世界の覇権を賭けた太平洋上の戦いから三年余りが過ぎた。
ある男の遺志により構築された平和は今も守られていて、
大多数の国々が参加する合衆国体制下で各国は自治を保ち、
相互に協力し合い、問題が起これば話し合いにより解決することが今や当たり前となっている。

 従前の警察ないしは軍隊に当たる存在は独立した組織であり、
CEOのゼロは合衆国からの依頼を受けることで行動するという形が取られている。
宗教上の問題や様々な利権に絡む紛争は皆無でないが、
人類はようやく手に入れることができた平和を謳歌しているのだ。

 その立役者となった国の一つ、合衆国中華の首府、
朱禁城の中心部からやや外れた位置にある一室で寝たきりの生活を余儀なくされる者が居た。
病をおして宰相を勤め続けていたが、
一月前、ついに自力での歩行すらままならなくなって職を辞し、現在に至る。

 中華連邦最強の武人にして智に優れ情を知る彼の名は、黎星刻。

 そして今、医師を除けばごく限られた人間しか訪れることのないこの部屋に、
一人の楚々とした少女が足を踏み入れていた。
手には本物と見まがうばかりの精巧さで造られた花を持ち、
薄っすらと青みの差した長い髪は優に膝まで届く。
彼女の名は蒋 麗華(チェン・リーファ) 。この国を統べる、天子の地位にある。

 少女はベッドに横たわる黒髪の青年が目を閉じているのを見て、ゆるやかに歩みを緩めた。
眠りを妨げることのないよう、可能な限り音を立てないためである。

 ペイルトーンの髪の少女は手にした向日葵の造花を花瓶に挿し、
すべての花弁が正面から見えるように位置を整えていく。
生花でない理由は万が一にも病臥する彼に悪影響を及ぼすことのないように、だ。

 天子は聞こえていた呼気のリズムが不意に変化したことに驚いてベッドを見やり、
我知らず口元に手を当てた。

「起きていたの?」
「いえ、今目を覚ましたところです」

 完全に寝入っているものとばかり思っていたが、
たいして物音を立てなくとも彼の鋭敏な感覚は睡眠状態にあっても人の気配を察するらしい。
もっとも、ここまで近づくまで気づかなかったのは、
さすがに往時と比べればいくらか衰えているということか。

 と、天子は星刻が身じろぎをしたのを知覚するや否や、
体を起こすのを手伝うべく背に腕を回し、

「あなたはいつも無理をするんだから」

 小さく唇をとがらせて整った横顔をねめつける振りをした。

「今日の体調は比較的良好です」
「そうでなかったら、今すぐ寝かせているところよ」

 安心させるための方便ではないとわかって、少女はようやく笑顔をみせた。
何しろ星刻には絶対安静時でも無礼に当たるとして体を起こしかけたという前科がある。
だが今は、ここ数日の中では血色も良い方だ。

「天子様」

 星刻はほんの一瞬まぶしげに天子の顔を見やり、静かに目を伏せた。

「また来られたのですね、天子様」
「ええ」

 ペイルトーンの髪の少女はベッド脇に自分が座るための椅子を手ずから運びながら、

「国のために仕えてきてくれた者を見舞うのに、何か不都合があるのかしら」

 小首を傾げてうそぶく。
その表情は悪戯っぽくもあって、傍目には年頃の娘と変わらない姿に映る。

 もちろん、日頃は片時も凛とした国主たる態度を崩すことはない。
世界広しと言えども彼女のこうした一面を知る者は、
星刻と親友の神楽耶、ただ二人だけである。

「心配しないで、星刻。政務はきちんとこなしているわ。
あとは、与えられた自由な時間をどう使おうと勝手でしょう?」
「それは、そうですが」

 合衆国中華最強だった武人はそっと息を吐き出すと、微かに苦笑した。
これほどまでにまっすぐな気持ちをぶつけられては、何も言い返すことなどできはしない。

 その時、天子が何か物言いたげにこちらを見つめていることに気づいた。

「どうされましたか」

 問いかけに対し少女はゆっくりとかぶりを振ると、
飲み口を下に向けて置いてあるコップを手に取り頬を緩ませる。

「お水、要る?」
「いえ、お構いなく……天子様」

 答えに関わらずそうするつもりだったのか、
天子は発された遠慮の言葉を無視して水差しの中身を器へと注ぎ、

「はい」

 にこりと口の端をほころばせた。
主より下賜された品を拒むことなど生真面目な星刻にできるはずもなく、

「ありがとうございます」

 そろえた両手を膝について目礼する。
天子はあくまでも臣としての礼を尽くす若者に対する小さな不満を刹那瞳に浮かべ、
そうした心の動きに内心苦笑した。
彼女は黎星刻がかような男であることを誰よりもよく知っていて、
だからこそただの憧れや好意以上の想いを寄せるようになったこともわかっているからだ。

 それでも、もどかしく思ってしまう自分が可笑しく、自身の気持ちが愛しくもある。
刺すような痛みがあることも、その理由にも気づいていた。

「星刻、体を起こしていて大丈夫?」
「はい、ご安心ください。無理をしては天子様にしかられてしまいます故」

 瞳を和ませて言う星刻の表情は柔らかいもので、
天子の浮かべるほほえみは屈託がなく、どこまでも明るい。

 実際のところ、彼女は国を統べる身なれば空いた時間を作ることは難しいのだが、
そのようなことはおくびにも出さない。
十分な余裕があった上で病室を訪れている振りをしているのだ。
そうしなければ、星刻に余計な気を遣わせてしまうことは目に見えている。

 もっとも、どれだけ上手く演技をしてみたところで、
星刻が隠された真意に気づかないはずはなかった。
無論、嬉しく思わない訳ではない。
生涯の忠誠を誓った人が気にかけてくれる、その幸せは何物にも換え難い。
一方で、多忙極まりない者がわざわざ病人を見舞うことはないという気持ちがあるのも事実だ。

 星刻はもはや剣を手にすることなどかなわない程、衰えている。
どう贔屓目に見たとしても、ごく限られた未来しか残っていない。

 だが、十六を迎えたばかりの天子はまだまだこれからである。
やるべきことは山積しており、余暇を費やすべきことは他に掃いて捨てるほどあるのだ。

 それでも、この愛すべき少女の想いを考えれば指摘することなどできなかった。
可憐なる主が笑顔でいられることは星刻の望みであり、
今目にしている輝きを自らの手で曇らせたくはないのだ。

 そればかりではない。
考えないようにはしているが、ある感情が自身に芽生えていることを彼は知っている。

 家臣としては、本来ならば強く諌める必要があるのかもしれない。
そうであるにも関わらず、星刻は穏やかに諭すくらいのことしかできなくなってしまった。

 これも病のせいなのだろうか。あるいは、別の理由があるのか。
未だ彼の中で答えは出ていない。

「そうそう、昨日神楽耶と話をしたわ。また新しく美味しいケーキの店ができた、って。
春だから苺を使ったものがたくさんあったみたいなの。写真で見せてくれたわ」

 合衆国日本を治める皇神楽耶は天子にとって唯一無二の親友にして戦友で、
更には姉のように慕う人でもあった。
互いに多数の公務を抱えているため直に会うことはなかなかできないが、
通信設備を使ってのやり取りは今でも度々行っている。
この時ばかりは一国を背負う堅苦しい仮面を脱ぎ捨て、年相応の振る舞いをみせるのだ。

「ほら、前に神楽耶から頂いたロールケーキがあったでしょう。
フランスで修行を積んできたパティシエが作る、ミルクがたっぷりのもの」
「ええ、覚えています」
「あれの、苺味が新たに発売されたみたい。今度、贈ってくれるって……」

 楽しそうに笑い、時に身振りや手振りを交えながら話す少女の声は途切れることなく続き、
部屋を訪れた時には天頂付近にあった太陽はいつしか地上に近づき、
大地を照らす光は徐々に赤く染まりつつある。

 そのことに気づいた星刻は話がひと段落ついたところでたずねかけた。

「まだこちらにいらして大丈夫なのですか?」
「平気よ、夕食までは時間が取れるの。星刻こそ、疲れていない?」
「はい」

 彼はここ数日は臥せってばかりだったのだが、
今日は思っていた以上に調子がいいらしく、体を起こしていても疲れが来ない。
じっと安静にしているため、それほど負担にはなっていないということか。

「お気遣い、ありがとうございます」
「当然よ」

 さらりと返事をしているが、天子のほほえみにはいくらか固さがあった。
と言うのも過去に一度、彼女が話し込みすぎたせいで星刻が具合を悪くしてしまい、
あの時は風邪が治った直後、病み上がりであったことも原因なのだが、
二度と同じ過ちは犯すまいと強く心に誓ったものである。

 天子という地位にありながら、少女の目線は常に高いところで維持されてはいない。
優れたるものには敬意を払い、親切な行いには感謝で応える。
為政者がとかく忘れがちな思いやりの心を持っているのだ。

 当人は気づいているのかどうか、中でも星刻は特別だった。
そんな彼を、大切な人を傷つけたいと思うはずがない。

「でも、あまり無理をしたら後から疲れが出てしまうかもしれないわ」
「おそらく大丈夫とは思いますが、可能性は否定できません」

 わが身のこととは言え、星刻はこうした言葉を向けられた時つい苦笑してしまう。
情けなく思うが、驚くほど体力は低下してしまっているのだ。

 実を言えば、彼の体を冒す病魔に抗するための薬は開発を終え、
臨床実験を経て実用化の段階まで漕ぎつけている。
ただ、残念なことにこの新薬で彼を癒すことはできない。
何故なら体内で病原菌が広がるのを防ぐことはできても、
蝕まれ過ぎてしまった内臓を元に戻す力はないからだ。

 薬の投与で病状の悪化は食い止められるのだが、
得られる効果は完治ではなく緩やかな死、つまり多少の延命を図ることしかできない。

 遠からず迎える人生の終焉が刻一刻と迫りつつある中、
こうして落ち着いていられるのは不思議であったが、理由を考えれば納得もいく。

 天子、いや、蒋麗華という名の少女がそれを可能にさせているのだ。


「お手をわずらわせてしまい、申し訳ありません」

 少女の手を借りて横になった星刻は、表情を改めて目礼した。

「いいの。あなたがこれまでしてくれたことを考えれば、全然足りないわ」

 天子はゆっくりとかぶりを振って、目を弓にする。
動きに合わせて射し込む夕日によって朱に染まったペイルトーンの髪が、
さらさらと揺れる様はどこか幻想的で、星刻は思わず見とれてしまった。

 そして、少女ははにかみつつ、こう言ったのである。

「だから、嬉しいの。少しでも役に立てることがあって、嬉しい」
「……天子様」

 向けられた表情は深く胸に染み入って、星刻は鼻の奥に痛みを覚えた。
差し出された想いが心の奥まですとんと滑り込んで、言葉を続けることができない。

「星刻」

 いつしか、天子の表情は真摯なものへと変わっていた。
大切なものを扱うように、昔と比べて少しやつれてしまった手を両の手のひらで包み込む。

「できる限りあなたの側に居たいと思っているの。それは、いけないこと?」


 星刻ははっと息を飲んだ。
少女の瞳が、幾つもの感情を映して揺れている。

「それとも、ここに居られると迷惑?」

 微かに言葉尻がかすれた問いかけを受けて、
いえ、と黒髪の若者は床に伏せったままわずかにかぶりを振った。

 迷惑なはずがなかった。むしろ、その真逆と言っていい。

「よかった」

 天子の顔にはっきりとわかる安堵の色が広がった。
気が緩んだせいか、強いて抑えてきた気持ちがあふれ出し、

「ねえ、星刻」
「はい」

 口に出すべきかどうかを逡巡する間の永遠にも思える十数秒を経て、
長く秘めてきた心中を吐露する。

「どうか、名前で呼んで欲しいの」

 少女は万感の想いを込めて星刻を見つめながら、

「知っているわ、あなたの体のこと。だから」

 自分でも何を言っているのかわからないまま懇願する。
同時に、堪えていた涙がこぼれて後は止まらなくなってしまった。

「ごめんなさい。変だね、いきなり泣いたりして」

 泣き顔のまま必死に笑おうとする天子の姿を見て、星刻の口元が弓を描いていく。

 人は、変わるものなのだろう。
かつての彼ならば、頑なに受け入れようとはしなかったはずだ。
しかし、現実には固辞しようとする気持ちが真っ先に浮かんだもののそれは程なく霧散して、
ごく自然に少女の想いに応えたいと思えたのである。

「麗華さま」

 呼びかけと共に星刻の長い指が白皙の頬を伝う雫をぬぐい、少女の目が大きく見開かれる。

 だがそれも一瞬のことで、

「星……しん、く……」

 麗華は幸せのあまり、愛しい人の手にすがりつくようにして涙するのだった。





ver.1.00 08/10/02
ver.1.40 08/10/02

〜あなたの側で…。舞台裏〜

神楽耶「C.C.さま、麗華がついにやりました!」
C.C.  「そうだな。これは普通に好きと告白するよりも賞賛に値する」
神楽耶「まったくですわ。あとで祝いの花束を贈らなくては。あと、赤飯も」
カレン「あの天子様が……すごい」
C.C.  「うらやましそうだな、カレン」
カレン「そりゃあね、うらやましいわよ。だって、想いはきっちり届いた訳でしょ?
   本当にステキだな、って思うわ」
神楽耶「まさに純愛……互いに想い想われる関係ですね」
カレン「今度お会いする時のためにお祝いの言葉を考えておかなくちゃ」
C.C.  「ふ、あの娘も喜ぶだろう」
神楽耶「しかし、あれから三年余りとなると、私も18の乙女ですね」
C.C.  「なんだ、お前も恋をしていると言いたいのか?」
神楽耶「ふふ、私はあの頃から変わらずルルーシュさま一筋ですから」
カレン「言い切りましたね」
C.C.  「潔いことだ」
神楽耶「お二方からお褒めに預かるなんて、光栄です」
カレン「でも、考えてみるとあちこちで色恋の花が咲いていたみたいね」
C.C.  「まあな。“想い”はコードギアスのもう一つのテーマとも言えるからな」
神楽耶「ああ、カレンさまも囚われの身でなければ、
   キューピッドの日に参加したかったのでは?」
カレン「そうね。あれは楽しそうなイベントだったわ」
C.C.  「楽しそうなだけか?」
カレン「何よそのニヤニヤとした笑顔は」
C.C.  「その理由はお前が一番良く知っているだろう」
カレン「な……何を言い出すのよ」
C.C.  「照れるなよカレン。あまり初々しいとこちらまで気恥ずかしくなるぞ?」
カレン「何が気恥ずかしく、よ。目が笑ってるわよ目が」
C.C.  「正妻の座を巡る三人の戦いに勝利するのは、はたして誰か」
カレン「ちょっと、変なナレーションをつけないで」
神楽耶「本当、ライバルだらけですね。でも、負けませんよ?」
C.C.  「まったく、ルルーシュはもてもてだな」
カレン「私は、別にルルーシュのことなんて……」

 ぶつぶつと言いながらも顔を赤らめる、言葉と態度が一致しないカレンであった。



 ご覧の通り、天子×星刻でした。
本編(R2)の終了時点から3年ほどが過ぎたアフターストーリーです。
自身では純愛物のつもりですが、いかがでしたでしょうか。

 しかし、コードギアスという作品は本当に素晴らしい出来でした。
もう少し細かく描いていけば話数は2倍に伸ばせたでしょうね。
あえてそうしなかったからこそ、スピード感のある展開となった訳ですが。
色々と想像の余地を残したのは、
同人関係で扱いやすいようにという配慮でもないのでしょうけど、
おかげで色々な話が描けるのも事実です。
ともかく、製作者サイドの皆さま、お疲れさまでした。
ルルーシュたちの生き様は、私の(おそらくは皆さんの)心にいつまでも残ることでしょう。

 ルルーシュ、C.C.、スザク、ナナリーとこの辺りは別格として、
私の中では最終的に神楽耶は彼らに勝るとも劣らない躍進振りでした。
ジェレミアも、ラスト数話の格好良さはすごかったですね。
ラウンズに匹敵どころか超越していたのではないでしょうか。
本当に、最後まで意外性に富んだナイスキャラでした。

 さて、次はランペルージ一家の第3弾でアーニャを登場させます。
彼女は隣人ジェレミアのお手伝いさんで、C.C.のライバルで……?
と、予告めいたことを書きつつ、この辺りで筆を置かせていただきます。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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