「参ったね、ホント」

 屋根の下にたどり着いた濡れネズミの佐天涙子は、ようやく雨粒を浴びずに済むと息をついた。
額に張りついていた髪を鬱陶しそうにかきあげながら、
重い雲が垂れ込める空を恨めしそうに見上げ、次いで自身の体へと目線を移す。
土砂降りの雨に打たれていた時間はせいぜい二、三分といったところだが、
下着までしとどに濡れてしまっていて、服といわずスカートといわず、
体中から足元へと滴り落ちる水が広がって水たまりを作っていた。

 それから遅れること十数秒、佐天が思わずため息をつきかけたその時、
頭に色とりどりの花飾りを乗せた少女が息せき切って駆け込んでくる。
彼女もまたひどい有り様で、どこで引っかけたのかソックスの白が土の色とまだらの模様を作っていた。

「お疲れー。遅かったね」
「最後の方は諦めて歩いてました」

 ねぎらいの言葉を受けた初春飾利は苦笑いで応える。
これだけ濡れればあとはいくら雨を浴びようが同じと考えたのだ。

「しっかし、濡れちゃったね。お互い」

 重くなったスカートをわずかに持ち上げつつげんなりとした顔で言う佐天に、
初春飾利は眉尻を下げて相槌を打つ。

「いきなりの雨でしたからね」
「完璧な天気予報というか、天気予告が外れるなんて」
 学園都市の上空、宇宙空間に浮かぶ人工衛星に組み込まれた樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)は、
空気中の成分を分子レベルで把握しその動きを広範囲に渡って個別にトレースできる、
超高度並列演算処理器(アブソリュートシミュレーター)であり、一か月分の天気を他の演算計算を走らせながら行っている。
しかし、件のスーパーコンピューターはさる事件の際に破壊され、修復の目処は立っていない。

 学園都市の住人は大半がこの事実を知らされておらず、
今もなお健在であることを疑ってもいない。

「でも、近頃はそれほど珍しい話でもないんですよ」
「そうなの?」
 だが、違和感を覚えている者は決して少なくなかった。
たとえば、情報処理能力に長ける風紀委員(ジャッジメント)の少女、
初春はかなり早い段階で高性能の演算装置を失ったことで生じ始めた不都合に気づいている。

「いつからでしたか、急に精度が落ちたんですよね」
「へえ。どうしたんだろ、故障かな?」
「そうかもしれません」

 あるいは、と花飾りの少女は語を継ぎかけてそれを飲み込んだ。
彼女とて、確たる証拠があるわけではない。
憶測に過ぎないことを口にするのはためらわれたのだ。

「ああ、そうだ」

 と、佐天は明るい声で手を打ち合わせると、
さして吸水効果が望めそうにない湿ったハンカチを取り出し友の短い黒髪にそっと押し当てた。

「私は大丈夫ですよ。それより自分の髪を拭いてください。
ほら、佐天さんだってずぶ濡れじゃないですか」
「いいんだって。私がそうしたいんだから」

 笑顔できっぱりと言いきるセミロングの友人に、花飾りの少女は頬をほころばせて、

「……わかりました。ありがとうございます」

 厚意を受け取ることにしたのだった。



「雨、止みそうにありませんね」
「本当だね」

 部屋の前で空模様を眺めていた二人だったが、雨足はますます強まるばかりだった。
この中を、すでに濡れた身だから同じと傘を差して帰らせるのは酷な話と考えて、
初春は友の袖を引きつつ提案する。

「佐天さん。シャワー、浴びていきます?」
「そうだね。せっかくだから、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

 それならば、と花飾りの少女は扉の鍵を解除し、どうぞ、と佐天にほほえみかけた。

「おじゃましまーす」

 親しき仲にも礼儀あり。
何度も上がったことがあるからといって、挨拶を疎かにはできない。

「ふふ。大したおもてなしもできませんけど」
「何をおっしゃいますやら」

 初春がお決まりの文句を口にしつつ施錠するのを待って、
佐天は友のほっそりとした友の体を抱きしめた。

「私は初春と過ごせるだけで、幸せなんだよー?」
「!?」

 更には頬擦りをされて、花飾りの少女は目を白黒させて立ち尽くすばかりだ。
その間にも彼女に対するスキンシップは次第に激しいものとなり、ついにはキスの雨となった。

「初春、初春、初春ーっ!」
「佐天さん、ちょっと落ち着いてください佐天さん!」

 際限なくエスカレートしていきそうな暴走振りに身の危険を覚えたのか、
初春はあわてて友の背を手のひらの先で叩いてとどまるよう訴える。
だが、激しく高ぶっているせいか佐天の行動は止まらない。

「初春のほっぺたは柔らかくてぷにぷにだね!」
「ちょっと、そんなところ舐めないでください、くすぐったいですってば佐天さん!」

 花飾りの少女は身をよじろうにもしっかりと両腕で体を固定されているためほとんどされるがままで、
散々頬を吸いまわされた上に舐め回されても言葉と手でアピールするくらいしかできない。
そして、セクハラ魔と化した友の魔手は耳たぶへと伸びた。

「ひゃ……ン」

 今までのものとは種類の違う感覚に襲われて、初春は思わずそんな声を出してしまう。
次の瞬間、そのことが恥ずかしく感じられて彼女はたまらずこう叫んだ。

「もう! 佐天さん、いい加減にしてください!」
「……おお、初春が怒っておる」

 さすがにやりすぎてしまったという思いがあるのか、
佐天はようやく腕を解いてばつが悪そうに一歩退く。

「ごめんごめん。いやあ、つい興奮しちゃって。はは」
「はは、じゃないですよ。もう」

 初春は唇を尖らせつつ友の二の腕を軽く小突いてから、
赤面した顔を隠そうとするかのようにぱっとかがみこんで脱いだ靴を揃えた。

 その後姿をしばらく見つめていた佐天は、
立ち上がった花飾りの少女に気まずさを微塵も感じさせない朗らかな声で笑いかける。

「じゃあ、何か拭くものを貸してくれる? 初春が入っている間にやっちゃうから」
「え?」

 初春はぱちぱちと瞬きをして、すぐにかぶりを振った。

「いいですよ。佐天さんが先に入ってください」
「いやいや、そういうわけにはいかないでしょ。初春が先に決まってるじゃない」
「でも……」

 部屋の主と客のもてなしを巡る譲り合いは、次の台詞を待たず唐突に途切れる。
花飾りの少女の口からくしゅっ、というかわいらしいくしゃみが飛び出したためだ。

「ほらほら、風邪引いちゃうよ。こっちは使わせてもらえるだけでも十分ありがたいんだから」

 これは佐天にとって偽らざる本音であった。
万一待ってもらっている間に風邪でも引くことになれば、申し訳が立たない。
だが、これについては二人が同じ条件で、
更に語を継ごうとした瞬間くしゅんという音が玄関に響いた。

「佐天さんだって、風邪、引いちゃいますよ」
「はは、面目ない」

 濡れた衣服は急速に体温を奪う。打たれていた時間は短くとも、
秋口に差し掛かるこの時期は用心しなければ夜を待たずして熱を出しかねない。

「でしたら」

 初春はほんの少し逡巡してから、上目遣いでたずねた。

「ユニットバスなので狭いですけど、一緒に入ります?」
「え……あ、うん」

 佐天は言葉を詰まらせながらも、ほんのりと目元を桜色に染めつつ首を縦に振る。



「初春の頭に何も乗ってないのって、何だかヘンな感じだね」

 脱いだ制服をハンガーに吊るし、鞄の表面からざっと水気を拭き取った後、
バスルームに移った二人は肩を並べて立っていた。

「前に風邪を引いた時はつけてなかったじゃないですか」
「そうだけどさ」

 先ほどから互いが前を向いたままなのは、照れがあるせいだ。
同性同士、意識しなければどうということはないのだが、
一度こうなってしまうとなかなか抜け出すことができない。

 とはいえ、いつまでも突っ立っていては何のためにそろって入ったのかわからなくなる。

「あ、お湯をためる前にシャワーを浴びます」
「かけ湯代わりだね」

 相槌を打った佐天はぎょっとした。
微かに頬を上気させた初春が、いきなり身を寄せてきたのである。

「ちょっとごめんなさい」
「え? う、初春?」

 声を上ずらせる佐天に構うことなく
黒髪ショートの風紀委員は触れ合うばかりに近づいてきた。
しかし、彼女の目線はカランに向けられていて、

「あの。温度、調整しますので」
「ああ、そういうこと。はは、そうだよねー、あはは」
「?」

 とんでもない勘違いを笑って誤魔化そうとする友の姿に初春が首を傾げる。
もしその内容を知れば、一体どんな顔をみせただろう。

「はい、いいですよ」

 準備を済ませた黒髪ショートの少女は、シャワーを壁の方へと向けながら言った。

「こっちに入ってください」
「うん、わかった」

 言葉を交わすことで多少は緊張がほぐれてきたらしく、佐天は頬を緩めて応じる。

「カーテンは浴槽の内側から出さないでくださいね。床が濡れてしまいますから」
「うん。私のところも同じだからわかる」

 それは誰もがする失敗ではないが、あってもおかしくないミスだ。
実際、初春はうっかりカーテンを外側に出したままにしたせいで往生した経験がある。

 ともあれ今は、一刻も早く温まりたいというのが彼女たちの願いで、湯船に入るや否や、
さながら地面にこぼれた砂糖水に集まるごとく、頭上から降り注ぐ湯の下に並んでいた。

「あー、あったかい。生き返るねー」
「はい。風呂は命の洗濯なんて言いますけど、最高です」

 ほとんど頬を合わせた状態でシャワーを浴びる二人の顔には、幸せと書いてある。

「気持ちいい」
「はい。とても」

 冷えきった体にはまたとない馳走だった。
みるみるうちに血の気を失っていた体に血が行き渡り、うっとりと肌を打つシャワーを堪能する。

 いつしか二人は目を閉じていた。
そして、先に瞼を開けたのは佐天涙子で、
至近にある友の顔を見つめるうちある衝動に駆られて手を伸ばす。

「うーいはるっ」
「はい?」

 ささやかれてわずかに頭を傾ける初春の柔らかな頬をそっと押しとどめる形で人差し指が突いた。

「やっぱり初春のほっぺたは柔らかいね」
「そうですか? 普通ですよ、たぶん」
「柔らかいって」

 佐天はしばしの間、指先で触れる肌の感触を楽しんでいたが、ふとその視線がやや下方へと向けられる。
そこには、流れ落ちる湯を受け止めるなだらかな二つの膨らみがあった。

「ね、初春」
「何ですか……ひゃんっ?!」

 いきなり乙女の双丘をつかまれた初春は悲鳴を上げる。
しかし、場所が風呂場でなければ吐く息が交じり合う距離から熱っぽく見つめてくる親友の瞳を見た途端、
喉まで出かかっていた文句はかき消えていた。

「触っても、いい?」
「すでに触っているじゃないですか」

 もっともな突っ込みに、返ってきた答えは意図的なのかどうか見当違いのもので、

「ちょっとだけ、だから」
「ちょっととか、そういう問題じゃないですよ」

 それでも黒髪ショートの少女は胸に置かれた手のひらを払うことができない。

(そういう問題じゃないはずなんですけど)

 嫌な気持ちが沸かないばかりか、安堵めいた気持ちを覚える自分に戸惑いを覚えていた。
一方で鼓動は高まり続け、どこか息苦しい。
これまでにはない経験だった。
一体どうなっているのか、さっぱりわからない。

 そして、彼女は息を飲む。
佐天の指が意思を持って乙女の膨らみをまさぐり始めたのである。

「柔らかいね、初春の」
「ちょっと、触るだけって言ったじゃないですか佐天さん」

 揉まないでください、と消え入りそうな声で初春は言った。

「佐天さん、エロいです」

 この行為はスカートめくりの比ではないエロさだ。
そう。エロと表現するより他はなかった。

「そう、かな」
「はい。エロすぎですよ」

 だが、指摘を受けてもなお佐天の指は止まらない。
一層大胆に、乙女の双丘に手のひらを這わせてくるのだ。

「さ、佐天さ……ン」

 黒髪ショートの少女はいつもにも増して甘ったるい声を出しそうになって、
あわててそれを自制する。

「佐天さん、そんな風に触るのは駄目です!」
「あ……ごめん」

 シャワーが生む音だけがしばらく二人の鼓膜を震わせていたが、
やがて佐天がとってつけたようにこんなことを言った。

「だって、さ。ほら、親友としては初春の発育具合もしっかりチェックしなくちゃいけないし」
「そんなの全然理由になってません!」

 どういう理屈ならば受け入れられるのか。
一瞬そんなことを考えてしまった初春は、耳まで真っ赤に染めながら叫ぶのだった。






ver.1.00 09/11/27
ver.1.86 09/11/29

〜とある乙女の浴室艶義・舞台裏〜

「まったく、いきなりの雨とは本当にやってられませんわね」

 ひと気のない女子寮の廊下を常盤台のエースと並んで歩きながら、
ツインテールの少女は雨に濡れた髪を背の方へと払って小さく唇を尖らせた。

「夕立の季節はもう過ぎたと思っていましたのに」
「そう怒りなさんなって。幸い、アンタの空間移動(テレポート)のおかけで思ったより濡れずに済んだじゃないの。
降り出した頃はまだ公園の辺りをうろうろしていたわけだし、
あそこからじゃ、どれだけ必死に走ったところで下着までずぶ濡れになってたわよ」

 天気は台風を思わせる程大荒れで、
豪雨と呼んでも差し支えのない激しい雨と強い風が吹き荒れていた。
たとえ傘を持っていたところでほとんど機能しなかったことは想像に難くないが、
白井黒子の能力、空間移動をフルに活用したおかげで濡れネズミは避けられたのである。

「とはいえ、このままでは風邪を引きかねませんわね」
「まあ、濡れたことには変わらないからね」

 美琴はあっさりうなずくと、ふっと瞳を和ませて左隣を歩く後輩の顔を覗き込んだ。

「それでも、私はアンタに比べれば随分マシだと思うけど」
「え?」

 ツインテールの少女は驚きの声を漏らして、
すぐに先輩の表情が何を意味しているのかに思い至った。
実を言えば空間を渡る間、なるべく美琴が濡れないようにと覆い被り続けていたことに、
どうやら気づいていたらしい。
隠そうにも制服の湿り具合を比べれば一目瞭然なのだが、
自ら率先して事件に首を突っ込むきらいがあるため荒事に巻き込まれるのもしばしばであり、
普段から観察力が求められる彼女のこと、初めからわかっていたとしてもおかしくはなかった。

「サンキュ、黒子」
「いえ、そんな。わたくしはお礼を言って頂くようなことは、何も」

 見返りを求めていたわけではないのだろう。
謝意を受けてあたふたと鞄を持たない立てた手のひらを顔の高さで左右に振る白井に、
常盤台のエースは柔らかくほほえみかける。

「そう? お礼に背中くらい流してあげようかと思ったんだけど」
「せせせ背中? お姉様がわたくしの、背中を……!?」

 ツインテールの少女は雷に打たれたかのように全身を硬直させて立ち止まるや、
激しく色めきたってこわばらせた顔をひどくぎこちない動きで先輩へと向ける。

 背中を流すということは、共に浴室へ入るということだ。
それは、彼女にとってめくるめく夢の世界を思い浮かべるのに十分な言葉だった。

「お、お姉様、あの、その、本当に……!?」
「あー、もう。そんなに興奮するなっつーの」

 美琴はまず苦笑して、頬を紅潮させ、食いつかんばかりに身を寄せてくる後輩の額に軽くチョップを入れた。
毎度のことながらよく飽きもせずこんなリアクションが取れるものだと思う。
白井らしいといえばそれまでだが、しかし、今日に限って言えば特に不快さはなく、
力ずくで引き剥がそうとは思わなかった。

「その気もないのに最初から口にしないわよ」
「……っ」

 ツインテールの少女はますます顔を赤くして、
うつむき加減にありがとうございます、とぼそぼそつぶやく。

(いつもこんな風に照れるくらいなら、かわいいんだけどね)

 電撃使いの少女は眉尻を下げつつ内心独りごちて、
体が冷えきってしまう前に部屋へ戻ろうと促しかけたその時、白井が上目遣いに問いかけてきた。

「あの。わたくしも、お姉様のお背中を流させてもらっても……?」

 彼女にしては控え目な頼み方だったのは、恥じらいがあったからだろうか。
そのため、美琴は大して考えもせず返事をしてしまった。

「そうね。変なことをしないって約束するなら」
「!」

 答えた途端に表情筋が崩壊したかのように締まりを失った白井の顔を見て、
常盤台のエースがどう思ったのかは、当人以外に知る由もない。
余談だが美琴の常識からすると『変なこと』に該当する接触が行われたのは、言うまでもなかった。



 佐天さん×初春のみのSSは今回が初めてでした。
思えば二人の絡みを描いた回数自体が少ないですね。
なんだかんだ言いながら黒子が好きなので、
ついあの愛すべきツインテール娘を書いてしまうことが多いせいでしょうか。

 さて、このお話は年齢制限がつかないギリギリのライン上、ですかね。
イメージとしては、少年ジャンプでかろうじて許されるレベルといったところです。
もっとも、文章だからこそ許容範囲なのであって、イラスト化してしまえばNGっぽいですが。
それも湯気があるからいいのかしらん。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。



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