「スザクくん。いや、枢木スザク少佐。君に頼みがある」
眼鏡の下で目を弓にする姿が標準形である白衣の上司が、
いつになく真剣な面持ちで声をかけてきたことに枢木スザクは思わず息を飲んだ。
何しろ彼はこれまでどれだけ酷い状況下であっても、
笑みを絶やすことがなかったのだから無理もない。
記憶の限り、彼の部下として配属されて以来、始めて見る表情だった。
(急な事態が起こったのか)
今のエリア11は揮発性の高い可燃物を放置しているような状態で、
先日は北陸地方で武装蜂起があったばかり、
立て続けに九州地区で中華連邦主導の独立騒ぎまであったため、
これら一連の事件が反ブリタニアを唱えるテロリストたちを刺激したことは疑うべくもなく、
きっかけさえあれば、各地で一斉に反乱が起こったとしても不思議ではない。
「何があったんですか」
スザクは声に微かな緊張の色を含ませながら、
ひょろりとした長身の男性、ロイド・アスプルンドに問いかけた。
それを受けて、白衣の技術少佐はひらひらと手を振ってみせる。
「ああ、そっちは心配ないよ。出撃命令じゃないからね、大丈夫」
「そうでしたか」
自分の考えが杞憂に終わって、スザクはわずかに瞳を和ませた。
しかし、その表情は硬いままだ。今も、ロイドの顔に笑みが戻ってないためである。
それはつまり、部下に真顔で頼まなければならない大事が起こったと言うことに他ならない。
「ただ、特派にとっては由々しき事態が起こってね」
やはり、と胸中つぶやきながら、スザクはまっすぐに伸ばした背筋を更に意識して正した。
「その、言いにくいことなんだけど」
縁のない眼鏡をきらりと光らせつつ、ロイドが咳払いをする。
「スザクくん。君に、これを食べてもらいたいんだ」
「……は?」
差し出された皿の上に乗った白い塊に、スザクは思わず間の抜けた声を上げた。
ことの始まりはこの日の昼過ぎだった。
「ロイドさん、今日は何も召し上がっていないのでは?」
ぶっ通しで作業を続ける上司を気遣って声をかけたセシルに、
ロイドはたん、とスペースキーを押してからゆっくりと椅子ごと振り返った。
「そう言えばそうだったね。この間の戦闘データ解析を進めておきたかったから」
指摘されるまで気づかなかったらしく、
首を回すことで肩をほぐしながら腹の辺りに手を置く姿を見て、セシルが一瞬返す言葉に詰まる。
何故、彼がそうまでして作業を行わなければならないのか、理由は明らかだった。
ゲフィオンディスターバー、すなわちナイトメアを強制的に行動不能とする装置への対策を、
可及的速やかに行わなければならないからだ。
もちろん、セシルも全力を挙げて協力をしているが、
せめて食事くらいは摂らなければ、機械ならぬ生身の体がいつまでも耐えられるはずがない。
一秒でも早く完成させなければならないという思いはわかる。
しかし、一日二日、徹夜をしたくらいで片付く作業ではないこともまた、事実であった。
だからと言って、いくらなんでもこれはオーバーワーク過ぎる。
「それはわかりますが、少しくらいは休憩を入れて下さい。
あまり無茶をすると、いつかのように倒れてしまいますよ?」
「ああ、そんなこともあったっけ」
いつもの飄々とした笑みをみせながら、ロイドはからからと笑った。
もっとも、口ではそう言いながら、そんなことがあったことなど当の本人は覚えていない。
ただ、正直にそれを話せばセシルが怒り出すのは目に見えているため、
適当にお茶を濁したのである。
「本当、自分のことには無頓着なんですから」
「アハ。そういうつもりはないんだけどねぇ」
セシルがわずかに眉を寄せるのは、こちらの身を案じてのことだとロイドはわかっていた。
疲れがない、と言えば嘘になる。だが、今は自身の体など気遣っている場合ではない。
いつまた黒の騎士団が行動を起こすとも知れない以上、
一刻も早く対抗策を講じなければならないのだから。
それでも、セシルの指摘は正しかった。
無理をした分の反動であろう、目に映るすべてがかすんで見える。
そろそろ休んでくれと体が悲鳴を上げていると言うことか。
「でもさ、セシルくんはよく気がつくよね」
「短い付き合いではないですから」
言葉少なに答えて、セシルの表情がふっと柔らかなものになった。
珍しくも、ロイドはこちらの言い分を聞き入れるつもりらしい。
「少し待っていて下さい。すぐに何か、作って持ってきますから」
「ああ、ありがとう」
一礼して踵を返すセシルの姿をにこやかに見送ろうとして、
不意にロイドがあわてた調子でたずねた。
「いや、ちょっと待ってセシルくん。今、君は何て言った?」
「だから、食事の用意をすると言ったんです。では」
セシルが目を弓にして答えると同時、自動ドアが閉じる。
「しまった」
次の瞬間、ロイドは思わず頭を抱えてうめいた。
いくら疲労しているとはいえ、迂闊だったと言うより他はない。
よりにもよって、彼女に昼食を用意してもらうなど自殺行為に近い。
今度は一体どんな殺人的料理が飛び出すのか、想像もつかない。
はたして、今の体力で耐えきることができるのか。
「そうだ」
ロイドは眼鏡の奥で瞳を輝かせると、受話器を手に取った。
今日は実験のために、スザクがこちらに来ているはずだということを思い出したのである。
「スザクくん。いや、枢木スザク少佐。君に頼みがある」
失礼しますという声と共に現れた栗色の髪の少年、
枢木スザクの方へ向き直りながら、ロイドはそう呼びかけた。
「何が起こったんですか」
生真面目な彼のことだ、きっと軍絡みの出来事を想像しているのだろう。
取りあえず、そうではないことをロイドは伝えることにした。
「ああ、大丈夫。出撃命令じゃないから」
「そうでしたか」
淡々と答えてくるスザクの表情は、変わらず硬い。
それは、自分が我知らず緊張のために顔を強張らせているためだとロイドは気づいていなかった。
とにかく今は、背後にある危険な代物を処分しなければならない。
「ただ、特派にとっては由々しき事態が起こってね」
ロイドはごくりと生唾を飲んだ。
あのお節介焼きな中尉が戻ってくるまで、まだ時間はある。
「その、言いにくいことなんだけど」
ロイドは椅子に座ったまま半身で振り返って、皿を手に取った。
迷っている暇はない。ことを起こすならば、今しかないのだ。
「君に、これを食べてもらいたい」
「……は?」
黙って上司の言葉に耳を傾けていたスザクは、
差し出された皿を見た途端、わずかに目を見開いて間の抜けた声を上げた。
白い皿の上にあるのは幾つかの握り飯で、
食べやすいようにという配慮なのだろう、きちんと海苔が巻かれている。
「あの、これは」
「わからないかい、見ての通りおにぎりだよ」
わかりきった事実を調子外れの声で楽しそうに告げるロイドに、
スザクはどう答えるべきか数秒迷った。
態度としゃべり方はいつも通りであると言うのにどこか違和感があるのは、
目が笑っていないせいだろうか。気のせいか、所作の端々に焦りの色が見え隠れしている。
まるで追われているかのような、余裕のなさとでも言うのか。
「それはわかりますが」
「だったら話は簡単だ、あとは君がこれを食べてくれさえすれば問題は解決するから」
スザクは表情には出さないように努めながも、戸惑いを覚えずにはいられなかった。
こんなロイドの姿は、特派に来て以来見たことがない。
一体、この握り飯にどんな秘密が隠されているのか。
「わかりました」
とはいえ、上司の頼みをすげなく断れるスザクではない。
内心首を傾げながらも、手渡されるままに皿を受け取ってしまう。
その時、しゅっと圧縮された空気が吹き出す音がして、
盆を片手に乗せたエプロン姿のセシルが弾むような足取りで姿を現した。
表情も、上機嫌そのもの、と言ったところである。
「はい、スープも用意しました……あれ、スザクくん」
「セシルさん」
わずかに目を丸くしたセシルは、栗色の髪の少年ににこりと笑みかけた。
スザクもまた、頬を緩めて会釈をする。
「セシルくん、どうして」
そう言ったロイドは、引きつった笑みを口元に張りつけていた。
部屋を出る時、
食事を済ませてからこちらに戻ると聞いていたからこそスザクを呼んだというのに、
これでは帰って来るのがあまりに早すぎる。
「おにぎりだけじゃ栄養が足りないと思って、作ってきたんです。
野菜もたっぷり入ってますし、滋養満点で」
セシルの言葉は唐突に途切れた。
その視線の先にあるものは、先ほどロイドのためにと握ったばかりのおにぎりが乗った皿がある。
「ロイドさん」
それだけで事態を把握したらしく、セシルはすっと目を細めた。
「どういうことですか」
「あ、いやこれは」
氷点下を思わせる視線と低く抑えられた声に、
ロイドがあわてて顔の高さまで持ち上げた手を左右に振る。
そうすることで数秒後に起こる出来事を消してしまえるとでも言うように、激しく振る。
「人の好意を、あなたはなんだと思っているんですか?」
その一切を無視して、セシルは突然満面の笑みを浮かべた。
が、その顔つきはロイドの返事を待たずして阿修羅面のように豹変する。
「これは、教育が必要ですね」
セシルはきりきりと目尻を吊り上げながら、一歩ずつロイドとの距離を詰めていった。
その歩みが生み出す足音がまるで死の宣告のように聞こえたのは、
きっとスザクだけではあるまい。
「いや、だからね。僕はただスザクくんに……あ、痛っ、ごめんなさい」
必死の言い訳を打撃音が強制的にかき消す中、
スザクは失礼しますと頭を下げて、そのままきびきびとした動作で部屋を退出した。
この後、繰り広げられる惨劇を思うとロイドに対して多少の同情を覚えなくはないが、
彼女の作った料理を代わりに口にするのは、命令でもなければ受けかねる。
(すみません、ロイドさん。それに、セシルさんも)
スザクは胸中つぶやいて、食堂へと足を向けた。
どんな粗食にも耐えることができる彼であったが、
味覚を破壊しかねないような料理だけは可能な限り御免こうむりたいと、思うのだった。
ver.1.00 08/01/14
ver.1.85 09/02/02
ver.1.90 09/02/03
〜ある意味で最強の兵器−ONIGIRI−舞台裏〜
ミレ「おにぎりっていいわよね。手軽に食べられるし、腹持ちもいいし。
簡単に作れて、でも手作りだから愛情も込められるじゃない」
シャ「そうですね」
ミレ「せっせと仕事に励む彼のため手ずから用意したおにぎりを渡し、
それを食べてもうひと頑張りしちゃうわけ。ステキじゃない?」
シャ「そうですね。ステキです」
ミレ「もう、つれないなあシャーリー」
シャ「猫なで声を出しても釣られません」
ミレ「どうしたの、そんなに警戒して。私、何か悪いことした?」
シャ「いいえ、今のところはまだ」
ミレ「まだ、ときましたか。えらく手厳しいわね」
シャ「だって、会長ったらさっきからやたらと嬉しそうじゃないですか」
ミレ「嬉しそう? そうかなあ」
シャ「絶対そうです。いくら私でも、これだけ何度もいじられていたらわかります。
言っておきますけど急に真面目な顔をしたって無駄ですから。
だって目が笑ってますもん。それは間違いなくいたずらっ子の目です」
小さく唇を尖らせるシャーリーに、
ミレイは笑顔を弱々しいものに変えてわずかに視線を伏せた。
ミレ「そっか。私、知らず知らず調子に乗りすぎていたんだ。
ごめんね、シャーリー。悪気はなかったの」
シャ「え、いや、そんな、謝らないでくださいよ会長」
ミレ「ううん、私が悪いの。あなたの気持ちも考えないで、私」
シャ「いいですよ、そんな。私、別に怒っていたわけじゃないですし」
ミレ「そう?」
シャ「はい」
ミレ「よかった」
心からそう思っていることをうかがわせる満面の笑みをみせる先輩に、
シャーリーは少し照れくさそうに頬を緩める。
ミレ「でもね、シャーリー。私がついそんな風に接してしまったのは、理由があるの」
シャ「理由」
ミレ「私ね、シャーリー。あなたのこと……」
シャ「え、え、え?」
突然の展開に身動きが取れなくなった後輩の肩をそっと抱き寄せて、
ミレイは彼我の距離をゆっくりと詰めていく。
ミレ「シャーリー」
シャ「かかか会長 ?!」
今にも唇同士が触れ合おうとし、シャーリーが声を裏返らせてぎゅっと目を閉じたその時、
ミレイはとん、と軽く突き放す仕草で身を離した。
ミレ「冗談よ、冗談」
シャ「へ?」
ミレ「ごめんね、シャーリー。
あなたが可愛いからついついこういうことをしちゃうのよ」
シャ「……もう、会長!」
緩く握った拳でぽかぽかと胸元を叩いてくる後輩をなだめながら、
こうも初々しい彼女にだったらそのままキスをするのも悪くはなかったかな、
と内心独りごちるミレイだった。
舞台裏を追加して、一年ぶりの更新です。
初書き特派メンバーによるセシルのおにぎりネタでした。
それにしても、ブルーベリー入りのおにぎりって一体どんな味わいなのでしょうね。
もちろん、そんなものを口にしたくはないのですが一度感想は聞いてみたいと思います。
しかし、天は二物を与えずなどと言いますがセシルの味覚は壊れてしまっているのでしょうか。
あるいは、ブルーベリーは目にいいと聞くので入れてみただけなのかもしれませんね。
スザクが自分のためにわざわざ鍋を振るう、というのは想像しがたいのですが、
させてみると料理の腕前は達者なのかもしれません。
ちなみにこの日のおにぎりに入っていたのはブルーベリーとマーマレード、
それからツナマヨネーズの三本立てで、天国と地獄、二つの味が楽しめる訳です。
ですが、これを作った人が誰なのかを考えれば、
どれを選んでも程度の差はあれ地獄かもしれません。
ツナマヨネーズ入りは、きっとおにぎりが油でぎとぎとに……。合掌。
それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。