「綺麗、ですね」

 どこまでも晴れ渡る空の下、眼前に広がる光景に栗色の髪の少年は思わず頬を緩めていた。
ここは総督府の屋上に設けられた庭園で、華麗なる装飾がそこかしこに施されている。
落ち着いたデザインの白い建造物はどこまでも上品であり、
手入れの行き届いた芝生は上質の滑らかな絨毯のようで、
咲き乱れる種々の花弁は目にも鮮やかに要所を彩っていた。

「でしょう?」

 その美しさに勝るとも劣らない、目と口元を弓にして振り返った可憐なる少女は、
神聖ブリタニア帝国第三皇女にしてエリア11の副総督、ユーフェミア・リ・ブリタニアである。

「はい」

 そして、ユーフェミアにほほえみ返す少年は彼女の専任騎士、枢木スザクだった。
左胸につけられた剣を模したバッジが、それを示している。

 彼は任じられた騎士を一度は辞した。だが、キュウシュウ戦役の最中、
ユーフェミアの台詞によってスザクの中にある気持ちが沸き起こる。

 一つは、生きたいという思い。
それは常に死地を求め続けてきた彼にとって、あり得ないものだった。

 もう一つは、彼女のそばにあって護るという誓い。
強制されたからではなく、義務感でもなく、心からそうしたいと思えた。

『私のことを好きになりなさい。その代わり私があなたを大好きになります』

 あの言葉を聞いた時から、スザクは真に身も心もユーフェミアの騎士となったのである。

「ここへは、総督ないしは副総督の許可なく立ち入ることはできないことになっています」

 桃色の髪をわずかに揺らしながら、第三皇女は明るい声で言った。
副総督の役割は、本来エリア11を統治する総督の補佐である。
実質的な権限は姉のコーネリアが握っているとはいえ、 ユーフェミアはかつて日本と呼ばれたこの地に住まうブリタニア人の中でNo.2の地位にあり、 一たび彼女が命を下せば、総督以外の者は従わざるを得ない。

 しかし、彼女がみせる表情からは、
程度の差はあれ多くの貴族に見られる傲慢さは欠片も感じることはできず、
ただ年相応の娘らしい愛くるしさのみが表れていた。
平服で町中を歩けば、あるいは今の服装のままであっても、
副総督の顔を知らぬ人々の目にはいいところのお嬢さまとしか映らないのではないか。

「と言っても私が決めた訳ではないのだけれど」

 ユーフェミアと共に総督府へ出入りするようになってそれほど経っている訳ではないが、
この庭園を造営したのは先の総督クロヴィスであり、
彼が定めたルールを現総督が踏襲した結果なのだということをスザクはロイドから聞いていた。

 だが、何故この場所に誘われたのかは見当がつかない。

「理由はね、二つあるの」

 そうした気配を察してか、
第三皇女はほんの少しだけ視線を伏せつつ娘らしさが残る顔を微かに紅潮させた。

「総督府の中では、あなたと二人でゆっくりと過ごせる場所は限られているし」

 ちらりと士官服姿の少年を見て、ユーフェミアが少し早口に語を継ぐ。

「私の部屋でも良かったのだけど、ほら、今日はいいお天気でしょう? だから」

 スザクはわずかに目を見開き、それからゆるやかに笑みの形へと変えた。
政治的な意味合いないしは何か堅い話があるものとばかり思っていたが、
少女が述べた理由を耳にして顔をほころばせずにはいられなかったのである。

「スザク」

 しばらくの間はにかんでいたユーフェミアは、
ここはね、とどこか遠くを見るような目つきで庭へと視線を向けた。

「昔、仲が良かった人の屋敷のお庭に似ているんです」

 第三皇女は静かに瞼を閉じて、まだ幼かった頃のルルーシュやナナリーの姿、
更には亡き皇妃の面影を思い浮かべながらもあえてその名は出さず、
意識を現在へと引き戻しスザクにそっとほほえみかける。

「この東京租界に、いいえ、日本に住んでいる人の中でここに立ち入ったことがあるのは、
手入れをする人を除けばあなたを含めてたったの四人なんですよ?」

 なんとも贅沢な話ではあった。
庭園を目にした人間が、 その見事さに感嘆の吐息をもらしたとしても何ら不思議ではないというのに、
一般人はもちろんのこと総督府に出入りする者の多くにも存在すら知られていないのだから。

「ここを造園したクロヴィス兄さま、お姉さまと私、それからスザク。
お姉さまはきっと、ギルフォード卿を連れてここに来てはいないと思うし」

 事実はユーフェミアの想像通りであった。
コーネリアは亡きクロヴィスの思いを汲み取り、 原則、皇族にのみ庭園への立ち入りを認めている。

 さすがにそのことまでは把握していなかったが、スザクは疑問を覚えて小さく首を傾げた。

「しかし、ここへ自分のよう……いえ、自分を連れて来てよかったのですか?」

 言い直したのは自分のような、そういった己を卑下する言葉をユーフェミアは好まないためで、
何より、専任の騎士に選らばれた以上、自身を貶める行為は彼女にも跳ね返っていくからだ。
また、これは自身が置かれている立場を正確に捕らえている者の台詞であって、
ひがみ等がもたらす負の感情による問いではない。

 コーネリアは為政者として公正かつ柔軟な思考の持ち主である。
その彼女がこの庭園を広く開放していない理由は、治安上の問題だけではあるまい。
故人の遺志もさることながら、彼女自身にとっても大切な思い出があるのだろう。

 もちろんユーフェミアが身内として扱ってくれていることを、
スザクは嬉しく思っている。思わないはずがない。
だがその一方で、本当によかったのかという気持ちをぬぐいさることができずにいた。

 引け目を感じている訳ではない。何らの恥じる気持ちもない。
ただ、名誉ブリタニア人とはいえ、第三皇女の専任騎士であるとはいえ、
己が日本人であることを、自身の分というものをよく知るが故に、だ。

 だが、ユーフェミアはぱちぱちと瞬きをしてからもちろんです、と優しい顔をみせた。

「あなたにね、知ってもらいたかったの。私の好きな場所を」

 その表情と発言に、スザクがはっと息を飲む。

「幼い頃、好きだった場所によく似たこの庭が私は大好きなんです」

 これが二つ目の理由、とユーフェミアは唇を小さく持ち上げて笑った。

「だから、一石二鳥だったんです。ここは」

 スザクの唇が、微かに震える。
胸の中で温かな想いがあふれんばかりに広がって、とっさに言葉が出なかったためだ。

 それでも、一拍の後には答える態勢を整える辺りはさすがと言うべきか。
ただ、自身でも驚くべきことに、
目の前に居る少女の愛称を口にすることを常にない強さで自制しなければならなかった。

「……ユーフェミア様」

 想いは、伝播する。

「っ」

 ユーフェミアもまた、一瞬口ごもってしまった。
鼓動がわずかに高くなっていることを知覚してしまったが故である。

「……スザク」
「ユーフェミア様」

 二人は互いの名を呼び合うと、照れくさそうに見詰め合った。


 だが、そうした時間は長く続かなかった。
前触れもなく、ぽつりとユーフェミアの頬に水滴が弾けたのである。

「あ」

 空には雲一つないというのに、霧雨のようだったそれは急速に雨足を強めていった。

「ユフィ、こっちに」

 我知らずスザクの口から飛び出した言葉に、はたして二人は気づいたのかどうか。

「はい」

 腕を引かれながら、ユーフェミアは精一杯走った。
もちろん、急ぎながらもスザクは彼女の足に合わせることを忘れない。
かつてナナリーと共に過ごした期間がそうさせたのか、
特別意識をせずとも女性への気遣いをごく自然な形でみせることができる。

「すっかり濡れてしまいましたね」

 白亜の建造物の軒下にたどり着いて、ユーフェミアはわずかに眉尻を下げて苦笑した。

「ごめんなさい、私がぐずなせいでスザクまで」
「いえ、そんなことは」

 穏やかな表情でかぶりを振ると、スザクは思い出したように、そうだと口中つぶやく。

「失礼します」

 士官服姿の少年は、ひと言断りを入れてから自らの上着を主たる少女の肩へとかけると、
ポケットから取り出したハンカチをユーフェミアの髪に押し当てた。
不意を衝かれたこと以上に、桃色の髪の少女がスザクの行為に思わず頬を赤らめる。
ありがとうと礼を言おうとして、もぐもぐと口を動かすことしかできない。

「この国では、天気雨のことを狐の嫁入りと呼んでいます。
地方によっては婿入りと言ったりもするそうですが」

 雨は、すでに止んでいた。
抜けるような青空を見る限り、地面が濡れていることの方が不自然とさえ言える。
まさしく狐につままれたような、天気雨であった。

「知っていますか? 狐は、神様として扱われたりもするんですよ」
「そうなのですね、初めて聞きました」

 目を丸くするユーフェミアに、スザクが口元を弓にして応える。

「でも、面白いものですね。そうした感性を、私たちは持っていないから」

 ブリタニア人がとかく抱きがちな他民族に対する優越感は、第三皇女の中に存在しない。
世界にはこれだけ多くの人間がいるのである、
生まれ育った風土が違えばなおのこと、 様々な考えや感じ方があったとしても何ら不思議ではなく、
彼女はそれらを受け入れることができた。
本人は自覚していないが、それは得難い何にも勝る美点と言えよう。

 と、ユーフェミアの手が濡れた髪の湿気を除こうとするスザクの手を押し止めた。

「私はもういいわ」
「ユーフェミア様?」

 やんわりとほほえむと、桃色の髪の少女はスザクが手にするハンカチをつまみ上げる。

「濡れているのはあなたも同じでしょう?」
「しかし、それは」
「いいからじっとしていて」

 あわてて辞そうとする生真面目な自らの騎士を軽くにらむ振りをすることで動きを封じると、
ユーフェミアは唐突に破顔した。

「私がそうしたいんだから、否やは認めません」

 冗談交じりの口調でかけられた言葉に、スザクが動揺し口ごもる。
満面の笑みでそう告げられては、何も言い返すことができない。
たとえ異を唱えたところで、聞き入れてはくれないことは明白である。

「ありがとう、スザク」

 思ったよりもすんなりと言うことができて、ユーフェミアは満足げにふふと口の端を緩めた。

「いえ、礼を頂くほどのことでは」

 反射的に姿勢を正そうとするスザクに、可笑みを含んだ声がかけられる。

「ダメよ、まだ動かないで」
「……はい」

 真顔で言われるままにピタリと動くのを止める栗色の髪の少年を見て、
ユーフェミアは思わず吹き出してしまった。一拍を置いて、スザクもくつくつと笑う。


 今のような時間がいつまでも続くことを、このときの二人は心から信じて疑わなかった。





ver.1.00 08/05/18
ver.1.38 08/05/19
ver.1.81 09/02/04

〜それは優しく温かなひと時・舞台裏〜

C.C.「おい、ルルーシュ」
ルル 「なんだ」
C.C.「見ろ、雨が降ってきたぞ」
ルル 「ああ、そうだな」
C.C.「それだけか?」
ルル 「それだけか、とはどういう意味だ」
C.C.「……お前が持っているそれは何だ?」
ルル 「見ての通り傘だが」
C.C.「まだわからないのか」
ルル 「わからん。言いたいことがあるならさっさと言え」
C.C.「雨が降ったことなど見ればわかる。
    それをわざわざ口にしたのは何故だと思う?」
ルル 「なるほど、俺に傘を差せと言いたいわけか」
C.C.「皆まで言わせるとはまったく気の利かないヤツだな。
    だから童貞坊やと呼ばれるんだ」
ルル 「なんて言い草だ。そんな風に呼ぶのはお前だけだろう。
    そもそも、お前も傘を持っているじゃないか」
C.C.「いちいち口答えをするな」
ルル 「うるさい。どうしても差して欲しいなら訳を言え」

 もしそんなものがあるならな、と冷笑するルルーシュに、
不死なる魔女は一拍の間を置いてわずかにかぶりを振った。

C.C.「理由、か」
ルル 「言っておくがくだらない理由なら受け付けないぞ」
C.C.「本当に聞きたいのか?」
ルル 「いいから言ってみろ」
C.C.「まったく、だからお前は童貞坊やなんだ」
ルル 「まだ言うか」

 不機嫌そうに眉をしかめる黒髪の少年に、
C.C.は穏やかな表情をみせると歩みを緩めて横に並ぶ。

C.C.「私は気まぐれだし噛み付きもする。だが」

 そのままルルーシュの腕を取って、
少女は驚きの感情を浮かべた紫水晶に似た色の瞳を覗き込むように笑みかける。

C.C.「たまには悪くないだろう?」
ルル 「ああ」

 黒髪の少年はぎこちなくうなずき返し、傘を差すのだった。



 このお話は私にとって初めてのユフィでした。もちろんお相手はスザクです。
これでようやくすべてのギアスSSに舞台裏が揃いました。
去年からやろうやろうと思っていたので、ほっと一息といったところです。
三人官女で贈るコメディも一瞬考えたのですが、
ここは本編の流れをそのまま汲んだラブ系の話にしてみました。

 ユフィとスザクのカップリングはほとんど書いていないのですが、実は好きな組み合わせです。
ルルーシュと違ってそれなりに経験していそうなスザクが、
なんとも純情さたっぷりな様子はほほえましく、ユフィのまっすぐな気持ちも好感が持てます。
彼女にはずっと笑顔でいてもらいたかったですね。
おそらくそれは、ルルーシュにとっても同じだったのでしょう。
彼がああいう幕引き(R2のラスト)を選んだのは、
ユフィへの贖罪も含まれていたのだと思っています。

 そろそろ、本編後のストーリーを描くのもいいかな、と密かに考えている私です。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。

2009.2.4 鈴原
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