「ねえ、とうま」

 午後十二時五〇分。
住民のほぼ全員を学生が占める学園都市・第七学区のとある学生寮の一室で、ティーカップを連想させる白地に金糸の刺繍を施した豪華な修道服を着た銀髪碧眼の少女が半ば乗りかかる形で上半身をテーブルに投げ出していた。

「わかってると思うけど、私は干上がる寸前なんだよ」

 インデックスのささやきにも似た極小のつぶやきを受けて、ベッドに背を預けていると言うよりは脱力し、倒れ込んだ先にたまたまベッドがあった、といった状態でツンツン頭の少年が張りのない、かすれた声で応える。

「奇遇だな、インデックス。俺もまさに今、お前と同じ気持ちを味わっているところだ」

 何ゆえ、上条当麻とその同居人が室内で渇きを覚える羽目になってしまったのか。
事の始まりは突然水を噴出させると同時に一切の勤務を放棄したエアコンであった。
日当たりの良さが災いし、真夏の陽光をたっぷりと受けた部屋はみるみるうちに気温を上げ、水分を補給しようにも間の悪い事に点検のため水道は停止中で、状況の打開を図るべく唯一の助けとなり得る自然の力にすがるべく窓を開けたところ、生ぬるい風すら入って来ず、強制参加の我慢大会開催と相成っている。

「さっきから窓を開けているのにちっとも涼しくならないどころか、完全に空気が淀んでいるんだよ、とうま」
「学園都市内は基本的に空気が滞留しないはずなんだけどな。その装置すらいかれちまっているのだとしたら……」

 我が身の不運を嘆く単語を胸中こぼして、幻想殺しの少年はうな垂れたまま固定されていた首を持ち上げ、語を継ぐ。

「ともかく、このままじっとしていたら病院送り間違いなしだ。何か飲み物を買ってくる」

 それは悲愴な響きを伴う宣言だった。
持ち合わせが極めて乏しい中、余分な出費を強いられる事ほどつらい話はない。
一人暮らしであれば水道の点検が終わるまで寝て過ごすという荒業の選択もあり得るが、同居人、しかも女の子を同じ目にあわせるわけにはいかなかった。

「本当なら……」

 弱々しく続けられた語に、立ち上がりかけた上条が動きを止める。

「本当なら私も一緒に、と言いたいところなんだけど。もはや付いていくどころか立ち上がる元気すらないんだよ、とうま」
「それは乾ききっているからじゃなくて、単に食べ過ぎたせいじゃないかと……いや、何でもありません」

 十万三千冊の少女が動けない理由は、胃に大量の食料を詰め込んだ事が原因であるのは明らかだった。
見るからに暑そうな修道服は、全身をしっかり覆っているように見えて、ある事情によって一度分解した結果、風通しが良くなっている。
もちろん喉が乾いていないわけではないが、あれだけ摂取していれば、そこに含まれる水分のおかげですぐさま脱水症や熱中症になってしまう危険は小さいとみていいだろう。
それならば、無理やり連れ出す事はあるまい。

「じゃあ、何か飲み物を買ってくるから、大人しく待っててくれ」
「その前に一つだけ」

 靴を履きながら、上条は背後からの呼びかけに首だけで振り返る。
すると、アヒルのように唇を尖らせる同居人の姿があった。

「危ない目にあいそうになったらちゃんと逃げるんだよ。そうでなくても、とうまはすぐ事件に首を突っ込みたがるんだから」

 身に覚えのあり過ぎる指摘に、少年は前を向いて表情を隠す。

「基本的に平和主義者だからな、俺は。心配要らないさ。出かけるつってもすぐ近所だ。どれだけ多く見積もっても、三十分もあれば帰ってくるよ」

 嘘は言っていない。そのつもりだった。
いつだって、この部屋を出る時はすぐに帰るつもりなのだ。

「そうだ。お土産はアイスがいいかも」
「溶けるって」
「じゃあ、プリンでいい」
「はいはい」

 ひらひらと手を振るインデックスに、黒髪の少年は気だるげにあらゆる異能を打ち消す右手で応えた。


 第七学区・多層陸橋。
学園都市のちょっとしたランドマークの一つだ。
大型のバスロータリーの十二の乗り場を全て陸橋で繋いだため、まるで何かの競技場のようにコンクリートの地面が広がる場所である。
さらに『三階部分』にあたる巨大な幹線道路、地下に広がる複雑な地下道など、上下に入り組んだ構造体が刑事ドラマの逃走シーンで多用される事になり、『複雑なのに待ち合わせ場所として有名』という微妙な状況を作っていた。

 そんな多層陸橋の二階部分、盛んに進められている緑地化の影響らしく芝の多いコンクリート構造体を上条当麻は歩いている。
何のイベントかは知らないが、たまたますれ違った女学生が屋台が出ていると言っているのを聞いて、ここまで足を伸ばしたのである。

 売れ行きが好調すぎてシロップが切れかけているからと、飛びきり安い代わりに味の薄そうなかき氷を手に入れた上条は、すぐさまかきこみたい衝動に駆られながらも日陰を求めて移動を開始した。
灼熱の太陽の下、長蛇の列を成す待ち人に見られながら食べるのは喜ばしくない。
ただ、同じ事を考える人間は多かったようで、近場は軒並み押さえられていた。

「ちくしょう、さっさと食べないと溶けちまう」

 思わずぼやいたその時、見知った顔が視界に飛び込んでくる。担任の月詠小萌だ。

「!」

 気軽な気持ちで声をかけようとして、黒髪の少年は思わずドキッとした。
何があったのか、涙を浮かべている。足元にはおそらく口をつけていなかったであろうかき氷の容器が転がっていた。

 まったく関係がないとは言わないが、小学生にしか見えないから胸を衝かれたわけではない。
外見が成人であっても、極端な話をすれば老婆であったとしても、きっと息を飲んだはずだ。

 年齢に関係なく、女の涙は特別な力を持っている。
もし彼が無能力者(レベル0)ではなく超能力者(レベル5)に名を連ねていたとしても、その絶大な破壊力を無効にすることはなかわなかったであろう。

「……よし、決めた」

 上条は逡巡の後、声をかけることにした。
余計なお節介かもしれない。互いの立場を考えれば見なかった振りをするべきなのかもしれない。
しかし、涙を流している者を放っておくことなどできなかった。
そんなことをすれば、そんなことを認めてしまえば、上条当麻でなくなってしまう。

「小萌先生」

 できるだけ明るく、と心がけた声音に淡紅色の髪がさらりと揺れた。

「あれ、上条ちゃん?」
「ええと、その」

 自然に接しようとする事に注力するあまり、堂々とかき氷を手にしたまま話しかけてしまった事に気づいて引きつった笑みで目を泳がせる上条に、小萌は目元をぬぐいあわてて両の手のひらを左右に振る。

「ああ、これは……何でもないのですよ上条ちゃん」

 心配をかけまいと気丈に振る舞っているのか。
可憐な女教師は手の甲で目尻をぬぐうと、教室でみせる普段どおりの愛くるしいほほえみを教え子へと向けた。

「これからお出かけですか?」
「まあ、水分補給をしようかなと」

 幻想殺しの少年はそう答えてから、コンクリートの上でじわじわと溶けつつある氷を一瞥して頬をかく。
先生もお出かけでしたかとたずねるのは、あまりにも無遠慮すぎる。

「どうしたのですか上条ちゃん。何だかそわそわしているように見えるのですよ。悩み事があるならどーんと先生に相談してください、どーんと」
「はは、悩みは別に……」
「そうですか? だったらいいのですが」

 小萌が首を傾げるのも無理はない。
いくらベテラン教師といっても、生徒の考えを全て読み取れるわけではないのだ。
故に、鼻先に突き出されたかき氷を目にして、瞬きを繰り返した。

「小萌先生、これ、あげます」
「え?」

 窮余の一策。
上条は頭を下げると同時に手にしたプラスチックの容器を小さな手に押しつけたのである。

「あの、上条ちゃん? 気持ちは嬉しいのですが、でも、まだ一口も食べてないんじゃ……」
「いいんです。それでも食べて元気を出してください。じゃあ、俺はここで!」

 戸惑う先生に背を向けて、少年は走り出す。
深い事情はわからないが、何も聞かずに立ち去る事がベストの選択だと踏んだのだ。

「ちょっと、上条ちゃん? 先生の話を聞いてください、上条ちゃん。先生は、上条ちゃんが何やら勘違いをしているように思えてならないのですよ……!」

 可愛らしい叫び声は、駆け足で去っていく上条の耳には届かない。



「こういう時に限って売り切れとは」

 こういう時だからこそ、なのか。
立ち寄ったスーパーもコンビニも自動販売機さえも、冷えているものは全て売り切れていた。
せめて常温のものがあれば良かったのだが、それすら残っていなかったのである。

「真夏にホットを残しておくとか、何の嫌がらせだよ」
「アンタ、こんなところで何をやってんの」

 少年が肩を落として思わずぼやいた直後、後ろからの呼びかけに応じて振り向いてみると、そこには白い半袖のブラウスにベージュ色のサマーセーター、そして灰色のプリーツスカートという指定の制服に身を包んだ常盤台のエースが立っていた。

「よお、ビリビリ」
「だから、ビリビリ言うなっての」

 美琴の感情バロメーターが驚きから軽い不機嫌へと針が触れたことに気づいたのかどうか、上条は率先して状況を説明し始める。

「この俺、上条当麻さんが何をやっているかと言えば、だ」

 しかし、言葉は唐突に途切れた。
何か飲み物を買ってくる、ただそれだけの簡単な話だったはずが、部屋を出てから優に一時間以上が経過している。

「またぞろお節介? 何だか気落ちしているようにも見えたけど」
「いや、そうでもない……と思う」

 気遣わしげな視線を受けて、黒髪の少年は、多分、と付け加えて担任の姿を思い浮かべた。
よくよく思い返してみれば大の大人がかき氷をひっくり返したくらいで涙するわけがない。
慰めるためとはいえ、子ども相手にするように自分が持っていたものを渡して立ち去るなど、下手をすれば侮辱と取られかねない行動である。

「やっぱり、余計なお節介だったかもしれない」

 上条の苦笑に、学園都市第三位の少女は小さく肩をすくめた。

「呆れた。適当に言っただけなのに、結局してるんじゃない、お節介」
「仕方ないだろ。泣いてる人を放っておけるかよ」
「泣いて……って、どういうことよ」

 聞き捨てならないものだったらしく、眉を寄せて距離を詰めてくる美琴に少年はあわてて弁解する。

「あ、いや、今のは聞かなかった事にしてくれ。問題は解決したから」

 気まずい沈黙は十秒ほど続いた後、息を吐く音によって幕を下ろした。

「……まあいいわ。アンタがどんなアクションを起こしたのかは知らないけど、こうしてのんびりしてるってことは、大丈夫なんでしょ」

 すっきりしない回答に納得したわけではないものの、まともな返事は得られないと判断したのか超電磁砲の少女は軽く嘆息してから話題を他に移す。

「で、今は何をやってるわけ?」

 特に裏はない興味本位の問いかけに、少年はやや言い訳がましい口調で答えた。

「いや、喉が渇いてさ。何か飲み物を、と思っていたわけなんですが」
「だったら、あっちに自販機があるわよ」
「あっち? って、そこは」

 指差す先を確認し、上条はけげんそうな顔つきをげんなりしたものへと変える。
しかし、熱いものしか残っていないのですが、と続ける前に美琴は駆け足で自販機前へと移動し二本の飲み物を持ち帰ってきた。

「そんな顔しなくていいわよ。ジュースの一本くらいおごってあげる。はい」
「サンキュ……って、熱!」

 平然と持っているので気軽に受け取ってみたところ、缶は非常に熱かった。
プルタブを引くのにも一苦労である。

「アンタ、飲まないの?」
「いや、もう少し冷ましてから飲みたいなと上条さんは考えている」

 なかなか口をつけようとしない上条に、常盤台のエースは傾けた缶から口を離して質問を投げた。

「もしかして猫舌とか」
「そういうわけじゃないんだが、ただでさえ体温が上がっている現状を考えますと……」

 言うまでもなく、幻想殺しの少年はせっかくの厚意を無下にしようとしているわけではないのだが、熱さのせいでまともに持てない状態では、のんびりとティータイムを楽しむ事は難しい。

「わかったわ」
「わかってくれたか」
「うん。わかったから、さっさと飲みなさい」

 お願いではなく命令だった。

「ちょっと待て、このクソ暑い中お前は内側からホットになれと!?」
「細かいこと言わない。大丈夫だって、ほら、脂肪も燃焼できて言う事ないじゃない」
「お前、適当に言ってるだろ!」

 ノリの軽さに突っ込みを入れて、上条はようやく手のひらが熱さに慣れてきたのを認識する。

「まあ、冷たいほうがいいなら交換してあげてもいいけど」
「交換たって、何も持ってないだろ」
「ん? 売ってるとこまで買いに行くつもりよ」
「いや、そこまでしてもらうのはさすがに悪い」

 そこで、かわいらしい着信音が鳴り響いて美琴は一息に缶の中身を飲み干し、くずかごへと放り込んだ。

「ごめん、ちょっと待ち合わせがあるから、またね」
「おう。ありがとな、ビリビリ」

 互いに笑顔で手を振り合って、互いの距離は開いていく。
だが、不意に学園第三位の少女は足を止めた。

「って、ビリビリ言うな!」

 前髪が激しい火花を上げて、雷撃が上条を襲う。

「やっぱり不幸だー!」

 突き出した右手で超能力を打ち消しつつ、少年は叫んだ。

ver.1.00 13/4/10

 久々の新作は、当麻を中心とする日常のひとコマでした。
劇場版を見て、ああ、やっぱり禁書は面白いなと思ったものです。
もうすぐ始まる超電磁砲も楽しみでなりません。
というわけで、次はあの四人を書きたいと思います。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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