季節は冬、二月の半ばに差しかかろうという頃。
吹きすさぶ北風にさらされて、道行く人々の多くは背を丸め気味に歩いていた。
それもそのはず、つい先日北方よりせり出して来た寒気団が日本上空を覆い、氷点下数十度の冷気を地表に向かってこれでもかと放っている。

 おかげで日中にも関わらず気温はほとんど上昇せず、そのせいかひと気は商店街の一角を除いてほとんど見られない。
ではこの場に集う少女たち(男女比は1:9程度)が、ここぞとばかりに猛威を振るう冬将軍が少しでも早く立ち去ってくれることを祈るばかりかといえば、そうでもなかった。

 少なくとも目に映る乙女たちは皆、唇を紫色にし、ポケットに突っ込んだカイロで必死に暖を取りながら、それでもむしろどこか浮ついた雰囲気さえまとっている。
もちろんヘンな薬に手を出しているわけではなく、未成年なのにアルコールを摂取したからでもない。

 彼女たちの、エネルギーの源は間近に迫る一大イベントだった。


 商店街の南端、天候に関係なくある時期を除けば人通りが極めて少ない辺りに一人の女学生がいた。
身に着けているのは学園都市でも五本の指に入る名門校にして、世界有数のお嬢様校でもある常盤台中学の制服で、その上から白いダッフルコートを羽織り、薄い淡紅色のマフラーを首に巻いている。
肩の辺りまで伸ばした亜麻色の髪を持つ彼女は、学園第二位の能力者“超電磁砲”こと御坂美琴だ。

 見上げているのは頭ひとつ分高い位置にある店の軒先にぶら下がったハート型の白い看板で、そこには金で縁取られたチョコレート色の文字で、聖バレンタイン(St.Valentine)と書かれている。

 しかし他の少女たちと違って美琴の表情はどこか戸惑うようなものだった。
何かを思案するかのように、小さく眉を寄せてじっと看板を凝視している。

 実は彼女が店の前へやって来てからすでに三十分以上が過ぎていた。
その間、この地点を基点として動いた範囲はせいぜい半径五十センチほどで、踏み出した足を店の入口前に敷かれた玄関マットに乗せようとしては動きを止めて元の位置に戻るという動きを何度も繰り返している。

 と、上空十メートルの高さに濃い赤茶色の髪をしたツインテールの少女が突然現れた。
風紀委員の腕章をつけ常盤台中学の制服に身を包んだ彼女は、空間移動(テレポート)の使い手、大能力者(レベル4)の白井黒子だ。

 白井はそのまま数十メートル先に転移するべく能力を発動しかけたのだが、何気なく視線をやった先によく見知ったルームメイトの先輩を見つけて、11次元の計算式を即座に組み替えた。

 もちろん向かう先は美琴の背後で、

「おっ姉様ァァァァ!!」

 ツインテールの少女は喜びの声と共に愛しのお姉様に抱きつき、目を線にした幸せそうな顔で右肩の辺りに頬ずりする。

「ななな」

 まったく警戒していなかったところを急襲された学園第三位の少女が驚きの表情を浮かべたのはほんの一瞬で、すぐに半身をよじって振り返った。

「なんなのよアンタはいきなり」

 怒鳴りつけられた程度で白井がひるむはずはなく、いっそう強く頬を擦りつけてくる。

「ウフフフフ! 黒子をその気にさせたお姉様がいけないのですわ。だって、抱きしめて欲しいと言わんばかりのかわいらしい後姿で立ってらっしゃるんですもの……!」
「あー、はいはい」

 げんなりとした顔でつぶやいて、美琴は盛大に嘆息した。
どうやったらそういう風に捕らえられるのか、一度頭の中を覗いてみたい。
うじうじと悩んでいた自分が阿呆らしくなるくらい、愉快な思考パターンである。

「で、アンタはいつまでそうやっているつもりなわけ」
「出来ればいつまでも」

 白井はすりすりと頬擦りを続けながら悪びれることなく言い放った。
冗談であればまだかわいげもあるのだが、この発言が純度百パーセントの本気で構成されていることを電撃使いの少女は知っている。

「実力行使に出るわよ?」
「まあ、お姉様ったら! 別に恥ずかしがることなんてありませんのに」
「いいから離れなさい馬鹿黒子」

 美琴はいら立たしげに言って、容赦なく顔に手を掛けて後輩を背中から引き剥がしにかかった。
しかし白井は「これも愛の形ですのね」と抵抗して離れようとはしない。
やはり、力ずくで止めさせるより他はないのか。

「これが最後通牒よ」
「もう、お姉様は照れ屋さんで……」
「アンタ、いっぺん死んでみる?」
「わかりましたわ。続きはまたの機会ということで」

 美琴が額に青筋を立てながら前髪にバチバチと花火を散らし始めたのを見て、ツインテールの少女は渋々身を離した。
電撃を食らってでも抱きついていたいのは山々だが、押してばかりではなく、時には引いてみせることも肝要なのだ、とは白井の持論である。

「で、お姉様。何をしてらしたのですか」
「え、あ、いや別に。ちょろっと呆けていただけよ」

 目を泳がせて視線を反らす美琴に白井は「はて」と首を傾げて、ふと頭上にあるバレンタインの看板に気づいた。
二月十四日はあと数日後に迫っていること、店の前で立ち尽くしていたこと、これらふたつの情報から導き出される答えはそう多くない。

「ちょろっと、ですか」
「何よ」

 下から顔を覗き込まれて必死に顔を背けようとする美琴を見て、風紀委員の少女は確信した。
この態度は、間違いない。あからさまな照れ隠しである。

「いえ、何でもありませんわ」

 言いながら、白井はにんまりと口元が三日月になるのを止められなかった。

(わたくしへのプレゼントですのね。もうお姉様ったら! だからあんなにも恥ずかしがって……嗚呼!)

 ひとりで勝手に身もだえしだした後輩に、読心の力を持たない美琴は気味が悪そうに眉を寄せる。
もっとも、考えていることがわかったところで示す反応はほとんど同じか、より酷いものでしかないであろう。

「まあ、それはさておき」

 ツインテールの少女はこほんと咳払いをひとつすると、後ろに腕を回してお尻の辺りで指を絡めつつちょこんと首を傾げた。

「お姉様、これからデートでもいかがです」
「はぁ? どうしてアンタとデートをしなくちゃいけないのよ」

 美琴は体だけでなく心も一歩引いたまま、呆れ顔で誘いの言葉を切って捨てる。

「ショックですわ、なんというにべもないお返事!」

 白井はムンクの叫びを思わせるポーズで眉根を大いに持ち上げて悲しげな叫び声を上げた。
大げさなと思いつつも見るからに哀れを誘う後輩に、美琴は小さく苦笑する。

「あー、別に黒子と街を歩くのがイヤってワケじゃないんだけど。今日は用事があるから」
「そうでしたか。わかりました」

 白井は素直に聞き入れることにした。
行動予定が気にならないわけではなかったが一々たずねて鬱陶しがられるだけである。
抱きしめることができただけでも僥倖と考えるべきなのだろう。

「では、わたくしはこれにて」

 たが、ぺこりと会釈した途端、不意にある考えが白井の頭をよぎった。

(……まさかとは思いますが、もしかしてお姉様はあの猿にチョコレートを贈るつもりですの?! そんなこと、世界中の誰もが認めても、このわたくしが認めませんわ。認めてなるものですか!!)

 学園第三位の少女は頭を下げたままの後輩が鬼気迫る表情を浮かべていることに気づかず、ぽんと肩を叩く。

「そういえばアンタ、見回りかなんかしてたんじゃないの」

 顔を上げた白井は般若の面をにこやかな笑顔で覆い隠してゆるやかに首を左右に振ると、

「いえ、今日は非番ですの」

 それではお姉様ごきげんよう、と笑顔で手を振ってどこかへ空間移動した。

(あれ。非番の日にわざわざ空間移動? でも急ぎの用って感じじゃなかったし)

 美琴はしばらく空を見上げていたが、「ま、いいか」と小さくかぶりを振った。
それから踵を返し再び看板を見上げる。

「……よし」

 目元をちょっぴり桜色に染めつつ、超電磁砲の少女は鼻の下まで持ち上げていたマフラーを顎の下までずらすと、唇をきゅっと引き結んで店の扉に手をかけた。



 意を決して店内に足を踏み入れた美琴はぎょっとした。
白地に金糸の刺繍(ししゅう)を施した高級なティーカップをイメージさせる修道服を着た銀髪少女の後姿が視界に飛び込んできたからだ。

 わざわざ前に回りこまなくても誰であるかがわかってしまうのは、ある意味当然の話だった。
幼さを残す彼女の顔立ちを思い浮かべながら電撃使いの少女は軽く頬をかく仕草をみせる。
これほど目立つ存在をどうして見間違えることができようか。
そもそも、こんな格好の人間が他にいるはずがないと言っても過言ではあるまい。

「アンタ、何やってるのよこんなところで」

 呼びかけに応えて、純白シスターはくるりとこちらを振り向いた。

「あれ、短髪だ」
「だから私を短髪って呼ぶなっての」

 インデックスは呼び名に関する突っ込みをまったく気にした様子はなく、すぐに目線を棚に所狭しと並ぶ数々のチョコレートへと移す。
美琴は好奇のまなざしを向けられなかったことに内心安堵しつつ、さり気なく少女の隣に並んだ。
お目当ては陳列された商品であり、勇気を出して中に入ったと言うのに知り合いと顔を合わせたくらいで引き下がっていては、学園第二位、超電磁砲の二つ名が泣く。

「ひとりで来たわけ?」

 目でしっかりとチョコレート入りの箱を追いながら、美琴は問いを投げかけた。
上条当麻の前ではむちゃ振りが目立つ彼女だが、本来は見知らぬ相手であっても進んで世話を焼こうとする面倒見のいいお人よしなので、今も、黙ったままでいるのも感じが悪いかなと考えてしまったのである。

 インデックスは食べ物への純粋な興味からか瞳をキラキラとさせながらも、

「あいさ……ええと、友だちに連れて来てもらったんだよ」

 きっちりと返事をした。
食いしん坊と言うなかれ、とある事情からまだ数ヶ月分の記憶しか有していない彼女にとって、触れるすべてが目新しいのだ。
当然ながら今回のバレンタインは初めての体験で、店内に満ちるチョコレートの香りは胃袋と脳を揺さぶって止まない。

「そうなんだ」

 相槌を打って、学園第三位の少女は商品のひとつを手に取った。
彼女が口にした名前は、どこかで聞いた気がする。もしかしたら何度か会っているのかもしれない。

「そのお友だちはどちらへ?」
「あいさならちょっと席を外してる」
「そう」

 うなずいて、美琴ははっと隣に立つ少女の横顔を見やった。

(こんな店にいるということは、アイツに贈るチョコを探してるってこと?)

 時期が時期だけにそう考えるのが妥当である。
しかし、さり気なく問いかけることはできそうになかった。
質問を間違えればやぶ蛇になりかねない。
だからと言って、自分から聞いておきながら同じ問いに答えないのは公平ではない。

 内心そんなつぶやきをこぼして、美琴はひとり顔を紅潮させた。

(あー、もう、誰がアイツに何をしようが私に関係ないじゃない)

 強引に頭の中から上条の顔を消そうとするが、意識すればするほど彼の存在が頭の中を占めていく。
否定の言葉を重ねるごとに、胸を締めつけられるような息苦しさが強まっていく。

 御坂美琴にとって、正体不明の強い感情が心と体を縛りつける。

(何なのよこれは! ああ、御坂美琴、しっかりしなさい!)

 ぐっと目をつぶり、覚えている限り円周率を延々と唱えることで平静を取り戻した。
いや、取り戻したかに見えたのだが。

「ねえ短髪。顔が赤いけど大丈夫? もしかして風邪ひきの人?」
「……ッ」

 息が触れ合うほどの近さから顔を覗き込まれていることを知って、美琴は助走なしに一メートルほど後方に飛びすさっていた。

「あはは、私ちょっと急用を思い出しちゃった。かか、帰るわ」
「あれ、思ったより元気があるんだね」

 いきなり奇妙な跳躍をみせた女子校生を不思議そうに見つめながら、インデックスは顎に人差し指を当てつつ小首を傾げる。
しかし、油断は大敵だった。熱のために今のような行動を取ったのかもしれないのだから。

「なんだかよくわからないけど、お大事に。手洗いとうがいは忘れずにするんだよ」
「あ、ありがと。じゃあ」

 勘違いとはいえ気遣われたことに一応の謝意を示すと、耳まで真っ赤になった美琴はそそくさと店を飛び出した。

 恋の病につける薬などありはしないが、恋をしている自覚がない者にそれをわからせる薬もまた、存在しない。
彼女たちはまだそのことに気づいていなかった。
ver.1.00 09/05/03
ver.1.52 13/01/20

〜とあるバレンタインの御坂美琴・舞台裏〜

「あっ」

 通りに飛び出した途端、ちょうど店に入ろうとしていた人とぶつかりかけて、美琴は全力で急制動をかけてどうにか立ち止まる。彼我の距離はわずかに数センチ、あわや見知らぬ者に頭突きをかましてしまうところだった。

「その、ごめんなさい」

 一歩引いてからあわてて頭を下げる常盤台中学の学生に、長い黒髪を風に揺らめかせる巫女姿の少女はぱちぱちと瞬きをしてから、お構いなく、と緩やかに首を左右に振る。
それは素っ気ない言葉であったが、別に怒っているわけではない。

 彼女、姫神秋沙は諸事に頓着しない性格で、年相応の服装をしている時はまだしも、今のように白い着物と赤の袴という格好でいるとひどく浮世離れした存在に感じられる。
これは、おそらく長らくコミュニティから遠ざかっていたことも関係しているのだろう。

 姫神はセミロングの女子学生がなおも申し訳なさそうにしているのを見て取って、淡々と言葉を付け加えた。

「本当に気にしなくていい。あなたは実際にぶつかったわけじゃない」
「はい。ありがとうございます」

 巫女の少女がみせた気遣いを受け取った美琴は、わずかに頬をほころばせると謝罪のためと言うよりも感謝の礼をして、入り口を譲る。

(いい人ね。こういうの、なんていうんだろう。落ち着きがあって、楚々としていて、まるで人里離れた霊験あらたかな神社に居そうな人)

 軽い会釈を残して扉の向こうへと消える姫神を見送りながら、
超電磁砲(レールガン)の少女は ほう、とため息をつく。
年頃の男の子はああいう女の人に憧れるのかもしれない、と。

 直後、幻想殺しの少年の顔が頭に浮かんで美琴はあわててかぶりを振った。
目元をほんのりと桜色に染めたまま、彼女は通りを足早に去っていく。


「今の人は。あなたの知り合い?」

 店内に戻った姫神は開口一番そう言った。
なんとなく、どこかで見た覚えがあったからだ。

「うん」

 インデックスは小さくうなずいて黒髪の友人へと向き直った。

「短髪ったら、急用があるって帰っちゃった」

 それを聞いて姫神はわずかに首を傾ける。
タンパツ。日本には変わった名前が幾つもあるが、まさか名前ではあるまい。

「それは。あの人のことかしら」
「そう。髪が短いから短髪」

 常盤台の少女は確かに髪が短かった。
実にわかりやすくシンプルな呼び名である。
場合によっては姫神も『巫女』や『魔女』と呼ばれていたのかもしれない。

「当麻はビリビリって呼んでいるね」

 片や短髪、片やビリビリ。
特徴を名前に置き換える上条と純白シスターは似た者同士ということか。

「一応聞くけれど。彼女の名前は知っているの?」
「ううん、知らない」
「そう」

 ふたりがどういう関係なのか多少興味はあったが、姫神がそれ以上たずねることはなかった。
上条当麻の知り合いである以上、なんらかのフラグが立った結果であることは想像に難くない。



 初めて書いた、美琴が主人公のお話をリテイクいたしました。
第二期の放送が決定し、あとは放映を待つばかりですが、恋が絡むお話は好きですね。
もっとも、未だ開きかけたつぼみに過ぎないのですけれど。
とあるシリーズのウリは超能力バトルかもしれませんが、こうした人間関係も楽しいものです。

 また、新作も発表したいと思っています。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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