何をするでもなく茹だるような暑さが生みだす陽炎を見つめていると、心中に去来する思いがあった。
敗色濃厚となり、幾多の戦いを共にした仲間たちはほぼ全員が海の藻屑となって、ついにはミッドウェーを一緒に戦い抜いた大切な人さえも失って、生き延びてしまったあの夏。

 就役して間もなく、戦線拡大に伴って大陸への陸軍輸送の掩護をしたっけ。
重雷装艦に改装された時は、つい調子に乗って飲み過ぎちゃって大井っちに怒られたのも、今となっては甘酸っぱく、でも、綺羅星のように煌く思い出だ。

 最後の年、載せたくもない物を詰め込まれて、唯一の救いは出撃命令が下らなかった事だろうか。
そこまで考えて、口の中に、ううん、体中に苦味が走る。
そんなものを救いと呼ばなければいけない程、あの戦いは悲惨だったのだろう。
呉は度重なる空襲で軍港としての機能を失い、二発の新型爆弾によって政府はたまらず白旗を上げた。

 あと少し戦いが続いていたら、あたしも沖縄への途上で散った彼の超弩級戦艦のように特攻を命じられていたのかもしれない。
神風を求めて、回天を出撃させるために駆り出されるついでに、そんな作戦が立てられたかもしれない。

 その方が良かったのかな、なんて思うのは勝手なのだろうか。
少なくとも、無二の親友はあたしの事を叱るに違いない。何を言っているの、馬鹿な事を言わないでよ北上さん、って。

 でもね、大井っち。やっぱり一人は寂しいよ。
同じところから見る景色でも、一緒に君が居てくれたら……。

 力なく瞼を下ろしたその時、聞き慣れた、でも聞きたくない声が耳朶を打った。

「元気がないじゃないか」

 反射的に顔へ手をやりそうになって、どうにか踏みとどまる。
何かが頬を伝う感覚はない。今はまだ、大丈夫。

「そりゃそうですよ」

 目を開くと、少し離れたところに曖昧な笑みを浮かべる青年が立っていた。
戦時中でなければ絶対閑職につかされていそうな、そのくせ、ここ一番ではみんなが驚くような大胆さを持つよく分からない人だ。

「何かあったのか」
「あなたがあたしの前に立っているからです」
「これは手厳しい」

 裏のない気遣いに、心のどこかでほっとしている事を気づかれたくなくて、思いきり舌を出す。

「そんな顔をしたらせっかくの美人が台無しだぞ」
「お生憎様、これくらいで崩れてしまうようなら美人なんて言わないですから」

 半ばお約束となったやり取りを交わして、軽く嘆息する。
美人だなんて、本当、何を言ってるんだろうね。この人以外には一度も言われた事がないんだけど。
それも、臆面もなく言っちゃって、夏の暑さで脳が溶けているんじゃないだろうか。

「それで、用向きは」

 できるだけ素っ気なく、と意識するまでもなく愛想のない声音が口から飛び出す。
一度でも甘えてしまえばそのままずるずると寄りかかってしまう事はないとは思う。
だからと言って、素直に受け入れられないのは、心の深いところで根に持っているのかもしれない。
この人のせいではないと言うのに、あたしが艦娘から退役する羽目になった責任を押し付けてしまっているとすれば、不愉快な話だった。
あたしにとっても、彼にとっても。

「これまた厳しいな。用がなければ来ちゃいけないのか」
「当然ですよ」

 つい笑みがこぼれてしまったのは、何故か。
くつくつと肩を揺らすあたしを見て、部屋の空気が緩む。
よりほっとしたのは、多分こっちの方だ。

「ほら、差し入れだ。今朝、新しく店ができてな。美味そうだったから買ってきたんだが」
「はいはい、わかりました。食べればいいんでしょ食べれば」

 言っておくけれど、あたしは甘い物が嫌いなわけではない。むしろ、好物だ。
欲しがりません勝つまでは、なる標語を掲げていたあの頃だったら闇ルートでも使わない限り一般市場ではまず手に入らなかった貴重品、砂糖がふんだんに使われている。
最近はこういう“すいーつ”なるものが年頃の女学生はもちろん、男子の間でも流行っているらしい。
時代は変わったよね。

「ありがと。すごく美味しい」
「そうか。それは良かった」

 分かりやすく安堵の顔をみせる彼を、いじる気にはなれなかった。
と言うか、ただでさえさっきからあたしの態度は可愛げがないのに、いくら何でもやりすぎだ。

 しかし、である。
反省しかけたところで、すっとこちらに伸びてきた彼の指が三つ編みをつまみ上げた。
あたしは一瞬大きく目を見開いて、それから、半眼になる。

「大井っち、髪をいじり回さないでよ……とでも言うと思った訳? 何やってんの」

 どう思ったかについては、ノーコメント。
鎮守府に居た全員にベタベタ触るような男にくれてやる感想なんてない。

「久々に見たな、その汚いものを見るような目」
「だって本当に汚いし」
「頼むからそういう台詞は止めてくれ。割と本気で傷つく」

 やたらとスキンシップをしてくるくせに小心者っていうのは、何なんだろうね。
やっぱり、変わった人だと思う。昔から、きっとこれからもずっと。

「ねえ」
「何だ」

 どうしてかとたずねられたら、あたしはどう答えていいかわからない。

「さっきのさ、何て言うの。ほら、すいーつ」

 でも、単に寂しいからだとか、心の迷いとか、そういう類の気持ちではないのだと思う。

「明日も持って来ていいよ」
「……気が向けばな」

 社交辞令的な返事とは裏腹に、明日もこの人は土産を持って現れるのだろうと、あたしは確信していた。

ver.1.00 13/10/19

 2つ目の艦これSSは北上さんです。
2013年10月19日、私の愚行によって北上さんは帰らぬ人となってしまいました。
この物語を、心からの供養を彼女に捧げます。
ごめんね、北上さん。

それでは皆さま、今宵も暁の水平線に勝利を刻みましょう!

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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