「……どうかしたのか」

 昼下がり、巨大なファンがうなりをあげる公安局刑事課一係の刑事部屋で、オフィスチェアーの背もたれにもたれかかっていた執行官狡噛慎也は物思いにふけるのを止め、心なし居住まいを正して監視官常守朱に呼びかけた。

「いえ」

 呼びかけられると思っていなかった、と言えば嘘になる。
それでも声をかけられた事に少なからずバツの悪さを覚えて、朱はあわてて笑顔を取り繕い、何でもありません、と続けた。

 一度ならず意味ありげにちらちらと見ていれば、いくら察しが悪い人間であってもいつかは気づく。
動物的な勘とも呼ぶべき鋭さを備えた“ハウンドthree”であればなおの事、最初から知っていたに違いない。

 しかし、そうとわかっていて朱は己を律する事ができなかった。
無論、理由はある。ただ、それを口に出す事はひどくためらわれた。
まるで思春期の学生が如き行動を取ったのは、先日の、縢の台詞に起因するのだと、どうして説明できよう。
そんな事をしたが最後、赤面ものどころか身投げしたくなるに決まっている。

『朱ちゃんてさ、血液型占いって信じる? ちなみに狡ちゃんの血液型ってBなんだけどさ……』

 馬鹿正直に件の話をすれば、穴があったら入りたいどころの騒ぎではない心持ちになったであろう事は想像に難くない。

 ちなみに、縢がどういう意図で話題を振ったのかは分からず仕舞いだった。直後に事件の発生による呼び出しを受けたからだ。

 いずれにせよ、狡噛の血液型に係わる与太話が気になっているのは決して縢とのやり取りが消化不良だったからではない。
その事のみにすべての責任を押しつけてしまうには、常守朱の頭は切れすぎる。
公安局監視官のみならずあらゆる官公庁の職業に適性を示した結果は、伊達ではない。

 信ぴょう性に乏しい旧世代の血液型占いは歯牙にかける必要はなく、心を乱されるなどもってのほかである。
朱は努めてそう思い込みながらモニターに映る資料を尻目に、昨日の事件へと意識を切り替えた。

「狡噛さんは、どう思います?」
「それを判断するには手元の情報が少なすぎる。しかし、間違いなく殺しだな」

 狡噛は短くなったタバコを灰皿に押しつけつつ断言する。
はき出された紫煙がゆるゆると二人の間を漂い、一定以上拡散したものはファンに勢いよく吸い込まれていく。

「刑事の勘、ですね」
「ああ」

 お約束のやり取りに、互いの唇がわずかに弧を描いた。
勘と言っても、当てずっぽうではない。経験に裏打ちされた感覚によって、犯罪の“臭い”を嗅ぎつける。
宜野座が執行官に対して使う猟犬なる表現は、あながち的を外れてはいない。

「証拠は上がっていないが、唐之杜分析官の腕は確かだ。じき、尻尾をつかめるさ」

 朱は狡噛の言葉を気休めとは取らなかった。
優秀な分析官として能力を最大限に発揮する唐之杜は、潜在犯でもある。
蝶や蜂が蜜の香りを感じ取るように、事件の猟奇性と共に高まる甘美な“匂い”を嬉々として探り当てるのだ。

「常守監視官」
「何ですか、狡噛さん」
「占いを信じるほうか?」
「……は?」

 驚きに彩られた純朴な眼差しに見据えられて、黒髪の執行官は目蓋を下ろして眉間を軽く揉んだ。
一見、脈絡のない話題のようにも思えるが、そうではない。
先程から繰り返し向けられていた視線の意味を、彼は知っていた。
先程廊下で、縢が朱に血液型占いの話をした旨を聞かされていたからだ。

「唐突ですね」
「あんたが聞きたそうな顔をしていたからな」

 思わぬ指摘にショートボブの新人監視官は目を丸くし、遅れて微かに目元を桜色に染めた。
もはや、前世紀の産物など気にならないという言い分は通るまい。

「それも刑事の勘ですか」
「そんなところだ」

 苦し紛れの返答に曖昧な頷きを返し、狡噛は再び背もたれに体重をかける。
まったく、とんだ“勘”があったものだ。

「……2084年8月16日生まれ、血液型はB。他に知りたい事はあるか」
「ありがとうございます。それだけわかれば十分です」

 せっかくですがその情報は知っていますよ、という台詞は思うに止めて、朱はにこりと微笑んだ。
せっかくの心遣いを無にするような発言は、彼女にとっても望むところではない。

ver.1.00 13/8/23


 超短編、初めてのサイコパスSSです。
7月の終わりに、一気に見ました。こんなにも面白い作品があったなんて、と衝撃でした。
2期のお知らせは正式発表ではありませんでしたが、心待ちにしています。
続きはなるべく早くアップしたいと思います。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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