登場人物紹介
ルルーシュ……ランペルージ家の大黒柱にしてご主人さま。
C.C.……ご主人さまのために、日夜全力を尽くすどじっ子メイド。
ジェレミア……雨の日も風の日も農作業に従事し額に汗するナイスガイ。オレンジの通販も開始。
アーニャ……ゴッドバルド家の農園を手伝う少女。ルルーシュの幼なじみ。
ロロ……わんこ。耳と尻尾を標準装備。




 インターホンの音が鳴った時、C.C.はスポンジを片手に風呂場で大量の泡と格闘していた。
優に腰まで届く緑の髪は邪魔にならないようアップして結わえている以外は、
タンクトップにホットパンツといういつもの格好で、
着衣したまま風呂に入る習慣を持たない彼女が磨く対象は自身ではなく湯船や床であり、
平たく言えば風呂掃除の真最中であり、顔つきは真剣そのものだが、
鼻の頭に泡がくっついているためどこかユーモラスな印象を受ける。

 一方で金の瞳は主人のために働ける喜びを映しており、
一生懸命目の前の仕事をこなそうとする姿は実にほほえましく、
あるいは彼女の中にサボタージュという概念自体が存在しないのではないかとさえ思わせた。

 それでも来客を察することができたのは、
熱心に仕事をしながらも常に意識のアンテナを張っているからなのか。

 ただ今日に限って言えば気づかない方がよかったのかもしれない。

「ご主人さま、私が出ま……」

 急いで応対しなければとあわてた結果、少女はつるりと足を滑らせて、
二畳程度の大きさしかない浴室に小さな悲鳴が響いた。
直後、どすんと尻餅をつく音が続き、
少し遅れてプラスチック製の桶がひっくり返るというおまけがつく、
まるで映画のひとコマを見ているかのような、見事な転び振りである。

「痛た……」

 決して肉付きが豊かとは言えないC.C.の臀部では、
落下のダメージを受け止めきることはできなかったらしく、
目尻にうっすらと涙を浮かべながら床に手を突いてゆっくりと身を起こした。
派手に倒れ方をしたものの、頭をぶつけずに済んだのは不幸中の幸いと言ったところか。

 居間にいたルルーシュは騒ぎを聞きつけ風呂場の前に急行したものの、
助けに入るべきかどうかを一瞬考えてから、取りあえず声をかけることにした。
言うまでもなくその意図は少女の安否を気遣ってのことだ。

「大丈夫か?」

 C.C.にとって何よりも優先されるのは主人であり、
痛みですぐに立ち上がれない状態にあってもそれは変わらない。
ぐっと唇を真一文字に引き結ぶや、
なるべく心配をかけないよう努めて普段通りの声で応えたのである。

「はい。私よりもお客さまのお相手をお願いします」
「わかった」

 ルルーシュは少女がやせ我慢をしていることを察しながらも、
はっきりとした意思が込められた返事を寄越してきた意思を汲み、
来客を迎えるために玄関へと向かうのだった。





「ああ、アーニャ」

 表に出た黒髪の少年は、
よく見知った淡紅色の髪を持つ訪問者の姿を認めてわずかに目を丸くした。

 それに対し、

「ルルーシュ」

 アーニャと呼ばれた少女が抑揚に乏しい声で答えつつ微かに会釈をする。
彼女はルルーシュの母マリアンヌが健在だった頃、
一時期家事見習いとしてランペルージ家に身を置いていた、幼なじみだった。
ちなみに現在はジェレミアの元でオレンジ農園を手伝っていて、
刈り入れ時などの繁忙期には住み込みで働いている。

「どうしたんだ?」

 少年の問いかけに、アーニャはおもむろに腕を持ち上げて、
オレンジ色のジャムが詰まった瓶を差し出した。

「マーマレード」
「そうか、また持ってきてくれたのか。いつもすまないな」

 幾分姿勢を正しながらルルーシュが頭を下げると、
礼には及ばない、と淡紅色の髪の少女は小さく首を左右に振る。

「味はかなり、調整を重ねたつもり。でも、まだ試作品」

 要は商品化の前に生の声を聞いておきたいのだろう。
専門の業者などに委託すれば費用もかさむに違いなく、
味見を任された隣人としても完成に近い品をただでもらえるのだ、
批評をするくらいはお安い御用と言ったところである。

「なるほど。最後の仕上げを兼ねて、ということか」
「そう」

 持ちつ持たれつの関係であるが故に、アーニャに悪びれるところなどなかった。
もっとも、常に泰然自若を地で行く彼女のこと、
どんな状況であれ淡々と答えていたことは想像に難くない。

「では、さっそく後で試してみるとしよう。
ジェレミア氏にくれぐれもよろしくお伝えしてくれ」
「わかった」

 ルルーシュは手渡された瓶を胸に抱いて、思い出したように問いを放った。

「せっかくだ、紅茶でも飲んでいくか?」
「要らない」

 ぴくりとも表情を動かさずにアーニャはほんの少し首を傾けて、
深い紫色の瞳をまっすぐに見つめつつ語を継ぐ。

「どこか、ステキな店に連れて行ってくれるなら別だけど」
「平坦な声で言われてもな」

 欠片もそれを願っているとは感じられない言い様に、黒髪の少年はくつくつと喉の奥で笑った。
まさかとは思うが、本人としてはこれで愛嬌を振りまいているつもりなのだろうか。

 こうした幼なじみの胸中を知ってか、アーニャは更に言葉を付け加えた。

「可愛く言われたい?」
「何とも返答に困る質問だが、媚びない程度になら言われるのもやぶさかでない」

 淡紅色の髪の少女はしばらくの間、
半ば空を見上げるように宙に目線を向けたまま沈思黙考を続けた後、

「じゃあ、よろしく」

 瞳を元の高さに戻し数センチ首を右側に傾けて言う。

 ルルーシュは一瞬どう答えるべきか考え、

「アーニャ、それだといつも通りだぞ」

 強いて真顔で指摘して、すぐに可笑し味をこらえきれず口の端を緩めた。






「よし」

 ようやく風呂掃除を終えたC.C.は、ぴかぴかになった風呂場を満足げに見回していた。
洗い残しの有無については入念なるチェックを済ませている。
あとは洗剤まみれになってしまった自分の服を洗濯機に放り込むだけだ。

(これが終わったらお茶をお入れして、それから……)

 ぼんやりと次の行動を考えていると、少女の頭にふと小さな疑問が浮かんだ。

(そういえば先ほどのお客さまはどなただったんだろう)

 カップで軽量し終えた柔軟剤を注ぎ口に流し込んだところでC.C.は作業を中断する。

「ご主人さま?」

 居間には誰もおらず、ロロがソファの上で丸くなって眠るのみだ。
時折尻尾がぱたん、ぱたんと皮地の表面を叩いているのは、
幸せそのものの寝顔から察するに何かいい夢でも見ているのだろう。

 その時、微かに話し声が聞こえたような気がしてC.C.は窓の外を見やった。
そこには談笑する一組の男女がいて、無視し得ない痛みが胸を貫く。

(ご主人さまと……女の人、あれはお隣のアーニャさん)

 少女は我知らず下唇を噛み締めていた。
アーニャは普段通り表情に乏しいが、ルルーシュはにこやかに答えている。

 ただそれだけのことが、C.C.の心を千々に乱れさせていた。
手を繋いだり抱擁したり、ましてやキスをしている訳でもない。
単に言葉を交わしているだけなのである。

 そもそも、主人が誰と話をしようと使用人には関係のない話であるはずだった。
それなのに、どうしてこうも苦しいのだろうか。胸が痛むのか。

 しばらく呆然と立ち尽くしていたC.C.は、

「……っ」

 自分が何を考えていたのかを認識して、あわてて二人から顔を背けた。
しかし胸中に広がった複雑な感情のために、目を伏せたまま動き出すことができない。

(ご主人さまは、話をしているだけなのに……どうして)

 どうして、と長髪の少女は自問を繰り返すが答えなど返ってくるはずもなく、
なんとも惨めな気持ちになり始めた。
考えないようにしようとしても、振り払うことができない。
普段ならば容易に制御できるはずの心が、
まるで持ち主が変わってしまったかのようにままならないのだ。

 その時唐突に、正確に言えばC.C.の感覚ではいきなり扉が開いたかのように感じられ、

「……!」

 シュッという空気の圧縮音と共に現れたのは黒髪の少年を目にして少女ははっと息を飲む。
いつの間にか室内に戻ってきていたらしい。
そのことも知覚できないほど、C.C.が受けた衝撃は大きかったということか。

 ルルーシュもまた彼女の反応を意外に思ったのか二度瞬きをして、
あわてて笑顔を取り繕おうとする少女の服が生乾きであることに気づいた。

「どうしたんだ、濡れているじゃないか」
「ご主人さま」

 これは、と言葉を続けようとする緑の髪の少女に、

「寒くはないか?」

 気遣いを含んだ紫水晶にも似た色の瞳が向けられる。
C.C.は首と立てた両の手のひらを左右に振って、平気である旨を伝えようとした。
だが、自身で思っていたよりも体は冷えていたらしく、

「はい、平気です。……くしゅっ」

 くしゃみが飛び出し、少女はばつが悪そうに眉尻を下げる。
主人の問いに対し図らずも虚言で応えることになってしまったからだ。

 ややうつむき加減にごめんなさいとC.C.が謝ろうとした瞬間、

「少し待っていてくれ」
「え」

 ルルーシュは少女の口から漏れ出たつぶやきには答えず、さっと踵を返して部屋を退出した。

(ご主人さま……?)

 何があったのだろうか。
C.C.は幾度か瞬きを繰り返していたが、自嘲気味に口の端を歪めて小さく息を吐き出した。
至らない自分が情けなく思えて仕方がない。

「……」

 少女の目尻に、じわじわと涙が浮かんできた。
仕事をしては失敗し、主人が誰かと話をしているのを見てジェラシーを覚え、
挙句に余計な気遣いまでさせてしまったのである。
呆れ果て、かける言葉がなかったのかもしれない。

(ううん、きっとそうに決まっている)

 C.C.が内心断じた直後、ぽたりと一滴の雫が床を濡らした。
呆然と天上を見上げ、あるはずのない雨漏りではないことを確認する。
次いで頬に手をやりその正体が涙であることを知った途端、堪えきれなくなってしまった。


 程なく戻ってきたルルーシュの手には、白いガウンがあった。
しゃがみこみ、嗚咽をもらし泣き咽ぶ少女を見て驚きはしたものの、
迷いなく側へと歩み寄ると羽毛入りの上着をその肩へとかけて片膝をつく。

「……ご」

 思わず言葉を詰まらせながらも、
反射的に手の甲で頬を伝う幾筋かの涙を荒っぽくぬぐい始めたC.C.に、

「何も言わなくていい」

 ルルーシュは少女のほっそりとした肩に手を置きつつ、
ゆっくりとかぶりを振って柔らかな笑みを浮かべた。

「……はい」

 緑の髪の少女はどうにか返事をし、続いてほほえもうとして、
感情の高ぶりをまだ引きずっているらしくすぐに笑みが崩れてくしゃくしゃに歪んでしまう。

 涙の理由はわからずともそれを感じ取ったルルーシュは、

「……っ」

 遠慮がちに、C.C.の頭を自分の肩口へと抱き寄せた。
どんな言葉をかければいいか、わからない。何があったのかもわからない。
それでも、側に居ることはできる。

 少女は戸惑いながらも主人の行為を受け入れていた。
申し訳なくて、温かくて、嬉しくて、幸せな気持ちに包まれながら、
敬愛する人の腕の中へと身を委ねる。

 子どもをあやす様に優しく背を叩かれるうち、C.C.はようやく落ち着きを取り戻した。

「すみません、ご主人さま」

 腕の中でわずかに身じろぎをする少女から、ルルーシュはぎこちなく少し距離を置く。
それから、泣いてしまったせいだろう、充血した目をまっすぐに見やりつつたずねた。

「平気か?」
「はい」

 無理はない。気負いもない。
少女がみせる笑顔はいつも通りのものだった。

「それならよかった」

 黒髪の少年が浮かべた安堵の笑みに、C.C.も自然と口元を弓にする。

「……?」

 ふと、何かが頬を転げ落ちたことに気づいて少女はきょとんとした顔になった。
先ほどまでとは違う、悲しみを伴わない涙だった。

「どうしたんだ?」

 動揺をみせるルルーシュに対し、C.C.はどう答えたもの考えて、
温かな想いに満ちた胸中を次の言葉で表した。

「すみません。あの、すごく嬉しくて」

 少女はまだ己の感情に与えられるべき名が何であるのか知らずにいたが、
その気持ちはゆっくりと、しかし確実に大きくなりつつあった。





ver.1.00 08/10/13
ver.1.32 08/10/14
ver.1.33 08/11/19


〜その感情に与えられる名・舞台裏〜

神楽耶「C.C.さま!」
C.C.  「どうした神楽耶、えらく興奮しているが」
神楽耶「だって、こんなお姿を目にしたんですよ? なんと可愛らしい」
C.C.  「お褒めに預かり光栄だが、一応言っておく。これは私であって私ではないぞ」
神楽耶「でも、心の奥底に眠る感情は共通しているのでは?
   ただ表現の仕方が違うだけのことで」
C.C.  「私がルルーシュにほの字だと言いたそうな顔だな」
カレン「違うの?」
C.C.  「出たな焼きもち姫」
カレン「何よその聞き捨てならない呼び名は」
C.C.  「いや、何となくだ」
カレン「まあいいわ。そんなことではぐらかそうったって無駄なんだから」
神楽耶「そうそう、無駄無駄無駄、ですわ♪」
C.C.  「二人そろって食いつきのいいことだ。が、さあとしか言いようがないな」
カレン「まったく、素直じゃないんだから。
   でも、たまにはあんたもいじられる側の気持ちを味わいなさい」
C.C.  「お前の場合、単に自滅しているだけではないのか」
カレン「何ですって?」
神楽耶「まあまあカレンさま、落ち着いてください。
   しかし、C.C.さま。否定をしないのは肯定したのと同義ではありませんか」
カレン「なるほど、確かにね」
C.C.  「勝手に納得するな」
神楽耶「とはいえさすがはC.C.さまです。一切顔色が変わりませんね」
C.C.  「当然だ。年端も行かぬ娘と同じ扱いを受けては魔女の名折れだからな」
カレン「いいから白状しなさいよ」
神楽耶「では、力技を提案しますわ。
   二人がかりで押さえ込めば、くすぐりの刑も楽チンに執行可能ですもの」
C.C.「お前たち、待て。あれは何だ?」
神楽耶「あれ、ですか?」
カレン「へ? ……って、逃げるな!」

 一目散に逃亡するC.C.を、神楽耶とカレンはあわてて追いかけるのだった。



 ランペルージ一家物語の第三弾は、メイドのC.C.とルルーシュのほのかなラブでした。
一方で、アーニャという恋のライバル(?)が初登場となってます。
今回ロロの出番は一瞬だけ、ジェレミアも名前だけ、アーニャは隣人代行も兼ねています。
もちろん彼女がオレンジ畑を手伝っているのは本編の流れを受けて、です。

 なお、次回のお話は本編に即したルルーシュとC.C.のラブものを予定しています。
一歩踏み込んだ内容になるかと思いますが、そちらもお楽しみいただければ幸いです。

 それでは再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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