあるはずだ。

「が、我慢できなかったんです」

 苦しすぎる言い訳は、恥らいの表情によって正当性を得た。

「まあいい。後で白井に私のところへ来るように伝えておけ」
「わかりました」

 思わずへたり込みそうになる美琴だったが、事態は解決していない。
この服をどうやって外せばいいのか。問題はその一点に尽きた。



 ここ第七学区のとある男子寮には一組の男女が住んでいる。
一人は学園都市の住人、無能力(レベル0)の烙印を押されている黒髪の少年、もう一人はイギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会(ネセサリウス)』に所属する、銀髪碧眼のシスターだ。
さる事情があってふたりはこのような生活を送ることになったのだが、ここでは説明を省く。

 同居人のインデックスが姫神たちと出かけているため部屋で一人ボーっと過ごしていた上条は、瞼の重さを意識した途端、特にすることがないためテーブルに突っ伏して一眠りしようとしていたのだが、不意にドアをノックする音が聞こえてきた。

(誰だ?)

 純白シスターであれば扉を開けて「ただいまー」と言うに決まっている。
今日は誰とも約束をしておらず、思い当たる人物がなかった。

 上条は後ろ頭を軽くかいて立ち上がると入口へと向かう。
そして、のぞき窓で来客が何者かを確認することなく施錠されていないドアをおもむろに開いた。

「土御門?」
「よお、上やん」

 サングラスのブリッジを中指で押し上げつつ、土御門はニヤリと笑う。
また魔術サイド絡みの厄介ごとだろうか。

 その思いは上条の顔に表れたらしく、
科学と魔術、両方のスパイである金髪の少年はひらひらと手を振った。

「違うちがう、今日はそういう用事じゃないから眉間にしわを寄せないで欲しいにゃー」

 では、一体何なのだろう。
作りすぎた食事を持ってきたわけでもなさそうだし、と黒髪の少年は隣人が大きな紙袋を提げていることに気づく。

「すまん。何も言わずこれを預かっていて欲しい」
「これ?」

 無造作に手渡されたものの中身を何の気なしに覗き込んで、幻想殺しの少年は一瞬の沈黙をはさんで赤面した。

「おま、これって」
「ああ、SMに使う服ぜよ。露出度もさることながら、頑丈さはお墨付きだ」

 皮製の、いわゆるボンデージと呼ばれるものだ。
他にも麻だろうか、一くくりにされた縄など様々な道具が収められている。

「いや、そうじゃなくて」
「鍵が付いていて、そう簡単には外せない作りになっている」

 どういう用途でこんなものを持っているのかは聞くだけやぼというものだが、それにしても使う相手のことを考えると頬の熱が引かない上条だった。

「実は舞夏が急に戻ってくることが決まってな。こうして頼みにやって来たわけぜよ」

 両手を合わせて深く頭を下げる金髪の隣人に、黒髪の少年は無言で応える。
どうやら本当に困っているらしいことは伝わってきた。
そして、基本的に上条は頼まれたら断れない性格である。

「というわけで上やん、預かっておいてもらえるかにゃー?」
「ああ、わかった」

 幻想殺しの少年は苦笑しつつもはっきりとうなずいた。
さすがにあの気のいいメイド候補生にこういうグッズを見せるのはどうかと思う。

「マジで助かるぜよ。この借りは必ず返すぜ上やん」
「わかったからしがみつくなって。でも、できるだけ早く取りに来てくれよ」
「ああ、約束する」

 土御門に熱烈な握手を求められながら、上条は苦笑いを深くする。
万一インデックスが見つけたら、あるいは他の誰かに見つけられたとしたら、どんな言い訳をすればいいのか検討もつかない。

 とはいえ、押入れの奥にしまい込めばそう簡単に彼女の目に触れることはあるまい。

「お礼と言っちゃあなんだが、適当に使ってくれても構わないぜよ」
「使うかよ!」

 思わず声を張り上げてしまう上条だった。



第2話「重い代償」へ

ver.1.00 09/06/20
ver.1.80 13/07/27

〜とある乙女の“恥的”好奇心・舞台裏〜

「あいさ、この服は何?」

 とあるアパートの一室で、
純白シスターの問いかけに巫女装束に身を包んだ黒髪の少女はわずかに目を見開いた。

「それは。小萌先生のもの」

 無造作に置かれた紙袋に入っているのは、水着並に布地面積の狭い皮製の服、リングでつないだ皮の帯がついた穴の開いたピンポン玉のようなもの、それから鞭だ。

「へえ、こもえの? 他にも色々入っているけど、全部そうなの?」

 姫神の方へと首だけで振り向いて、インデックスは不思議そうに言った。
形状はさておき服は着るためのものだが、他の道具はまったく用途がよくわからない。
少なくとも彼女が知る限りでは小萌が日常生活で鞭を振るっていたことはないし、ピンポン玉で壁打ちを繰り返す卓球レディだったこともなく、
教職に就いているせいか 極めて露出度が低い格好しか目にすることがないためピンとこないのだ。
ただ、これらを並べてみると何故か拷問道具のようにも思えてくる。

 銀髪碧眼の少女はまさかそれが答えにつながるものとは考えず、

「むしゃくしゃして。勢いで買ってしまったと言っていた」

 淡々と言う姫神の顔が心なしか上気していることにも特に疑問を抱かなかった。

「ヘンなの」

 結局解答が示されなかったため、
小首を傾げつつ純白シスターは畳の上に広げた奇妙な三点セットに改めて視線を落とす。
そこで、あることに気づいた。

「でも、こもえが着るにはちょっと大きすぎるかも」

 広げて自分の体と重ねてみるとよくわかる。
これは明らかに大人が着用するためのものだ。
ちなみにここで言う大人とは、体格の面で標準的なことを指している。

「ところであいさはこれが何に使われるものか知ってる?」
「それは」

 姫神はまっすぐなまなざしを正視しかねて、思わず目を泳がせた。
言うべきか、言わざるべきか。選んだ答えは虚偽の申し出だった。

「知らない」
「ふうん」

 人を疑うことを知らないインデックスはあっさりと友人の言葉を鵜呑みにする。

 だが、世の中には知らない方がいいことがあるのだ。



 今回は今までのものと毛色の違うお話です。
主人公はご覧のとおり美琴ですが、登場キャラは本編ベースとなります。
色々と限界に挑戦してみたいと思っていますので、どうぞお付き合いくださいませ。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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