感度良好(ハイニー・センシティブ)?」

 第一七七支部と記されたプレートを掲げる風紀委員(ジャッジメント)詰め所の一室で、聞き慣れない単語を耳にしたツインテールの少女ははそっと首を傾げた。

「今週に入ってから、学園都市内でもっとも検索されているキーワードです。白井さんはご存知ありませんか」

 パソコンモニターから同僚へと視線を移しつつ、黒髪のショートカットを色とりどりの花で飾った少女がこくりとうなずき返す。

「まったく聞き覚えがありませんわね。それは、外で流行っているバンドグループ、あるいは新手の新興宗教ですの?」

 白井と呼ばれた頭の左右両側にお下げを垂らしている少女の名は白井黒子、遠目に見ればまるで花瓶を頭に乗せているかのように見えるのが初春飾利で、二人とも校内の治安維持を担う風紀委員の一員である。

 今の発言を補足すると、ここで言う『外』とは、能力開発をカリキュラムに組み込んだ学校ばかりが集まった、二三〇万の人口を誇る街『学園都市』の外、すなわち超能力という異能の力とは係りを持たない世界を示している。

「そのどちらでもありません。何でも、いくつかの感覚を一時的に向上させる能力だとか」
「感覚を」

 ツインテールの少女は興味を引かれたとみえて、小さく相槌を打ち、手元の書類をとん、と机の上で揃えると椅子に座る同僚の方へと向き直った。
知覚力を高めることができとすれば、捜査や諜報活動に役立つことだろう。

 ただし、いくら便利なものであっても白井黒子が空間移動(テレポート)にプラスして能力を付与する事はできない。
これは努力や才能の問題ではなく、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は各人がたった一つしか持ち得ないためだ。
(くだん)の能力者が風紀委員や警備員(アンチスキル)のメンバーないしは協力者であれば心強いが、敵対勢力に取り込まれた際には厄介な相手となろう。

「力の使い道についてはおそらく白井さんが想像している通りです。ただ」
「ただ、何ですの?」

 域内治安維持の担い手という自覚が強い白井だけあって、この手の話はさすがに食いつきがいい。
思った通りの反応に初春はわずかに頬を引き締めて、

「学園による認定レベルは0ですが、隠された効能があるため密かに人気が高いらしいんです」

 立てた人差し指を肩の高さで小さく振りつつ言葉を紡ぐ。

「人気が高い、とは?」
「能力の恩恵に預かれるのが、本人だけではないんです」

 甘ったるい声音が告げる『感度良好』の持つ力に、ツインテールの少女は微かに目を見張ることで驚きを示す。
他人にも付与できるのであれば、支援系能力として実に有用だ。
しかし、そんな芸当が本当に可能なのだろうか。

「私も初めて聞いた時はびっくりしました。調べてみたところ、あるものを媒介にして自分以外の人間にも効果を及ぼす事ができるそうです」

 白井の内心に答えるように説明を続けながら、花に飾られた黒髪の少女は腕を下ろして目線をかたわらへとやる。

「あるもの、とは」
「液体なら何でもいいそうですが、そこに力を込めることで同じような効果が得られるとか。あとは飲むだけで効果が発揮されるみたいですよ」

 初春は不意ににんまりと笑って、隣の椅子に置いてあった鞄から手のひらサイズの小瓶を取り出し頭上に掲げた。

「じゃーん」

 白井はファンファーレにも似た効果音が聞こえたかのような錯覚を覚えつつ、

「それは……まさか」

 小さくうめいた。
目を見開いた同僚に笑顔でうなずきながら、花飾りの少女がえへへと口元を弓にする。

「はい、気になったのでさっそく手に入れてみました」

 白井は胸中舌を巻いていた。
インターネットを駆使して入手したのだろう。情報が出回った今となっては実物を拝む事は難しいはずで、さすが、としか言いようがない。
白井とて噂に疎い訳ではないのだが、同じ時点で感度良好の存在を知ったとしても、このような芸当はいくら逆立ちしたところでまずできない。

 と、ツインテールの少女はある閃きに息を飲んだ。
感覚を鋭くさせるという効果は、何も戦闘や情報収集ばかりに使用が限定されるものではない。

 実際、初春も言ったではないか。密かに人気がある、と。
前述の用途、すなわち実務的な実用性以外の部分に着目する者がいる、ということだ。

 取っ掛かりさえつかむことができれば、答えはおのずと見えてくる。

「それで、いくらしましたの?」
「私が買った時はケーキセット一回分くらいですね。さっきオークションで確認したら、すごい値段になってましたけど」

 頬に指先を添えながら、初春は入手に至るまでの経緯を話し始めたが、一切白井の耳には届いていない。

「本当、まだ値段が上がる前に買えたのはラッキーでした」

 話が切れると同時、ツインテールの少女はにこにこと両手を合わせてほほえむ同僚にずいと詰め寄った。

「少しわたくしに譲ってもらえません? もちろん、ロハでなんて言いませんわ」
「え?」

 突然の申し出にぱちぱちと瞬きをした初春だったが、やおらぽん、と手を打ち合わせて深くうなずき返す。

「いいですよ、少しくらい。そうだ、今度お茶に付き合ってもらえればそれで」
「交渉成立ですわね。お茶の一つや二つ、まったくもってお安い御用……うふふ」
「わーい、やった……って、白井さん?」

 初春は顔を覗き込んだ途端、ぎょっとした。
白井が浮かべる笑顔は、お宝を山積みにしながらろくに護衛もつけていない商船隊を見つけた、海賊を思わせるものだったからだ。

(その感度良好とやらをお姉様に使えば、ベッドの上で魅惑のカーニバルが開催されることは必死! これは手に入れない訳には参りませんわ。是非とも手に入れてお姉様とうふふふふふふふふふふふ!)

「白井さん、気色悪い笑い方をしないでください。考えていることがだだ漏れです」
「うふふ……は!」

 ようやく我に返った白井は、じっとりとした目つきをしている同僚に気づき、ごほん、と白々しく咳払いをしてから緩みきった頬を幾分引き締めた。

「初春。この一件、しばらく黙っていて欲しいんですの」
「はあ、別に構いませんけど」

 不審そうなまなざしに、ツインテールの少女は条件がありますの、と口の端を持ち上げる。

「あなたさえよければ、わたくしが手ずから入れたお茶を振る舞って差し上げますわ」

 白井はまたとない好機を得たことに興奮しながらも、万が一初春がこの話をどこかですれば、巡り巡って美琴の耳に入る恐れがある可能性を思いつき、計画成就のためしっかりと釘を刺しておくことにしたのである。

「何でしたら、焼き菓子の一つくらいはつけさせてもらおうかと」
「喜んで!」

 ツインテールの少女は期待通りの答えに、快心の笑顔で応えた。
常盤台のお嬢様に憧れを持つ初春は、ハイソサエティーな香りに弱いのだ。



 初春から『感度良好』の効果時間など詳細な情報を聞き出した白井は、空間移動を駆使して寮の自室へと戻ると、超能力で己の衣服を瞬時に脱ぎ捨て、間髪置かず風呂場に飛び込んで手早く身を清め、タオルを使う手間を省くため体の水気を残らず湯船に転移させ、返す刀で着替えを済ませるや過去最速のスピードでお茶会の準備を整えた。
この間、わずか五分足らず。欲望は、人に絶大な力を与えることがあるといういい例である。

「あとはお姉様の帰りを待つだけですわ」

 白井は鼻歌交じりにスキップをしたくなるような気分で口中独りごちた。
意識して抑えなければ、いつ高笑いをし始めてもおかしくはない程の高揚ぶりである。

 今日こそは憧れて止まないルームメイトと存分にスキンシップをし、柔らかな肌を余すところなく堪能するのだ、そう考えるだけで今にも身もだえしそうになる、否、すでに白井は身悶えていた。

(盛り上がったら、盛り上がってきたら、その時は、その時は! お姉様の、あの、つやつやの唇に! わたくしの、くく唇を!)

 自身の体を強く抱きしめながら、ツインテールの少女は一人妄想する。
鼻息は荒く、目は恍惚として焦点が合っていない。
端から見ればさぞ恐ろしく映ることだろう。
一歩引くどころか全力疾走で逃亡を図りたくなる、ある種鬼気迫る姿であった。

「ただいまー」

 脳内がすっかり花畑状態にあった白井の耳に、扉を開ける音やつぶやくような帰宅の挨拶など届くはずもない。

 とはいえ、

「おーい、黒子ってば」
「……ッ!」

 顔を覗き込みつつ声をかけられれば、さすがにわかる。

 同時に拳二つ分くらいの距離に立つ人が誰であるのかを認識し、

「ただいま」

 白井は口から飛び出しかかった悲鳴を全力で封じ込めると、一切の動揺を驚くべき自制心で吹き飛ばし、可憐なるほほえみで何ごともなかったかのように事態の収拾を図ることにした。

「お姉様、お帰りでしたか」
「うん、今帰ったところ。そしたらアンタがえらく気味の悪い顔で立ってるから」

 幸い、怪訝そうな表情はすぐに鳴りを潜めて、美琴はついにどうかしちゃったのかと思ったわよ、と鞄を下ろしつつ肩をすくめるにとどまる。

「あはは、少し考えごとを」

 ツインテールの少女は努めて平静を装いながら返事をした。
ちょっぴり笑顔が引きつるのはご愛嬌、と言ったところか。
常盤台のエースは片方の手のひらで顔の高さにある何かを払う仕草を見せながら、椅子を引いて腰掛ける。

「一体何を考えていたんだか」
「ほほ、ほほほ」

 更なる追求があれば、白井はぼろを出していたかもしれない。
しかし、肩まで届く茶色の髪をわずかに揺らめかせつつ振り返った美琴が放った言葉は、

「で?」

 たったの一語だった。

「と言いますと」

 相手の意図をつかみかねて、ツインテールの少女はごくりと生唾を飲む。
だが、発覚しているのではないかという不安はまったく杞憂に過ぎなかった。

「だってめずらしいじゃない。黒子がお茶請けもなしにこんなものを用意するなんて、さ」
「……っ」

 わずかに目を見開いた後輩に、美琴はふふ、と小さく唇を持ち上げて笑った。
生活の場を共にし始めて一日二日の仲ではないのだ、同室者が空腹時には紅茶の類を飲もうとしないことくらいは把握している。

「知っていらしたのですか」
「そりゃあね。わかるわよ」

 さも当然といった先輩の口調に、白井の頬がほんのりと赤くなった。
別段、隠してきた訳ではないが、これまでそのことを知る機会は多くなかったはずだ。

「お姉様」

 白井は胸があふれる嬉しさと温かな想いで満たされていくのを感じながら、そっとはにかんだ。

「たまにはお姉様とお茶を楽しみたいと思いまたの。せっかくいい茶葉が手に入りましたし、飲んでいただきたくて」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 にこりとほほえむ美琴を見て、ツインテールの少女はこくんとうなずく。
今日用意した茶葉は、先だってしばしばチェックしている行きつけの店を覗いた時に、以前手に入れようとして買うことができなかったもので、購入する予定だった下着を諦め選んだものだった。
もちろん、自身が飲みたかったのは間違いないが、美琴にも飲ませてあげたいという思いが白井にそうさせたのである。

「はい、喜んで」

 すっかり幸せな気持ちに包まれ、ツインテールの少女は嬉々として答えた。
直後、スカートのポケットに入った小瓶の存在を思い出してはっと息を飲む。

 当初の目的などすっかり頭から飛んでしまっていたことに内心驚きつつも、

(そう。ためらうことなどありませんわ。しおらしく、母性本能くすぐり攻めでお姉様を陥落した後いちゃつきコースにレッツゴーですの)

 ティーカップを温めるため湯を注ぎながら、白井は胸中独白する。
それでも、初春と話をしていた時のような高ぶりはやって来ない。

 戸惑いを覚えつつも慣れたもので手は動きを止めることなく準備は進み、程なくティータイムの用意が整った。

 それなのに、いっかな楽しい気持ちにはなれない。

「どうぞお召し上がり下さい」
「いい匂いね。じゃ、いただきます」

 何の疑いもなく美琴が琥珀色の液体を嚥下するのを目にして、白井は胸の奥に小さな痛みを覚えた。

(わたくしったら、とんだ考え違いをしていましたわ。薬の力を使って、こんな後ろめたい気持ちで、お姉様に手を出すことなど……)

 思えば、どうしてこんな手段を用いようとしたのだろうか。
我知らず視線を伏せがちにしつつ、白井は後悔の念が広がっていくのを止められなかった。
大切な人の意思を捻じ曲げてまで己の欲望を通そうと考えてしまった自分が、恥ずかしい。

「どうしたの、黒子。冷めないうちにアンタも飲んだら? こんなに美味しいんだし」
「はい、ありがとうございます」

 上機嫌な先輩にややぎこちない笑みを返しつつ、白井はふと首を傾げた。
どうしたことか、美琴は何も変わった様子はない。
即効性だと聞いていたのだが、まだ効果が現れないのだろうか。

「ッ!?」

 白井はぼんやりと紅茶を一口すすった瞬間目を見開き、取り落としそうになったティーカップをどうにかテーブルに置くと、あわてて口元に手を当てた。
熱いなんてレベルではない。先ほどまで平気で飲めたというのに、今は沸かしたての湯に口をつけたかのようだった。
ありえない話だが、突然温度が上がったかのようである。

 だが、不意に少女の脳裏にある可能性が浮かぶ。

(まさか……敏感になってしまったのはわたくしですの!?)

 因果応報という四字熟語が頭を過ぎる中、白井は声を失った。

 『感度良好』を仕込んだカップは、いつの間にか入れ替わってしまっていたのだ。

後編

ver.1.00 08/10/07
ver.2.15 13/4/14

〜とある乙女の超絶触感・舞台裏〜

インデ「とうま、とうま。何だかとうまの目がいやらしく感じられるんだよ」
上条 「そりゃ、アレだ。気のせいだよインデックス」
インデ「へえ。じゃあ鼻の下が伸びているのも口元は緩んでいるように見えるのも、全部ぜんぶ気のせいだってとうまは言うんだね?」
上条 「そうそう、これは気のせいなんですよインデックスさん。もはや大宇宙の意思みたいなもんで、規定事項なのです」
インデ「ほう。大宇宙の、ほほう」
上条 「心なしか視線に込められた疑惑の色が強まった気がするんだが」
インデ「そうかな。気のせいだと思うけど」
上条 「……ああ、わかった。適当に誤魔化そうとした俺が悪かったよ。けどな、あまり人を疑ってばかりなのもどうかと思うぞ」
インデ「むむむ、私は別に疑い深いわけじゃないんだよ。……あ、そっか!」
上条 「ぎくっ」
インデ「ふふーん、とうまったらニクいことしてくれるよね」
上条 「あん?」
インデ「だって、とうまはあの感度良好を使って、私に美味しいすいーつを食べさせようとしてくれていたんだよね?」
上条 「へ?」
インデ「隠さなくてもいいんだよ。それならそうと早く言ってくれればいいのに」
上条 「さっき飯を食ったばかりなのにもう食い物の話かよ」
インデ「ケーキかな、シュークリーム? クレープもいいし、それからそれから」
上条 「そんなに食ったら向こう一週間の飯代が飛ぶっての……」

 後ろめたさのために幻想殺しの少年は、小躍りして喜ぶ少女に強く訴える事ができなかった。



 この作品はとある魔術の禁書目録、初めてのSSに4年半ぶりに手を入れました。
超電磁砲が漫画になるより前に、美琴と黒子の話を書いていたくらい超電磁砲組が好きな私ですが、もちろん禁書本編も大好きです。
この頃はとあるのアニメ版(禁書)が始まった頃で、初回放送は3:25からという時間にもかかわらず、いったん寝て目覚ましで起きて生放送を視聴という、無茶をやっていたようです。
小説を一気に読んだのも、今となっては懐かしい話です。

 超電磁砲の2期も見ましたが、やはり面白いですね。
妹編が中心になるのでしょうけれど、本当に楽しみです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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