毎度のことながら唐突な話で申し訳ないが、夢を辞書的な言葉で説明するとしたら、
睡眠中に起こる知覚現象を通して現実ではない仮想的な体験を体感するもの、と表現するのが適当だろうか。
念のために言っておくが、春とは思えない陽気にあてられたわけでなければ、
目の前でにやけハンサムが延々とわけのわからない話を始めたからでもない。
フロイト先生の研究をしているわけでもない俺にとっては夢がどう定義されていようが構わないし、
無意味な情報を捨て去るため、あるいは必要な情報を忘れないようにする活動のために知覚されているためと、
夢の存在意義と言われる二つの説の、どちらが有力であろうが正直なところ知ったことじゃない。

 見たことがないやつなんざ噂でも聞いたことがないし、覚えていないだけで毎日見ているような、
ありふれたものを話題として選ぶのだから、よほど変わったものを見たに違いない、
と考える向きは多いだろう。しかし、今からする話は俺が見た夢ではないのだ。

 ところで脳の働きというのは実に不思議なもので、
眠っている間にも大脳が活発に動き、手足が動いたり声を出したりすることがあるらしい。
中には寝言で歌い始めた例もあるそうで、今のところ指摘を受けたことはないが、
知らないのは自分だけでメロディーを口ずさんでいたのかもしれない。
さすがに、歩き回ってはいないだろうが。今日び、目が覚めていても夜間に外をうろつくのは物騒だというのに、
無意識のうちに徘徊するのは危険極まりない。そんなことが起こらないことを、ただただ祈るばかりである。

 うちの団長殿はもちろんのこと、未来人であろうが超能力者だろうが、それこそ宇宙人であっても、
夢ってのは万人が等しく見るものなんだろうよ。

 さて、突然こんな話を始めたのは当然ながら理由がある。
きっかけは、授業がないのに団長を除くメンバーが揃った部室で、
いつものようにチェスを指していた古泉が放ったひと言だった。

「今朝、夢を見たんですよ」

 ここで、どんな内容かとたずねてやったほうが親切なんだろう。
黙っていたところで、続きを口にするのは目に見えているが。

「異性……いえ、同性でしょうか。その人と、ずっと一緒にいる夢でした」

 その間も、意識の大半は盤上へと注がれていた。
よし、次の一手でルークとナイトの両取りだぜ。

「ひたすら、同じ部屋で過ごすんです。変わっているとは思いませんか?」
「まあ、そうだな」

 特に反論しようとは思わなかった。
夢ってやつはどんなことでも起こり得るが、場所や状況に変化がない辺りは珍しい。

「で、どんな相手だったんだ。美少女か? それともナイスバディの姉ちゃんか」

 古泉は一瞬目を丸くしてから、くつくつと喉を震わせて笑った。

「はは、これは失礼。あなたの口からそんな単語が飛び出すとは思わなかったので」
「ほっとけ」

 これでも健全な男子高校生なんだよ。おそらく、人並みにな。

「まあ、そういう相手であれば僕としても喜ばしかったのですが」

 閉鎖空間限定の超能力者はいつものにやけハンサムで前置きして、こう続けた。

「顔はわかりませんでした。見ようとしても、見えなかったと言った方がいいかもしれませんね。
すぐ近くにいるのはわかっているものの、互いに向かい合うことはないまま目が覚めてしまいました」
「結局見れず仕舞いだったわけだ」
「ええ」

 もっとも、世の中には知らずにいる方が幸せなこともある。
誰かわからないことで居心地の悪さを感じずにいられたのかもしれないし、
あるいは、落胆せずに済んだのかもしれん。

「そうかもしれませんね。そういう発想はありませんでしたが。
ともかく、僕にとっては非常に印象深いものでした。
どういう意味があったのかは、さっぱりわかりませんけどね」
「そうかい」

 専門家でない俺にこれといったアドバイスはなく、適当に相槌を打つ。
と言うより、それ以外に反応のしようがない。

 気づけば、お盆を手にしたまま朝比奈さんが目を丸くして聞き入っていた。
いいんですよ、こいつの妙なトークに耳を傾けなくても。

「で、チェックメイトだ」
「おや」

 わざとらしくたった今気づいたとでもいうように驚きの表情をみせる古泉から目線を外して、
俺は深くパイプ椅子に背をもたせかけた。

「最近見た夢か。とんと記憶にないな」
「起きたばかりならともかく、放っておけばすぐに忘れてしまいますからね」

 朝の目覚ましやら妹の呼び声で消えちまうこともあるしな。

「覚えているものはないのですか?」
「まあ、あるにはあるが」

 応えて、表情が渋くなるのを知覚した。
ハルヒと二人、神人に遭遇したあの時のことは、一生忘れないだろうぜ。

「あなたが見る夢、ですか。とても興味深い話です」

 台詞を裏付けるかのように、にやけハンサムは机に手を突いて大きく身を乗り出してきた。

「ぜひ、お聞かせ願えませんか。
余人に聞かせるのははばかられる内容でしたら、後でこっそりお話していただいても構いませんが」
「古泉。妙な疑惑を受けかねない台詞は慎め」

 あとな、お前はいつだって顔が近すぎるんだよ。
そういうのは、SOS団が誇るエンジェル、朝比奈さんだけで十分だ。

「夢の話は気が向いたらしてやるよ」
「わかりました」

 押しても駄目と踏んだのか、古泉はそっと肩をすくめつつ眉尻を下げた。
俺の気が向くことなど、一生ないとわかっているのかもしれん。

「そういえば」

 今度はいったい何なんだ。胸中の疑問は口にするより先に解消された。

「長門さんも夢を見ることはあるのですか?」

 何を思っての質問なのか、胡散臭い笑みを浮かべる横顔から読み取ることはできない。

「つい先日の話」

 こいつから窓際の自動ページ繰り機と化していた万能宇宙人への珍しい振りは、
これまた珍しいことにきちんとした反応があった。
本に目線を固定したままではあったが、淀みない口調で語を継いだのだ。

「わたしの隣で彼が眠っている。わたしはその寝顔を見つめながら目覚めるのを待っている。
そうするのはわたしの日課。優しい寝顔はいつまで眺めていても飽きることはない。
いつしかわたしは胸の中に満ちる温かな想いに支配される。
プログラムによって取るべき行動を上書きされたかのごとく抗うことはできない。
わたしは彼にキスをする。頬や瞼や鼻の頭に唇の雨を降らせる。起きるまでひたすらそれは続く。
初めてそうした時は百十三回目で彼が目覚めた。次の朝は八十六回。次の日は二百七回。
平均すると百二十回前後のキスで彼の意識は覚醒する。
わたしがこうした行動を取る理由をたずねると「好きな人にはそうしたくなるもの」という回答を得た。
好きという感覚はよくわからない。わたしが抱く気持ちがそうなのかもしれない。違うかもしれない。
ただ彼が側にいると落ち着くのは確か。それを伝えると彼は「ありがとう」と笑っていた。
いつもとは異なる笑顔を目にしたわたしはまっすぐ彼を見つめられなくなった。
脈拍は乱れ呼吸は荒くなり息苦しさを覚えた。それは敵の攻撃によるものではなかった。
わたしはわたし自身を支配下に置けなくなる。彼の前でのみそういう事態に見舞われる。
これは彼が口にする「好き」という感情と関係しているのかもしれない」

 室内は完全なる沈黙に包まれていた。
長門よ。なんだってお前は息継ぎもしないでいきなりこんな話を始めたんだ。
そう、ツッコミを入れたかったのは俺だけじゃないだろうぜ。

「彼と同じベッドで眠るようになったのはここ一ヶ月の話。
彼とは婚約をしている。書類はすべて用意してある。近々手続きを進める手はずになっている。
日中は北高で過ごしそれ以外の時間は生計を一にしている。
炊事洗濯掃除入浴は相互に分担することになっている。
日本国においては極めて例外的な事例であるため表向きは秘密の話にしてある」
「長門さん、校内に婚約者が……?」

 普段なら、驚愕の二文字を顔全体に張りつけたメイド服姿のキュートな先輩をじっくり眺めるところだが、
今の俺にはそんな余裕などなかった。婚約だと? いつどこで知り合った誰とだ?
あのマンションで誰かと一緒に住んでいるというのか。
確かに、この一ヶ月は部屋に上がってないが。

「わたしは彼のことを名前で呼んでいる。校内ではその名で呼ぶ者はいない。
この話をした時わたしは「嬉しそうな顔をしていた」と彼は言っていた。
嬉しいという感覚を理解することはできないが一つの判断基準とすることにした。
彼の言葉ないしは鏡に映った自身の表情からわたしがどう感じているのかを知ることにした。
たとえばわたしは彼と共に過ごすことができて嬉しい。湯船で後ろから抱きしめられて嬉しい。
肌に触れられて嬉しい。手をつなぐことができて嬉しい。キスをされると嬉しい。
わたしの日常は喜びという感情で彩られている。
それが彼と過ごすことで芽生えたものなのだとすればわたしは嬉しい」

 この時、違和感を覚えたのは俺だけではなかったらしい。
文字を追っていたはずの一対の黒い瞳はこちらをじっと見つめていて、
朝比奈さんと古泉はそれを知っているのかどうか同じく俺を凝視していた。

 どういうことだ。この話の主役は、長門を除けば誰も知らないやつじゃないのか。
動揺する俺の耳に届いたのは、意外な台詞だった。

「そういう夢を見た」
「……は?」

 目が点になるとはこのことである。
なるほど、言われてみれば最初の質問は夢を見るのか、だった。

 だが、どんでん返しはまだまだ続く。

「正しくは嘘」
「嘘?」
「今日は四月一日」

 俺たちは思わず顔を見合わせた。
まさか、こいつの口からそんな単語が飛び出すとは思いもよらなかったぜ。
つまりあれか。お前は、エイプリルフールだからこんなことを言った、ってのか。

「否定する要素はない」
「そうか」
「そう」

 淡々と答える宇宙人の瞳は、凪いだ海を想起させる。
こうしていると、いつもと変わらない。俺の目にもそう見える。

 だがな。一つだけ腑に落ちないことがある。
わかりにくい態度ではあったものの冗談を口にし、居合わせる全員が見事に騙された。
つまりは四月バカ大成功、ってわけだ。しかし、本当にそうなのか。
俺には、どうも後づけの理由にしか思えないのだ。
話が終わってからならまだしも、途中で嬉しそうな表情をみせたことに対する説明がつかない。
微かな違いだが、見間違いではないと断言できる。小遣いを三か月分、賭けたっていいくらいだ。

 見れば、古泉と朝比奈さんは何ごともなかったかのように和気藹々と談笑していた。
本当の話かと思っただの、俺の手が早いだの言って、盛り上がっている。
どうやら今の説明に何の疑問も抱いてないようだ。

「ところで長門。結婚って、届出をしなくちゃいけないことを知ってたのか?」
「今は知っている」
「調べたのか」
「そう」

 朝の目覚めは長門のキス、か。
今度、やってみてくれと言ったら、こいつはどんな顔をするんだろうな。

 夢は願望の表れとも言うが、まさか、ね。

「そっか」

 何でもない風を装いながら、俺は頬が熱くなるのを止められなかった。

ver.1.00 11/01/23
ver.1.40 11/01/26

〜長門有希の告白・舞台裏〜

 この日、団長殿が部室にやって来なかった理由は夢見が悪かったとのことだった。
なんでも、とてもじゃないが学校まで来る気にはなれなかったらしい。
赤信号すら無理やり青に変えてしまいかねないあいつが、
そんなことくらいで部活を休んで家で腐っている光景はいまいちピンと来ないのだが、
それくらい、ショッキングな内容だったということか。
思いつきや気まぐれを即行動に移すことを考えれば、妙なことをしようとしているのかもしれないが。

 ちなみに、エスパーでもない俺がどうしてそんなことを知っているかといえば、
つい先ほど突然電話がかかってきたからで、
『今一人?』から始まり『駅前、いつものところ』で終わる反論の余地のない呼び出しを受け、
ほいほいと現れた俺に向かってハルヒはまず学校に行かなかったわけを説明されたからだった。
ここまではよくある話で、いつもどおりの唯我独尊振りと言えるのだが、
この後に続いたやり取りは俺にとって天地開闢以上の衝撃を与えることになる。

「キョン。ミスドでもモスでもケンタでも好きなところを選んで」

 いきなりだな、おい。唐突にも程がある。
それなりの距離を踏破してきた人間に開口一番、不平不満をぶちまけたと思ったら、次はこれだ。
わけがわからない。思わず意味朦朧、そんな作り物の四字熟語を思い浮かべちまったぜ。

「なんだそりゃ。行き先を決めかねているのか? それともクイズか何かか」

 俺の問いかけに、団長殿は白いワンピースの裾を翻しつつ胸を反り、ぐっと口角を持ち上げた。

「たまにはあんたに選ばせてあげようと思ってね」

 それはそれは、ありがたいこった。
しかし、ハルヒ。単に、朝の延長でそれを考えるのが面倒くさいだけじゃあるまいな。

「何言ってんのよバカキョン。そんなわけないでしょ。
団長たるもの、たまには団員を労わないといけないの。これはその一貫よ」
「いや、店を選ばせることを労うとは言わんと思うのだが」

 こいつは何がしたいのかね。思いつきで言ってるようにしか聞こえん。
まさか、こちらに店を選ばせることが、本気で褒美になると考えているんじゃないだろうな。
どうしても他に行きたい店があるというなら話は別だが、そういうわけではなさそうだ。

 こうした内心を感じ取ったのか、
ハルヒは哀れなものを見るような目で深々と嘆息をして、首を左右に振った。

「わかってないわね」

 何がだ。

「だから、今日はあたしが出してあげると言ってるの。感謝しなさい」
「は?」

 こいつ、今何て言ったんだ。おごる、だと?

「何よその顔は。何か不満でもあるわけ?」
「いや、不満があるわけじゃない。ただ驚いてるだけだ」
「別に、それほどたいしたことじゃないわよ。キルフェボンに行こうっていうんじゃないんだし。
むしろ、それならあたしが連れて行ってほしいくらいだわ」

 顔を寄せたまま興奮するんじゃありません。唾が飛んだだろうが。

「聞いたことがない店だが、有名なのか?」
「ええ。元々、銀座かどこか、東の方から来た店らしいんだけど、
ホールのケーキで高いのは一万円を超えるわ。店舗は京都だから、自転車だと時間がかかるわね」
「ちょっと待てハルヒ。一万円のケーキだって?」
「あまおうか何かを何十個と乗せてあるやつはその値段だったわよ」

 成り金向けのぼったくりショップか、それは。

「で、どうするのよ。あんたがどうしてもキルフェボンがいいって言うならそれでもいいけど」
「アホか。二人で旅行できるような値段の店に行けるかよ」
「……まあ、それもそうね」

 アホ呼ばわりされたってのに何も言い返して来ないことを少々いぶかしく思っていた俺が、
小さくかぶりを振ったその直後である。

「旅行、か」

 そんなつぶやきが聞こえたような気がしたのだが、
確認するより先に団長殿はこちらに背を向けて自転車の方へと歩き出していた。



 結局選んだのは店名の頭文字であるMがそのままマークになった超有名ファーストフードで、
そろそろ帰ろうかという流れになった。

「それじゃ、支払いは任せるわ」

 席を立ち、ニヤリと笑って言うこの世の不思議を求めて止まない団長殿に、愕然とする。

「な」

 なんてやつだ。ここに来る前、払うとか言ってなかったか。

「バカね。真に受けないでよ」

 言葉を失っていた俺は、心底楽しそうな顔で鼻をつまもうとしてくるその手を振り払った。
だが、文句を言うよりも早く次の台詞が俺の耳に届く。

「エイプリルフールよエイプリルフール。払うわよ。払えばいいんでしょ」

 ハルヒは俺の手からレシートをもぎ取ると、こちらの鼻先を指差してきた。

「これ、貸しだから」

 えらく恩着せがましいおごりだな。
まあ、素直じゃないこいつ流の照れ隠し、ということにしておくか。やれやれ。



 久しぶりのハルヒSSです。今回は、長門のお話でした。
ちなみにこちらは『長門が幸せそうなお話』というリクエストにお応えしたものです。
遅くなりましたがお誕生日プレゼントということで、謹んで進呈いたします。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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