「Hello !」

 執務室の扉が開かれるや否や、底抜けに明るい声が響いた。

「Hello ! Hello ! Hello !」

 喜の感情に彩られた英単語が立て続けに連呼される中、提督は全力で飛びついてきた和装少女のをわずかによろめきながらも抱きとめて、思わず頬が緩みそうになるのをこらえる。
司令官たるもの、たまには威厳を保たなければならない。
もっとも、着任した数日後には失われていたものを取り戻すなど、至難の業である事に気づいていないのは彼のみだ。

「テートクの匂いがするデース」

 それは独り言なのか、あるいは聞かせるつもりだった言葉なのか。
日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦、金剛の性格を考えれば間違いなく前者であろうと思われるが、万一後者である可能性を考えれば、おいそれとたずねるわけにはいかない。

 第一艦隊の旗艦並びに秘書を兼任する彼女は、誇り高き紳士淑女の国イギリスに発注された最後の軍艦で、二度の改装を経て高速戦艦となり、太平洋戦域において目覚しい活躍を果たした。
日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製戦艦であり、また日本海軍史上、潜水艦の雷撃によって失われた唯一の戦艦であり、米国の空母撃沈に成功した世界唯一の戦艦でもある。
決して、単なる英国かぶれの帰国子女ではないのだ。

「ともかく、すっかり元気そうで何よりだ、金剛」
「Yes ! 痛めた所はすっかり治ったヨ。もう心配いらないネ!」

 腕の中で、顔だけを上向かせて答えてくる金剛の笑顔のきらめきは夏の日差しを思わせる。
強がりを言っているようには見えず、先日の作戦における負傷は完治しているようだった。

「それにしても、どうしたんだ。藪から棒にハローを連発して、暑さにやられでもしたのかと思ったぞ」
「What ?」

 金剛は不思議そうに幾度かまばたきを繰り返してから、にわかに目を弓にする。

「テートクが何を言っているか理解したネ」
「何だ、慣用句の話か?」

 平仮名、片仮名、音読みと訓読みが入り混じる漢字に加えて和製の英語、それらを組み合わせた幾つもの言葉によって構成される日本語は、世界でも有数の難解な言語に分類される。
海外で生まれた艦娘に、日常会話レベルでの慣用句はさすがにハードルが高いと言う事か。

 だが、和装の少女は歯を見せながら勘違いを訂正する。

「違う違う、そっちじゃないヨ」
「違う?」
「挨拶の話ネ」
「挨拶?」

 まったく想像しなかった回答に、今度は提督が目を丸くした。
専門用語を多用する英会話ならともかく、挨拶程度の単語で聞き違いなど起こりえない。
しかし、そうではないのだと金剛は小鼻を膨らませつつ大きく頷いた。

「Yes! テートクが言ってるのは、こんにちは、の意味のHello.ネ。でも、ワタシが言っているのはおかえりデス」
「なるほど、そうだったのか」

 言われてみれば納得で、それだけ帰りを待ちわびていたのかと思うと、愛しく感じられてならない。
元々スキンシップの多い娘ではあったが、今日は一段とその傾向が強いのは感情が先に立っているせいか。
そっとつままれた袖口にかかるかすかな重みは、気のせいではあるまい。

「今回の戦い、厳しかったと聞いてるネ。テートクの事、赤城の事、榛名も、ミンナの事信じていたけれど……」
「そうだな。今回は実に厳しい戦いだった」

 敵の航空艦隊を殲滅を目的とした作戦は、辛うじて完遂することができた。
正規空母二隻を含め、相手の航空戦力は着艦せず基地へと逃げ帰ったものを除けば全滅、戦果だけを見れば大勝利と言っても過言ではない。
だが、味方の損害も甚大で、大破した艦が三割強、無傷のものはたった一隻で、一人も落伍者が出なかったのは、奇跡としか言い様がなかった。

「そういえばテートク、怪我はなかったノ? 他のミンナも」
「ああ、私かすり傷程度だ……ってこら、あちこちまさぐるんじゃない」

 制止の声がかかって、服の上から体を這い回るたおやかな指は、提督の軽くはない傷を負った箇所に触れる直前でぴたりと止まる。

「敵の砲塔が我が艦の艦橋に向けられた時はさすがにひやりとしたが、まあ、これも日頃の行いかな」

 努めて明るく言った事が功を奏したのか、金剛は途端にいたずらっ子のような目つきになって口元を弓にした。

「当然デース。テートクにはワタシがついてるネ! 金剛は勝利の女神だヨ」
「はは、そうだな」

 優しい嘘をつくことは罪なのか。
ぼんやりとそんな事を考えながら、型破りの艦隊司令は和装少女に優しい微笑で応える。

「やっぱり、ワタシには待っているなんて似合わないネ。いつも、いつでも、テートクの側にいたいデス」

 飄々としているように見えても、提督は軍人であり、死と隣り合わせである事を理解している。
同時に、いつ果てるとも知れない戦いの中で、少なくとも今だけは金剛の、率いるすべての艦娘たちの笑顔を守りたいという考えが甘いものである事も嫌というほどわかっていた。

 それでも、だ。

「今度はしっかり付いて行きマス。テートクの手を引くのはこのワタシ、金剛ネ。Follow me !」

 金剛型の戦乙女がみせる無垢なほほえみを、その眼差しを曇らせるような発言を、どうしてできよう。

「その心意気、買った」
「What ?」

 提督は抱き合ったままだった少女の肩に手をかけると、わずかに身を離して目線を合わせた。
たとえ身勝手な思いであったとしても、譲れない。譲りたくはない。

 だから、彼はおどけた振りをして、こう告げるのだ。

「これから始まる作戦会議をお前に仕切ってもらうぞ、金剛」
「Yes, サー!」

 金剛は茶目っ気たっぷりに敬礼をしてからウインクをひとつ飛ばした。

ver.1.00 13/10/14

 初の艦これSSは金剛でした。まだまだ始めたばかりなのですが、これがまた、面白い。
ゲームなんてもう長いことやってなかったのですが、久々のヒット作です。
可愛らしい外見の割にめっちゃシビアなところが、大人向けでしょうか。
何でも、すぐに飽きちゃう人には向かないかも。

それでは皆さま、今宵も暁の水平線に勝利を刻みましょう!

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



その 他の二次創作SSメニュー inserted by FC2 system