神聖ブリタニア帝国第九十九代皇帝、ルルーシュ=ヴィ=ブリタニアは、
明かりを落とした宮殿の一室でひとりベッドの隅に腰掛けていた。
時刻はすでに深夜二時を回っている。
一時間ほど前に身を横たえたのだがいつまで経っても寝付けなかったために、
夜空を見上げて眠気が訪れるのを待つことにしたのである。

 ただ、紫水晶(アメジスト)に似た色の瞳は満天の星がきらめく窓の外に向けられているが、
実際に視覚が捕らえている映像は彼の意識にまったく投影されていない。

 ルルーシュの思考を占めるのは、ゼロ・レクイエムと呼ばれる一世一代の計画についてだった。
これをひと言で説明するならば大掛かりなペテンと言ったところか。
それも限られた数人を除く世界中の人間を残らず騙そうというのだから、
ある意味では痛快極まりない。

 しかしながら、高揚感はなかった。

(……これを贖罪などと呼ぶのはおこがましい、か)

 無意識のうちに口元が自嘲的な笑みの形に歪む。
王の力、ギアスによってエリア11で鮮烈なデビューを果たした黒の騎士団は、
わずか十名ほどの一地方テロリスト集団から
ついには世界の半数から支持を得る組織にまでなった。
兄、シュナイゼルの策略によりリーダーのゼロは追放され、
世界は第二皇子の支配下に置かれようとしたが彼の目論見は水泡に帰し、
現在はブリタニアの国主となったルルーシュがすべての国々を統べている。

 あまりにも多くの血が流れた。
復讐を果たすことのみに、躍起になっていた時期もあった。自暴自棄になりかけたこともあった。
空白の一年を挟み、決起の時から二年程になるだろうか。
この間に流れた時はまさしく矢のようで、あらゆる出来事が昨日今日のことに思えてしまう。

 静かだった。
深夜ということもあるが、この宮殿には自我を持った人間は数えるばかりしか存在していない。
ルルーシュと不死の契約者C.C.、ジェレミア、
残りは牢に閉じ込められた黒の騎士団幹部くらいのものだ。
ギアスによって人形と成り果てた兵士たちは余計な物音を立てることはなく、
今はそうした者たちすらも必要最小限しかいないため、廃墟同然と言っても過言ではない。

 その時、微かな衣擦れの音が聞こえてきた。自身の寝台を挟んだ向かい側、
キングサイズのベッドでシーツに包まった女性が静かに寝息を立てている。
前髪の間から覗く、透き通るような白皙の肌と精緻なラインを描く鼻は見事のひと言に尽き、
広がる翡翠色の艶やかな髪は夜目にも鮮やかで、なめらかな絹織物のようだった。

 半身をよじる格好でルルーシュはそのまましばらく見とれていたが、
C.C.の寝息が浅くなったことに気づいて急いで視線を窓の外へと戻す。
不死の少女は完全に覚醒したわけではないらしく、瞼を閉じようとした。

 だが、突然彼女ははっとしたようにぱちりと目を開く。

「……ルルーシュ?」
「なんだ」

 一瞥すら寄越さないそっけなしの返事を受けて、
C.C.は気だるげに髪をかきあげつつ体を起こした。
それから緩慢な動きで頭上に腕をやって胸を突き出す形で身を反らし、
寝巻き代わりに羽織った薄布一枚で覆われたきりの肢体が魅惑の曲線を描く。
目生理現象により生じた涙の残滓を目尻に残したまま向かいのベッドを見ると、
シーツにほとんど乱れがみられない。

「眠れないのか」
「ああ、考えることが多すぎてな」

 C.C.は一拍の沈黙を挟んで軽く息を吐いた。
もちろん愛想のなさに気後れしたわけではなく、
寝起きのためにすっと言葉が続かなかっただけである。

「結構の日を迎えるまでに倒れてしまっては元も子もないぞ。少しは寝ろ……はふ」

 途中、あくびを噛み殺しつつ語を継ぐ少女に、

「たとえ眠れなかったとしても、横になっているだけでも体は休まるからな」

 ルルーシュは目線を前方にやったまま皮肉げに口の端を持ち上げた。

「珍しいな、お前が俺の心配をするとは」
「まったく、素直に礼の言えないヤツだ」

 言ってからC.C.は見られていないのをいいことに、
喉の奥が見えるほどの大あくびをひとつしてゆっくりと立ち上がった。
両腕でざっと背の方へと梳くと、ところどころ跳ねていた長い髪はすぐにまとまりを取り戻す。

 これは不老不死がもたらす特典のひとつで、
たとえ食を断ったとしても彼女の毛先は荒れることはない。
一切手入れをすることなく極上の艶が維持されるのだから、
同性からしてみれば反則だと指を突きつけたくなるだろう。

(さて)

 C.C.は無言でルルーシュのベッドへと近づいていくが、彼はまったく気づいていない。
この部屋の絨毯は踏めば包み込まれるような感触で、
わざわざ足音を殺そうと努めずともほとんどすべてを吸収してしまう。

 そのため、大回りで側面までやって来てもまだルルーシュは星空へと目を向けていた。

「隙だらけだぞ」

 私が暗殺者だったらどうするんだ、と内心つぶやきながらC.C.は隣に腰掛ける。

「いつの間に……ああ、そういえば音がしないんだったな、ここは」

 半ば独りごちるような言葉と共に振り向いたルルーシュは、
不意に腕を引かれてスプリングの利いたベッドの上に成す術もなく転がった。

「な……C.C.お前いったい何を」

 互いの鼻が触れ合いそうな彼我の距離に、
わずかに頬を紅潮させて言葉を詰まらせる少年を見て C.C.はくつくつと喉の奥を震わせて笑う。

「別にいいだろう。減るものではないしな」
「バカを言うな、それは男の台詞だ」

 ルルーシュは眉間に皺を刻み唇を尖らせ、少女はわざとらしくずいと身を寄せた。

「光栄だな。私を異性として捕らえてくれるのか?」
「そういうことを笑顔で聞くな、魔女め」

 悪戯をするために起きてきたのか、と黒髪の少年は苦々しげに吐き捨てて、
起き上がりかけた彼はにわかに動きを止める。

 C.C.が起き上がろうとする彼の袖にそっと手をかけたからだ。

「なあ、ルルーシュ」

 ルルーシュは振りほどこうとする腕から力を抜いた。
彼女の金の瞳に、真剣な色を見て取ったのである。

 思わず口ごもるルルーシュから、C.C.はそっと目を反らした。

「今から私が口にするのは独り言だ」
「は?」

 ルルーシュは真意をつかみかねて瞬きをする。
一体どこの世界にこれから独り言をすると、わざわざ宣言する者がいるだろう。

「だから、黙って聞いていろと言っている」

 C.C.は珍しく語気を強めて言ってきた。

「ああ、わかった」

 意図はわからないもののからかおうとしているわけではないと知って、
少年は大人しく従うことにする。
どうせ眠れないのだ。暇つぶしに魔女の相手をするのも悪くない。

 しかし、少女の口から飛び出したのはまったく予想外のものだった。

「私はある男の血を残したいと思っている」
「なんだ藪から棒に」

 驚きと呆れが混ざった顔で答えてルルーシュは怪訝そうに片眉を持ち上げる。

「優秀であるとか、そういったことではない。
ただ、それほど遠くない将来、死ぬ運命にあるそいつをもう少しだけ生かしてやりたくてな」

 まっすぐに見つめてくるC.C.の表情からは、何の感情も読み取れなかった。

「死ぬ運命、だと? 病にでも侵されているのか」
「いや、いたって健康だ。どこも悪くはない。
少々不眠症になっているようだが、すぐに倒れることもないはずだ」

 あっけらかんとした少女の物言いにルルーシュは眉をひそめた。

「なら、どうして死ぬとわかるんだ?」
「その男がそうすると決めているからだよ」

 答えるC.C.は穏やかな顔つきで、

「自殺願望でもあるのか、そいつには」
「ないな。少なくとも私にはそう見えない」

 みせる態度もいつもどおりの彼女であるはずなのに、どこか寂しそうに思えるのは何故か。
C.C.が言うその男が誰なのかを考えようとしてルルーシュは愕然とした。

「C.C.、お前」

 該当者がひとりいる。否、ひとりしかいない。それも、よく知った人物だ。
どこかで聞いたような話と感じたのは至極当然のことだった。
それは他でもないルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを指しているのだから。

(本気なのか……?)

 そして、血を残すという言葉の意味を正しく理解した少年は自問せずにはいられなかった。

 沈黙はしばしの間、続いた。
見つめあう中ルルーシュは幾度か口を開こうとして閉ざし、
不死の少女は王の刻印が浮かぶ瞳を静かに見つめている。

 と、少年はそっと息を吐いてC.C.を見据えた。

「今から俺も独り言を言うぞ」

 ややかすれた声で告げる彼に、少女がわずかに目を見開く。

「まず、俺には子を持つことを望む権利などない。
何故ならあまりにもこの手は血に染まりすぎているからだ」

 嘘偽りのない思いが言葉になってC.C.へと届く。

「だが、もし……」

 ルルーシュは不意に口を閉ざした。
望んでくれる人がいるならば、どうするというのか。

(もし、などと……それこそ今更だな)

 自嘲的に笑うルルーシュを見て、C.C.はふっと目と口元を弓にした。

「ひとついいか、ルルーシュ」
「なんだ」


 不死の少女は心底楽しそうな表情でアメジスト色の瞳を覗き込む。

「私は別にお前の子が欲しいなど、ひと言も言ってないぞ」
「な……」

 ルルーシュは文字どおり絶句した。
つい先ほどとはまったく別の意味で、頬が紅潮する。
いつになく真剣な顔をみせたからこそ真摯な態度で答えたと言うのに、
よりにもよってその思いを踏みにじるとは、バカにするにも程がある。

 だが、本当のところは相手が目の前にいる少女とならばやぶさかではないという、
本心を指摘されたことに対する照れが彼を憤らせた大きな要因だったのかもしれない。

 もっともこの反応はC.C.にとっても意外だったらしく、

「怒るな、冗談だ」

 怒りを露にするルルーシュにあわてて謝罪するが、
少年は顔を背けるばかりで応じようとはしない。

「おい、ルルーシュ」
「……」

 数回名前を呼んですべてを無視された少女は一度下唇を噛んで、

「ルルーシュ、こっちを向け」

 手のひらでルルーシュの頬をはさむと強引に自分の方を向かせた。
視線が絡み合い、少年は息を飲む。

 C.C.はごく短い逡巡の後、目を閉じた。

「なんだ……んっ?!」

 いきなり唇を塞がれたルルーシュは目を白黒させ、
しかしそれは長く続かずゆっくりと瞼を下ろして少女の口づけに応える。
一度目は軽く触れ合うだけのものを、二度目は舌を絡めあう深いキスを交わした。

「ん」

 唇を離すと唾液が糸を引いて、C.C.は少しはにかみながら指先ですくい取る。

「試すようなことを言って悪かった。謝る」

 誰かに想いを寄せることを、彼女はひどく怖れていた。
誰にでも愛されるギアス能力が発現していた頃の記憶がそうさせるのだ。

 そのため、怖かった、などと口に出せるはずがない。
冗談にみせかけようとしたのは、本気であることを悟らせないための方便にすぎない。

(自ら求めておきながら答えは聞きたくない、か)

 我がままで、ずるい女という自覚はあった。だからこそC.C.は言う。

「一度しか言わん」

 欲するものを手に入れるために、我がままを貫く。

「私は望んでいる。お前に××れることを」

 ルルーシュは生まれてこの方、
一般的に神と呼ばれている存在を一片たりとも信じたことはなかった。
待っているだけで都合よく手を差し伸べてくれるものなどいるはずがないと、思っていたからだ。

 しかし今この瞬間、見えざる大いなる力が働いたように錯覚した。

 目の前で柔らかくほほえむ少女の姿はまさに聖母のようだった。
共犯者であり、友であり、背を預けあう仲間であり、姉のようでもあり、
大切な、かけがえのない存在だった。
情は深いが決して甘やかすことはしない、
それでも本当に沈んでいる時は進んで慰めようとする、唯一、本音を吐露できる女だった。

 何より、彼女を頑なに拒む理由は見当たらなかった。

「C.C.、俺は……」

 と、C.C.は語を継ごうとする少年の唇に指先を緩やかに押しつける。
「言葉にしなくても いい。仮面(・・)を つけていない時のお前の気持ちなら少しはわかるつもりだ」

 少女はそう言って、口元の笑みを緩い弧から三日月のように悪戯っぽく釣り上げた。

「契約は二度も要らん。青臭い台詞もな」
「まったくお前という女は」

 苦笑するしかない少年に、C.C.はさらりとうそぶく。

「この方がお前も落ち着くだろう、ルルーシュ」
「違いない」

 瞳を和ませてルルーシュは、不死なる乙女のほっそりとした肩を慣れない手つきで抱き寄せた。


 それはゼロ・レクイエムの完遂を間近に控えたある夜の出来事だった。





ver.1.00 09/04/15
ver.1.95 09/04/16
ver.2.31 09/04/18

〜告白・舞台裏〜

神楽耶「カレンさま!」

 わずかに頬を紅潮させながら息せき切って駆け寄ってくる黒髪の少女を見て、
カレンはぱちぱちと瞬きをした。

カレン 「どうしたんです神楽耶さま」
神楽耶「今夜はお赤飯ですね! そうですわ、今からでももち米を買ってこないと……」
カレン 「ちょっと落ち着いてください神楽耶さま。話がまったく見えないんですけど」
神楽耶「もう、カレンさまったら何をのんきに構えてらっしゃるんですか」
カレン 「ええと、そう仰られましても」
神楽耶「ですから、おふたりのお話です」
カレン 「ふたりって、ルルーシュたちのこと?」
神楽耶「はい。だって、ルルーシュさまとC.C.さまが……ですよ?
     『××れたい』とか、もう興奮せずにはいられません。
     むしろ、落ち着いていられるカレンさまが不思議でならないくらいです」
カレン 「いや、落ち着いているって言うか」
神楽耶「ああ、わかりました」
カレン 「え、何がわかったんですか」
神楽耶「ずばり、カレンさまは焼きもちを妬いてらっしゃるんですね」
カレン 「え、いや、私は別に焼きもちなんて」
神楽耶「でも、うらやましいのは私も同じです。
     だって、あの方は私に指一本触れてくれませんもの。
     こんなことを口にしたらはしたなく思われるかもしれませんが、
     たとえ一糸まとわず寝所にもぐりこんだとしても抱いてもらえないのでは、と」
カレン 「まあ、ね。積極的に女の子をどうこうしよう、ってヤツじゃないし。
     キスくらいならまだしも、本番ともなればこちらからガンガン働きかけないと」
神楽耶「キスくらいなら、ですか」
カレン 「ええ。って、どうかされたんですか神楽耶さま」

 神楽耶はカレンの顔を無言のままにじっと見つめてから、不満そうに小さく唇を尖らせた。

神楽耶「なんだ、カレンさまだって色々されているんじゃないですか。
     結局、何もないのは私だけということですね」
カレン 「な、な、なな」
神楽耶「どうかしましたか? どこかにナナリーさまでも?」
カレン 「コホン」
神楽耶「……で? したかされたかはさておき、どうなのですか」
カレン 「キスは、あるわよ。でもそれだけ」
神楽耶「まあ! それはいったいどんなシチュエーションで?」
カレン 「ええと、私からこう、ちゅ、っと」

 言ってからその時のことを思い出したせいか、カレンはうつむき加減にもじもじし始める。

神楽耶「ああん、カレンさま! やっぱり私もち米を買ってきます。
    お二人のためのお祝いと、私のための前祝いのために」
カレン 「そんな、お祝いとか要らないですよ! ……と、前祝い?」
神楽耶「はい。ちょっと、ルルーシュさまの唇を奪ってしまおうと思いまして」

 えー、と口元を手で覆って頬を赤らめるカレンをよそに、
拳をぐっと握り締めて決意の炎を燃やす神楽耶であった。



 さて、ルルーシュとC.C.のお話です。
このところメイドのC.C.ばかり書いていたのでノーマルな彼女は久々な気がしますね。

 今回はアニメ本編では語られなかった空白の、ほんの一部を埋めるものです。
好きとか愛してるとかそういう言葉はあえて口にはさせませんでした。
上手く言えませんが、彼らの想いってひと言ではとても表せないかな、というのと、
こちらの方が“らしい”かな、と思ったからです。

 次はいちゃいちゃするお話でしょうか。神楽耶による唇強襲事件も楽しそうですけれど。

神楽耶「いいですか、ジェレミア卿。私は今宵ルルーシュさまの寝所に忍び込みます」
ジェレ「私にその手引きをしろ、と?」
神楽耶「一族の血を残すことは皇族の務め。あなたの働きに期待しています」
ジェレ「イエス・ユア・ハイネス」

 とか、どう考えてもコメディ展開ですね。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。
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