ほのかにフローラルな洗髪剤の芳香が漂う常盤台中学女子寮の一室で、
二人の少女がめいめいにくつろいでいた。一方は白地に淡い青の水玉がまばらに浮かんだパジャマを着ていて、
入り口から向かって左側のベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめている。
超能力が科学によって解析された町、二三〇万人を誇る学園都市で
その名を知らない者はいないといっても過言ではない、
常盤台のエースこと第三位の超能力者(レベル5)、御坂美琴だ。
短くまとめられたショートの茶髪は染めたものではなく地毛で、
いつの頃からかトレードマークとなっている蔓日日草(ビンカ)の髪飾りは風呂上がりのため机の上に置かれている。

 いま一人は透過率の高い極薄のネグリジェをまとった少女で、扉からみて、
向かって右側の奥に位置する席に座り、腰まで届く長い髪を丁寧に梳っていた。
空間移動(テレポート)能力者(レベル4)にして風紀委員(ジャッジメント)の一員、白井黒子である。

 先程言葉を交わしてから、かれこれ二十分になる。この間、二人は一度も口を開かなかったが、
沈黙に重さはない。優しい静寂とも呼ぶべき穏やかさがそこにはあった。
ルームメイトとなって以来、過ごしてきた時間がそうさせるのだろう。
 白井は櫛を机の上に置いて、思い出したようにベッドを振り返った。
敬愛する電撃使いの少女はなにか考え事をしていて、眠ってはいない。

「お姉様、少しよろしいでしょうか」
「……んー?」

 控え目に切り出されたルームメイトの呼びかけに、
美琴は間延びした返事で応えてから身を起こした。
どこか気だるげに聞こえるのは、半分、眠りかけていたからなのかもしれない。

「今日からしばらくの間、外出を控えていただきたいのです」
「……へ?」

 つぶやいたきり、第三位の少女はきょとんとした顔のまま固まった。
突然の申し出に驚くなというのは無理な話であるが、この場合、単に、寝ぼけていただけなのだろう。

「学校にも行くなってこと?」
「いえ、そうではなく」

 白井はいったん語を切ると、頬を緩めてわずかに表情を改めた。
「実は、明日から風紀委員による強奪を繰り返すスキルアウトの一斉検挙がありますの。
ですから、授業が終わり次第、こちらに戻っておとなしくしていてくださいませ」 「はあ」

 相槌を打って、美琴は小首を傾げる。

「それはわかったけど、どうしてあたしが外に出ちゃいけないわけ?」

 主要幹線を封鎖する、というのならば話はわかる。
規制がかかった道を歩けば、交通整理のために割かれる労力を増やすことになりかねない。

 だが、そうではなかった。

「もちろんお姉様が勝手にスキルアウトを取り締まることがないように、ですわ」
「う」

 常盤台のエースは思わず眉を寄せてうめいた。
学園都市に七名しかいない超能力者であっても、一般の生徒であることに変わりはない。
不法行為に手を染める者がいたとしても、取り締まる権限は与えられていないのだ。

 しかし、美琴はこれまで幾度となく不埒な輩を成敗してきた。第三位の席次は伊達ではない。
能力者であれ、拳によるものであれ、罪なき人たちに振るわれる謂れのない暴力を跳ね除ける盾としては、
十分すぎる程の力だった。その上、困っている人間を捨て置けない性分となれば、
じっと見ていることなどできるはずがない。

 ただ、この町のルールとして、他者に対する能力の行使は認められてはおらず、
理由の如何を問うことなく暴力と認定されてしまう。良い悪いの問題ではない。
規則とは、そのようなものだ。そして、風紀委員は決まりごとに従って、
生徒たちが居心地よく暮らせるよう、活動する役目を負っている。

 故に、白井は釘を刺さなければならない。
無条件に、他人のために尽力しようとするその気持ちがどれだけ賞賛に値するかを知りながら、
たとえ大好きな人に口うるさく思われようとも、白井黒子を白井黒子たらしめている、
確固たる信念を曲げることなどあり得ないのだから。

「まさかとは思いますが、面白そう、などとお考えではありませんわよね」
「あはは、そんなわけ、ないでしょ」
「本当ですの?」
「本当だってば。もう、やだなあ黒子ったら、あははは」

 常盤台のエースは、引きつり気味の曖昧な笑みを浮かべてそれだけを言うのが精一杯だった。


 当然ながら、美琴は後輩との約束を破るつもりだったわけではない。一度は部屋まで戻ったのである。
しかし、明日の授業に必要な教材を買い忘れていたことに気づいた以上、
引きこもっているわけにはいかなかった。学生の本分は勉学に努めることである。

「黒子は部屋から出るなって言ってたけど、ま、不可抗力よね」

 苦笑しつつも、足取り軽く寮を出た電撃使いの少女を、一体誰が責められるというのだろう。
 その途上、幸か不幸か事件に遭遇してしまったとしても、仕方がないではないか。

「きゃあぁぁぁぁぁぁッ!」

 突如響き渡った悲鳴を耳にした美琴は、反射的に駆け出していた。
助けを求める声を聞いて、もし迷うことがあるとすれば、向かうべき方向くらいのものである。

 騒ぎの中心部に近づくほど道は大勢の人間でごった返しており、
走ることはおろか通り抜けることさえ容易ではなかった。
だが、学園第三位はあっさりと現場に到着する。磁力を活用し、垂直に壁を走り抜けたのだ。

「アンタたち、そこまでにしておきなさい」

 着地と同時に声をかけた常盤台のエースは周囲をざっと見渡した。
通りに立っている狼藉者は六人、入り口が破壊されたATMコーナーの中や物陰に潜んでいるかもしれない。

「あァ? なんだてめぇは」
 いきなりの乱入者に、男たちの一人は凄んでみせた。警備員(アンチスキル)には通じないが、
偶然この場にやって来ただけの一般人が相手ならばそれだけでも十分な威圧となる。

 しかし、女学生は怯えるどころか自信に満ちた笑みすら浮かべていた。

「白昼堂々、銀行を襲ってるようなやつらに名乗る名前はないわ」

 こそこそやってるやつより好感は持てるけど、と口中独りごちて、美琴は再度相対的な位置関係を把握する。

 彼らは白井が言っていた取り締まるべきスキルアウトなのか、
それとも能力開発カリキュラムの過程でドロップアウトし自暴自棄になった連中であるのか。
いずれにせよ、御坂美琴としては紛れもない犯罪者達を捨て置くわけにはいかない。

 一方、思いもよらない少女の反応に男たちは一瞬呆けた顔をみせてから、思い出したように憤った。

「こいつ、頭が沸いてるのか? ふざけたこと言いやがって」
「どうします。やっちまいますか?」

 会話の内容を隠すつもりは微塵もないらしく、そんな言葉を交わしながらATM襲撃者たちは徐々に包囲網を狭めてくる。

「さて、と」

 学園第三位の少女はあわてた様子もなく、腰につけたストラップから
長さ一〇センチ程度のプラスチック製コインホルダーを抜き取った。
拳銃のマガジンにも見えるそこには、メダルゲームのコインが収められている。

 はっきり言って、バカ正直に一人一人叩きのめすのは非効率である。幸いここはアーケードに覆われはない。
上空に向かって超電磁砲(レールガン)を放てば、これ以上ない牽制となるであろう。
一〇億ボルトの電撃によって打ちだされたコインは、雷のような音と衝撃を生み出すのだ。

「悪いけど、手っ取り早く済ませちゃうから」

 美琴のつぶやきにいきり立った男たちだったが、十秒を待たずして地面に横たわるハメになった。
まず轟音で驚かせた直後に電撃を放ち、路上の六人をまとめて戦闘不能に陥らせたのである。
その後、ATMコーナーに隠れていた二人の男は転がったまま動けない仲間を見るや脱兎の如く逃げ出したため、
美琴は遠巻きに様子を伺っていた見物人に警備員への連絡を任せ、追跡を開始した。

 追ううちに、いつしかスキルアウトが根城とする区画に入り、
常盤台のエースは土地勘があるらしい二人を時折見失いそうになりながらも、
自身の能力を上手く活用しながら徐々に距離を詰めていく。お嬢様学校に通う彼女であるが、
幾度となく荒事に係わってきた経験はこういう時にこそ役立つ。

 ひたひたと迫る少女に、男たちは顔を引きつらせつつも必死に足を動かしている。
だが、それも間もなく終わろうとしていた。行く手には高い壁があり、
左右に逃れようとしても路地は人が通れるほどの広さがない。いわゆる、袋小路である。

(思った以上に時間をかけちゃった。一発かましてさっさと終わらせなくちゃ)

 走るのを止め、のんびりとそんなことを考えていた美琴の前髪がバチッと火花を散らせ、
眉がぐっと寄せられた。男たちの片割れが、十歳くらいの女の子を羽交い絞めにしていたのだ。

「なんのつもり?」

 冷ややかな視線を受けた襲撃犯は半ば声を裏返らせて叫んだ。

「こ、この女を傷つけられたくなかったら俺たちを見逃せ!」

 腕の中に捕らわれた少女は恐怖よりも驚きの感情に満ちた表情をみせている。
だがそれは次の台詞と行動によって、一気に前者側へと傾いた。

「いいか、超電磁砲。何度も言わせるなよ。さもないと」

 男はどこからか取り出したナイフの切っ先を電撃使いの少女へと向ける。
人質の命を条件に、保身を図ろうとするその魂胆は、犬畜生にも劣る行いだった。

 とはいえ、これでは迂闊に手を出すことができない。たとえ見ず知らずの人間であっても、
そのために己の身が危うくなろうとも、である。

「かなわない相手だからって、小さな女の子を盾にして恥ずかしくないわけ?」
「何とでも言いやがれ。学園第三位を相手に手ぶらで立ち向かうバカがどこにいるってんだ」

 美琴は反論しようとして、思わずツンツン頭の少年を頭に浮かべてしまった。

(あー、もう。どうしてここでアイツの顔が出てくるのよ)

 常盤台のエースはぶんぶんとかぶりを振ってから、頬をほんのりと赤く染めたままはたと気づく。
捕らわれの少女が履いている靴は厚底で、仮に地面へ電気を走らせたとしても、通電しない。
羽交い絞めにされているため電圧は調整しなければならないものの、隙を作ることができるだろう。

(待っていたって事態は好転しないもんね)

 胸中独りごちると、美琴はダッシュをかけると同時に地面に低電圧の電流を流し込んだ。
次いで反射的に男がうろたえたところに、磁力でナイフを奪い取る。

 きっかり三秒、それが少女救出までにかかった時間である。

「すみません。つい、出来心で」

 万策尽きた男はにやけ面でペコペコと頭を下げ始めた。
余計に相手を怒らせるだけだと、わかっていないのだろう。

「言いたいことはそれだけ?」

 美琴はにっこりと笑った。ただし、目は笑っていない。

「何度も言う気はないわ。アンタみたいな最低の男、許すわけないでしょ」

 セーブされた電撃を叩き込まれ、襲撃者たちは悲鳴を上げることすらできずに倒れ伏した。


「ありがとう。助かったよお姉ちゃん」
「ううん。こっちこそ、変な事件に巻き込んじゃってごめんなさい」
 人質になっていた少女は桐生恋姫(きりゅうこいひめ)と名乗った。
好奇心に満ちた瞳が印象的な、黒髪のボブカットで、身長は美琴の肩にかろうじて届く高さである。
クラッシュジーンズに空色のタンクトップを合わせ、
その上からサイズの大きな白地に黒のチェック柄のシャツを羽織り、
袖口を手首で揃えてターコイズブルーのミサンガで留めていた。

「ね、お姉ちゃん。お姉ちゃんって、あの有名な超電磁砲だよね」
「まあ、そう呼ばれているわね」

 どう答えるかほんの一瞬逡巡して、美琴は曖昧にうなずく。
しかし、向けられるまなざしに妬みなどの負の感情はなく、敵愾心も浮かんでいない。
それどころか、興味津々といった風に見える。

「さっき、すごかったもん。さすがだな、って思ったよ」
「そう? ありがとう」

 ストレートな言葉に、電撃使いの少女はわずかにはにかんだ。
後輩たちが上げる黄色い声は聞き慣れているが、この年頃の女の子から褒められる機会はそうあるものではない。

「わたしさ、前からお姉ちゃんと会ってみたかったんだよね」

 桐生はどういうつもりか、握った拳を美琴の腹にぴたりと当てた。

「ね、お姉ちゃん。ちょっと賭けをしない?」
「賭け?」

 飛び出した意外な単語に、常盤台のエースはぱちぱちと目を瞬かせる。

「うん。で、負けた方は勝った方の言うことを一つ聞くの。どう?」

 悪戯っぽく笑いながら、少女は自分の勝ちを確信しているかのように思えた。
子どもの遊びに付き合ってやるべきかどうかを数秒考えてから、少しくらいならいいか、と美琴は首を縦に振った。

中編

ver.1.00 11/4/11
ver.1.68 11/4/22

〜とある乙女の恋姫無双・舞台裏〜

「ねえ初春。ゲームでもしない?」

 白梅の髪飾りをつけた少女は小さく首を傾けて、目を弓にした。
テーブルの上にはトランプやUNO、花札が用意されている。
宿題はすでに済ませてあり、風紀委員第一七七支部に所属するメンバーの大半は非番で、
固法の他、数名が待機状態で、よほどのことがない限り呼び出しはない。
今日に限っては、時間を気にすることなく盛大に色とりどりの花々で飾った親友と遊び呆けることができるのだ。

 問題は、佐天が提案しようとしている内容だった。
当人は(よこしま)な感情など差し挟む余地のない親愛の情の表れであると訴えるであろうが、
すっかり恒例の挨拶として受け入れられているスカートめくりと大差なく、
むしろ、露出度が高くなる可能性の大きな、着衣をチップとする特殊ルールのゲームの方が実害としては大きい。

「ね、初春ってば」

 つーといえばかー、阿吽の呼吸など、以心伝心を表現する言葉は幾つもあるが、
この場合においてもそれは有効だったらしく、白梅の少女がにこやかに放った、
さり気ないタイミングで言ったつもりの言葉は即座に却下された。

「しません」

 風紀委員の少女は満面の笑顔で応えると、手元の急須へと意識を移す。
逡巡するそぶりさえみせない完全なる拒絶だった。取りつく島もないとはこのことである。

 しかしこれしきのことでめげる程、佐天涙子はやわではない。

「なんだよ初春、冷たいなあ。あたし、まだ何も言ってないのに」

 佐天は拗ねた振りをして軽く唇を尖らせつつ、
テーブルを回り込んで親友にぴたりとくっついて座った。
一方の初春は右隣を一瞥したのみで、澄まし顔で茶葉の準備を進めている。

 いくら待ってもそれ以上の反応はなく、
最初は服が触れ合う程度だった二人の距離は徐々に狭まっていった。

「ねえ、初春。そんなにつれなくしないでよ。ね、うーいーはーるぅ」

 セミロングを揺らしながら、白梅の少女は親友の横顔を覗き込む。
状況はこう着したままで、カチカチと時計の針が立てる音のみが室内に響く。
やがて待ちきれなくなったのか、指先で頬を突き、腕を組み、密着し始めた。

 根競べというよりは、半ば意地になっていたのかもしれない。
いずれにしても、この行動は変化をもたらした。

「もう、佐天さんは」

 そんなひと言と共に、初春が苦笑をもらしたのである。
だが、次の瞬間彼女の表情を別の感情が支配した。
佐天が大きく目を見開いていることに気づいたのだ。

「何を驚いているんですか?」
「だって、いくら突いても動かないから、そういうものだと思って」
「動くに決まってるじゃないですか。黙ってるからって、やりすぎですよ」
「あはは、ごめんごめん」

 白梅の少女は、軽くむくれる友人にひらひらと手のひらを前後に振って応えた。

「それに、自分からちょっかいをかけておいてびっくりするなんて意味がわかりませんよ」
「いやー、つんつんしているうちになんだか感触が気持ちよくなっちゃってね」
「……っ」

 思いきり頬を緩ませつつあっけらかんと言う親友に、
風紀委員の少女が目元を鮮やかな桜色に染めて、息を飲む。
もちろん、密着状態にある者がそれに気づかないはずはない。

「あれー? どうしたのかな初春。顔が赤いぞ?」
「もう、知りません」

 火照ったままの顔を見られたくなかったのか、初春は体ごとそっぽを向いた。
それでも、自分が組んだ腕を振り払おうとはしていないことを、自覚しているのかどうか。

 白梅の少女はますますいたずら心をくすぐられて、顔を寄せようとした。
そのために、ごく小さなつぶやきが耳に届いてしまったのである。

「大体ね、佐天さん。私たちは出会って一日二日の仲じゃないんですよ。
あなたが言いたいことくらい、口に出さなくてもわかるんですから」

 聞かせるつもりのない言葉は、次のように締めくくられた。

「それに、シャワーも浴びずに服を脱いで、臭ったりしたらイヤじゃないですか」
「……!」

 今度は佐天が言葉を失う。顔は真っ赤に染まり、ぱくぱくと口を開閉させることしかできない。
遅れて、初春は友の様子がおかしいことを知覚した。

「まさか……今の、聞こえていたんですか?」
「……うん」

 悶えたくなる程の猛烈な恥ずかしさに襲われて、二人はしばらくの間、うつむいたまま動けなかった。



 久々のとあるSSです。人質になっていた女の子はオリジナルキャラです。名前は禁書っぽさを意識してみました。
続きはなるべく早くアップしたいと思います。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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