二三0万を誇る学園都市の人口の八割を占める学生の頂点に君臨する、超能力者(レベル5)
それはあらゆるベクトルを自在に操る第一位を筆頭に、たった一人で一軍に匹敵する能力を持つ七名の強者で構成されている。
その中で唯一にして学園都市最高の精神系能力者、常盤台中学における最大派閥を率いる第五位、食蜂操祈はどこにいようと幾重にも取り巻きに囲まれているのが常だ。

「どうしようかなあ」

 レースをあしらった白の手袋を口元に当てて口中つぶやく食蜂の声は、周囲に侍る女生徒たちの耳には届かない。
二階の手すり越しに見る第三位の少女は、何を調べているのか熱心に学術書のページを繰っていて、自身に注がれている視線にはまったく気づいていないようだった。

「御坂さんを邪魔するのも悪いし、今日はそろそろ帰ろうかなあ」
 再び聞く者のない、誰に聞かせるつもりのない独語をつぶやいて、心理掌握(メンタルアウト)は口の端をわずかに持ち上げる。
言葉とは裏腹に、いかにして茶々を入れようかと思案しているのだ。
ただし、そこに悪意はない。彼女はやりたい事を、やりたいようにしているだけである。

 だが、食蜂操祈と共に過ごす時間が長いはずの、派閥に所属する人間がこうした本質に迫ることはない。
大半の者は挨拶を交わすかせいぜい他愛のない話をする程度であり、追従し、愛想を振りまくだけの人間が真の意味で彼女に近づく事はできないからだ。
仮に、第五位の少女にとって不都合な事実に感づいたとしても、その事が食蜂の知るところとなった途端に、関連する記憶を喪失させられる羽目になる。
記憶の読心・人格の洗脳・念話・想いの消去・意志の増幅・思考の再現・感情の移植など精神にまつわるあらゆる操作を可能とする彼女の前では、一部の例外を除いて心を丸裸にされ、思いのままに操られてしまう。

「いかがされましたか、女王」

 故に女王と言う呼び名は、大げさなものではない。多くの生徒を束ね、文字どおり常盤台中学の主として君臨しているからだ。
その支配方法は、蜘蛛の糸で絡め取られた獲物や蟻地獄に入り込んでしまったアリを想像すれば良い。
一度、そのテリトリーに足を踏み入れれば最後、身動きが取れなくなってしまう。

「ううん、なんでもないの。明日はどのお店のエクレアを食べようかな、って考えてただけだからあ」

 食蜂は背後からの呼びかけに適当な返事でお茶を濁した。
今日のところは、図書館で(・・・・)楽しい事は起こりそうにない。
浮かびかけた名案は、声をかけられた事でどこかへ消えてしまった。

「そうでしたか。でしたら、セブンスミストに期間限定で入っているお店など、いかがでしょうか。あの、差し出がましいようで申し訳ありませんが、もし良ければ差し上げたいと思いまして」
「あらあ。アナタ、気が利くのねえ」

 常盤台最大派閥の支配者直々のお褒めの言葉を受けて、亜麻色のショートカットの少女が微かに頬を紅潮させる。

「せっかくだし、頂こうかしらあ」
「ありがとうございます!」

 腰まで届く艶やかな金髪にスラリと伸びた手足と小顔はモデル顔負けで、乙女の象徴たる胸部の膨らみは取り巻き数人分のそれを上回るのではないかと思えるほど豊かなもので、中でも特徴的な星のきらめきにもダイヤ型にも見える紋様を象る瞳孔は、澄んだ琥珀色の光彩とあいまって、信奉者の中には神が与えた奇跡と表現する者や、完璧とは食蜂操祈のためにある言葉であると公言する者さえいるのだ。
何の気なしに発した台詞は、そうした女生徒を一喜一憂させる。

「ところで女王、今日はいつもにも増していい香りが……。もしかして」
「ふふ、わかるう?」

 昨日から染髪剤を変えたのよねえ、と目を弓にする食蜂のうなずきに、取り囲んでいた数人が一斉に黄色い声をあげた。

「どこのメーカーか、お聞きしても?」
「CMでよく見るから、知ってるんじゃないかなあ」

 さらさらの髪を指で梳きながら答える姿は一枚の絵のようで、女生徒たちは思わず感嘆の吐息をこぼす。
そのうちの一人が、興奮の面持ちでおずおずと問いかけた。

「もしかして、テスターに選ばれたのでは?」
「まあ、そんなところかなあ」
「すごいです! さすがは女王!」

 私語厳禁の決まりはどこへやら、大いに盛り上がる一堂をちらりと見やる利用者はいるが、誰も注意しようとはしない。
階下の超電磁砲はこの段になってようやく気づいたが、中央に第五位の姿を認めるやすぐに目をそらした。

「それじゃ、テラスに移動しましょ。私の口が咀嚼力を発揮したがってるみたいだしい」

 食蜂は、美琴を一瞥してから菓子の提供を申し出た名も知らない少女にウインクを飛ばす。



「それではごきげんよう、女王」
「うん、またねえ」

 丁寧に別れの挨拶をする生徒たちに、第五位の少女は白の手袋で覆われた手をひらひらと振った。
つい先程までいた取り巻きは一人も残っておらず、やたらと静かに感じられる。
寮に着くまで誰かと一緒でない事など、年に片手で数えられる程しかない。

「さて、と」

 ひと気のないバス停で時刻を確認すると、待ち時間は思いのほか長かった。
逡巡は、ほんの二、三秒。これなら歩いてもあまり変わらないと判断したのか、あるいは女子力がエクレア二個分のカロリーを消費させようというのか、迷うように踏み出した一歩は二歩目につながり、また次の一歩が生まれる。

 ローファーでコンクリートに敷き詰められた道を打つ動作をどれだけ繰り返しただろうか。
主要道路沿いながら、生い茂った木々が歩道までせり出しているため、時節柄しばしば落ちてくる虫を避けるべく選んだ裏道に、長身の男が立っていた。

「ちょっといいかな、そこのお嬢さん」
「もしかしてそれは、私の事かしらあ?」

 食蜂の瞳に浮かぶ星のきらめきが微かに陰る。
おっとりと首を傾けつつ確認すると、背後にも人影があった。迂闊と言うより他はない。
「道にでも迷ったあ? それなら、案内力に乏しい私よりも風紀委員(ジャッジメント)か道行く誰かさんに聞いた方が確実だと思うけどお」

 美琴から『運痴』呼ばわりされるブロンドの少女の中に、走って逃げるという選択はなく、また、逃げる必要もなかった。
武器を持った相手が何人いようと、心理掌握の前では何の障害にもならない。
邪魔ならば、ただ、ボタンを押せば良い。

「いや、あんたに聞きたいんだよ第五位のお嬢さん」
「ふぅん。私を誰か知って、こんな事をする手合いがいるなんてねえ」

 だが次の瞬間、正面の男がさっと腕を上げると同時に、ポケットから取り出されたリモコンは何の力を発動する事もなく地面に転がった。

「痛……」

 小さく眉をしかめて手の甲をさする常盤台の女王に、リーダーと思しき長身は腕を下ろし、いずこかへ目配せをする。

「悪いが狙撃させてもらった。あんたの能力は厄介なんでね。何の準備もなく襲いはしないさ」
「へえ、よく調べているみたいねえ」
「ああ。いつまでそうやって余裕ヅラを貫けるか、楽しみにしている」
「楽しみに……え?」

 足元で響いたどさっという物音が何を意味しているのか。
金髪の少女がそれを考えるよりも早く、男が口を開く。

「当然、次の手も考えてあるに決まっているだろう」

 信じられない光景だった。
持ち手を切り取られて地面に転がった鞄から、たくさんのリモコンが飛び出している。
淡々とした男の言葉は、果たして食蜂の耳に届いているのかどうか。

「動くなよ。動けばあんたの綺麗な顔に傷がつかない保障はない」

 リーダーの指示を受けて、距離を取っていた短髪と丸刈りの二人がおっかなびっくり近づいてくる。

「後は後ろ手に縛り上げれば完了だ。触られないようにしろよ」
「ああ、わかってる」

 気味が悪そうに答えて、丸刈りは特殊な樹脂が用いられた手錠をジャンバーから取り出した。
事ここに至っては抵抗しても無駄と考えたのか、第五位の少女は大人しく両腕を持ち上げる。

「いいな、動くなよ」
「心配しなくても、そんなつもりはないってばあ」

 脅されてもあっけらかんとした声で応える食蜂に、丸刈りは心底気持ち悪そうに顔を歪めた。
己の置かれた状況を、理解しているのだろうか。
レベル5の連中は皆、頭のネジが飛んでしまっているという噂は本当なのかもしれない。

「一応聞くけど、あなたたちの目的はあ?」
「金だ。あんたを連れてきて欲しいと言ってる方がいる」

 リーダーは肩をすくめると、遠くを見るような目つきで静かに言った。

「食蜂操祈、捕らわれる。明日の新聞はあんたの名前が一面を飾るだろう」
「なるほどねえ。これも有名税、ってやつかなあ?」

 第五位の少女は、くつくつと喉の奥を震わせて笑う。
身に危険が及んでいる者の態度とは思えなかった。虚勢ではない。怯えが、欠片も感じられないのだ。

 まともな人間であれば、恐怖を覚えずにはいられまい。

「てめぇ、調子に乗るんじゃねぇ!」

 悲鳴にも似た叫びと共に短髪が振りかぶった拳を常盤台の女王に叩きつけようとしたその時、コマか何かのように回転しながら吹き飛んだ。

「誰が調子に乗ってるのお? 私にわかるように、ちゃんと聞かせてくれるかなあ」

 ニヤリと笑う食蜂の眼前で、丸刈りがうめき声を漏らす事もできないまま崩れ落ちる。
次いで、木の上に潜んでいた男の手からこぼれ落ちた空気銃が乾いた音を立てて落ちてきた。

 リーダーは、想像もしなかった展開にただ目を見開く事しかできない。

 程なく現れた常盤台の女生徒は、優に十人を超えていた。
誰もが、図書館で居合わせていた派閥の者たちである。
事前に一人を除く全員の意識を支配下に置き、条件付けによる命令を下していたのだ。

「お疲れさまあ」

 ねぎらいの言葉を受けた豪快な縦ロールの少女はまず安堵の表情をみせてから、表情を硬くした。

「ご無事でしたか、女王」
「当たり前よお。ちゃんと選択力を発揮して腕の立つ子を揃えておいたからあ」
「それはそうですが、このような行動はなるべくお慎みください」
「はいはい、わかってるってえ」

 想定内などという台詞は首尾よく事が運んだから言える話で、万が一もあり得る状況だったにもかかわらずあくまでも明るく言ってのける女王に、縦ロールの少女は苦笑するより他はない。
それでも、表情に険はなかった。大切な人が無事であれば、それで良い。心からそう思う。

「ごめんねえ。私の情報力であなたたちの行動はとっくに筒抜けだったの。正直、鬱陶しかったからさっさと片付けたかったのよねえ」

 襲撃者の長は歯噛みして、口中うめく。
王手をかけていたと思っていたら、すでに詰んでいた。いや、最初から勝負にすらなっていなかった。

 これがレベル5。学園都市の頂点に立つ、七人。

「そうそう、冥土の土産に教えておいてあげる。これは内緒の話だけど」

 忌々しそうに睨みつけてくるリーダーの視線をものともせず、しゃがみ込んだ食蜂はそっと囁きかけていた。

「私って、リモコンがないと能力が発動できないわけじゃないのよねえ」
「な……!?」
「それじゃ、さようならあ」

 ピッ、という音が、驚愕のあまり表情を強ばらせる長身の男が聞いた最後の音だった。
余談ながら、警備員(アンチスキル)に突き出された四人の暴漢たちは、留置所から解放された後は何故か奉仕活動に精を出す善人になったという。

ver.1.00 13/5/17

 初めての食蜂さん、でした。
前々から書いてみたかったキャラでしたが、初めてということもあってちょっと硬いですね。
次は、愉快な美琴との絡みを書きたいです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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