「うわぁ……」

 冬の高く澄んだ夜空を埋め尽くす満天の星空を前に、
天子は輝くような笑顔をみせていた。

「すごく、綺麗」

 ここは中華連邦の行政を取りしきる庁舎だ。
一等地に構えられているにも関わらずその敷地は広大、
施されたセキュリティは一地方都市のそれに匹敵する。
形骸化したとは言っても、政策を一手に握っていた宦官が粛清された今、
天子の存在はやはり重きもので、一国の主たる立場にあった。

 本人が望むかどうかはさておいて、その食事は豪勢を極める。
たとえばこの日の夜テーブルの上でもっとも目を引いたのは、
子豚や鴨の姿焼きに近いもので、他には水餃子や羊肉のしゃぶしゃぶ、
広東料理の代表とも言える鶏肉とカシューナッツの炒め、
酢豚や牛肉のカキ油炒め、更にはスープを使ったものなど多種多様な食べ物が並ぶ。
季節や仕入れの状況によってメニューは日々改められ、
飽きるという感覚とは無縁でいられると言っても過言ではないだろう。

 ただ惜しむらくは、天子はこれらの絶品料理を温かいうちに食べられない。
中には遅効性のものもあるため、毒味をしている間にすっかり冷めてしまうからだ。

 さすがに黒の騎士団と行動を共にするようになってからは、
従前と比べ随分と簡素なものに改められ、
一般の民草が口にするものとは雲泥の差ではあるものの、
かかる費用は以前と比べて抑えられていた。
これは天子自らの要望でもあったが、
同時に今後も続くブリタニアとの戦争を見据えた戦略の一環とも言えよう。

 当代の天子は薄っすらと青みを帯びたペイルトーンの髪の少女で、
昼間はいくつかの重要な裁決、異国よりの使者との対談など果たすべき責務は多く、
更には長らく何も知らされないお飾りの存在であったが故に、
彼女は国主として知るべきこと、知らねばならぬことが余りにも多すぎた。
自分の時間が持てるのは、夜の食事を終え眠るまでのひと時に過ぎない。

 自由に振る舞うことができるのは、ごくわずかな時間でしかない。

 それでも、ずっと籠の中の鳥でしかなかった少女には不満などなかった。
何しろ今は望めば大切な人と会うことができる。
それがいかに貴重なものであることを、彼女は知っている。

 たとえ二言三言しか言葉を交わすことができなかったとしても、
これまでは、それすらかなわなかったことを思えばなんと幸せな毎日であることか。

 伴う責任は少女のほっそりとした双肩にかかっているが、
星刻を初めとする忠臣が全身全霊をもって補佐してくれるのだ。
これで文句を言えば、先祖にもこの国の民に対しても顔向けが出来ない。

「星刻」

 バルコニーの手すりに乗せていた手を離して、
天子は春の太陽を思わせる笑顔を後方、少し離れた場所に控える長身の若者へと向けた。

「は、ここに」

 艶やかな黒髪を持つ彼の名は、黎星刻。
恭しく一礼する姿には一分の隙もないが、応える表情は凪いだ海のように穏やかだった。
中華連邦きっての武人にして天子の近衛を務める彼は、
かつて命を救われた恩義に報いるべく絶対の忠誠を誓っている。

「あれは」

 月明かりの下ではまったき銀に見える髪を揺らしつつ、
天子は空のある一点を指で指し示した。

「星刻、あれは何という星?」

 好奇心の旺盛さを隠すことなく表す少女を愛しくほほえましく思う、
不敬とも呼べる感情を胸の奥に沈めながら、 星刻がちらりと空を見やって淀みない口調で回答する。

「彼の星は北極星と言います。
位置がほとんど動かないことから、古くから旅人が目印に使ってきました」
「それは一年中?」
「はい。他の星は動きますが、北極星だけはいつもあの場所にあります」

 感心しきりといった顔で空を眺めながら、天子は思いついた言葉を放った。

「星刻も、使っていたの?」
「はい、北の方角がわかりさえすれば迷うことはありませんので」

 見渡す限りの砂の海であっても、北がどちらかさえわかれば旅を続けることができる。
一人黙々と歩いていた時も常に同じ場所で輝くあの星を見て心強く感じたものだった。

「そう……じゃあ、あれは?」
「あれは参宿(オリオン座の三ツ星)と言います」

 言いながら、星刻の頭に二つの話が思い浮かぶ。
ギリシア神話では屈強の狩人であったオリオンは、サソリの毒によって命を落としたという。

 いま一つは、海を隔てた向こうにある島国での逸話だった。

「日本国の話にこういうものがあります」

 唐突な語りに、天子は最初ぱちぱちと瞬きをしたが、
すぐに興味津々の面持ちになって耳を傾ける。
これはきっと、時折聞かせてくれる昔語りなのだろう。

「一地方で覇を唱えたある武将が三人の息子たちに一本の矢を持たせ、折らせたのです。
彼らは簡単にこれを折ることが出来ました」

 向けられるまぶしいばかりのまっすぐな少女の視線を受けながら、

「今度は三本の矢を束ね同じように折らせてみたところ、誰も折ることができませんでした」

 身振りや手振りを交えつつ星刻は楽曲の調べを思わせる流麗な声で語を継ぐ。

「このことから、三人が力を合わせることで容易には折れぬ、
すなわちいかなる難局にも立ち向かうことができるだろうと言ったそうです。
また、彼らが用いた旗には三つの黒い点が施され、参宿を家の星として崇めたとか」

 言い終えて一礼する星刻の博識さは、
ペイルトーンの髪の少女にとって我がことのように誇らしかった。
いつもながら、彼が持つ知識の幅広さにはただただ感心させられる。

「本当に、星刻は何でもよく知っている」
「ありがたきお言葉ですが、たまたま印象深かったために覚えていたものです」

 しかも、決して鼻にかけることはなく、ひけらかすこともない。
こうして外の世界の話をするのは、少女を喜ばせるためなのである。

 それだけではなかった。
星刻は天子として敬意をもって接するだけではなく、
他の者たちとは違って少女を一人の人間として捕らえてくれている。
なるほど、そういう意味では神楽耶も友人として付き合ってくれる者の一人であるが、
彼がそうしてくれることは何故こうも嬉しく感じられるのだろうか。

 この気持ちは、いったい何なのだろうか。


 と、傍目にもわかるくらいにはっきりと尊敬のまなざしをみせていた天子が、

「……はふ」

 口元を手で覆いあくびをそっとかみ殺した。
充実した日々を過ごしているとはいえ、
あどけなさを残す少女にとって国主の務めは間違いなく激務である。
多くの臣下に囲まれている間はともかく、
誰よりも深い信頼を置く人の前でも気を張り詰めたままでいることなどできるはずがない。

 星刻は、悪戯しているところを見つかった子どものようにばつが悪そうな顔をみせる天子に、
柔らかな微笑を浮かべて優しく問いかけた。

「天子様、そろそろお休みになられますか?」
「……」

 しかしほのかな青みを帯びた髪の少女は、すぐには返答せず視線を泳がせる。
確かに眠気は感じていた。体は睡眠を欲している。

 それでも、まだ眠りたくはない。天子は、強くそう思った。

「ねえ、星刻」
「はい、何でしょうか」

 もしかすると、これは我がままに過ぎないのだろうか。

「明日は、帰ってこられないのでしょう?」
「おそらくは、そうなります。作戦が長引く可能性もありますので」

 星刻は顔にも態度にも出さないが、ろくに寝る間もない程多忙の身であり、
その上明日は西方への出撃を控えている。
一刻も早く休養を取るべきなのは、むしろ彼の方なのだ。

「ですが、遅くとも明後日には元気な姿をお見せすることができるかと」
「うん」

 それでも、少女は想いを口にすることを止められなかった。

「だったら、もう少し傍に居たい。……いいでしょう?」

 命令ではなく、懇願されていることに星刻が気づかぬはずはない。
天子としてではなく、一人の少女としての心からの願いを無下に断ることなどできはしない。

 しかも、

「星刻」

 無意識の行動なのだろうか、
少女がそろそろとこちらに歩み寄り指先で袖をつまんでくるのを見て、
星刻が否やを唱えられるはずはなかった。

「もう少しだけ、ですよ。明日、起きるのが辛くなるのは天子様なのですから」
「うん、ありがとう」

 再びあふれんばかりの笑みをこぼす天子を見て、中華連邦最強の武人が口元を緩める。
絶対権力者の立場にあるというのに、
相手の意思を尊重しようとする心根は、得難いものだ。
いつまでも、残していて欲しいと思う。
否、彼女に仕える者はそうあるように努めなければならない。

 そしてこの幼き少女が、
やがては並ぶ者のない全き統治者となるであろうことを、星刻は信じて疑わなかった。

「ねえ、星刻」
「はい、天子様」

 袖をつまむ指はそのままに、
少女が星刻の瞳を覗き込むようにしてちょこんと小首を傾げる。

「あの星よりも綺麗なものがあるの、知ってる?」
「あの星よりも、ですか」

 星刻は夜空を見上げ記憶を探ってみたものの、
愛らしい指先が示す星よりも強い輝きを持つものの心当たりはなかった。

(ふむ)

 あるいは、天上に輝くそれとは別のものなのかもしれない。だとすれば、選択の余地はある。

 たとえば、目の前に居る少女。
その輝きは、旭光のきらめきに勝るとも劣らない。

「……」

 形のよい顎に軽く握った拳を添えつつ、黒髪の若者はにこやかな顔つきの少女を見やった。
まさか馬鹿正直にあなたの心根ですと言う訳にもいかず、
いくつかのまっとうな候補を考えた後、あえてこう答えることにする。

「申し訳ありません、あれ以上のものは何も思いつきません」

 理屈ではなく、直感的にそれが彼女の望む回答だと思ったのである。

「答えはね」

 はたして、天子は可笑しそうに、にっこりと笑った。

「星刻の髪」
「私の……」

 星刻は、思いがけない言葉に小さく目を見張り、それきり台詞を続けることができない。
無理もない話だ。
自分の体の一部が美しいものとして挙げられるなど、一体誰が考えるだろうか。

「うん。星刻の髪はすごく綺麗」

 少女は満足そうにうなずくと、とっておきの秘密だと言わんばかりに、
ほら、と絹のように滑らかな黒髪を手のひらに乗せてはにかみ、

「……ありがとうございます」

 星刻は釣られて目と口元を弓にするのだった。





ver.1.00 08/07/15
ver.1.07 08/07/15
ver.1.26 08/07/15
ver.1.44 08/08/03
ver.1.45 08/09/07
ver.1.50 08/09/17

〜夜空にきらめく星よりも舞台裏〜

神楽耶「ふふ、ついに私もこのコーナーに進出ですわ」
カレン 「おめでとうございます」
神楽耶「それにしても、なんとステキな光景でしょう。
    ブリタニアを打倒した暁には、私も夫とこうした時を過ごしたいものです」
カレン 「神楽耶さまは、こういうやり取りに憧れがあるのですか?」
神楽耶「もちろんです。大切な方と共に過ごす時間は何物にも換えられない貴重な時。
    しかも、星空の下ですよ? とってもロマンチックですわ」
C.C.  「確かに、絵になる光景ではあるな」
神楽耶「さすがはC.C.さま。
    長くゼロさまのお傍にお仕えしてきただけあって、よくわかってらっしゃいますね」
C.C.  「何、大したことではないさ」
神楽耶 「その辺り、カレンさまはどう思われますか?」
カレン 「え、私ですか」
神楽耶「はい。ゼロさまと二人、満天の星空の下語り合うひと時。
   ……嗚呼、たまりませんわ」
カレン「ええと、はい。そうですね」
神楽耶「見詰め合う二人は手に手を取って、口付けを……ああっ」
カレン 「ええと、あの」

 その時はゼロの仮面はどうするのかという指摘をするべきかどうか。
カレンはどう言葉を続けたものかと思案して、
神楽耶が両手を組み合わせうっとりと宙を見つめていることに気づき、小さく苦笑する。

 すると、C.C.はピザに伸ばしかけていた手を止め、赤い髪の少女を見やった。

C.C.  「言いたいことがあるなら何も遠慮をすることはないぞ?
    たまには素直になるのも可愛げがあっていいだろう」
カレン 「可愛げって、あなたね。
   それって普段の私に可愛げがないみたいに聞こえるんだけど」
C.C.  「なんだ、あると思っていたのか?」
カレン 「う……確かに、私はナナリーみたいに可愛らしくはないかもしれないけど。
    その言い方、ちょっと腹立つなあ」
神楽耶「まあまあお二人とも」
カレン 「すみません、つい」
C.C.  「……」
神楽耶 「それはさておき、ゼロさまを支える役目を担う私たちですが、
    あまりキャラが似通ってしまうとそれはそれで困りますし」
C.C.  「そうだな。タイプが違っている方があいつにとっても楽しみが増すだろう」
神楽耶「殿方の甲斐性、ですわね。やはり英雄たるもの、そうでなければ」
カレン 「ちょっと、二人とも何を言い出すのよ」
神楽耶「あらあら、カレンさまは意外に初心なのですね」
C.C.  「よかったじゃないか。私たちと被らない別のタイプで」
カレン 「……あのねえ」

 どこまでも平和な司令室であった。



 という訳で、今回は初挑戦の天子×星刻でした。
原作の雰囲気を残しつつ、可愛らしく描いたつもりでしたがいかがでしょうか。

 これは私信となりますが、
天子の幸せを切に願ういわさきさんに喜んでいただけて幸いです。
もちろん、お読みいただいた皆さまに楽しんでいただけましたら、何よりの喜びです!

 さて、次回はシャーリー×ミレイ×アーニャの話をお届けしようと思っています。
別件で、「ラブアタック!」のような楽しい話や、
見事復活したコーネリアも描きたいなどと考えています。
それらは、ネタが浮かび次第になるのですけれども。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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