「うーいっはるー!」
とある昼下がり、風紀委員活動の第177支部を襲った春の嵐は、遠目には花瓶を頭に乗せたかのような少女が前述の掛け声と同時に自らの太ももが露になった事で覚えた涼しさにまず目を見開き、一拍の後、遅れて状況を理解し甲高い悲鳴を上げた。
件の犯人こと白梅を模した花飾りをつけたセミロングの少女は、スカートの一端を腰の高さで保持したまま身を硬くする友の下着を覗き込んで花柄か、とつぶやく。
「何度聞いても新鮮味にあふれる声ね」
恒例のイベントを横目で見やって、固法は半ば呆れつつもほんの少し感心した風につぶやいた。
ほぼ毎日のようにスカートをめくられている初春だが、絹を裂いたような悲鳴は当初からほとんど変化がない。
こういう行為に慣れるというのは変な話ではあるものの、さすがにこうも立て続けとなるといくらか耐性ができたとしてもおかしくはないのだが、彼女は毎回、初めてそうされたかのような反応を示すのだ。
「はい。これだから初春いじりは止められないんですよ」
「その気持ち、少しわかる気がする」
私はやらないけどね、と小さく目尻を下げる先輩と対照的に、佐天はニヤリと口の端を大きく吊り上げた。
「わかりませんよ。そのうち、体が求めるようになるかも」
「まるで中毒症状ね」
「そうなんです。私なんかすでに重度の初春中毒らしくって、何もしないと震えがきちゃいます」
「ふふ。もしそうなったら、初春さんの体がもたないわね、きっと」
バカなやり取りに固法はくつくつと喉の奥を震わせる。
罪のない楽しさ、というのだろうか。たとえ少々気持ちが沈んでいても、この天衣無縫な彼女と言葉を交わせばいつの間にか元気になれそうな気がしてくる。
「さて、と」
佐天は再び目線を小柄な親友へと戻して、明るく問いかけた。
「ねえ初春。これは何の花かな?」
「まったく、何の花かなじゃないですよ! いつまで私のスカートをつかんでいるつもりですか」
「ああ、ごめんごめん」
もちろん初春は今までスカートを持ち上げられたままである事に気づかなかったわけではない。
人が良すぎる彼女は、友人と先輩の会話が途切れるのを待っていたのである。
「それで、この花はなんだっけ。見たことはあるんだけど」
「スミレです。というか、そんな事はどうでもいいんです!」
罪の意識など欠片もない黒髪の親友を一喝して、色取りどりの花飾りを乗せた少女はぷいと横を向いた。
問題なのはそこではない。どうしてそれがわからないのだろう。
あるいは、わかっていてわざとこんな態度をみせているのか。
そんな事を考える初春の神経を逆なでする台詞が、佐天の口から飛び出した。
「どうでもいい? 初春的には、下着の柄はどうでもいいってこと?」
「違います!」
頬を膨らませ、諸手を天に向ける姿は客観的に見ると実にコミカルな姿なのだが、本人にとっては怒り心頭に発する、その現れである。
(やれやれ、ですわ)
風紀委員の仲間として付き合いの長いツインテールの少女は、花飾りの同僚の思考を正しくトレースした上で、いつ終わるとも果てない掛け合いに終止符を打つべく横槍を入れた。
「初春の下着がスミレであろうと秋桜であろうと、本当にどうでもいい話ですわね」
意図したとおりに二人の意識が白井へと向けられて、この見事な手並みに固法は軽く口笛を吹く仕草でもって賞賛する。
これに対し、ツインテールの少女はわずかな目礼で返答した。
「うー。どうでもよくはないですよ」
同性同士で強く惹かれるのも困った話ではあるが、どうでもいいと切り捨てられて面白いはずはない。
下唇を小さく突き出しながら文句を言う初春だったが、ツインテールの空間移動能力者は気だるげに髪を払い、半眼で応えた。
「だまらっしゃい。何故わたくしがあなたのパンツに興味を持たねばなりませんの」
「それは、そうですけど」
正論である。
言い返すことができずに肩を落とす花飾りの友人を見て、佐天が苦笑交じりに二の腕をぽんぽんと叩いた。
「そうですわね。もし初春がどうしてもわたくしの興味を引きたいと言うのであれば、お姉様を超える存在になるしかありませんわ」
自身の台詞がきっかけとなってよからぬ事が思い浮かんだとみえて、ツインテールの少女は眉尻を下げただらしのない顔でにやついている。
事務仕事に集中している固法は別として、佐天と初春がどう突っ込みを入れるべきか迷っていると、白井は不意に我へと返ってこう付け加えた。
「ま、そんな事は不可能ですが」
ツインテールの少女に悪気はないのかもしれない。
正味な話、学園第三位にして人間もできている常盤台のお嬢様と、同じ土俵に立てると考える事自体がおこがましいとも思う。
しかし、こんな風に言い切られてしまうと、多少は傷ついてしまう。
確固たる自信を持ちきれていない少女にとっては、想像以上に厳しいひと言だった。
「そりゃあ、私が御坂さんにかなうはずはないですけど」
いじけた心持ちでつぶやいた初春は、
「何を言ってますの初春。あなたにはあなたの得意分野がありますわ。初春がお姉様の代わりを務める必要などこれっぽっちもありませんの」
あっけらかんとした白井の声に目を瞬かせる。
そのとおりだった。人にはそれぞれの良さがあり、個性がある。同じ人間など、存在しないのだ。
花飾りの少女は幾分頬を紅潮させて、はにかんだ。
「そ、そうですよね。私は私ですし。うん」
「ええ。あなたの代わりは誰にもできませんの」
ツインテールの少女は口元を弓にすると、嬉しそうな友へと柔らかくほほえみかける。
「というわけで初春。本気でわたくしを惚れさせたければ、まずはその起伏に乏しい幼児体型をどうにかする事ですわね」
「な……!」
持ち上げた後に奈落の底へ突き落とす。
ばっさりと言葉の暴力で切りつけられた初春は、緩く握った拳で白井をぽかぽかと打った。
「ところで、あなた方は恵方巻きというイベントをご存知でして?」
しばらく経ってようやく初春の怒りも収まり、第177支部は和気藹々とした空気を取り戻していた。
「はい。うちではやっていなかったんですけど、名前だけは聞いた事があります」
固法は用事があるからと先ほど退出し、残っているのは白井、初春、佐天の三人だ。
「あれですよね。その年の恵方を向いて巻き寿司を食べる、っていう」
「ええ、そのとおりですわ。何でも発祥は関西という話ですけれど、最近ではすっかり有名になってコンビニにも並んでいますわね」
「へえ」
佐天の家では一度もした事がない行事だったが、なるほど、関西圏で生まれたものならば無理もない。
「でも、どうしてそんな話を?」
「一度、みんなで食べてみたいと思いまして」
ツインテールの少女は満面を笑みにして、大きくうなずいた。
「科学万歳な学園都市で神頼みというのもどうかとは思いますが、これは一年の無病息災を願うイベント。やって損をするという事はありませんわ」
もっともな話である。
すぐに初春は乗り気になって、隣の親友へと笑いかけた。
「いいと思います。固法先輩もお誘いしてみますか?」
「そうだね。きっと人数が多い方が楽しいし。でも、食べている間は黙っていないといけないんだっけ」
「え、そうなんですか」
「うん。確か、そうしないと願い事がかなわないとか……違ったっけ、白井さん」
返事がない事を不思議に思い、二組の視線が向けられた先で白井黒子は宙の一点を見つめたまま微動だにしないでいる。
「あの、白井さん?」
再びの呼びかけにも返事はない。
「佐天さん。何か、聞こえません?」
「本当だ。これって、白井さんじゃない?」
改めて意識してみると、うつむき加減になったツインテールの少女は何やらぶつぶつとつぶやいていた。
顔を見合わせた二人はごくりと生唾を飲み、意を決して近づいていく。
「太巻きを口いっぱいに咥えるお姉様の姿。ああ、想像しただけでそそりますわね」
いきなりの常軌を逸した発言に、佐天と初春はぎょっとした表情になってまたも顔を見合わせた。
頭の回路がねじ切れているとしか思えない。どこをどう間違えば、こんな風になるのだろう。
「噛み切れず、口の端からこぼれ落ちる一筋の涎! あわててそれを拭こうとする姿! 黒子は、黒子はお姉様の唇に張り付いた海苔になりたい……!」
超弩級の変態がここにいた。
多感なお年頃である佐天たちも、クラスメイトが口にするあれこれから色々と妄想を膨らませてしまう事はあるが、これはまったく次元の違う別世界の発想だった。
想像の埒外にある、隔絶した向こう側のものとしか思えない。
(初春たちをだしにして、うまく話を持って行けばきっと上手く行くはずの。そうすればわたくしはお姉様に……ふふ、うふふふ、ふふふふふふふふふ……!)
完全に表情筋を緩ませて、顔面崩壊しきった姿を二人は気味悪そうに見つめていたが、ぽつりと佐天の口から本音が転がり出た。
「白井さん、そんな事を考えていたんだ」
そこで、ツインテールの少女の焦点がどこか遠いところから目前の友人たちへと収束する。
「何の話ですの」
とぼけているわけではなかった。
白井は、内心を吐露しているとは思っていないのだ。
「まさか、考えている事を思わず口走っていたなんて思いませんよね、普通は」
「当たり前ですわ。まったく、何を言うかと思えば」
肩をすくめて、ツインテールの少女は自身を見つめるまなざしの冷たさにはたと気づいた。
どうしたことか。思索を巡らせて、白井はかっと目を見開いた。
(まさか、まさか、まさか……! この計画が、白井黒子の緻密にして完全なる、わたくしのわたくしによるわたくしのための遠大なる計画が、とんまなミスによって頓挫の憂き目に……!?)
これは、早急に事実を確認しなければならない。
ツインテールの少女は衝撃のあまり強張る顔をどうにか笑みの形に取り繕った。
しかし、この時すでに変質者に対する包囲網は完成していたのである。
「あの、もしかしてわたくし」
白井が声をかけようとした途端、初春はぽんと手を打ち合わせて親友を見やった。
「佐天さん。今度、作ってみたいので家に来ませんか?」
「いいねいいね。私も作ってみたい」
応える佐天はにこやかで、しかし言葉の端々に棘が見え隠れしている。
「あまり具を入れすぎないようにしないとだね」
「ですよね。涎がこぼれてしまいますし」
決定的な単語を耳にして、ツインテールの少女はがくりとうな垂れた。
こうして白井黒子の予定表は修正を余儀なくされたのだった。
舞台裏「狙われた御坂美琴」に続く
ver.1.00 10/2/7
ver.1.90 13/8/17
〜とある乙女の脳内妄想・舞台裏〜
(思ったより手間取っちゃったわね)
常盤台のエースはすっかりひと気がなくなった校舎を振り返り、そっと苦笑した。
本来ならば、二、三時間前に寮へと着いていたはずなのだが、帰路につこうとしていた彼女の前で、一人の教師がつまずいた拍子に抱えていた膨大な量のプリントをばらまいてしまうのを目撃したのである。
たとえ急ぎの用事があったとしてもそれが自身の都合であれば躊躇なく力になろうとする美琴の事、お手伝いしますと一声かけるや率先して散らばった印刷物を拾い出した。
作業自体は大したものではない。実際、要した時間は十分に満たないものだった。
しかし、その後に待ち構えていた礼とぼやきの入り混じった世間話によって、今から助手を務めるはずだった生徒が風邪で倒れてしまい、手が足りずに困っている事を知った御坂美琴は乗りかかった船だからと協力を申し出たのである。
それでも、損をしたと考えないのは御坂美琴の美徳であり、学内、学外を問わず多くの者に好かれている理由でもあった。
「よお、御坂」
何か飲み物でも買おうと公園に差し掛かった彼女は、ツンツン頭の少年と出くわしていた。
「おっすー」
いつもと変わらずのんきに手を持ち上げて挨拶をする上条に、美琴も軽やかに応える。
知り合って間なしの頃こそことあるごとに対戦を申し込んでいた彼女だが、今ではすっかり馴染みの知人である。
「ちょうどいいところで会った。これ、もらってくれないか?」
その言葉に、常盤台のエースは上条がスーパーの袋を幾つも提げている事に気がついた。
ただしビニール袋は少々くたびれていて、買い物帰りというわけではなさそうだ。
「これ、って何よ」
警戒からではなく単純な興味から問いかけた美琴に、少年は困ったように肩をすくめてみせた。
「巻き寿司なんだけどさ。ちょっと作りすぎちまってな」
「どうしてそんなものを作りすぎるわけ?」
予想外の答えに少女は半ば呆れつつ、無意識に小さく唇を尖らせた。
彼の力になるのはやぶさかでない。ただ、すぐさま素直に首を縦に振ることができなかったのだ。
上条当麻の前では、時折、普段どおりの彼女でいられなくなってしまう。
「まあ、無理にとは言わないけどさ」
「別に、そういうわけじゃないわよ」
苦笑する少年を見て、美琴はあわてて鞄を持たない方の腕をずいと突き出した。
「仕方がないわね。もらってあげる」
「ああ、そうしてくれ」
上条はかわいげのない台詞にも気を悪くした風もなく笑う。
それを見た美琴は拗ねたように「ありがと」と言って、くるりと踵を返したのだった。
「ただいまー」
自室にたどり着いた美琴はベッドの上で黒々としたオーラに包まれた後輩を発見した。
次いで、ぎぎぎ、という音が聞こえてきそうなぎこちなさで白井の首が入り口へと向けられる。
「……お姉様」
「どうしたのよ、元気ないじゃない」
気遣わしげな問いかけに、ツインテールの少女は自嘲気味にぼそぼそと答えた。
「いえ、少しばかりショックな出来事がありまして……と、その袋は何ですの?」
「ああ、これね」
美琴はきっかり三秒、沈黙を挟んでから、知り合いに太巻きをもらっちゃって、と顎を引き気味に、やや早口に続けた。
それから、おずおずと視線を持ち上げて、ぎょっとする。
後輩の様子は明らかにおかしかった。
どうしたことか、大きく目を見開き微かに唇を震わせたまま固まっている。
「黒子? おーい、黒子ー」
美琴が距離を置いたまましばらく呼びかけを続けていると、ツインテールの少女は唐突に満面を喜色で染め上げつつ大仰に手のひらを組み合わせた。
「以心伝心とはまさにこの事」
「は?」
電撃使いの少女がきょとんとした顔をみせるのも無理はない。
前後のつながりがまったく不明で、何にかかる言葉なのか見当もつかなかったからだ。
しかし白井は思いを口にする時すら惜しいと言わんばかりに、先輩にむしゃぶりつく。
「わたくし、一生お姉様に着いて行きますわ!」
「ちょっと、いきなり何なのよアンタは!」
望みを絶たれて塞ぎ込んでいたツインテールの少女にとって、この日は打って変わって最良のものとなった瞬間だった。
ただし、彼女が夢を見る事ができたのは、美琴が楽に口へと収まるサイズの一口巻き寿司を取り出すまでの間であった事を追記しておく。
ご覧のとおり、かなりおバカなSSです。
今回の黒子にかわいらしさの要素は皆無ですね。ひたすらに、欲望のままに動いています。
思えば彼女の話を初めて書いたのが4年と11ヶ月前のこと、それ以来、禁書(超電磁砲)SSの大半に登場してきた押しも押されぬ私の中では完全にメインキャラです。
アニメの方もステキな仕上がりで、ファンとしては嬉しい限り。
次は、百合ゆりしたお話をお届けしたいと思っています。
その前に、下着泥棒の完結編が先ですね。
内容としては、禁書(魔術)サイドの要素が強いお話となります。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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