前編

「きゃああああぁぁぁ……あ、ッ」

 乙女の悲鳴は唐突に途切れた。
とうに体力が尽き果てていた体をかろうじて支えてきた気力が、受け入れがたい現実に直面した事でついに途切れてしまったのである。

「……ッ」

 からからに乾ききった喉は突然の絶叫に耐えかね痛めてしまったためか、あるいは衝撃のあまり一時的に失われてしまったのか、佐天はまともに語を発する事ができなくなっていた。
いつの間にか男を見上げる形になっている事を、今更ながらに認識する。
相手が近づいたからではない。こちらの目線が、一方的に低くなったせいだ。
あわてて身を翻そうとした際につまずいたのか、それとも足がすくんで尻餅をついてしまったのか、覚えていない。

 体はまったく言う事を聞かなかった。
腰から下に力が入らなくなってもなお我が身を守るために無意識下では逃げ出そうとしているが、臀部も太もももふくらはぎも、まるで根を下ろしたかのように地面と密着したまま微動だにしない。
両手を使って体が後ろに倒れないよう支えるのが精一杯で、それも、自らの意思でもってしていると言うよりは反射的にそうしていた、と言ったほうがいいかもしれなかった。
側頭部の可憐さに華を添えるはずの白い髪飾りも、こうなっては逆に痛々しさを助長するものとしか映らない。

「……っ!」

 黒髪の少女がみせる恐怖一色に染まった表情を満足そうに見下ろしながら、半身を隠していた細身の男は角の向こうから完全に姿を現した。

「いい顔だね。とてもそそるよ、君の表情」

 耳障りな甲高い声で薄気味悪い笑みを浮かべる男の、年の頃は十七、八といったところか。
ゆっくりとした足取りで一歩進む度に半秒立ち止まりながら少女へとの距離をせばめ、

「でも叫ぶのはNGだよ。ボクはうるさいのが嫌いなんだ」

 幼子に言い聞かせるような口調でもって精神的に追い込んでいく。
もし佐天が少しでも冷静さを取り戻すことができたなら、言葉に含まれる優越感と嗜虐的な響きに気づく事ができただろう。
自身が強い立場にあることがわかった上で、絶対的な弱者に対してのみ発揮される鬱屈した心根がにじみ出ていることを察し、嫌悪の情を覚えて眉をひそめたかもしれない。

 だが今の彼女は無抵抗に狩られる獲物に過ぎなかった。
戦うことはおろか、逃げることすらできずにいるのだから。

「できれば静かにしてくれないかい? ボクもなるべく手荒な事はしたくない。もっとも、痛い目に合いたいなら話は別だけどね」

 男はきっかり一メートルの距離まで歩み寄ると、ぎこちなく首を左右に振る黒髪の少女に優しくほほえみかけた。

「返事もできないのかい? 何も怖がる事なんてないのに」

 しかし、佐天は油が切れた蝶番のような動きをみせるばかりで、しばらくその様を黙って眺めていた男は業を煮やしたのか突然声を荒げた。
「返事もろくにできないのかと聞いているんだ、この(アマ)!」
「ひっ」

 ぎゅっと目を閉じて身を縮こまらせた佐天は、ショックで逆に動けるようになったことを知って、素早く立ち上がるとポケットから携帯電話を取り出した。

 おそらく彼女の人生において最速だった友人への通話操作は、

「え……?」

 行為が徒労に終わった瞬間、高まった期待の分以上に深い絶望を生み出す。

「どうして、ウソ……かかって、かかってよ!」

 少女が焦りで声を上ずらせながら幾度通話ボタンを押すも、通信する事はかなわなかった。
原因は電波状況を伝えるアンテナが一本も立っていない圏外の状態であるためだが、彼女は別段錯乱しているわけではない。
時折一本、二本と受話可能に戻るのを見て、試しているのだ。

 それなのに何度やってもまったくつながらない。地下でさえ通信環境が良好な学園都市内であるにも係わらず、だ。

 その時、

「くく」

 聞こえてきた笑い声に、佐天は弾かれたように前方を見る。

「くく……いくらかけようとしたって無駄だよ。電話はつながらない」

 楽しくて仕方がないという表情で、

「ボクの力でこの一帯の電波は遮断されているからね」

 男は少女の希望を打ち砕こうとする。
電撃使い(エレクトロマスター)……!」
「そうだよ。僕は電子を使って特定の周波数に働きかける能力者さ」

 佐天はようやっと理解した。
目の前で助けを呼ぼうとするのを見てもずっと余裕の態度をみせていたのは、単に不通状態であることを知っていたからで最初から妨害する必要自体がなかったのである。

 残された選択肢は再び逃亡を図るか、あるいは……。

「!」

 黒髪の少女は思いついた考えにはっと息を飲んだ。

「あ、あの」
「どうしたんだい?」

 男は好奇の色を瞳に浮かべつつ、口の端をわずかに持ち上げる。
どんな台詞でもって懐柔するつもりなのか、興味を覚えたのだ。

「私、通報したり誰かに言ったりなんてしません。だから」
「だから見逃してください、というわけだね」

 男は大仰にうなずいて、穏やかに語を継いだ。

「なるほど、君はきちんとした教育を受けた子のようだ。常識もわきまえているようだし、この場を凌ぐために適当なことを言っているわけでもなさそうだし、ね」
「それじゃあ」
「うん」

 話せばわかってもらえるものなのだと、黒髪の乙女はぱっと明るい表情になりかけたが、

「残念だけど信じられないね、ボクは疑り深いから」

 続く予想外の言葉にわが耳を疑い、凍りついたように固まってしまう。

「え?」

 それは聞き返したと言うより、内心が漏れ出た音だった。
男は狙い通りに獲物の心をコントロールできていることにほの暗い喜びを感じながら、

「だってそうだろう。君が約束を守る保証なんてどこにもないんだからね」

 更に真綿で首を絞めるようにいたぶり続ける。
「だけど、恥ずかしい写真を撮っておけばどうだい? 君はボクの言いなりになるしかない。つまり、感度良好(ハイパー・センシティブ)の売買に関する情報が漏れる心配もなくなるんだ。ボクはね、幾重にも保険をかけておかないと気がすまないんだよ」

 すっかり青ざめつつも佐天はたまらず異論を唱えようとするが、

「そんな……!」
「たまたま通りかかった自身の不幸を呪うんだね……くく」

 男はあっさりとそれを切って捨てると、

「さあ、上か下か。どちらから脱いでくれていいよ。ボクは紳士だからね、君に選ばせてあげるよ」

 自身の優位を確信しているが故に慇懃無礼な態度で次なる行動を促した。

「どうしたんだい、お手伝いしようか? まあ、それも悪くはないけどね」

 がたがたと歯の根を合わせる事ができない少女に向けられたのはけがれなきものを侵す愉悦の笑みと、どす黒い欲望に満ちた眼差しだ。

「まだ誰かの助けを期待しているのかい? 何なら、君が飽きるまで電話がかかるか試してもらっても構わないけれど」

 助けて、と佐天は胸中つぶやいた。
一体何をしたというのか。こんな無体を受けるような罪を犯したとでも言うのだろうか。

 しかし、もしこれが悪夢なのだとしたら今すぐに覚めて欲しいという乙女の願いは、冷たい現実の前では何の意味も成さない。

「どうせ撮られるんだったら、おとなしく従っておくべきだって思わないかい? それとも、荒っぽいことをされたいのかな。そういう趣味があるなら、ボクとしても協力するのはやぶさかでないよ」

 佐天は視界が暗転したかのような錯覚に、思わず目を閉じた。
力なき者は暴力の前に屈するしかないのだろうか。この世に神は居ないのか。

 絶望的な思いは、少女の心から抗う気持ちを消し去ろうとしていた。

「言ったとおり、ボクは写真を撮るだけだ」

 男は最後の仕上げとばかりに柔らかな口調で呼びかける。

「心配は要らないよ。君のストリップショーはボクがしっかりと見ていてあげるから」

 立ち尽くしていた佐天は震える指でボタンを一つ外し、ためらいながらも二つ目を外したところで静止した。

 それ以上、手が動いてくれないのだ。
佐天は涙がこぼれそうになるのをこらえるので必死だった。

(こんなの、無理だよ)

 中学に入ってからは親にさえ見せたことのない裸身を白昼の下、しかも見知らぬ男の視線にさらすことなどできるはずがない。

「どうしたんだい? 手が止まっているようだけど」
「私、できません」
「なんだい、よく聞こえないな」

 か細い声で訴える少女の顔を覗き込むようにしながら男は耳に手を当てる仕草をした。
もちろん、本当に聞こえなかったわけではない。
戸惑う様を、恥じ入る姿を、純情なる乙女の反応を楽しんでいるのだ。

 人を疑うことを知らずに育った佐天は歪みきった男の内心を知る由もなく、笑顔の裏に隠された悪意に気づかないまま必死で声を張り上げようとした。

「できません、こんな事」
「あ、そう」

 だが、彼女が紡いだ精一杯の思いは当然のように腐りきった性根の持ち主には届かず、

「それなら仕方がないね。警告に従わなかった君が悪いという事で第一幕は終了、引き続き第二幕、陵辱ショーに入りまーす」

 言葉責めに飽きたのか男は一転して冷淡に告げる。

「……っ」

 聞くに耐えない暴言に声を出すことすらできず、大きく見開かれた佐天の目頭からあふれ出た雫は程なく臨界点を超えてこぼれ落ち、頬を伝った。



「近くで何かあったの?」

 携帯電話をポケットにしまいこむ白井に、美琴は真顔で問いかけた。
急を要する内容だったことは受話時の表情や声からわかっている。
十中八九、所属する風紀委員(ジャッジメント)の同僚、初春飾利からの事件発生の報告と緊急出動要請があったのだろう。

 ツインテールの少女は先輩の言葉を肯定すると、軽く肩をすくめた。

「はい。お察しの通り、事件ですわ。例のアレを裏で取引しているグループの足取りがつかめたそうですの」

 固有名詞を出さずに通じるかどうかは定かではなかったが、つい先日美琴との間に色々と気まずい出来事があったばかりのもの、すなわち感度良好(ハイニー・センシティブ)の名を口にするのはさすがに抵抗がある。

「そっか、アレね」

 しかしそこは白井が心酔するお姉様、御坂美琴である。
具体的な呼称を避けたこそあど言葉を使った説明でもあっさりと理解してしまう。

(さすがはお姉様、たったこれだけのやり取りでわかってしまうなんて、ステキですわ!)

 白井は思わず自身の立場を忘れて胸中先輩を絶賛し、きらきらと瞳を輝かせる。

「こういうのっていたちごっこだろうから、大変ね、アンタたちも」

 だが、美琴のつぶやきに風紀委員の少女が首を縦に振ろうととした次の瞬間、驚くべき事態が起こった。

「はいですの。って、お姉様、それだけはお止めください……ああ!」
「へ?」

 止める暇もあればこそ、美琴は頬についたクリームをハンカチでぬぐってしまったのだ。
唇で直接取ってもいいという約束は、電話による中断で無効化されたというのか。

「ひどいですわ、お姉様」
「何よ、急に泣き出して」

 訳がわからないながらも涙目で詰め寄ってくるツインテールの後輩を取りあえず手で押しのけようとして、美琴ははたと動きを止めた。
そういえば、と電話をかける前に赤面もののやり取りを思い出す。

「あ」
 
 内容の可否はさておいて、いったん了承しておきながら反故にしてしまった後ろめたさから、電撃使いの少女は申し訳なさそうに眉尻を下げて謝った。

「ごめん、忘れてた」
「うううう、あんまりですわ。あまりにもむごい仕打ちですの」
 白井は頭を抱えてうずくまり、このまま全てを投げ出して何処へなりとひたすら空間移動(テレポート)を繰り返したい衝動を、風紀委員としての職責に対する思いを盾にどうにか押さえつける。

 その時だった。

「……!」

 たった今すれ違ったグループが口にした名前はよく知ったもので、

(涙子ちゃん……? 佐天さんのこと、ですわよね。まさかとは思いますが……)

 白井の脳内は急速にクールダウンしていく。
声の響きからして、明るい話ではなさそうだった。

「お姉様、しばらくここでお待ちくださいな」
「あ、うん。別にいいけど」

 美琴はきょとんとした表情で、小走りに駆けていくルームメートの後輩を見送った。

「あの、すみません」

 ツインテールの少女の呼びかけに、三人組の女子が一斉にこちらを振り向く。

「わたくし佐天さんと親しくさせていただいております風紀委員の白井と申します。よろしければ、詳しいお話をお聞かせいただけますか?」



 白井の嫌な予感は的中した。
取引の現場近くで行方不明になった佐天は、未だ連絡がつかないままだという。

「部屋に戻っていない事は初春に裏を取ってもらって確認済みですの。GPSの反応が途絶えた後の足取りは不明ですが、最後に映った画像は現場の近く。巻き込まれてしまった可能性が高い、と考えるのが妥当ですわね」
「同感ね」

 電話が繋がらないのは、たまたま電池が切れてしまっているのか。
電波の届かない場所、すなわち屋内に連れ込まれてしまったのか。

 ツインテールの少女はかぶりを振って、頭の中から暗い想像を払った。
今必要な事は思い悩む事ではなく、体を動かす事だ。

「ではお姉様、先に帰っていてください」

 腕章を装着した白井はすぐに空間移動をしようとしたのだが、不意にしっかと腕をつかまれて驚きの表情をみせた。

「何言ってんの、黒子。私も行くわよ」

 振り向いた先には不敵な笑みがあった。

「ですがお姉様」
「だって、初春さんのお友だちなんでしょ? ううん。たとえ赤の他人だったとしても私はきっと同じことを言ったはずよ。そりゃ、私の知らないところで起きた事件だったら仕方がないけど、こうして知った以上は少しでも役立ちたいもの」
「お姉様……」

 本来ならば風紀委員ではない美琴に助力を求める事は褒められた話ではないが、申し出を受けやすいように、余分な荷を背負わせる事がないように、そうした気遣いを差し向けられている事に気づいてなお、白井は首を横に振る事ができない。

 もちろんそれは敵の強さや規模がわからないための保険としてではなく、敬愛する先輩の心根を慮っての事である。

「ま、アンタの能力ならそう簡単にやられることはないんだろうけどさ。遠慮せず、私も連れて行きなさい」

 ぱちりとウインクを飛ばして美琴は腕を差し出した。
その口ぶりこそ軽いものであったが、込められた思いは真剣そのものであることがわからないほど浅い付き合いはしていない。

 白井は数秒間、息をする事を忘れて常盤台のエースを見つめていたが、はい、と恭しく向けられた手を取って、

「ありがとうございます」

 今度はためらうことなく能力を行使した。



 さすが、と言うべきか。
初春の座標予測は見事に的中し、ビルの屋上から佐天に覆いかぶさろうとする男の姿を認めた白井は、状況から即座に作戦を立案、まずは美琴を、次いで己の身を空間移動させた。

 忽然と宙に現れたツインテールの少女は、

「風紀委員、参上ですの!」
「な……」

 注意を引くために声を上げつつ全体重を乗せた一撃を男の肩口に見舞う。

「    ごばはッ」

 台詞の途中で成す術もなく無様に転がった犯罪者には目もくれず、白井は知人の側に駆け寄った。

「佐天さん」
「白井さ……ん」

 助けられたことで一挙に気が緩んでしまったのか、意識を失ってしまった黒髪の少女を白井はあわてて抱き止めた。
着衣が少々乱れてはいるものの、これといった外傷は見当たらない事に心から安堵する。

「さて、と」

 ゆっくりとした動作で体の向きを変える風紀委員の少女の瞳に、怒りの炎が燃え盛っていた。

「大人しくお縄についてくださいな。試してみたいのでしたら止めはしませんが、逃げても無駄ですわ」
「そんなの、やってみないとわからない……え?」

 男は台詞の途中で曲がり角から現れた常盤台中学の制服に身を包んだ少女の容姿を認めるや否や、

「残念でした。ちゃんと退路は断ってあるんだよね、これが」
「ひっ、レベル5!? 御坂美琴が何故こんなところに」

 限界まで目を剥いて後ずさりを開始する。
かなうはずのない相手だった。彼女は紛れもなく学園にわずか七名しかいないレベル5の第三位であり、赤子とオリンピック選手並に力の差があるとはいえ、同系統の能力を能力を持つために彼我の実力差は嫌でもわかってしまう。
まだ、子どもが大人を相手に腕相撲で勝負を挑む方が分があるだろう。

「すみませんでした」

 恭順の意を示そうと言うのか、這いつくばってひたすら頭を下げるのを見て、二人の少女は顔を見合わせた。

「あの、悪気はなかったんです。つい出来心で……海より深く反省しています」

 自らの言葉を証明するためには、平身低頭を貫き下手に出ることで見逃してもらうより他はない。
しかし、これはあくまで表向きの態度である。

(何しろこいつらは中学生だ、あっさりと騙されるに違いない。くく)

 面従腹背。
口元に浮かびそうになる笑みを押し殺しつつわずかに顔を上げて、男は自身の考えが甘かったことを察した。
にこやかに話を聞く素振りをみせてはいるが、美琴の目は欠片も笑っていない。

「だってさ、黒子。どうしようか」

 彼女たちは見え透いた上っ面の謝罪が通じるような相手ではなく、態度の軟化を計るどころかむしろ火に油を注ぐ形となったのである。

「はっきり言って、殴る気すら失せる程度のカスですわね。ですが、わたくしのお友だちを、佐天さんを怯えさせた罪は万死に値しますわ。しっかりと報いを受けてもらうべきかと」

 白井は冷え切った声音で淡々と言ってから、佐天の体を抱えなおしてぽんと軽く手を打ち合わせた。
「そうですわお姉様、超電磁砲(レールガン)で粉みじんの刑に処す案はいかがです?」
「そうね。こういう女の敵は存在自体が有害だし、跡形なくこの世から消しちゃおっか」

 美琴はあっさりと同意し、男は失笑するばかりだ。
理由は二人のやり取りを脅しと取ったためで、

「は? 消す? 何を言っているんだい君は。まさか、ボクを殺すって言うのかい? そんなことをしたら」
「人権の侵害、とか言いたいわけ? は、知ったこっちゃないわ。どうしてアンタみたいなクソ性犯罪者を目こぼししなくちゃいけないのよ」

 しかし乙女たちの瞳に映る本気の色に、

「ゴミは黙ってくずかごに、ですわ」
「こんなの焼却処分にしたら、受け入れ先の土壌がかわいそうだけどね」

 男は心の底から戦慄した。
人目につかないこの場所ならば、その気になれば痕跡を消す事など容易であると気づいてしまったのだ。

「そうそう。冥土の土産に教えておいてあげるけど、超電磁砲ってこれの事よ」

 取り出したコインを頭上に向かって放った瞬間、轟音と共に射出された一撃は文字通り大気を切り裂いた。

 男は呆けたように目と口を開けつつ、意味を持たない語を繰り返す事しかできない。

「ひ、ああ」
「でも、私だって鬼じゃないの。お祈りをする時間くらいはあげる。せいぜいこれまでの行いを悔やみなさい」

 美琴は緩く腕を組むと、冷ややかな眼差しを地に這う者へと向けた。

「覚悟はいい?」
「た、助けて」

 男が手を組み合わせて必死で懇願するのも無理はない。
超電磁砲の威力を目にして平然としていられる者は、世界中を探しても五指に満たないだろう。

「心配なんて要らないわよ。痛みなんて感じる暇もないから」
「止めて……ああ、許して下さい!」

 涎を垂れ流しにして、額を地にこすりつけて頼み込む男に、

「ダ・メ」

 レベル5の電撃使いはスタッカートをたっぷりと効かせて朗らかに返答する。

「アンタなんか弾けて地面と同化すればいいわ。じゃ、ごきげんよう」

 美琴が指を弾いた途端、男は失禁して意識を失った。



「お姉様、素晴らしいのひと言でした。ゾクゾクするような名演技でしたわ」
「とっさに合わせてみたんだけど、アドリブでも結構いけるものね」

 組んだ手の甲を下側に向けながら腕をそのまま頭上に突き出す動きで伸びをして、美琴は可笑しそうにくつくつと肩を震わせた。
十分とは言えないが、男にとってはさぞかしきつい灸だったに違いない。

 風紀委員に与えられた権限はそれほど大きなものではなく、また、学園都市第三位の能力者である御坂美琴はそういった意味では一般生徒と同列であり、彼女たちに出来るのはあくまで犯罪者を捕らえるところまで、あとは司法の場で裁きが下るのを待つだけだ。
どれほど腹立たしくとも、私情のままに私刑を加える事は程度を問わず義を欠く行いであり、また、彼女たちは自身の矜持にかけて自制心を放棄する事もない。

 能力を積極的に伸ばそうとするのは、誰もが過ごしやすい環境を、この街を守りたいがためであり、たとえ一度でも私欲のために使ってしまえば、どうしてこの先、胸を張って生きていく事ができるだろうか。

 言葉には出さない二人の気持ちは、深い部分で共通していた。

「さて、こいつを引き渡して佐天さんを送って、帰ろうか」

 佐天を一人で抱えようとする後輩を手伝うべく、美琴が歩み寄ってくる。

 思いがけず近づいた二人の距離に、

「あ、お姉様。少しじっとしてください」

 白井は反射的に口走り、

「うん?」

 唇が触れるか触れないかの淡い口付けが、言われるままに足を止めた無防備な美琴の頬になされる。

「な、何をするのよアンタ」

 想定外の出来事に御坂美琴は思わず赤面し、キスをされた辺りを押さえた。
だが、彼女の動揺は後輩を目にしてやや収まった。

「クリームが、残っていましたの」

 ツインテールの少女は、完全に目が泳いでいた。
声が上ずっていた。顔だけでなく、耳まで赤く染まっていた。

 嘘であることを指摘するのは至極簡単だった。
しかし、美琴はあえてそうしなかった。

 口約束とはいえ、約束は約束だ。
だったら、そこにクリームがあったことにすればいい。

(それはそれとして、文句の一つくらいは言ってやらなくちゃ……)

 内心つぶやいて、第三位の少女は小さく息を飲んだ。
言うべき台詞は何一つ思い浮かばない。不快さなど、欠片もない。
それで、白井に対して腹を立てているわけではないことをようやく認識する。

「……本当、こんな事して何が嬉しいんだか」

 あまりにも幸せそうに笑う後輩の姿を見るともなしに見ながら、美琴は一人、そっとこぼすのだった。

ver.1.00 09/1/20
ver.2.00 13/6/2

〜とある乙女の貞操危機・舞台裏〜

美琴「ちーっす」
上条「なんだ、ビリビリか。ちーっす」
美琴「なんだとは何よ、失礼ね。しかもまた私のことビリビリとか呼んでるし。何回言えばわかるわけ? 私には御坂美琴ってちゃんとした名前があるんだから。アンタがどうしてもわからないって言うんだったら、ちょろっと一発きついの食らっとく?」
上条「いやいや、遠慮しておく。つか、それは明らかにちょろっとどころの話じゃねえだろ。何ですかその殺人的な電力量は! 真面目に俺を殺す気か!?」
美琴「何言ってんの。アンタだったらこれくらい平気だって、ほら、食らっとけ」
上条「うわ、なんか投げやりだし! ちょ、待てマジ危ないって」
美琴「たく、うるさいわね。こんなの、本気でぶっ放すわけないでしょ」
上条「だといいんだけどな」
美琴「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよね。それだと私がいつも節操なしに電撃を放出してるみたいじゃない」
上条「みたいじゃなくて、実際そうなのではないかと上条さんは強く思うわけなんですが」
美琴「聞いてないわよアンタの意見なんて」
上条「なんか、さらっと傷つく発言が多いように感じるのは俺だけか?」
美琴「……あ、気に障ったんなら謝るわ」
上条「いや、別に気にしてないんだけどさ。それでもやっぱ、たまには優しくされたいかなーとか思ったりもするわけですよ」
美琴「……アンタ、優しくされたいわけ?」
上条「そりゃ、その方がいいに決まってるだろ」
美琴「……相手が私でも?」
上条「あん? 変なこと聞くやつだな。当たり前だろ?」
美琴「……っ」
上条「とはいえ、お前に無茶な期待をしてるわけじゃないからさ。そこんところは心配しなくていいぞ」
美琴「……それはどういう意味かしら」
上条「いやだから、美琴はすぐに切れてぶっ放す子であるからしてだな、あれこれと望むこと自体がそもそも間違いと言うか」
美琴「へえ。ああ、そう。アンタは私のこと、そういう風に見てるんだ」
上条「あれ? あの、美琴さん? なんだか怒髪が天を衝いてスーパーサイヤ人みたいになっているんですけど」
美琴「うるさい! 上条当麻、そこに直れェ!」
上条「うわ、ちょ、なんで怒るんだ……待ってくれ、あぎゃァ」

 広範囲に渡って放射された電撃の大半を右手で受け損ねた上条は地面に倒れ伏し、結果として思いがけない形で美琴の手当てを受けることになるのだった。



 というわけで少し間隔が空いてしまいましたが、後編をここにお届けいたします。
佐天さんの貞操はぎりぎりのところで守られましたが、美琴の頬は無事黒子に強奪されました。
と言っても、同性からのほっぺチューはキスの範疇には入らないでしょうか。
しかしながら、少しでもドキドキしたらそれはれっきとしたキスですよね。
祝、白井黒子、お姉様の頬を初奪取……! と鈴原は小首を傾げつつも言ってみます。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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