「白井さん、えらく上機嫌ですね」

 とある昼下がり、校内の治安維持を担う風紀委員(ジャッジメント) 活動第一七七支部に、のんびりとした調子の甘ったるい声が響いた。
声をかけた色とりどりの花飾りを頭に乗せた短髪黒髪の女生徒はモニターに目を向けたまま、白井と呼ばれたツインテールの少女は書類の角を机で整えながら指摘されたとおり見るからに幸せそうな、緩みきった笑みで応える。

「ふふふ、今日はお姉様とデートですの」

 眼球の向きからすると確かに初春を捕えているはずであったが、どこか遠くを見るような眼差しの先にあるのは、今ではなく、他のメンバーが帰ってくるまでの待機時間を終えてから過ごすひと時であるのは疑うべくもない。
白井の舞い上がり様は相当なものらしく、この場でスキップをし始めかねない有様で、頬は臨界点を突破しそのままこぼれ落ちてもまったく不思議ではなかった。

「このところずっと立て込んでいましたので、一緒にウインドウショッピングを楽しむことすらできずにいましたが、ようやく、ようやく!」

 感情の高ぶりを抑えられなくなったのかツインテールの少女は、交差した両腕を巻きつけるような形で自身を抱きつつ髪を左右に振りみだし、
「ようやくお姉様とわたくしの都合がぴったり空きましたの。貝を合わせるように、ええ、まるで (つがい) のようにぴったりと! ですから、付きっきりですわ。今日は眠るまでずっと、お姉様尽くしですの! 並んで町を歩いたり、雰囲気次第では手を握ったりなんかして! そのまま勢いに乗じて喫茶店では『はい、あーん』という展開もありえますわ! 嗚呼!」

 焦点が定かではない瞳を潤ませ、うっすらと顔を赤らめた姿は恍惚状態と言っても過言ではなかった。

「あはは、はは」

 一人で際限なくヒートアップしていく同僚に、初春はどう言葉をかけたものかわからず、引きつった笑顔でお茶を濁している。

 とはいえ、気持ちはわからないでもない。
ここ最近の忙しさは尋常ではなく、風紀委員の誰もがトップアイドル顔負けの過密スケジュールが続いていたのである。
美琴と過ごす事はおろか、休みさえもろくに取れなかった日々を思えば、アッパー系の薬を使ったかのようにはしゃぎ回るのも無理はなかった。
 基本的にモニターとにらめっこをしている事が仕事の初春とは違って、ツインテールの大能力者(レベル4)空間移動(テレポート)という極めて有用性の高い能力を持っているが故に実働時間は半端でなく、荒事が頻発すれば格下の相手であるかどうかを問わず、立て続けの出動が生むストレスは計り知れない。

 かく言う花飾りの少女も、事件に関連する情報を得るためにひたすらキーボードを叩き続けたせいで、程度は軽いものの肘が腱鞘炎気味になっており、更には眼精疲労が原因と思われる頭痛に襲われていた。
いくらコンピューターに触れていられれば幸せと言っても、限度がある。さすがに今日はこのまま電源を落として帰りたいというのが本音である。

「では、本日の業務はここまでとしましょう。あとは固法先輩にお任せして……」

 遠目には花瓶を乗せているように見える風紀委員の少女は目を弓にしながら、同僚からスチール製の机に乗ったノートパソコンへと視線を移し、宣言どおりゆっくりと羽を休めて明日に備えるべく、スタートメニューからOSを終了させようとして、

(……あれ?)

 モニターが明滅している事に気づき、目を瞬かせた。
頭の隅で見なかった事にしようという悪魔の囁きを瞬時にねじ伏せポップアップしたウインドウをクリックすると、出動要請という文字と傷害事件が発生した辺りの地図が次々と表示されていく。

 あと数十秒もすれば帰路に着くことができたタイミングでの知らせに、思わず天を仰いでしまったのもむべなるかな。
かなう事なら犯人に自重を求めたい場面だが、聞き入れてくれる相手であれば苦労はしない。

 どれだけ疲れ果てていたとしてもそれはあくまでこちら側の事情であり、事件は待ってくれず、放置すれば被害はますます広がる恐れがある。
そして、近隣の学区を守る事は風紀委員の務めなのだ。

 きっかり三秒で気持ちを切り替えた初春は、壊れたままの相棒の方へ振り返った。

「あの、白井さん」
「うふふふふ……と、呼びましたか初春」

 この後に待つ予定がよほど楽しみなのだろう、白井の表情はどこまでも明るく、年頃の乙女そのものといったところか。
治安維持に従事するとはいえ、職業軍人ではない以上無理からぬことだった。

「白井さん」

 花飾りの少女は心の底から同情しつつも、言葉を続ける。
風紀委員を名乗る者が、無辜なる一般生徒が助けを求める声を無視することなどあってはならないのだ。

「あの、言いにくいんですが」
「!」

 浮かれきっていた白井であったが、皆まで言うのを待つ事なく事情を察した。
一日二日の付き合いではない親友の微妙な変化を感じとれない程、油断はしていない。

 だが、認め難い事実であった。

「まさかとは思いますが」
「そのまさかです」

 黒髪の同僚がうなずいた途端、ツインテールの少女がぐっと眉根を寄せる。

「複数人の暴漢が一般生徒を襲っているとの通報が」
「ちっ」

 白井は不愉快な思いを隠すつもりがないとみえて、はっきりと音に出して舌打ちをし、いら立たしげに髪を背の方へと払った。

「速攻で片付けて来ますわ。くそいまいましい暴漢風情がわたくしとお姉様のデートを邪魔するなんて、あり得ないにも程がありますの」

 万死に値しますわ、と口中独りごちてくるりと全身で初春を振り返ると同時、私情をできる限り胸の内から排除する。

 加害者を制裁するのはあくまでも警告の後、最初にするべき事は被害者の救済、戦うとしてもそれは自衛のためであって、私怨を晴らすために行くのではない。

「それで、場所はどこですの初春」

 鋭いまなざしでつぶやく白井は、骨の髄まで風紀委員だった。



「おらよ、さっさと出すモン出してもらおうじゃねえか。痛い目みるだけ損だろ?」

 ツインテールの少女が空間移動で駆けつけた現場から少し離れた路地裏で、犯人たちは一般学生から恐喝による金銭の略取を行おうとしていた。

 見たところ犯行グループは三名だが、他にも仲間がいる可能性は否定できない。
白井は素早く周囲に視線をやって人影の有無を確認してから、改めて件の連中に意識を戻した。

 左から順に中肉中背の歯が欠けた男、ひょろりと背の高い長髪の男、最後に腹回りの豊かな背の低い短髪の男、これみよがしになけなしの能力を誇示する事なく拳に訴えている点を鑑みるに、おそらくはレベル0、力を使えたとしてもせいぜい1か2クラスと判断する。

 無論、それを理由に彼女が甘く見るという事はない。
たとえ無能力であっても薬物や機械を使用する可能性はゼロではなく、想像を絶する修練の結果ある意味で“超”能力を有するに至った者も存在するからだ。
あるいはもっと手軽な手段として、小型の空気銃やスタンガンを隠し持っていることも十分に考えられる。

 これらの情報を意識しつつ、

「そこまでですわ」

 白井は五メートルほどの距離を置いて男たちと対峙した。
相手の力が判明しない内から不用意に近づくことを避け、出方を見るためである。

 人は見かけによらないとは言うが、見かけ通りの人間も存在する。
そもそも、まっとうな考えの持ち主であれば他人から金目の物を強奪しようとしないはずで、経験上、この手合いに話が通じた試しはないのだが、風紀委員は警告を発するところから始めなければならない。

 力による制圧はあくまでも最終手段であり、また、ルールに則って行使すべきものである。
そうしなければ、彼らのような無法者と何も変わらない。風紀委員、白井黒子はそう考える。

「なんだテメエは」
「風紀委員ですの」

 さらりと答えるツインテールの少女に、歯欠けが一瞬ぴくりと眉を持ち上げてから仲間の二人に呼びかけた。

「おい、聞いたかお前ら」
「は、このちびジャリが風紀委員だと? 何の冗談だそりゃ」

 下卑た笑い声を上げながら、長髪の男は可笑し味をこらえきれないのか体をくの字に折って膝の辺りを叩いている。

「いいじゃねえか、気が強そうでよ」

 隣の短髪はにわかに相好を崩し、にたにたと舐め回すような目つきで少女を見始めた。

「くく、風紀委員ってのはよほど人手が足りていないらしいな、おい」

 歯欠けは興味の対象を白井に移したらしく、浮かべる小馬鹿にしたような笑みはそのままに、つかんでいた男子生徒の胸倉を離してゆらりと体の向きを変える。
風紀委員の介入を受けてなお何ら悪びれた様子もみせないのは、罪の意識を持たないためか。
あるいは、新たな獲物が現れたくらいに考えているのだろう。

(確かに人手不足である事は否定できませんが)

 白井は軽く嘆息して、まなじりをわずかに吊り上げた。

「一度しか言いませんので耳をかっぽじってよくお聞きなさい」

 だが少女が前置きを口にした途端、男たちは間髪入れず野次を飛ばしてくる。

「何を聞かせてくれるってんだ? 艶っぽい声でも聞かせてくれるってか?」
「はは、このお嬢ちゃんには無理だろ」

 失礼極まりない台詞ではあったがいら立ちよりも呆れが勝り、

「……おとなしく罪を認め、お縄についていただけますか?」

 それでも白井はあくまで淡々と警告する。
艶声云々以前に、彼らが耳にする可能性自体を論じることすら阿呆らしい。
今のところ彼女が聞かせても良いと思える相手は敬愛するお姉様、御坂美琴ただ一人である。

「おいおい、腕章をつけたからって強くなれるワケじゃねえんだぞ、お嬢ちゃん」

 短髪は腹を揺らして笑いながら、長髪の腕を手の甲でぺしぺしと叩き始めた。
なるほど、見かけで判断するならば細腕の白井に勝ち目などあるはずがない。
もしかすると正義感を持つ者が必ず勝利する、そんな妄想を抱く少女に厳しい現実を教えてやろう、とさえ考えているのかもしれなかった。

「それよか、ありゃあ常盤台の制服だろ? 今とっ捕まえていたボンクラよかよっぽど金になるんじゃね?」

 もはや処置なしと言ったところか。

 ツインテールの少女はそっと息を吐き、男たちを見据えた。

「仕方ありませんわね」
「なっ……消えた!?」

 白井が視界から忽然と消えたことに、三人は一様に驚き目を見開く。

 その時、彼女が居たのは先ほどまでの立ち位置から見て手前にいる歯欠けの後方、向かって右側に立つ長髪の上空きっかり三メートルの位置だ。

 白井黒子は自らの体を含むあらゆるものを、触れさえすれば任意の場所に転移させる事ができる。
力の及ぶ限界距離である八十メートルに近づけばある程度の誤差は生じてしまうが、近接戦闘時ならばほぼ百パーセント、ミリ単位のずれもない正確さで、だ。

「能力者か!」

 ようやく異能の力が振るわれたことに思い至ったらしく、歯欠けが唾を飛ばしながら叫ぶ。

 その光景を静かに見下ろしながら、

「……ばはッ」

 三メートル分の重力エネルギーを得た白井の蹴りが容赦なく肩口に振り下ろされて、長髪はたたらを踏んで前のめりに倒れた。
白井は引力に任せて落下しながらその背に触れ、能力を行使し地面に叩き伏せると、隣でまだ事態を把握できずに混乱している短髪を倒れた男の上方五十センチの位置に転移、二人まとめて衣服を数箇所、太ももに仕込んだ鉄製の矢を使って地面に縫い止め動きを封じる。

 この間、行動を開始してからわずか五秒足らず。

(あと一人、ですわ)

 しかしツインテールの少女に慢心はない。
冷静に、着実に詰めの一手を打ちにかかる。

(これで)

 否、本人としてはそのつもりだった。
今、この戦いに全神経を集中させている気になっていた。

(終わりですの!)

 頭のどこかでこの後に控える約束の事など、考えてはいけない場面だった。
何故なら、相手はまだ再起不能になったわけではないのだから。

 こうして、一瞬の、いや、刹那の隙が生まれてしまった。

「ッ!?」

 見当違いの方向に注目している歯欠けの背後に駆け寄ろうとした次の瞬間、白井は突然金縛りにあったかのように身動きが取れなくなった。

「な……」

 後ろから羽交い絞めにされたのだと気づいた時、敵はすでに行動を開始していた。

「兄貴、今だ!」
「おうよ」

 振り向いた歯欠けは全身のバネを利用し加速をかけながら、奥歯まで見せる哄笑と共に立ちすくむ白井の胸部に手加減無しの蹴りを叩き込んだ。




後編

ver.1.00 08/11/05
ver.2.00 13/5/2

〜とある乙女の有終完美・舞台裏〜

インデックス:インデ 上条当麻:上条

上条 「しかしこの能力って使い勝手が抜群に良いよな」
インデ「それって空間移動のこと?」
上条 「ああ。これさえあれば運悪く交通機関が止まっても遅刻なんてする事はないし、スーパーのタイムサービス品争奪戦でも役立つんじゃねえか?」
インデ「揚げ物にお豆腐にお刺身……うう、確かにそれは魅力的かも。でもね、とうま。空間移動に必要な十一次元絶対座標の計算は、誰にでも使えるようなものじゃないってこもえが言ってたよ。彼女たちに与えられたレベルが何故4もあるかわかる? 自分自身を転移させることができる、それはとても強力な力だからなんだよ」
上条 「まあな。つり銭がいくらか、とか消費税がどんだけかかってるとか、そんなのと比べ物にならないくらいややっこしい計算なんだろうけど。上条さんとしてはやっぱり憧れるわけですよ、不幸なんて挟む余地もなさそうな力にさ」
インデ「あの、とうま。言いにくいんだけど、一ついいかな」
上条 「どうしたんだ、改まって」
インデ「あのね。もしとうまが空間移動の力を手にしたとしても、意味がないんだよ」
上条 「どういうことだ?」
インデ「すべての効力を打ち消してしまうその手がある限り、能力を行使できないってこと」
上条 「だあー、もしかして隠された俺の力もこいつのせいでかき消されてんのか?」
インデ「さあ、それはわからないけど。ただ、私に言えることは一つ」
上条 「なんだ?」
インデ「あの屋台!」
上条 「あん、屋台だ?」
インデ「あそこから漂う匂いがさっきから私の胃袋を刺激してならないんだよ、とうま。あつあつの出来たてが私を呼んでいるんだよ!」
上条 「敬虔なるシスター様の台詞とは思えねえな、まったく」
インデ「そ、そんなことはないんだよ。私は神の教えを忠実に守る子羊で……」

 その時ぐぅぅぅ、と純白シスターの腹が鳴って、沈黙が辺りを支配する。

上条 「ま、確かに美味そうな匂いがしてるしな。一品くらいなら追加する余裕もあるし、食ってみるか」
インデ「と、とうまがそう言うなら、食べることもやぶさかじゃないんだよ。仕方がないから、あくまでも仕方がないから食べるんだから!」

 必死に言い募るインデックスに、上条はわかったわかった、と口の端を緩めるのだった。



 さて、再び黒子のお話です。
鼻先にぶら下げられた好物のニンジンを取り上げられた動物を思い浮かべました、などと言ったら壁の中に転移させられてしまいそうですね。
美琴はこんなことになっているとは知らず、今頃待ち合わせ場所に向かっていることでしょう。
わかりやすくピンチな黒子ですが、続きはなるべく早くお届けしたいと思います。

 このお話を書き終えた後は、当麻のユカイなクラスメイト&小萌を書いてみようかしらん、などと考えています。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
inserted by FC2 system