街並み全体がヨーロッパの伝統的なそれを模して作られた、男子禁制の聖地『学び舎の園』。
学園都市に住まうお嬢様達のほとんどがこの二キロ四方の敷地で学校生活を送っている。

 外、すなわち学園都市の外と比較して優に二十年は進んだ科学技術によって、街には治水や利水のためではなく無意識下で最大限の効用を得るべく人工的に生み出された、不自然なまでに自然な木々や河川が存在し、施工主の狙いどおり、学生を中心とした住民の憩いの場として活躍している。

 そのうちの一つ、学び舎の園の一角にあるせせらぎを聞く事ができる空間に、常盤台中学校の制服に袖を通した少女がいた。
まだ登校の時間には少し早い頃合という事もあってひと気のない通りの、道路と川を隔てるための柵に身をもたせかけつつ、缶ジュースを片手に空を見上げている。
くつろいでいるようでいて物憂げにも見えるその横顔からは、胸中を読み取る事ができない。

 後輩を中心とする学園都市第三位のファンにとって、爽やかな朝の空気にふさわしい、絵になる眺めに思わずうっとりとため息をつきたくなる姿であるが、幸か不幸か、目撃者は一人もいなかった。
いや、たった一人だけ、通りかかった者がいる。

 学園都市におけるピラミッドの頂点、第五位に君臨する食蜂操祈だ。
腰まで届く艶やかな金髪にスラリと伸びた四肢だけでも十分に目を引くレベルであるが、あまりにも豊かな二つの胸の膨らみは同世代どころかあらゆる年齢層の同性と比較しても、群を抜いていた。

「あれは……」

 美琴がこちらに気づいていない事を見て取ると、口さがない連中がシイタケと呼ぶ、夜空に輝く星のきらめきをそのまま移したかのような瞳を持つ特徴的な目を悪戯っぽく弓にする。

(こんな時間に目が覚めちゃって最悪と思ったけど、早起きは三文の得って本当ね)

 ローファーは音を殺しにくいため隠密行動にはまったく適さないのだが、そろそろとなるべく静かに近づいてくる同級生に対し、電撃使い(エレクトロマスター)の少女は何の反応も示さない。

 二十メートル、五メートル、一メートル。

(はい、私の勝ち)

 ついに背後を取った食蜂の唇の両端が釣り上がり、朝の挨拶が粛々と実行された。

「みーさっかさん、ちゃんとパンツ履いてるう?」

 バチンッ、と美琴の前髪が放電する。目を見開いて、猛然と振り向く。
そこには、つかんだ布を持ち上げたままでいる第五位の少女が立っていた。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? いきなりスカートをめくるとか、何やってんのよアンタ!」

 食蜂は全力で払いのけられそうになった手をさっと引きつつ一歩後退し、くねっとしなを作る。

「御坂さんったら、そんな怖い顔してえ。せっかくの可愛い顔が台無しだゾ☆」
「ふざけるな!」
 すっかり頭に血が上っている第三位の少女は怒りを隠そうともせず感情のままに怒鳴りつけるが、心理掌握(メンタルアウト)はどこ吹く風と涼しい顔で聞き流していた。
派閥の女王たる食蜂にとっては、一大勢力となり得る相手が進んで醜聞の種をまこうとしているのを止める義理はない。
美琴をよく知る者にとってはまたやっている、程度のものでしかないのだが、もしこの光景を第三者が見かけたとしたら、あらゆる憶測が飛び交うだろう。
極端な話、高位能力者はくしゃみ一つするだけで注目されてしまうのである。

(この場に私以外の目撃者がいないのは、返す返すも残念ね)

 第五位の少女は豊満な肉体を殊更誇示するように身をくねらせると、レース付きの手袋で覆われた指先を顎にそっと添えつつそっと首を傾げた。

「そんな事よりい」
「アンタの蛮行をそんな事で流すな!」

 バチバチと放電しっ放しの前髪は一向に収まる気配がない。
これ以上刺激し続ければ、触れたら最後、こうして近くにいるだけでも自慢の金髪が静電気いっぱいの下敷きを寄せた状態になりかねないが、食蜂は自重する気がなど端からないとばかりに、同じ言葉を繰り返す。

「そんな事よりい」
「……アンタねえ」

 天井知らずに荒々しさを増していた電子の奔流は、突如として美琴の周囲から霧散した。
こうもわかりやすい挑発に乗るのは馬鹿らしいと思ったからだ。
意識の深いところでは、ルームメイトが度々みせる奇行のおかげで耐性ができて、スカートめくりくらいは何とも思わなくなってしまったのかもしれないが。

「……まあ、いいわ」

 とはいえ、日頃から友好的とは逆立ちしたところで言えない関係である上に現在進行形で面白くない態度を取る相手を前に、上機嫌になれというのは土台無理な話である。

「そんな事より、何」
「何って言うかあ、御坂さんさあ」
「何よ」

 面倒くさそうに応える第三位に向けられた食蜂操祈の瞳が、キラリと輝いたように見えた。

「これ、どういうつもりなわけえ?」
「どういうつもりとはどういう意味でしょうか女王様」
「心のこもっていない女王様ねえ」
「あなたにはこれで十分だと思いますけど」

 まともに会話をするつもりはない、と言外に伝えられても学園都市第五位の表情は笑顔のまま変わらない。

「それで」
「まったくう、一から十まで説明しなくちゃわからないわけえ? 天然さんなのか狙っているのか知らないけどお」
「答えないなら帰るわよ」
「ってえ、話の途中で帰らないでよ御坂さん」

 つかまれた裾を、虫か何かを見るかのような目つきで忌々しげに見やる美琴に、食蜂はにんまりと唇を弓にして言う。

「だからあ、こんな野暮ったいもの履いちゃって、どういうつもりかって聞いてるわけえ」
 手袋に包まれた白の一指が示すのは、超電磁砲(レールガン)のスカートだった。

「野暮、ってアンタも同じ物を履いてるでしょうが」
「違う違う、その中身い」

 ようやく相手の言わんとする事を把握した美琴は、腕を組むや急速に目つきを悪くする。

「はっ、何を言い出すかと思えば。別に何を履こうがあたしの買ってでしょうが」
「アンタには関係な「関係あるわよお」

 台詞を重ねて、食蜂はわずかに身をひねりつつ立てた指を緩く左右に振った。

「いい? 曲がりなりにも、一応、常盤台では私のライバルと目されている人がこんな格好しているなんて、耐えられないわけでえ」
「そんなの知った事じゃないわよ」

 第三位の少女は取り合おうとした事を後悔する気持ちが膨れ上がるのを抑えきれなくなりつつある自分を知覚して、ため息をつく。
一度犬猿の仲になった者とは、未来永劫分かり合えないものなのかもしれない。

「要するにい、御坂さんは自信がないわけよねえ」
「……はぁ」

 返事の代わりに深々と吐き出された息の持つ意味を、食蜂は直後に思い知らされた。

「……アンタには一度、わたしの二つ名が持つ意味を徹底的に教えてあげた方が良さそうね」
「ちょっとちょっと御坂さん、そんな物騒な事言っちゃ、ヤ、ダ☆」

 言葉だけを聞けば余裕があるように感じられなくもないが、第五位の少女は内心、相当焦っている。
派閥のメンバーを引き連れている時ならともかく、一対一の状態では暴力であるか能力であるかを問わず、物理的な攻撃を防ぐ術はない。

 怒りを示す眉間にくっきりと刻まれた縦のシワに、微かに頬を引きつらせながら食蜂は起死回生の話題転換を図る。

「ところでえ」
「今度は何よ」

 考えるまでもなく天気の話はあり得ない。
女子の間でよく耳にする類の噂に興味を示すとは思えず、また、何を見ているかわからないためテレビ番組関連で気を引くのは難しいだろう。

 ならば、これはどうか。

「私って、部屋では何も着ないのよねえ」
「……は?」

 大成功だった。
予想外の発言に思わず意表を突かれてしまったらしく、美琴は目を丸くしている。

「だからあ、部屋に居る時は一糸まとわず生まれたままの姿でいるって言ってるわけえ」

 心理掌握の名は、伊達ではない。
流れに棹さし、あるいはせき止める事で場を支配する。
日頃、能力に頼るのは極力、労力をかけずに楽しむ事をポリシーにしているためであり、決して話術に自信がないからではない。

「なっ、あんた、バカじゃないの」
「何があ?」
「誰か入ってきたらどうすんのよ」

 釣り糸にかかれば、後は簡単である。釣り糸を引き、あるいは緩めて、魚を逃さないようにすれば良い。

「別に構わないけどお」

 第五位の少女は足を踏み出し、流し目で電撃使いの同級生を見やった。

「だってえ、私ってスタイル抜群だしい、見られてもまったく困らない、って言うかあ」

 言いながら、凹凸に満ちたボディラインに沿って手のひらを滑らせる姿は同性の目からしても悩ましいレベルで、美琴が目元を桜色に染めつつ視線をそらすと同時、

「あ、もしかして御坂さんは違うわけえ?」

 言葉にし難い恥じらいの衝動は瞬く間に地平の彼方へと消え去る。

「あたしのこと、おちょくってんの」
「違う違う、そうじゃなくてえ」

 いい気になって手のひらを飛び回っていた孫悟空を見ていた釈迦は、このような気持ちを抱いただろうか。
頭の隅で他愛のない事を考えながら、食蜂は艶やかに笑う。

「私は同性が相手なら見られたうちに入らないっていう意味で言ったんだけどお、もしかして、好きな殿方に見せたいとか、そういう事を考えちゃったのかなあと思ってえ」
「ななな……」

 みるみるうちに、常盤台のエースの顔に血が上っていく。
この事を意外に思いながらも、第五位の少女はくつくつと喉の奥を震わせる。

「ちゃんと言えてないみたいだけどお」
「何言ってんのよアンタ! そんなわけないでしょ!」

 この反応は、思い人がいると言っているに等しかった。
これは、是が非でもその人物を特定するヒントを得なければなるまい。
棚からぼた餅で終わらせてしまうには、あまりに惜しいシチュエーションである。

「それで、その人はあ……」

 しかし、食蜂の思惑はあっさりと崩れ去った。
いつからそこにいたのか、食蜂操祈を女王に頂く派閥の、中心人物と言っても過言ではない取り巻きの一人が立っていたのだ。

「ごきげんよう、女王。そして御坂さん」
「どうも、おはようございます」

 見覚えのある縦ロールの少女に小さく会釈をした美琴は、追求を避けられた事に、密かに胸を撫で下ろした。
学園都市内、いや、世界中で、思い浮かべた誰かさんの事を知られたくない相手ナンバーワンの食蜂に、一切の情報を与えずに済んだのである。

「女王、そろそろ集会のお時間です」
「あら、もうそんな時間? 残念だけど、またお話しましょうね、御坂さん」

 縦ロールの少女は、名残惜しそうに何度も振り返る第五位の少女をぐいぐいと引っ張っていく。


 顔を赤らめたまましばらくの間立ち尽くしていた電撃使いの少女は、忽然と出現したツインテールの風紀委員を見て、目を瞬かせた。

「今日はお早いですのねお姉さま……って、どうかなさいましたか?」
「んーん、何でもない」

 ほんのりと上気した頬の熱に気づかない振りをして、美琴はさっと身を翻す。

「さ、行くわよ黒子」
「って、あの、ちょっと、お姉様、手……!」
「手?」

 常盤台の超電磁砲は指摘されて初めて無意識に後輩の手を引いていた事を認識し、苦笑混じりに頬をかく。

「ああ、ごめん。何かつかんじゃってたみたい」
「そうでしたか……って、離さなくていいですのお姉様! 離す必要なんてありませんの! イヤァァァァァ、離さないでくださいませお姉様!」
「うるさいわね、ちょっと黙りなさい。表通りに出るまでの間だけ、つないでいてあげるから」
「……はい、お姉様」

 白井がうっとりとした顔つきでだんまりモードに入ると、途端に静寂が訪れる。

(……ま、たまにはこういうのも悪くない、かな)

 第三位の少女は、たったこれだけのスキンシップで、表情筋が緩みすぎて気持ち悪く顔面を崩壊させている後輩にえも言われぬおかしみを覚えつつ、顔色一つで何かあった事を悟ってしまうルームメイトの存在を、ほんの少しありがたく思った。

ver.1.00 13/6/15
ver.1.05 13/6/16

 最後の締めは黒子で、食蜂SSでした。
レベル5同士の掛け合いは、書いていて面白いです。そろそろ、麦野デビューも果たそうなどと思っています。
アニメで見ると、フレンダのキャラクターがなんともおいしく仕上がっていて、結局、アイテムの話になる訳よ、です。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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