「お兄さまにこんなことをさせてしまうなんて」

 私は悪い子ですね、と悪戯っぽく笑う妹にルルーシュは優しいほほえみで応えた。

「ナナリーの頼みだったらいつでも聞くよ」

 しかし、妹が素直にその言葉に従うことはないと、彼は知っている。

 もちろんナナリーの中に兄に甘えたい気持ちがない訳ではない。
大好きな人にそうしたいと思うのは、人としてごく自然な感情だ。
一方で、兄の負担にならないようにという気遣から、彼女は自身の想いを抑えてしまう。

『私が本気にしたらどうするんですか?』

 もしこんな質問をされたとしても、おそらく兄ルルーシュは構わないと即答する。
実際にそうなった時のことを考える前に、答えてしまうであろう。
それがわかっているからこそ、ナナリーはただ笑ってありがとうございますとしか言わなかった。

 否、言えなかった。
代わりに彼女が口にしたのは、

「今日の料理もとても美味しかったです」
「そうかい? それはよかった」

 10月25日、それはナナリーの誕生日であった。
咲世子とルルーシュの手により生み出された数々の料理と、
折り悪く軍の招集を受けたスザクを除いた生徒会メンバーによる、
楽しくも賑やかな誕生日パーティーの時間は瞬く間に過ぎ去って、
つい先ほどようやくすべての片づけを終えたルルーシュが、
たった今ナナリーを車椅子からベッドに移し布団をかけてやったところである。

「重くなかったですか?」
「はは、全然平気だよ」

 ルルーシュは特別体を鍛えている訳ではなく、
どちらかといえばスポーツの類は苦手であったが、
それでも妹一人を抱えるくらいは造作もないことだった。

 だが、たとえどれほど重かったとしても彼がそれを口にすることはない。

 理由は簡単だ。
相手が、ナナリーだからである。

 目に入れても痛くないほどに可愛いという表現がある。
かけがえのない存在であるナナリーは彼にとってまさしくそれで、
やせ我慢でも何でもなく、妹が重荷になることなどあり得なかった。

 なにしろルルーシュが持つもう一つの顔、黒の騎士団を率いるゼロの行動さえも、
最愛の妹ナナリーが幸せに過ごせる場所を造るためのものなのだ。

 彼を衝き動かす全ての原点は、
手を伸ばせば触れる距離でほほえんでいる目の見えない少女にあった。
そして、今のところその事実を知る者は共犯者たるC.C.のみである。

 無論これらの事情を知らないナナリーは、
優しい兄がそばに居てくれることを幸せに思っていた。

(でも、本当に嬉しい。今日は一日中付きっきりで居てもらえて)

 そう、心から感謝さえしている。
同時に彼女は兄がこのところ頻繁に用事で家を空けることが多いことを、
今日という日が特別なものに過ぎないことを寂しく感じていた。
あまり我がままを言っては困らせてしまう だけだとわかっているが故に決して口に出すことはないが、
だからと言ってまったく平気な訳ではなかった。
返す返すも、人が持つ理性と感情が生み出す答えは合致しないものである。

 もちろん、賢明なナナリーは兄が自分だけのものではないことを理解していた。
もしも二人だけで暮らしていける世界があるのなら、
他に目を向けることなく両の手を互いにつなぎあって生きていくことができるのかもしれない。

 だが、世界はそんな風に都合よくは出来ていないのだ。


 と、その時ナナリーの頭を過ぎるものがあった。
それは、贈られた誕生祝いのプレゼントのことである。

「……」

 言葉に出すかどうかを数秒迷って、ナナリーはそっと兄に呼びかけた。

「お兄さま」
「なんだい、ナナリー」

 この時ばかりはブリタニアに反旗を翻す仮面の男ではなく、
ナナリーだけの優しい兄であることを当人は自覚しているのか。

 ルルーシュの妹を見つめる視線や声音、更には吐き出す息すらも温もりに満ちていた。

「お兄さま、一つお願いしたいことがあるんです」

 構いませんか、と小首を傾げる妹にルルーシュがもちろん、と即答する。

「遠慮しないで言ってご覧、ナナリー」
「はい」

 今日が自分の誕生日であることを理由に、
兄の優しさに後押しされてナナリーはいつもよりも素直に甘えることができた。

「その、テーブルの上に置いてあるものなんですが」
「テーブルの上?」

 妹の手を軽く握ってやりながら、ルルーシュが半身をひねって振り返る。

「ああ」

 目的のものは、すぐに見つかった。
それは紙製の箱で、表面には風光明媚な地に建つ白亜の城がプリントされている。

「これは、ジグソーパズル?」

 つぶやくと同時、ルルーシュの紫水晶の瞳がすっと細められた。
プレゼントをするということは、ナナリーの目が見えないことを知らぬはずはない。

「どなたが贈ってくださったのかはわからないのですが、頂いたものの中に入っていたんです」

 しかし、語を継ぐナナリーの声には暗さなど欠片もは感じられなかった。

「お兄さまの手で完成させていただけますか? そして、どんな絵柄なのかを教えてください」

 自分の目で見ることができないものを贈られたと憤るのではなく、
悪意をもってそのような品を選んだのではないかと勘ぐるのでもなく、
せっかくの頂き物だからとせめて姿かたちだけでも知りたいと思う、
妹の心根にルルーシュが我知らず息を飲んでしまう。

「わかったよ、ナナリー」

 妹の笑顔のためならば、それくらいの時間は是が非でもひねり出さねばなるまい。






「すまなかったな、遅くなった」

 シュッという圧縮された空気が扉を押し開く音と共に、
自室へと戻ったルルーシュを迎えたのは、C.C.だった。

「何、構わんさ」

 彼女は抱いていたクッションを適当に放りつつベッドから立ち上がると、
長く艶やかな緑色の髪を気だるげに指で梳きながら視線をルルーシュの手元に向ける。

「マルゲリータか」
「ああ、いいトマトとチーズが手に入ったんでな。それと、一応温め直してある」

 ルルーシュの右手には大皿が、左手にはタバスコ入りの小瓶があった。
ナナリーの誕生日パーティー用に作った分とは別に焼いたものを取っておいたのである。

「いつもながら、優しいお兄さまぶりだな」
「当然だ」

 何を今更と言いたげな表情で応えて、ルルーシュはピザとタバスコをテーブルに置いた。
その返答には一片の迷いもない。
ナナリーを大切に扱うことは彼の中では至極当たり前のことで、
その想いは誰に恥じ入ることもない、神聖なるものなのである。

「手拭もあるぞ」
「すまない」

 黒髪の少年が差し出す手拭を受け取って、C.C.が思い出したように言う。

「それにしても、どうしたんだルルーシュ。今日はえらく優しいじゃないか」
「そうか?」

 本人は別段意識をしていなかったらしく、ルルーシュはわずかに首を傾げた。

「いつもと比べればだがな。ああ、レディーの扱いにでも目覚めたのか?」

 途中から可笑みを含んだ口調に変わったことから、
それはC.C.にとって冗談のつもりだったのだろう。
だが、返ってきたのは思いもかけない言葉だった。

「なんだ、優しくされたかったのか?」

 C.C.の目が常よりも少し大きく見開かれて、しばしの沈黙が部屋を支配する。
しかしそれもごく短い間のことで、

「優しく、だと?」

 目線をやや伏せ気味にしながら、緑色の髪を持つ少女はどこか自嘲的な笑みを浮かべた。

「私にそんな質問をしたのはお前が初めてだ」

 思えば、ルルーシュはこれまでの契約者とはまた違ったタイプの人間である。
彼は情を切り捨てようとする一方で、その行動は情に因るものであるという矛盾を持ち、
ずば抜けた明晰な頭脳と計算高さがありながら、どこか抜けている部分もあった。

 そして、おそらく先ほどの発言は特別な意図などないものだったのだろう。

 ただ、不死の体を持つが故に過ごしてきたあまりにも長い年月の中で、
言われることのなかった台詞はC.C.にとって決して不快なものではなかった。

「今更だが、私は魔女だぞ」
「よく知っているさ」

 黒髪の少年が肩をすくめてソファに深く腰掛けるのを見て、
C.C.が腕を組み何やらうなずき始める。

「しかし、そうだな。たまには悪くないか」
「何が悪くないんだ」

 C.C.の独りごちるような響きの言葉を聞きとがめ、ルルーシュは間を置かず問いを放った。
いつもの無表情に戻った彼女の考えを知るには、
マオが持っていたような相手の心を読むことができる力があるのならともかく、
人形のように変化の乏しい顔色からうかがうことはまず不可能と言ってもいい。
もっとも、読心のギアスを持っていたところで通じない以上、
その有無は無意味な仮定に過ぎないのだが。

「具体的には、どんな風に扱ってくれるんだ?」

 それだけでは意図を測りかねたか、
怪訝そうに片眉を持ち上げたルルーシュに、C.C.はこう付け加えた。

「何、お前にとって優しくするとはどういうものかと思って聞いたまでだ」

 ほんの少しだけ目を細くする彼女の声が、
どこか楽しそうに感じられるのは気のせいではあるまい。

「主に仕えるように恭しいものか。それとも恋人に接するときのように甘く、か?」

 もちろん、そのことに気づいていながら動揺をみせるルルーシュではなかった。

「さあ、としか言いようがないな。そんなことは考えたこともないからな」

 突き放すような声音でされどきちんと回答する黒髪の少年に、C.C.がそっと口元を弓にする。

「ところでルルーシュ」
「なんだ」

 ルルーシュは左手の甲に右肘をついて人差し指を顎に触れさせると、
今度は何を思いついたのかという思いを言外ににじませつつ幾らかわずらわしそうに答え、
それを受けたC.C.の口からまったく予想外の単語が飛び出した。

「喉が渇いた」
「は?」

 よほど意表をつかれたと見えて、ルルーシュが思わず間の抜けた返事をする。
それを見たC.C.は注視しなければわからない程度に少しだけ瞳を和ませた。
彼がわずかとはいえ人前で目を丸くする光景など、そうお目にかかれるものではない。

「だから、喉が渇いたと言ったんだ」

 重ねて言うC.C.に、黒髪の少年が鬱陶しそうに髪をかきあげて立ち上がる。

「まったく、仕方のないヤツだ」

 ため息混じりにそう言い残し、ルルーシュは足早に部屋を出て行った。
どうやら、本当に飲み物を取ってくるつもりらしい。

「意外だな」

 閉じた扉を見つめながら、C.C.はぽつりとつぶやいた。
もしかすると、彼の責任ではないにせよ、
遅くなってしまったことに対する謝罪の気持ちがあったためか。
あるいは、自身も喉が渇いていたからそうしたのか。

 いずれにせよこれは優しさというよりも、

「押しに弱いのか、流されやすいのか」

 少女は口中独りごちるとくつくつと笑って、
日頃は契約者に見せることのない優しい表情でこう結ぶ。

「たまにはそれも悪くない、か」

 そして、C.C.はピザに手をつけるのをルルーシュが戻るまで待つことにするのだった。





ver.1.00 08/06/15
ver.1.60 08/06/15
ver.2.10 08/06/16

〜たまにはそれも悪くない舞台裏〜

ミレイ   「本当、麗しい兄妹愛よね」
シャーリー「ええ。ナナちゃん、お誕生日パーティーの間ずっと嬉しそうでしたし」
リヴァル 「まったくだね」
ミレイ   「でも、嬉しそうだった人は他にもいるんじゃない?」
シャーリー「それって、誰のことですか?」
ミレイ   「シャーリー、あなたに決まってるじゃない」
シャーリー「へ、私?」
ミレイ   「だって、放課後もずっとルルーシュのそばに居られたのよ?
      しかも、彼の手作り料理が食べられるというオプション付きで。
      更に彼の視線は主にナナちゃんへと向けられていたから、
      お開きになるまでいくらでも見つめ放題だったじゃない」
シャーリー「ななな何言ってるんですか会長」
ミレイ   「赤くなっちゃって、可愛いんだから」
シャーリー「……もう」
ミレイ   「あはは。と、どうしたのリヴァル、何か言いたそうな顔をしてるけど」
リヴァル 「よくぞ聞いてくださいました」
ミレイ   「うんうん、聞いてあげるわよ」
リヴァル 「会長、実は俺も見つめていたんです!」
ミレイ   「いきなりの告白ね」
リヴァル 「会長、俺、俺……」
ミレイ   「無理もないわね。最近、ルルーシュったら忙しかったから」
リヴァル 「え?」
ミレイ   「知ってるわよ、リヴァルはルルーシュが大好きだもの。友情よね」
リヴァル 「だぁ、そうじゃなくって!」

 以上、賑やかな生徒会室からの中継でした。



 さて、今回はルルーシュとナナリー、ルルーシュとC.C.のお話です。
そして「恋する乙女は夢見がち?」ともリンクしているものでもあります。
たまにはこんなルルーシュも、悪くはないでしょうか。

 R2本編ではルルーシュの謀略が吹き荒れていますが、
そろそろ第二期SSにも進出したいと考えています。
ラウンズや黒の騎士団女性陣(C.C.×カレン×神楽耶)、
ヴィレッタ先生と生徒会メンバーも楽しそうですし、
中華キャラですとしっとりとしたお話になりそうですね。

 そういえばロイドとジェレミアは同じ寮だったそうで、
監督生だったオレンジ君は色々と手を焼かされたとか。
その辺りも、いずれは挑戦してみたいと思っています。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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