前編
「はは、こりゃ完全に二、三本はイっただろ!」
白井の胸元に蹴りが当たると同時、ガン、とコンクリートに金属バットを叩き付けたような高い音が響いて、羽交い絞めにしていた短髪は興奮気味に快哉を叫んだ。
いくら男より脂肪の厚みがあると言っても、体越しに伝わって来た反動から察するに、ヒビどころでは済むまい。まず、再起不能である。
「ひーほゥ! それにしてもこいつは思わぬ収穫だな、兄貴! こいつ、もうろくに動けやしねえよ。早速その辺りのビルにでも連れ込もうぜ!」
短髪は腕の中の少女が糸の切れた操り人形のごとく脱力して崩れ落ちるようとするのを適当に支えながら、される側にとっては悪夢そのものの妄想を脳内で膨らませていやらしく口元を歪める。
だが、
「前は兄貴に譲るとして、後ろの初めては俺にくれよ、なあ、いいだろ」
「阿呆が、何を浮かれてやがる。力を緩めるんじゃねえ、そのまま押さえてろ」
「へ?」
歯欠けは臨戦態勢を解いていない。
短髪は事態を把握しないまま、言われたとおり腕に力を込め直した。
「兄貴、まさかもう一発入れる気か? ま、生きてさえいりゃ別にいいけどさ、程々にしておいてくれよ。少しでも活きがいい方が楽しめると……」
「馬鹿野郎、さっきのは直撃してねえんだよ」
「それってどういう……?」
歯欠けは仲間の気が抜けた声の問いかけを無視し、数歩下がってから猛然とダッシュする。
しかし、再び足が振り上げられたその時、
「いくら力んでも無駄ですの」
死に体だったはずのツインテールの少女は短いつぶやきを残して忽然と姿を消してしまった。
「!?」
一体何が起こったのか。
短髪が呆けていられた時間は刹那と呼べる程短いものでしかなく、
「って、はぶあああぁぁぁッ」
自分に向かって迫り来る蹴り足に絶叫にも似た叫びを上げた。
気をつけよう、人は急に止まれない。
ほぼトップスピードに入っていた歯欠けのつま先は、不意に攻撃対象を失った結果、情けない悲鳴を上げる短髪の腹部に深々と突き刺さった。
(……危ないところでしたの)
すんでのところで同士討ちを誘発させた白井は生唾を飲みながらも、漫画か何かのように空の瓶ビールケースを吹き飛ばしつつ地面を転がっていく短髪を見て、難を逃れられた事に胸を撫で下ろす。
壁に衝突したところでようやく止まるまで、十メートル以上はあるだろうか。
一人の人間をまるで軽量プラスチックでできたおもちゃのように軽々と吹き飛ばす、その威力だけを見れば十分レベル3、あるいはそれ以上の能力と言って差し支えはない。
万一あの攻撃を食らっていたらと思うとぞっとする。
一方で、少女の心に怯えはなかった。
たとえどれだけ威力のある攻撃であっても、当たらなければどうという事はないと、彼女は本能的に知っているのである。
白井が持つ力は達人による一撃をも容易に回避することができる代物だ。
羽交い絞めにされた直後はあわてふためいてしまったために計算式を組むどころではなかったが、落ち着いてさえいればあらゆる危地からも一瞬で脱出することができる。
たとえ数人がかりで押さえ込まれようと、あるいは極端な話、壁の中に首から下を埋め込まれたとしても、空間移動の前では足止めにすらならない。
最上位のレベル5に次ぐ者たちに与えられる大能力者の称号は、伊達ではないのだ。
(とはいえ、初春のアドバイスがなければ、あそこに転がっていたのは、あるいはわたくしだったかもしれませんわね)
まったく人の言うことは素直に聞いておくべきですわ、と内心続けながら、白井は手に提げた鋼板と衝撃吸収素材が編み込んである鞄にそっと視線を落とした。
当然ながら、彼女が無事だったのには理由がある。蹴りを食らう直前、転移させた鞄を間にはさんで盾にすることでダメージを軽減したのだ。
いくらレベル4と言っても、体の作りは同世代の生徒と変わらない。
風紀委員である以上荒事に巻き込まれる可能性は高く、普段から体を鍛えてはいるが、後ろに身を引くこともできないあの状況下でまともに蹴られていれば、肋骨の一本や二本は確実に折れていたに違いなかった。
それも、
『疲れやストレスが溜まった状態ではどんなポカをやらかしてしまうかわかりませんからね。出撃時には鉄板かそれに準ずるものを仕込んだ鞄を持っておいてください』
先日初春から受けた忠告を聞き入れたおかげである。
(これは、何かおごってあげなくてはなりませんわね)
ツインテールの少女はほんの一瞬だけ口の端を微かに緩めてから、唇を真一文字に引き結んだ。
そのためには、この戦いを終わらせる必要がある。
「なかなかどうして、あんた戦い慣れてるな」
「わたくし、デスクワークよりもこうして体を動かす方が性に合っていますの」
軽口で応えつつ白井はゆっくりと歯欠けの方へと向き直った。
依然として敵の能力は不明なままであるが、あの蹴りに注意しつつ見極めていくしかない。
「そのようだな。どれだけ高位の能力者だろうが、実戦経験がなけりゃ今みたいな機転は利かせられないだろうよ」
楽しくてたまらない、そんな表情で笑みを深くする歯欠けの一挙手一投足に注意を払いつつ、ツインテールの少女は頭の中で検証を進めていく。
「おかげさまで、出動機会は山のようにありますし」
服を破ってまで立ち上がるつもりがないのか、かなわない相手と諦めたのか、金属矢による拘束を解こうともせず地に伏したままの長髪はさておき、問題は向こうで転がっている短髪である。
(あの状態から瞬時にわたくしを羽交い絞めにした、その事実を看過すればまたぞろ足をすくわれかねませんの)
あの男も長髪と同じ様に、直前まで地面に縫い止められていた。
それも、五十センチの高さから地面に叩きつけるというおまけつきであり、更にはまともに受け身を取ることもできなかったはずなのに、戒めを解いた上に平然と立ち上がってきたのである。
いくらタフな人間でもダメージがゼロになるわけではない。何か、他の要因があると考えるべきだろう。
(空間転移させることができたと言うことは、同系統の能力者という線は消えますわね。自重を操ったのだとすれば、落下のショックを和らげることは可能ですが……)
先ほどの事もある。短髪は気絶した振りをして、狸寝入りをしているかもしれない。
警戒を怠りあの男を背にすれば虚を衝かれる恐れがあった。
「改めて言いますが、降参していただけませんか?」
「生憎、こんな気分になれる相手はそういないからな。お断りするぜ」
準備体操のつもりか、首を回し、手をぶらぶらさせながら歯欠けはニヤリと口角を持ち上げ、
「あんた、名前は? 俺は『スキルアウト』の酒井剛毅」
「風紀委員活動第一七七支部所属、白井黒子」
双方の名乗りを合図に戦闘は再開された。
「甘いな」
太ももを狙い放った鉄の矢は、素早い動きによって出現ポイントを回避され、空しく地面に転がった。
白井の能力は任意の座標に自身の体を含めたあらゆるものを移動させる事ができるが、いったん手を離れてしまえば後からその位置を修正できない。
「体術ではかなわないと踏んで遠距離から無力化しようって魂胆だろうが、狙いが見えみえだ。こんな細い針を刺したくらいで俺を倒せるとでも思ってるのか?」
酒井は足元の矢を拾い上げると、指でつまんでひらひらと振ってみせた。
「言っておくが相手が女だからって容赦はしねえ。命までどうこうしようとは思わんが、満足に日常生活をエンジョイできなくなるくらいの後遺症は覚悟しておく事だ」
「脅しなら、効きませんわ」
ツインテールの風紀委員は目線を正面に固定したまま、スカートの上から手元に残った金属矢が残り二本である事を確認する。
これではフェイントを交えたところで歯欠けをかすめもしないだろう。
離れたところからちまちまと飛び道具を使ってもあの男に通じないことは明白であり、接近戦では相手に軍配が上がるかもしれないが、さりとて尻込みをしていては埒が明かない。
少女は腹をくくることにした。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。
「わたくしには戦うべき理由がありますもの。それを貫く覚悟も、また」
「では見せてもらおうか、白井黒子。あんたの言う覚悟ってヤツを」
言うが早いか歯欠けは前傾姿勢になってすさまじい速さで駆けて来た。
白井は慌てることなくすぐ隣にある自動販売機に設置されたゴミ箱の空き缶をまとめて転移、突然目の前に現れた物体に反応して速度が鈍ったのを見て取るや、今度は自身が空間移動する。
「!」
素早く左右を見渡す酒井の背後で着地するかのようなタイミングで立て続けに二度地を打つ音が聞こえたが、反射的に振り向いた先にはスチール製の空き缶があるのみだった。
「しまっ……」
陽動である事を悟り顔を歪める歯欠けの肩口へ常盤台の空間移動能力者は数メートル分の重力による加速を得たドロップキックを見舞う。
だが、男はたたらを踏んだのみでこらえると逆に少女の足をしっかりと捕らえ、
「へっへ、やるじゃねえかよ白井黒子。だがそんな蹴りは蚊が刺した程にも感じねえな!」
地面に叩きつけるべく力を込めようとして、大きくバランスを崩した。
忽然と、力を込める対象が手の中から消えたのである。
「ッ!?」
虚空に向かって腕を振り下ろす格好で前のめりになった酒井が驚愕する様を、斜め後ろ、死角となる位置に現れた白井は冷静に観察しながら次の動作に移った。
彼我の体格差を考慮するまでもなく肉弾戦が通じる相手ではないと踏んでの行動だ。
(もらいましたわ!)
しかし、ツインテールの少女が鉄製の矢を放とうとしたその時、
「そこだ!」
体勢を崩しながらも酒井は体をひねり強引に拳を振るってきた。
「え……」
顔を狙った一撃はかろうじて鞄で受け止めることができたものの、勢いまでは殺せず白井は机の上に放り出された鉛筆のごとく成す術もなくアスファルトの上を転がっていく。
天地が幾度もひっくり返る中、かろうじて頭をかばう事はできたものの、全身が擦り傷だらけになるのは防ぎようがなかった。
(……指は、動きますわね)
骨が無事だったのは、不幸中の幸いと思うより他はない。
最低限、自身のコンディションを確認したツインテールの風紀委員は痛みを無視して能力を行使し起立した。
この強敵の前で、いつまでも無防備な姿を晒し続けるのは危険過ぎる。
(しかし、今の動きは明らかに不自然でしたわ。まるでわたくしがそこに居ることがわかっていたかのように……)
確かに酒井は目標を見失っていたはずだ。
だが、バックハンドの一撃は狙いすましたかのように顔面へと向けられていた。
(……まさか)
白井は歯欠けの動きを押さえつつ一瞥した先で、戦力外とばかり思っていた一人があわてて目を反らすのを見た。
(長髪が動かなかったのは、動けなかったのではなく、動く必要がなかったという事ですの……?)
そうだとすれば、前提条件はまったく変わってくる。
状況から推測されるあの男の能力は、それほど多くはない。
(彼らは『スキルアウト』のメンバーでしたわね。わたくしの動きをチェックしていたということは、予知系ではなくおそらくは精神系の能力。思念伝達を使えば声を出さずにこちらの位置を歯欠けに伝えることができますわ)
白井は一瞬傷の痛みも忘れて歯噛みした。
いったん拘束した以上、視界に収めている限り挙動をつかめると警戒レベルを下げた結果がこれである。
蚊帳の外と決めつけ、完全に意識から抜け落ちていたのである。迂闊と言うより他はない。
「悪く思うなよ白井黒子、あんたは上位の能力者だ。これくらいのハンディは甘んじて受けてもらう」
「は、上等ですわ」
ツインテールの少女の答えが強がりに聞こえたのは無理からぬことで、実際体力はほとんど底をつきかけており、傷は決して軽いものではなかった。
それでも、彼女の心はまだ折れてはいない。
相手の武器は己の体、すなわち直接攻撃である。
拳ないしは蹴りを少女の体に叩き込まなければならない。
だがそれは、触れるだけで対象物を任意の座標に転移させる事が可能な白井にとって、またとないチャンスでもある。
これは一種の賭けだった。
まともに攻撃を食らって集中が途切れた場合や、土壇場で焦ってしまいしくじるケースも考えられる。
出たとこ勝負のぶっつけ本番、伸るか反るかの丁半ばくちで分のいいものではない。
ただ、酒井はそこまで覚悟を決めなければならない程の、かつてない難敵だった。
「何、苦しいのは一瞬だ。いたぶる趣味はない」
「わたくし、受け身は好みではありませんの」
白井は乾ききっていた唇を舌先で湿らせると、スタンスをわずかに広く取る。
壁を背にすることで相手が向かってくる方向を一つ潰したのだ。
(計算式の準備は整いましたわ。あとは落ち着いて実行するだけですの)
ツインテールの少女は心を静めるべく深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「いい目をしている」
酒井がニヤリと笑ったように見えたのは、気のせいだったのかどうか。
「行くぞ!」
歯欠けは真正面からやって来た。
顔面を打ち抜くつもりなのだろう、駆けながら大きく拳を振りかぶる。
「!」
さすがと言うべきか。
格闘技の経験はもちろん殴り合いのケンカもしたことがないお嬢様には早すぎる拳だったが、白井は意志の力で反射的に閉じそうになる目をかっと見開いて動きを追った。
いや、追おうとしていた。
「ッ」
受けるのか、避けるのか。
刹那の選択は強引に首を右側に倒す行動を白井に取らせ、今しがた彼女の顔があった空間を拳が貫く。
「るおぉッ!」
酒井は更に加速をかけて、獣のような叫びと共に体当たりを狙った。
このスピードと体格差ならば、一撃で失神させられると読んだのだろう。
しかし、タッチの差で白井が肩の上にあった腕を担ぎ上げるようにして能力を発動する方が早かった。
「あぐあァッ」
ごく短い空間移動の出現先、すなわちアスファルトの中に足首までを埋められた酒井は、文字通り足止めを食らってがくん、とたまらず地面に両手を突く。
その隙を白井が逃すはずはない。腰に忍ばせてあった手錠の、輪の部分を半分地面と重なるように転移させ歯欠けの右手首を拘束する。
そして、ツインテールの少女は近くにあったゴミ箱に手をかけた。
先ほど使ったアルミ缶を入れるものではなく、瓶が詰まったそれごと上空へ転移する。
(わたくしの体重に、これだけの重みがプラスされれば……!)
母なる大地は偉大だった。
重力の力を得て垂直に飛来する白井の一撃は、力士が放つぶちかましにも匹敵する威力を生んだのである。
手足を地面とつながれている酒井はこれを受け流すことはできず地面に倒れ伏し、リーダーが倒されたのを見るや長髪は即座に白旗を振った。
携帯電話で初春に連絡を入れて、警備員を呼んでもらった後、壁に背をもたせかける少女に酒井は苦笑と感嘆の混じったまなざしを向けていた。
「まったくたいした女だよあんた」
「同じことをもう一度やれと言われても、できるかどうか怪しいところですわ」
白井は肩をすくめて苦笑いをする。
むしろ、できることなら二度とさっきのような綱渡りはしたくないと思う。
(まあ、この仕事を続ける限りは無理な話かもしれませんが)
預けていた背を壁から離し、ツインテールの少女は愚痴っぽい思いを払うかのようにそっとかぶりを振った。
「ただ、あなたに油断がなければ結果はどちらに転んでいた事か」
「油断、だと?」
身に覚えがなかったのか、酒井は怪訝そうに片方の眉を持ち上げる。
「ええ」
白井は視線を晴れた空に向けつつ、小さく相槌を打った。
「昔、こんなことを言った人がいましたの。『勝利を確信した時、そいつはすでに負けている』と」
「なるほどな。俺に慢心がなかったと言えば嘘になる。その言葉、記憶に留めておこう」
得心がいったらしく、男は深々とうなずく。
「しかし、それだけの力がありながら、どうして有益な使い方ができないのか。本当、理解に苦しみますわ」
現れた警備員たちをぼんやりと眺めながらつぶやいた言葉は、はたして酒井に届いたのかどうか。
ともかく、こうして事件は終わった。
(初春が出動の話を伝えてくれたそうですが、こんな時間になってしまってはさすがにお帰りになっていますわね)
白井は空間移動を繰り返し、待ち合わせ場所に向かっていた。
義務ではないが事情聴取に協力したため、約束の時間から三時間近く経っている。
一応美琴に謝罪のメールを入れておいたのだが、返事をもらっていないため伝わったかどうかは確認できていない。
もしかするとすでに送り返されているものの、タイミング悪く転移の最中だったために受信できていないだけかもしれないが、いずれにせよ、今は一刻も早く先輩の元へ向かうことが彼女にとって最優先事項であった。
「!」
目視できる距離にあるコンビニの看板上に現れた白井は、数百メートル先によく知った憧れの人を発見し、思わず動きを止めた。
「お姉様……」
胸にそっと手を置いて、少女は愛しい人の名を口にする。
ずっと、待っていてくれたのだ。
沸き上がる喜びで、疲労がすべて吹き飛ぶようだった。
「お待たせいたしました、お姉様」
空を見上げていたレベル5の少女の前に、白井は忽然と現れた。
「……!」
不意を衝かれる形になったせいか、美琴の表情をまず驚きの感情が支配して、すぐに安堵のそれになる。
そのままルームメイトでもある後輩へ軽口交じりに笑いかけようとして、
「おう、お疲れー。結構手こずったのね……って」
さっと顔色が変わった。
「黒子、アンタ」
息を飲む先輩に、白井は努めて明るい声でひらひらと手を振ってみせる。
「たいしたことはありませんわ。見た目は少々派手ですが、かすり傷ばかりですから」
「かすり傷って、アンタね」
美琴の目にはよほど痛ましい姿に映っているらしい。
気遣わしげなまなざしは、自分が同じ傷を負うよりも辛い事と感じているように見える。
しかし、それはツインテールの少女にとって本意ではなかった。
御坂美琴に、憧れの先輩にそんな顔をさせたくてここにやって来たわけではない。
「では、がんばってきたご褒美にクレープを一口、いただけませんか?」
見たかったのは大好きなお姉様の笑顔、
「あとはお姉様からねぎらいの言葉をいただければ、黒子は幸せ絶頂ですわ」
ただそれだけなのだ。
「……安上がりね」
「ええ、本当に」
我ながら笑ってしまうくらい単純ですわ、と白井はくつくつと笑った。
つられて美琴も目を弓にし、一口かじっただけのクレープを後輩の口元へと持っていく。
それはとても麗しい光景に見えて、そうでもなかった。
「美味しいです、とても」
何故ならこの時ツインテールの少女は、緩みそうになる頬をと高笑いを上げたくなる気持ちを強靭な意志の力で押さえ込み、表情筋をほほえみの形に維持していたのである。
「いいわよ、一口と言わず全部食べてくれても」
「いえ、一口いただければ十分です」
そう、白井にとってはそれで、それだけで十分だった。
むしろ、そうしてもらうことに意味がある。
何故なら彼女が口をつけたものを美琴が食べることこそが最大の目的であり、
(わたくしだけではなく、お姉様までもが、わたくしと、かかか間接キッス……!)
傷ついた風紀委員の少女の眼前で無事、幸せの儀式は執り行われた。
クレープを食べ終えた常盤台のエースは、せっせとゴミを収集する自動機械の近くに丸めた紙くずを放り、輪郭が変わるほど頬を緩めきった後輩を見てぎょっとする。
「何よ、その顔」
すっかりご満悦なツインテールの少女が、頭の中で欲望丸出しの妄想を繰り広げていることなど知る由も無い美琴は、
「どうしちゃったの? にやにやしちゃって」
「うふふふふふふ、別に、何でもありませんわ、何でも、ほほほほ」
当人はおそらく気づいていないのだろう、半ば以上胸の内をさらけ出してしまっている白井の姿に一瞬だけ眉を寄せてから肩をすくめて、
「ま、いいわ」
口中つぶやくや否や、有無を言わさずしっかと後輩の腕をつかんでずんずん歩き出した。
脳内が花畑状態にあった空間転移の能力者はしばらくの間、疑問を抱くことなく連れられていたのだが、
「ところでお姉様、どこに向かっているんですの? 秋物のチェックですか、それとも新しい下着を……」
何の気なしに行き先をたずねて、
「は? 馬鹿言ってんじゃないわよ。アンタがこれから向かうのは病院」
「え?」
返ってきたすげない答えに目を丸くする。
「あの、ちょっとお姉様?」
「問答無用、一切の反論は受け付けないわ。それともまさか、そのひどい怪我を放っておくつもりだったわけ?」
怒りを声ににじませる先輩に、白井は何も言うことができなかった。
「そんな事、許さないわよ」
そう、ツインテールの少女が大好きな人は怒っていた。
「まったく。ヤバそうな相手なら、ちゃんと私を呼びなさいよね」
知らなかったとはいえ、ピンチに陥っていた後輩の手助けができなかった自分に御坂美琴は腹を立てていた。
後ろ姿しか見えない状況で先輩の内心など知る由もない白井は、それなら何も用事のないお姉様にわざわざ同行してもらう事もないのでは、遠慮がちに言おうとして、
「でも、お姉様は」
「一緒に行くわよ」
明確な意思が込められた美琴の返事を受けて沈黙する。
「腕のいい医者、知ってるから。すぐに治っちゃうわよ、跡形もなくね」
病院に行くなら徒歩よりも空間移動を使った方が断然早い。
しかし、こうして引いてくれる手を、心地よい温もりをどうして振り解くことができるだろう。
頑なに約束を守ろうとしてくれる人の腕を、払うことなどできはしない。できるはずがない。
レベル4の少女はカエルを思わせる顔立ちの医師を脳裏に浮かべつつ、ほんの少し白い歯をのぞかせた。
内容は大きく変わってしまったものの、先輩と一日を過ごすプランまでは変更せずに済みそうだ。
「あの方ですわね」
「そ、冥土帰し」
誰がつけたのかは知らないけれど、と美琴は目元を和ませて可笑しそうに言った。
もしかするとあの特徴的な顔を、好きなキャラクターと重ねたのかもしれない。
「あの、お姉様」
「うん?」
軽く振り返って視線を向けてくる美琴に、ツインテールの少女は心から感謝を込めて笑みかけた。
想いが、自然と口をついて転がり出る。
「わたくし、そんなお姉様が、大好きですわ」
「なっ……」
学園都市第三位のレベル5は絶句すると同時に頬を桜色に染め上げて、あわてて白井から顔を背けた。
「どっからそういう話につながるのよ」
前だけを向いて歩く美琴は、身もだえしたくなるような気恥ずかしさを覚えながら、後輩の手を離そうとはしなかった。
ver.1.00 08/11/18
ver.2.30 13/5/11
〜とある乙女の有終完美・舞台裏〜
インデックス:インデ 上条当麻:上条 姫神秋沙:姫神
それは、灼熱の陽射しが降り注ぐある夏の日のことだった。
インデ「とうまとうまとうま、このままだと私は乾いて死んじゃうかも」
上条 「あー、言うなインデックス。大丈夫だ、お前一人で逝かせやしねえ。その時はもれなく上条さんもミイラになってついてくる」
インデ「窓を全開にしても、全然涼しくならないし。いつからこの部屋は蒸し風呂になったわけ? ねえ、とうま。文明の利器なんて偉そうに言ってたけど、動かなくちゃ意味がないんだよ」
上条 「返す言葉もねえな。電気を通す回路が焼き切れちまってる以上、修理に出さなきゃいけないんだが、そんな金はねえし。そしたら俺たちに待つのは飢えて死ぬという選択肢だ。この際だからお前が選んでくれインデックス。どっちがいい?」
インデ「どっちもイヤに決まっているんだよ。どうしてそんないじわるなことを言うのかな、バカとうま!」
上条 「すまんすまん。変な冗談を言って悪かったよ。ごめん、この通り」
インデ「うー」
上条 「そうだな、かき氷でも食いに行くか。店内で涼めるところに」
インデ「まったく、とうまはすぐそうやって物で釣ろうとする。……で?」
上条 「いえ、あの話が見えないんですが。で、とはなんでせう」
インデ「そんなの決まっているんだよ」
ずい、と起伏に乏しい胸部を張って純白シスターは、ことさら真顔になって小さく顎を引いた。
インデ「練乳がついてくるのかどうかを聞いているの。あ、一応言っておくけど、つけて欲しいと言ってるんじゃないんだよ」
上条 「もちろんついてきますとも、姫」
インデ「もしかして、シロップのダブルも? ねえ、それって大盛りサービスつき?」
上条 「ああ、いいぞ。このところ色々と我慢させちまってるしな」
インデ「ほっほう。そこまで言うんだったら、行かないと失礼に当たっちゃうね。もちろん敬虔なる神の子羊である私は、暑さに参っていたりとか、小豆たっぷり宇治金時に目がくらんだりしているわけじゃないんだよ、とうま」
上条 「はいはい。しかし、これはヘタすりゃ熱中症になるな。途中で倒れることがないよう、念のため水分補給をしてから出かけるとするか。ほら、インデックス。お前もそれ以上乾かないよう鋭意努力をしてくれ」
インデ「うん、わかった。じゃあ、それもらってもいい?」
上条 「へ? これ、飲み差しだけどいいのか?」
インデ「飲み差しでもタコ刺しでも何でもいいの。とにかく飲むったら飲むんだよ、とうま」
上条 「まあ、お前がそう言うならいいんだけど」
インデ「んっんっん……ぷはぁ、生き返るぅ」
上条 「……」
インデ「あれ、どうしたのとうま。なんだか顔が赤いんだけど」
上条 「いや、なんでもねえよ」
インデ「そうかなあ。熱、ない? 大丈夫?」
上条 「いや、平気だから!」
気遣わしそうに顔を覗き込んでくるインデックスとの距離の近さと、わずかに濡れてどこか艶っぽく見えてしまうその唇に、幻想殺しの少年はますます顔を赤らめていく。
姫神 「もしそれを狙って言っていないのだとしたら。天然と言うよりは。ほとんど反則技」
そして、実は先ほどからテーブルの一角に陣取っていた巫女姿の少女は、ひたすら騒がしい二人を見つめながらぽつりとつぶやくのだった。
というわけで黒子のお話、後編でございます。
一度バトルに突入すると老若男女を問わず傷だらけになるのは、とある魔術の禁書目録ならでは、といったところでしょうか。
間接キスはお預けにする展開も考えたのですが、がんばった黒子へのご褒美ということで念願をかなえてあげることにしました。
更に関係を深められるかどうかは、ひとえに彼女の踏ん張りにかかっています。
当麻は異性なのでライバルではありますが共存も可能ですし、ね。
ちなみに出てきた不良と言いますか『スキルアウト』のメンバーはオリジナルです。
歯欠けこと酒井は無能力(レベル0)、名無しの長髪&短髪がレベル2といったところですね。
アニメ版のみしかご存じない方のために付け加えておきますと、彼ら『スキルアウト』は無能力者たちのグループ名です。
今のペースだと、禁書の第3期辺りで登場するでしょうか。
そこまでやるのかわかりませんし、あってもOVA版になるかもしれないですけれども。
それにしても、秋沙の声はなかなか雰囲気が出ているのではないでしょうか。
声をあててらっしゃる能登さんが演じてきた、これまでのふわふわ系とは少し違った系統のキャラですし、今後の活躍にも期待大です。
というわけで禁書シリーズは、DVDが必須(ブルーレイは映像機器がないのです!)ですよね。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。