登場人物紹介
ルルーシュ……ご主人さま。ランペルージ家の大黒柱にしてお財布係担当。特売命。
C.C.  ……ご主人さまのために日夜全力を尽くす、住み込みどじっ子メイド。
ロロ   ……わんこ。耳と尻尾を標準装備。バターが好き?
アーニャ ……ゴッドバルド家の農園を手伝う少女。ルルーシュの幼なじみ。



 町で唯一のスーパーマーケット“ブリタニア”の入り口、
自動扉が開いた先に見知った後姿を発見し、艶やかな黒髪を持つ少年は歩みを緩めた。
遠目であっても見間違えることなど有りえない。
頭上、アップした淡紅色の髪をクリーム色のリボンで結った少女はアーニャ・アールストレイム、
ランペルージの隣家、ゴッドバルド家のオレンジ農園で働くルルーシュの幼なじみだ。

 そして、店内に入った彼にいらっしゃいませと店員が声をかけたことで、
アーニャは黒髪の少年に気づいた。

「ルルーシュ」

 抑揚に乏しい声で呼びかけて、無表情に軽く腕を持ち上げる。
別段不機嫌なわけではないし、含むところがあるのでもない。
ただ、感情をほとんど表に出さないだけである。
むしろ、道端で知人に会っても一瞥をくれるだけで済ませることの多い彼女にしては、
随分と愛想のいい対応と言えるだろう。

 それは相手が付き合いの長さ故なのか、それとも……。

「今来たところか」
「うん」

 ルルーシュはプラスチック製の買い物籠を二つ左右の手で取って、
そのうち一方を淡紅色の髪の少女に差し出した。
アーニャはありがとう、とつぶやき素直に厚意を受ける。

「君も豚肉の特売目当てで来たのか?」
「そう。ジェレミアが今夜はしゃぶパーティーだって」

 平坦な返事は、本来の意味はさておいて聞き捨てならない語を含んでいた。
それは少女にとって雇い主に当たる者を呼び捨てにしたことではなく、
後半部分、すなわちパーティーが冠する名で、

「そうか。しかし、しゃぶしゃぶは略して言わない方がいいな」
「どうして?」
「どうして、って」

 理由はすれ違う客が耳にして勘違いをするかもしれないから、だ。
事実、今も怪訝そうな視線を向けられたところで、
さすがに即通報されることはないにしても、
いつまでも薬物の俗称を連呼していれば警備員が駆けつけてくる可能性は否定できない。

「シャブ祭りに、あなたも来る?」

 たずねる声が潜められているということは故意に他ならず、

「いや、だから……と」

 ルルーシュが苦笑交じりに言いかけたところで、
ポケットから伝わる微弱な振動を知覚し、それが携帯電話の着信であることに気づいた。
周囲をはばかって音が鳴らないようマナーモードにしているが、
急を要する連絡に備えてバイブレーション機能はオンにしてある。

「すまない、電話らしい」
「私に構わず出ればいい」

 黒髪の少年は目で謝意を伝えつつ、相手を確認しないまま受話ボタンを押した。

『ご主人さま』

 途端にいつになく切羽詰ったランペルージ家の住み込みメイド、C.C.の声が聞こえてくる。

「どうしたんだ」
『すみません、ご主人さま。私、ぬるぬるで』
「は?」

 少女が口にする耳慣れない単語の意味を、ルルーシュは理解し損ねた。
言葉自体がわからないのではない。ただ、何を言っているのかわからなかった。

『もう、どうしていいか』
「すまない、話がまったく見えないんだが」

 携帯電話のディスプレイに映る番号が自宅のものであることを確認し、
ルルーシュは努めて穏やかに呼びかけた。

「落ち着いて話してくれないか」

 声を荒げれば、C.C.は萎縮しますます事態を把握することが困難になってしまう。
そうでなくとも彼女は今、冷静さをまったく欠いてしまっている。
まずは落ち着かせることが肝要だった。

「大丈夫だから」

 そして、ルルーシュの思惑はぴたりとはまり、
メイドの少女は幾分動揺が収まったらしく、恐るおそる話し始める。

『あの、ロロさんが』
「ロロがどうかしたのか?」

 ロロの名を聞いて、ルルーシュは無意識のうちに安堵していた。
C.C.に懐いているとは言い難いが、
ランペルージ家の愛犬がそれほど無茶をすることはないと最初から決めてかかる辺り、
親馬鹿もとい犬馬鹿である。しかし、かわいいものはかわいいのだから仕方がないのだ。

 それはさておき、愛らしいことといたずらをしないことは同義ではない。

『私、バターを塗ったんです。そうしたらロロさんが舐め始めて、私、ぬるぬるに』
「ぬるぬる? だからそれは」

 再び飛び出したおそらく今回のキーワードとなる言葉の意味を問おうとして、
どういうことだ、と続けかけた少年の台詞は少女の悲鳴めいた声なき声に遮られた。

『……っ』
「おい、どうした……」

 ルルーシュはすぐに事情をたずねようとして、ぷつ、という音を耳にし沈黙する。
聞こえてくるのは電話が切れたことを示す電子音のみで、
通信が途絶えた状態で、エスパーではない彼に意思を伝える術はない。

 ルルーシュはしばらくの間、握りしめた携帯を見つめていた。
何があったのかはわからないが、事件が起こったことは間違いない。

 しかし、黒髪の少年は小さくかぶりを振るとふっと頬を緩めた。

「先に買い物をしていてくれてもよかったんだぞ」
「別にいい。大して待っていない」

 ルルーシュの隣に並びつつ、アーニャはにこりともせずに言う。

「そうか。すまなかった」
「私が勝手に待っていただけ。ルルーシュは気にしなくていい」

 その時、ルルーシュは幼なじみの目が手元の携帯に向けられていることに気づいた。
どんな会話をしていたのか、気になるのだろうか。

 だが、そんなことはこれまでになかったことで、
まさかな、と黒髪の少年が胸中独りごちると同時、

「ところで」

 アーニャは目線をルルーシュのそれと合わせてきた。

「ぬるぬるって、性の乱れ?」

 黒髪の少年はまっすぐに見つめてくる幼なじみの瞳を数秒間呆けたように見返し、
固まっていた思考に理解が追いついたのかあわてて首を左右に振る。

「違うんだ」
「違う。断じて違う」

 小首を傾げるアーニャのささやきを、ルルーシュは重ねて否定した。
向きになるようなことではないのだが、反射的にそうしてしまったのである。
 このことは、少年の心に(さざなみ) を生んだ。
そうした幼なじみの思いを知っているのかどうか、淡紅色の髪の少女は無表情のままぽつりと聞く。

「帰らなくていいの?」
「え、ああ」

 言葉にして問われることで初めてルルーシュは、
今すぐ帰宅するかどうかについてろくに考えなかったことに気づいた。

 もちろんそれはどうでもいいからではなく、電話が切れた直後思ったことは、

「帰るほどのことではないだろう」

 万一大事になっていたとしてもC.C.がドジ振りを発揮するのはいつものことで、
わざわざ目くじらを立てる程でもない。
加えて、本当にどうすることもできない時は連絡を入れてくるはずだ。

「それに、家のことは任せてあるからな」

 答える少年の声には一切の迷いがないことを知って、アーニャはほんの少しだけ目を見開いた。
そう。彼は迷うことなく言ったのである。

「へえ」
「なんだ?」

 自覚はなかったがこの時もっともよく彼女の心境を表していたのは意外という言葉で、

「彼女、信用されているんだと思っただけ」

 言ってから、アーニャは自分の声にわずかな棘が混じっていることに気づいて立ち尽くした。

「どうかしたのか、アーニャ」
「別に、何も」

 半ば顔を背けるようにルルーシュから視線を外し、
原因のわからない感情のうねりに胸中うめく。

 先ほどの軽口は、これまでずっと、
幾度となく交わしてきた他愛もないやり取りと何ら変わることのないものだった。
そのはずなのに、どうしたというのだろう。
まるで何かを失ったかのように、胸にぽっかりと穴が開いたような、
不思議な感覚に淡紅色の髪の少女は戸惑いを覚えていた。

「私、用事を思い出した。帰る」

 アーニャはそう言い放つと、ルルーシュを一瞥することなくさっと踵を返した。

「帰るって、おい。アーニャ」

 特売の豚はどうするんだ、という呼びかけにも返事はない。

「しゃぶしゃぶを肉抜きでするつもりか、あいつ」

 黒髪の少年は、茫然と遠ざかる幼なじみの背中を見つめることしかできなかった。


 この後ルルーシュは迷った挙句、
帰ってしまった幼なじみのために隣家の分まで豚肉を調達したのだった。





ver.1.00 09/01/01
ver.1.16 09/01/01
ver.1.20 09/01/02
ver.1.30 09/01/03


〜乙女が恋に気づくとき・舞台裏〜
ミレ:ミレイ シャ:シャーリー ナナ:ナナリー 咲世:咲世子

ミレ「ふうん、やるわねルルーシュも」
ナナ「さすがはお兄さまですね。もてもてです」
シャ「いいなあ、あの二人。私なんて出番すらないんだもん」
ミレ「まあまあ、そう膨れなさんなって。あとで楽屋に顔を出したらいいじゃない。
  ルルー、お疲れーってね。ちゃんとそのためのドリンクも用意してあるし」
シャ「会長……ありがとうございます。私、がんばります!」
ミレ「うんうん、その意気その意気。優しさだけじゃ、愛は奪えないんだから。
  時には一気呵成に攻め立てることも必要よ、シャーリー」
シャ「はい、会長!」
ミレ「ところでその前に、ちょっといいかな」
シャ「はあ、何でしょうか」
ミレ「途中、アーニャちゃんが言った『性の乱れ』ってどういう意味だったかわかる?」
シャ「いえ、さっぱりわかりませんでした」
ナナ「私も、わからなかったです。あれはどういう意味だったのですか?」
ミレ「そっか、知らないんだ二人とも。じゃあ、どうしましょうか咲世子さん」
咲世「はあ、教えて差し上げてもいいのでは?」
ミレ「わかりました。では、遠慮なく」
シャ「ごくり」
ミレ「まず、ことの始まりはぬるぬる。そしてバターというアイテムよ」
ナナ「はい」
ミレ「彼女は電話口に言ったわ。バターを塗った、と」
ナナ「確かに言っていました」
ミレ「では、それをどこに塗ったでしょうかというのがこれの答えにつながるの」
咲世「理解を深めるためにヒントをお出ししておきますと、
  ミレイさまのお言葉にあった、ぬるぬると密接な関係があるのです」
ナナ「??」
ミレ「まあ、その。なんて言えばいいかな」
咲世「バター犬と呼ばれるものですね」
シャ「バター犬?」
咲世「はい。具体的に言いますと、体にバターを塗ってそれを犬に舐めさせるのです。
  犬の舌はざらざらしていますので、人の舌よりも気持ちがいいそうですよ」
ナナ「なるほど、わかりました。でも、どうしてそれが性の乱れにつながるのですか?」
ミレ「それはね、ナナリーが手のひらとかを想像しているからわからないのであって」
シャ「あ……あ……!」
咲世「シャーリーさまはお分かりになられたようですね」
シャ「ちょっと、会長、咲世子さん!」
ミレ「あら、わかっちゃった?」
シャ「わかっちゃったじゃありませんよ会長!
  ナナちゃんに何を聞かせようとしてるんですか!」
咲世「何、と申されましても」
ミレ「ねえ?」
シャ「もう、本当に会長は……咲世子さんまで一緒になって!」
ミレ「そんなに堅いこと、言いっこなしだってばシャーリー」
咲世「私も同感です。それに、ナナリーさまもいずれお知りになることかと」
シャ「硬いとか柔らかいとかそのうち知るとか、そういう問題じゃありません!
  まだ高等部に進んでもいない子をつかまえて……もう。
  行こう、ナナちゃん。この人たちと一緒にいたら、おかしくなっちゃう」
ナナ「ええと、シャーリーさん……?」

 顔を真っ赤にして怒るシャーリーにさっぱり話が見えないまま連れ出されるナナリーを見て、
ミレイと咲世子は顔を見合わせそっと肩をすくめるのだった。



 今年初めてのSSがこんなネタで申し訳ありません。
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 さて、今回はランペルージ家のメイドC.C.に恋のライバル出現といったお話です。
決して彼女にピンクな台詞を言わせたかったわけではなく、
当然ながら生真面目なメイドの少女が性の乱れなんて、そんなはずはありません。
正解はバタークッキーを作ろうとしていて、
まずバターを下に落としてロロが襲撃、あわてたC.C.はクッキーもばらまいて、
自身もバターまみれになった彼女はお詫びの電話をご主人さまにするのですが、
熱していたオーブンが温まりすぎてヒートしてしまい……と、ドジのオンパレードです。

 それはさておき、物語はまだ続きます。
乙女たちの恋の行方にどうぞご期待くださいませ。
次回はたっぷりとC.C.に登場してもらうつもりです。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りつつ。
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