「で?」

 天下のドコデモグループお客様相談センターの契約社員は、不機嫌さを隠そうともしない声と表情でテーブルの向かいに座る若者を半眼でにらみつけた。

「で、とは何だ」

 激情を抑えようとしたというよりは戸惑いを含んだ短い問いに、東京渋谷区笹塚にある築60年のボロアパート「ヴィラ・ローザ笹塚」201号室を仮の魔王城と定め、主として君臨するマグロナルド幡ヶ谷駅前店の将来有望なアルバイト店員は、向けられた険しい目つきを気にすることなく小首をかしげる。

「だから、言いたいことはそれだけかと聞いているのよ」

 繰り返される語の意味を、魔王は正確に捕らえたのかどうか。
恵美はなおも不思議そうな顔をしている真奥に、深々とため息をついた。
いかにも無害そうな様を見ていると、一人で怒っているのがただただ馬鹿らしくなる。

「それのどこが悪魔大元帥の仕事なのよ。と言うかあんた、自分が何を言ってるかわかってる?」

 何が悲しくて、エンテ・イスラを救った勇者が世界の覇権を狙った者たちの食事を用意しなければならないのか。
もし納得できる答えを用意してくれる人がいるのなら、今すぐにでも聖法気を解放し、飛んで行こうとさえ思う。

「言いたいことはそれだけか、だと」

 それまで二人のやり取りを黙って聞いていた長身体躯で銀色の髪を無造作に伸ばす専業主夫、魔王軍の『知』を支える若者が苦々しげに言葉を続けた。

「遊佐。貴様には軍を率いる上で補給がいかに大事なものかを説き聴かせる必要があるらしいな」
「わかってるわよそんなこと」

 魔王軍掃討戦において常に前線で戦い続けたエミリアに一軍を率いた経験はないが、兵站の重要性は理解しているつもりだ。
ちなみに兵站とは戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したものであり、舞台の移動と支援の計画や実施する活動を指す用語でもあり、物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などを含む。
語源となったのはギリシア語で『計算を基礎にした活動』ないしは『計算の熟練者』、ラテン語においては『古代ローマ軍あるいはビサンチンの行政官・管理者』を意味している。

 だが、ここで言いたいのはそういうことではない。そういう話をしたい訳ではないのだ。

「だからって、どうして私がフライパンを握らなくちゃいけないの」

 一年以上に渡り一人暮らしを続けている遊佐恵美であったが、出来合いのものばかりを買っているため、料理の経験はない。
やむを得ない流れとはいえ、できることなら回避したいと考えるのも無理はなく、文句の一つや二つはこぼしたくなる。

 そこへ、空気を読まないひと言があった。

「賭けに負けたからじゃないの」
「あんたは黙ってて」
「何怒ってんの」
「黙りなさい穀潰し」

 わずかに開いた襖から顔を覗かせた現真奥上におけるお荷物、かつて『暁の子』と呼ばれた堕天ニートが入れたツッコミを、恵美は冷ややかな一瞥と共にぴしゃりと切って捨てる。
取り付く島もないとはこのことだった。

「相変わらず僕の扱いが酷すぎるよ」

 ぶつぶつとつぶやく漆原だったが、誰一人として視線を送る者はない。
ふてくされて、再び押入れへと引っ込むまでさしたる時間はかからなかった。


 賭け、と言っても二人が競い合った訳ではない。
事の発端は、たまたま食事時にオールスターでセ・リーグとパ・リーグ、どちらのチームが勝利するかという話になった時、売り言葉に買い言葉で負けた方が言うことを聞く、という流れにあった。
勝敗が決し、敗れたエミリアは「それじゃ、飯でも作ってくれよ」なる魔王のあっけらかんとした言葉によって、調理場に立つハメになったのである。

「はい、お待たせ」

 ほくほくと湯気を立てるオムライスを目にした真奥組の反応は、微妙なものだった、と表現すればいいだろうか。
恵美が人参や玉ねぎを刻み、ひき肉と一緒に炒めたご飯を卵で包み込む簡単な料理を作るために要した時間は、一時間あまり。
手馴れた者ならば十数分で用意ができてもおかしくはない、手の込んだとは言い難いものだった。

「ケチャップは好みの量がわからないから自分でかけて頂戴」
「ああ、悪いな」

 完成度は、お世辞にも高いとは言えない。
初めてにしては上出来と思いたいところだが、真奥の前に置かれたものは盛ったご飯に平べったい卵焼きが乗った状態で、芦屋の分も似たようなものだ。
正真正銘、一度目に作った漆原の分に至っては、卵が少々、いや、かなり炭化している。

 正直なところ、気が乗らない話ではあった。
仮にも勇者が、雌雄を決すべく命をかけて戦った相手、魔王のために料理をするなど、正気の沙汰ではない。
そんな風に思っていたにもかかわらず、実際やり始めると意外に楽しかったのだ。
慣れない包丁を握るのは怖いし、人参が思いの外固かったために危うく指ごと切断しかけたものの、終わって完成品を目にした時の充足感はかなりのものだった。
これまで何かを生み出す経験がなかったためかもしれない。
当然ながら手抜きをしたつもりはなく、むしろ、一生懸命やったと胸を張ってもいいくらいだった。
思いに反して残念な仕上がりになってしまったのは誠に遺憾ながら、悪くない、と思えたのである。

 とはいえ、いざ感想を聞くとなるとまったく別の怖さがあった。
いかな強敵を前にひるむことのなかったエミリアが、尻尾を巻いて脱兎のごとく逃げたくなっていた。
料理を作るという義務は果たしたのだから、帰ったとしても文句を言われることはない。
しかし、ぎりぎりのところでエミリア・ユスティーナを彼女たらしめんとする矜持が上回った。

(そもそも、私が逃げなくちゃいけない理由なんてないし)

 内心、強がりさえ吐いてみせる辺りはさすが勇者と言ったところか。

「それじゃ、頂くとするか」
「はい。お手並拝見と参りましょう」

 うなずき合う主従を、恵美は向かいに座ったまま固唾を飲んで見守る。
薄く開いた襖の隙間から紫色の瞳が室内の様子を伺っていることに気づいたが、そんなものに構っている余裕はない。

 スプーンで切り分けられた煎餅のような状態の卵がご飯と共に口へと運ばれ、咀嚼され、嚥下されるまでの間の十数秒は、途方もなく長く感じられた。
表情からはどう感じているのか読み取ることができない。
気を紛らわせようと軽口を叩こうとして何も言えなかった恵美は、おもむろに顔を上げた真奥をやや上目遣いに見る。

「その、なんだ」

 一体何を言われるのか。緊張の瞬間である。

「固めが好みなのか?」
「……は?」

 想像外の問いかけに、勇者は思わず目を丸くした。
これを見た魔王が逆に困惑し、苦笑する。

「いや、は、と言われても」

 余計な口をはさむまいと考えているのか、魔界きっての知将は黙々とオムライスを食していた。

「卵のことだと思うけど」

 聞き違いかと思えるくらい小さな背後からの囁きを聞いて、恵美は取ってつけたような、やや引きつった笑顔をみせる。

「そ、そうよ。私は固いのが好きなの」

 本当のところはふわふわのものが好きなのだが、ここで正直にご飯の上に乗せる卵を焼きすぎてしまった、と告白できるほど、彼女は素直でない。
第一、魔王に対して素直に心情を吐露する勇者など、あり得ないにも程がある。

「で、お前は食べないの?」
「食べるわよ」

 恵美はいただきます、と手を合わせてから、改めて手元の皿を眺めた。
自作ながら、見れば見るほど残念な仕上がりだ。
万一、店でこのような物が出たら二度と足を運ぼうとは思うまい。

 食べてみると、思ったよりひどくはなかった。
美味しいとは口が裂けても言えないが、一応、食べ物としては及第点である。

「僕の分持って行くから」

 途中でニートが自分の分を取りにきた以外は特に会話もない静かな食事会は、テーブルについた三人がスプーンを置くまで続いた。


「ごちそうさまでした」

 一粒残さず完食した上に食前食後の挨拶を欠かさない魔王軍のトップとナンバーツーを見るのは初めてではなかったが、その度、勇者は何とも言えない気分になる。
それも、自分の料理を食べた後ともなれば、複雑すぎる心情は表現しきれるものではない。

「ふう、食った食った」

 湯呑を傾けている芦屋の心中は不明であるものの、真奥は食欲が満たされたと感じているように見えた。
頭をよぎった希望的観測なのだろうか、という思いにあえて気づかない振りをして、恵美はこっそりと息を吐き出す。
魔王からの褒め言葉を期待するなど、どうかしている。きっと、慣れないことをしたせいで参っているのだろう。

「これで約束は果たしたわよ」
「ああ、そうだな。お疲れさん」

 魔王城に再び沈黙が訪れる。
客観的には気まずい空気ではなかったが、精神的な余裕を欠いた勇者は静かであることが苦痛で仕方がなかった。
理由はわからない。しかしいら立ちはいっかな収まる気配がない。

「何よ。不味かったなら不味かった、ってはっきり言えば?」

 飛び出したのは自虐的な言葉だった。

「わかってるわよ。そもそも、私が芦屋や千穂ちゃんやベルみたいに上手くできる訳ないし」

 一度口を開くと、止められない。千々に乱れた心が止まらない。
どうしていいかわからず、ついには恵美の涙腺が緩みかけたところで声がかかる。

「そんなことはねえよ」

 顔を上げると、そこには裏など感じさせない明るい笑顔があった。

「美味かったぜ、これ。少なくとも、残そうとは思わないくらいにはな」

 普段なら、反発していたに違いない。

「技術的な話をすりゃ、芦屋たちには及ばねえのかもしれないけどさ。ちゃんと手をかけてくれたのがわかる」

 だが、今はすんなりと受け止めることができた。

「だからさ。美味かったぜ、恵美。サンキュな」

 それでも、ありがとうと返せないのはどうしてなのだろう。

「別に、褒めたって何も出ないんだから」

 エンテ・イスラを救った勇者が、ともすれば緩みそうになる表情筋を保ちながら必死に言う。
可愛げのない台詞だと、自覚はあった。だからと言って、どうしようもない。

「褒めちゃいねえよ。思ったままを言っただけだ」
「あ、そう」

 鈍い真奥のことだ。我関せずといった顔つきで隣に座っている大元帥ならばいざ知らず、胸中を読まれているということはあるまい。
横槍を入れてこないのはかえって不気味ではあるが、余計なことを言われるよりはましだろう。

 しかし、そうした考えは直後に吹き飛んでしまった。

「恵美、お前なんで泣いてるんだ?」
「は……?」

 恵美はあわてて自分の顔に手をやって、愕然とする。
頬を伝うそれは、紛れもなく涙であったからだ。

「目にゴミが入っただけに決まってるでしょ。まったく……私、もう帰るから!」
「おい、どうしたってんだよ。恵美」
「うるさい。帰るって言ってるでしょ!」

 いそいそと帰り支度を始めた勇者に、芦屋は何かを言いかけて、ただ、小さく首を振った。

ver.1.00 13/9/22

 魔王さまSS第2弾は恵美のお話です。
アニメのみを視聴されている方も多いと思いますので、一切ネタバレのない内容となっています。
一応、ジャンル分けするとまおえみ、って事になるのでしょうか。

 順番的には、次はちーちゃんですかね。
好みで言えば鈴乃や恵美の方が……いや、木崎さんで!

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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